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地産地消とは!
岩手日報の「いわて経済 万華鏡」に「地産地消」が二回にわたって取り上げられた。
一回目は矢巾町の学校給食に地場農産物を取り入れた現場を取材し“地産地消の拡大は、地域自給率を向上させ一次産業の経済的波及効果をもたらす。夏休み等の休日対応や、規格の問題等もあるが、市場性は残されている”と結んだ。
二回目は、盛岡市手代森の産直「花山野」を取り上げ、売り上げを伸ばしている産直と閉鎖する産直があり、淘汰の時代に入った。“年間百億円近い市場規模となり農産物の流通チャネルとして確立されネットワーク化などによる底上げも急務だ。”結んである。
 そもそも経済としての「地産地消」と言う行為は、今話題となっている公共事業の談合問題と一緒である。安い海外産や国内大産地の野菜や肉製品を押しのけて地域の業者(農協)を使うのは、「安心・安全」を隠れ蓑にした地元業者優先の談合である。そこには経済的必然性がまったくない。
そもそも「地産地消」という行為は、「身土不二」という仏教の言葉によって裏付けされた行為である。「身土不二」という言葉は、最近「地元のものを食べることが身体によい」という食哲学の言葉として一般的に理解されているが、
その言葉には「食」と言う文字はなく、「身と土は二つにあらず」と読み、「身体と風土は、二つに分けられない」と解釈される。
つまり「グローバリズム」に対する「ローカリズム」の精神である。
「行為」は「精神」に裏打ちされないと、永続性がない。
 学校給食をセンター方式で、3000人分の食事を午前中に作るためには機械化が必要だし、その機械にあわせた規格の農産物の供給が求められる。
記事中に生産者の情報が入っているとあったが、一軒の農家で大量の規格品が供給できるはずもなく、単なる農協の規格品を提供すると言う、従来の仕入れ先から農協に変更するだけの話である。
 また産直の底上げ等という発想は、一方的見方である。そもそも140万県民の胃袋の容量は決まっている。今まで市場流通で対応してきた農産物が、産直の台頭によって市場、仲卸、八百屋の流通ルートが苦境に陥っている。
岩手の旬は短い。その時だけ販売して、あとは知らない、と言うのは市民への年間食糧安定供給と言う役目を果たしていない無責任な行為である。そして、売り上げを伸ばすと言う論調は、それを助長するモノである。
 「地産地消」を経済行為として捉えてはいけない。拡大経済の中で地産地消を言うなら単なるブームで終わるだろう。
新しきコミュニティの創造、旧来のコミュニティの復活、と言う地域再生の観点で捉えなければ…。
<たこ入道>
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テーマ:時事ネタ - ジャンル:ニュース

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