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チョイ÷和尚のtimelag・blues?たかが墓!されど墓!?
最近、墓の相談が多い。
例年6?7月頃になると結構多くなる。お寺のそばに、墓所の空きスペースがないか?から、子どもは娘だけで、すでに嫁にやり、残るのは老夫婦のみで、先祖代々等とはほど遠い話で、とはいえ自分たちの入る墓がないのも、いささか心もとなく、さてどうしよう?、というようなものとか、それなりに複雑な事情により、現在遺骨を抱えている、さてどうしよう?とか、色々である。

中には、よけいなものを抱えてしまい、それをどう処理したらいいのか?、露骨にわかるような言動の人も居る。
つまり、廃棄物処理(この表現の方が露骨かも・・・・・?)である。

で、何が問題なのか?
相談に来る人の心情を代弁すると、不安である、というのが一番多い。自分の死んだ後の所在である。その所在のなさが、不安になる、ようでもある。
ちょっと前までは、まがりなりにも先祖代々云々で、おのずとその所在(あまりそのようなことで頭を悩ますことがなかった)がハッキリしていた。ところが、今は核家族で、しかも少子化である。身内(血縁)といっても、どこか遠くに居るのが現状である。
一生懸命仕事をし、それぞれの地域に家を建て、そして定年を迎え、気がついてみると、子どもたちも、それぞれに同じように自立している。これといって、何不自由のない生活であるとも、思われる。が、生まれ故郷を離れ、気がついてみると、墓がない。さあ?どうしようである。

和尚としては、それなりに対応はするし、しているつもりでもある。

ただ、所在の有る無しに、気がつくかつかないかは、それぞれの人の、それぞれの暮らし方の問題でもあり、難しい。
ただ、不安とか安心とかの問題は、その所在の有る無しの問題と、かかわる話ではないのだろうか?。

所在とは、自分の生きている場所がハッキリしている、ということである。ところが、今までの例でいえば、企業戦士(いささか古いが)といわれるような人は、その所在が、会社であったりそのポジションであったり、である。退職すれば、その所在が無くなるのは、当たり前といえば、当たり前であるのだが?。
結構そのような人は多い。

ある意味で、墓はその所在の象徴でもある。自分がどこで生き、どこで死んで行くのか?、の場所の決定でもある。これは一昔前のように、簡単なことではない。
だから、余計に自分自身で、その所在を考えなければならない。
<チョイ÷和尚>

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テーマ:日々のつれづれ - ジャンル:日記

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