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私の考える愛国心?ストーカー「愛」は嫌だ
 大船渡管内の小学校で愛国心を評価する通知表が使われていたことが問題となり、県議会でもこの問題が取り上げられている。同じ事例は全国各地であったようだが、教育基本法の「改正」論議とも相まって表面化してきたものだ。
 この問題は、国会でも取り上げられ、小泉首相は「率直に言って評価するのは難しい」、「こういう項目は持たなくても良い」と答弁。小坂文科相も「ABCをつけるなんてとんでもない」と愛国心を評価項目とすることには否定的な考えを示している。
 国を愛することは個々の内心の問題であり、それを教育現場で評価するというのはおかしな話で、小泉首相、小坂文科相の答弁の通りだと思う。
 ただ、愛国心が学習指導要領に明記され、さらに教育基本法では法律に明記しようとしていることを看過していると、将来、この答弁が覆されてしまうのではないかという懸念はある。

 私自身は「愛国心」という言葉は好きになれない。そもそも「愛」という言葉には抵抗がある。
 「愛」というと、真っ先に思い浮かぶのは異性に対しての感情を表現する言葉だが、これがどうも恥ずかしくてうまく使えない。「好き」という言葉にはあまり抵抗はないのだが、「愛している」とはなかなか言えないで50代を迎えた。
 厳密に言えば、「好き」と「愛している」という言葉には微妙なニュアンスの違いはあるのだろうが、私の中では同義語だと思っているが、それが異性に伝わっていたかは分からない。

 「愛国心」という言葉に抵抗があるもう一つの理由は、かつて強制された歴史を持ち、それが戦争につながったことからくる、漠然とした不安である。
 「国」という言葉と「政府」が混同され、国を「愛する」ということが、政府を「愛する」ことにすり替えられ、政府の進める政策への賛同を強要される危険性をはらんでいるような気がしてならない。
 勝手な思い込みで「愛」を伝えようとすると、今はやりのストーカーになりかねない。異性同士でもそうなのだから、国を愛するということでも強制はごめん被りたい。

 日本という国を「好きか」と問われれば、「好き」だと答える。かなり漠然とした理由だが、私の中では先に述べたように「好き」=「愛する」だから、日本という国を「愛している」ということになる。ただ、政府が「好きか」と問われれば、現状では「否」と答える。国と政府への評価は違うのである。

 教育現場で必要なのは、とらえどころのない「愛国心」より前に、日本という国の歴史、地理、文化などをきちんと教えることではないか。
 特に歴史には、「明」の部分もあれば、「暗」の部分もある。いわゆる現代史は、私が小中学校や高校の時にはほとんど教えられた記憶がない。「試験に出ないから」と言われたような気もするが、扱うことが何かタブー視されていたようにも思う。
 たとえ不幸な歴史があったとしても、きちんと知ることで、次代を担う子どもたちが物事を正しく判断する目を養うことができるし、それによって過ちを繰り返すことを防ぐこともできるだろう。

 もう一つ思うのは、国よりも住んでいる自分の地域の歴史や文化を時間を割いてきちんと教えることではないか。
 「郷土」という言葉も少し硬くて好きではないが、まずは郷土を「好き」になることから始めないと、日本を「愛する」ところまではなかなか行き着けないような気がする。(ゼロテン)
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