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市民ジャーナルは、ローカルな現場の当事者の視点からグローバルな普遍性を論じようとするものです。皆さんの投稿をお待ちしています。 sj17417@yahoo.co.jp
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原発問題に見る“いじめの構造”
今朝のテレビで、また新手の評論家?が原発問題に対して解ったような話をしている。原発事故の検証などまだ早い。情報が開示されているかどうかの議論も、重箱の隅をつつくようなことは、社会にとって意味が無い。開示が必要なのは、これからの安全対策の情報だ。

戦争で作戦が成功したというのは、勝った結果がそう言わせるだけで、殆どは失敗の連続で、失敗が少ない方が勝利という結果を得る。
野球の試合も、ミスの重ねあいで、ミスを少なくした方が勝利するが、勝利した方もミスは必ず存在する。

今回の原発事故について、東電や政府に非難が集まっているが、未曾有の災害への対応であり、人間がすることなのだから、少々のミスがあるのは当たり前である。
問題とすべきは、ミスが少し出ることによって、それが社会にとって致命的な被害を及ぼすシステムであり、非難され反省すべきところがあるとすれば、そのシステムを容認して、リスクに目を瞑り利益を受容することを選択してきた社会である。

総理大臣と言ったって、所詮ついちょっと前まではタダの市民であり、東電などは利益を追求する一株式会社でしかない。
そういうところを悪者にして、わが身を守ろうとするのは、学校などにおける“いじめの構造”と同じ臭いを感じる。

社会、特にマスコミはそういうところをもう少し冷静に見てもらいたいと思うのは、私だけだろうか。
<はやて>
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