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道路特定財源を通して社会の幸せづくりの本質を議論せよ
ガソリン税等の道路特定財源を巡る国会の議論がいよいよ始まる。
道路特定財源は1953年にできた「道路整備費の財源等に関する臨時措置法」が始まりで、その後1958年に「・・・緊急措置法」、2003年に「・・・特例に関する法律」というように名前を変えながら50年以上も維持されてきた。
暫定税率は、1974年に『2年間の暫定措置』として上乗せ税率が定められたものが、30年間以上もその期間延長を重ねてきたものである。
「臨時」「緊急」「特例」「暫定」が30年も50年も続けられる、日本語の曖昧模糊としたところが、日本の社会や政治を象徴している。

さて、なぜ臨時や暫定がこれほど続けられてしまうのだろうか。それは一旦動き出した制度は、変えない方が当事者にとっては楽であり有利だからだ。決められた制度に乗って利益を享受するシステムがつくられてしまえば、その枠の中にいる者にとっては、そのシステムは利益産み出し続ける“打ち出の小槌”となる。枠の中にいる者の視点は枠の中だけに絞られてしまうから、枠の外まで目を向けて社会全体を考えることなく、その利益誘導的な枠の中の正義を社会の正義と錯覚しながら、声高に外に向かっても叫ぶことになる。
今、道路特定財源の廃止や一般財源化に対し声高に反対を唱えているのが、与党の道路族、国土交通省、地方自治体の首長などという状況を見れば、実にそのことがよく見える。
大体、首長などが集まって「道路促進期成同盟会決起大会」などが開かれてテレビなどに映されると、いかにもそういう声が世の中に高まっているような錯覚を起こさせるが、あれはほとんど国土交通省が予算を盾にした動員による世論操作である。

さて、それでは国会ではどういう議論が必要なのだろうか。
政府与党や地方の知事や市町村長の主張は「道路ネットワークはまだ未完なので、今後ともこの予算を維持して道路をつくり続けるべきだ」というものだが、このままで行くと100年経っても状況は変わらないだろう。つくった物は維持補修や更新が必要になるからだ。
道路が必要か必要でないかと聞かれれば、必要でないという答えは返ってこない。同じように、公民館も病院も体育館も、無いよりは有った方が良いと答えるのが一般市民の答えである。
しかし、「あなたのお金を今どう使うのが一番良いですか?」と聞かれれば、答えは違ってくる。「医療」「教育」「福祉」「子育て」「環境」「安全」「経済」「文化」等々、答えは分かれるはずである。
例えば国土交通省が唱える「高齢化社会を迎え、病院へのアクセスを良くするために道路をもっと作らなければならない」という主張はいかにももっともなことのように聞こえる。しかし、高齢者を抱える家庭や社会にとっては「アクセス道路」だけではなく、「身近な診療所」や「介護施設」や「介護費用」や「医療費」や「住宅事情」等も必要なもので、何が優先で、何が最も効率的な組み合わせなのかを考えなければならないものなのだ。病院へのアクセス道路だけが立派にできても、病院が廃止されるような状況や医療費負担が増えて病院にかかれないようでは問題は解決しないのだ。

道路特定財源が初めてできた戦後の時代とは異なり、現代社会は様々な事柄が有機的に関係し合って成立している複雑な社会に変化してきている。時代の変化に対応して変わっていかなければ社会は滅びてしまう。税金を使う目的は物を作ることではない。社会の幸せをつくることなのだ。安易に昨日までの惰性に流されることなく、「社会の幸せをつくってゆくためには、何が優先で、何をどのように組み合わせていくことが社会にとって最も有効なのか」という視点に立って議論を重ねることが必要なのではないだろうか。
答えは一つではないかもしれないし、正解が有るかどうかもわからない。
しかし、広く深く議論を重ねることが正解に近づく道ではないだろうか。
我々が選んだ議員による国会の議論を注視し、次の選挙に活かそうではないか。
<疾風>
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