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僕という人間―その15〈哲学4〉
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僕たち人間が社会的に生きていくのに一番大切なものは他者との関係ではないだろうか。他者、他者とは家族であり夫婦であり近隣であり仕事相手であり、ありとあらゆる他者との関係性の中で僕たちは暮らしている。「僕は別に誰の世話にもならない。一人で生きていける」とニヒルに構えても、他者と心ではつながってなくても、物や仕事を通して必ず他者とつながっている。そして、そういう他者との関係性は険悪、不快であるより、友好的な関係であったほうがいい。これから述べる「またぎの理論」とはここで見詰め合うこけしのような、そういう関係性についての考察である。

「またぎの理論」は繰り返すが他者(他者とは人間だけではなく、ある場合はものも他者と考える。これは主体となる人間が他者をどう捉えるかによる)との関係性の理論である。何故僕が「またぎの理論」を思いついたかは、前回「僕という人間?その13〈哲学3〉」で述べたが、かの国民的司会者みのもんた氏の朝のワイドショウの中の「8時またぎ(7時またぎもある)」によるところ大である。
そのことを簡単に概観しておく。「みのもんた」に対する好き嫌いは別にして、彼は広範な世代、広範なジャンル(バラエティ―の司会だけかと思いきや最近はニュースコメンテーターである)において人気を博している(このことはTVの出演頻度が証明している)。彼の人気は何処にあるのか。それは彼の他者に対する距離間、すなわち関係性にあると考えた。彼が程よく番組参加者、視聴者の心に触れてくる。ある時は軽妙に、ある時は重々しく、あまり深いりはしないがだからと冷たくならず。そんな彼を見ていて僕は彼の人との関係のとり方、すなわち自分と他者との「またぎ方」を彼から学んだのである。「またぎの理論」の源はそこにある。

では僕の考える「またぎの理論」を人と人の関係(一対一の関係)において捉えてみることとする。人生における人と人の関係といっても千差万別である。一人の人間でも相対する関係は、親子関係、恋人、夫婦関係、仕事仲間、遊び仲間、近状の関係・・・・・・、最低でも数十、多ければ数百、数千の関係をもつだろう。それを一括りにして論じるのは乱暴であるがとりあえず、誰でも経験し分かりやすい男と女の関係を事例に展開してみたい。
多くの方々は青春期何回かは恋に落ちたことだろう(最近はどうも恋もしない冷めた若者も多いようだが、青春とは恋するものと僕のような昔人間は思っている)。中には「そんなこと一度もない」という方もあろうが、そんな方でも心のどこかでは恋に恋はしたことぐらいあるだろうから想像してみて頂きたい。青春期、恋していたときの自分を客観的に見つめてみると(特に55歳のおじさんになって思い出すと)、全く冷や汗ものである。いま青春恋愛最中に方は考えられないだろうけれど・・・。

恋とはどっちの立場(惚れても惚れられても、相思相愛ならなおさら)でも全面的に相手の心を知りたがったり、全てを受け入れようとしたり、それが出来ないことで苦しんだり(中にはさめた恋もあろうがここではそれは恋とは呼ばない)、相手のちょっとした視線や一言で天国に登ったり、冷たい態度で地獄に落ちたりするものだ。そうゆう関係性は自分の全存在を相手の全存在に重ねようとするものであり、一体になろうとする。だから大体において青春期の真面目な恋は狂おしいものであり、恋に破れれば生きていけないと思ったりするものだ。そうゆう関係性は僕の考える「またぎの理論」になっていない。要するに、恋に落ちると自分や他者の存在を冷静に維持できなくなり、燃えたり冷めたり安定的な関係が保てなくなる。そこでは恋するゆえに憎さ百倍という逆接的なことが起こる。ま、それが恋というものなのだが。

しかし男女の関係も少し落ち着いてくると、自分と相手の関係を冷静に見られるようになる(もちろんどんな人間関係でも一時の喧嘩や不和はあるが)。そこには相手を単に恋する対象としてだけではなく、人間的な尊敬という感情が芽生えて来て、相手の存在を尊重する気持ちが備わってくる。これは相手に対して醒めてきたとか無関心になることとは異なる感情である。もちろん中には、仮面夫婦や家庭内別居などということもあるが、これは既に良好な関係性は破壊している。要するに、いい男女の関係とは相手を慈しみ(愛や恋でもいいだろう)、勝つ一個の人間としての尊厳を尊重し、また自分の尊厳や夢も見失わず共に歩んでいくということである。これが僕の言うところの「またぎの理論」の典型的事例である。
紙面の都合上、ここでは男女における「またぎの理論」だけを取り上げたが、この理論は、あらゆる関係(人と自然、国と国、親と子など)に適応すべきである。
実は「またぎの理論」を突き詰めていけばプロの哲学屋さんのJ・ハーバマスの「コミュニケーション行為(人間は、相手を尊重し自分も正義に立脚し、暴力や抑圧に支配されづ対話を交わすことで相互理解にいたる―筆者要約―)」に近いかも知れないが、僕は市井の哲学として、「またぎの理論」を検証していきたい。「またぎの理論」をどこかでご覧になったら、それは丸山暁の「またぎの理論」or「またぎ理論」or「またぐ理論」であることを記憶の何処かに留めておいて頂きたい(正式な名称はこれから)。
丸山 暁〈55歳・人間〉
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