Google
全ての記事を表示する

全ての記事を表示する

最近の記事

カレンダー

07 | 2017/08 | 09
- - 1 2 3 4 5
6 7 8 9 10 11 12
13 14 15 16 17 18 19
20 21 22 23 24 25 26
27 28 29 30 31 - -

カテゴリー

ブログ内検索

プロフィール

疾風

Author:疾風
岩手県盛岡から発信、ローカルな足場からグローバルな普遍性を論じる
人気blogランキングへ

FC2カウンター

リンク

このブログをリンクに追加する

RSSフィード

FC2ブログランキング

FC2ブログランキング

ブログ新聞 『市民ジャーナル』
市民ジャーナルは、ローカルな現場の当事者の視点からグローバルな普遍性を論じようとするものです。皆さんの投稿をお待ちしています。 sj17417@yahoo.co.jp
スポンサーサイト
上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

都市計画のパラダイムシフト
これからの都市計画

 わが国都市計画法制の源流である「東京市区改正条例」(1888年)は、3つの特徴を以降の都市計画ヘビルトインしました。すなわち、対象論としては「既成,市街地における後追いインフラ建設」、方法論としては「全体プラン無しの個別事業等の決定」、体制論としては「中央集権・官僚主導型|の都市計画です。

 同条例をうけて、市街地の総体的コントロールを目ざした「1919年都市計画法」は当時.世界的にみても先進的な都市計画制度でした。しかし同法は、その後「震災復興→戦時体制→戦後復興→高度成長」という史的展開の中で「官によるインフラ事業」という基本的性格のまま「化石化」してゆきました。この点は、ほぼ同時に出発したアメリカの都市計画が、自治体の公共事業・土地利用・空問構造を切り口とする社会的コントロール・調整の政策技術へと大きく進化していったのと対照的です。
 
 戦後の高度成長期には、急激な財政膨脹の下で「都市計画事業が都市を破壊する」という事態となり、再び市街地の総体的コントロールを目ざして「1968年都市計画法」が制定されました。

 他方,戦後の自治体民主化の中から「まちづくり」が生まれました。1960年代の高度成長期には、再開発、公害反対、区画整理反対、歴史環境保存、地域住民要求などの各種の市民住民運動が全国各地で展開されました。譬喩(ひゆ)的にいえば1968年法とまちづくりとは、共に高度成長が生んだ双子の兄弟なのですが、一方は国会議事堂の赤絨毯の上で生まれ、他方は権力に後押しされない市民パワーとして生まれたのです。

 そして今このまちづくりが、市区改正以来の伝統的都市計画パラダイムへ挑戦を続けているのです。すなわち「インフラ建設から住環境整備ヘ」「個別具体の都市計画からトータル・ビジョンヘ」「集権・官中心型から分権参加型へ」等の要求なのです。

 これを敢えて、一点に集約すれば都市計画における「公(public)」の位置づけにあると思われます。つまり「公=中央政府官僚」から「公=自治体+市民社会(住民・市民・NPO等)」の都市計画へと、如何にして進化させてゆくか、という点です。

 分権の制度論のポイントは「都市計画制度の全体構造の分権化」と、「その制度内での技術・手続きの分権化」を明確に区別すべき点です。多くの既往提案は前者のみに絞られているようですが、全体構造の分権なしに真の「都市計画の分権」が可能か、が問われるべきです。

 「公としての市民社会」の重要なプレイヤーは、都市計画ブロフェッション、つまり職城を超えて職能を同一とし、都市計画技術を実質的に担う専門家集団です。日本は、確立したブロフェッション無しに都市計画を行っている世界でも特異な国なのです。これが可能なのは、都市計画が政策技術よりは工学技術」「技術よりは行政事務」の方向へと退化しているからではないでしょうか。

 このような状況の下、新鮮な観点から都市計画制度を構想し、次の百年に耐える都市計画の制度設計を研究・実践することが今,求められている社会的要請ではないでしょうか。


<都市プランナー>

スポンサーサイト

テーマ:政治・経済・時事問題 - ジャンル:政治・経済

この記事に対するコメント

この記事に対するコメントの投稿














管理者にだけ表示を許可する



上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。