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僕という人間?その4〈環境2〉
20060526220759.jpg
 写真の状況がすぐに理解できる人はかなりの自然大好き派です。
 我が家の小さな池には毎年東北サンショウウオが産卵します。マガタマのような形のゼリー状のものがサンショウウオの卵です。では周りにいる数匹の黒い四足のやつは卵を守るサンショウウオの親かと思いきや、卵と孵った子供を食ってしまうイモリでした。
 サンショウウオの運命や如何に、これが「環境」というものです。
 ところで前回取り上げた写真を知ったかぶりで熊のウンコと自信を持って書きましたが、近所の人に確認したところ「熊でねくて、狸の糞だめでねか」とのことでした。訂正のうえお詫びいたします。家の庭には熊がきたようですがまだ熊には出会ってません。残念!

 さて本来「環境」とは「環境を守りましょう」「環境にやさしく」なんていってる場合ではなく、池のサンショウウオの運命のように、生命にとって厳しいものなのです。
 生命の種は地球誕生後の数十億年前灼熱地獄の大地に降り注ぐ雷雨の中で誕生したようだし(宇宙飛来説もあるが)、地上の生物はもともとCO2を摂取し(植物は今もそうですが)酸素を放出していたのに、酸素の比率が増えていくと、今度は酸素を摂取する生物が発生する・・・というように、いわゆる大きな環境変化によって進化した。人類が誕生するまでには10数回の生命にとっての危機的環境破壊があったという、哺乳類にとっての大きな環境破壊はユカタン半島チテュブルへの隕石落下による核の冬にあったという。現代人類の始まりのイブとてアフリカ大地溝帯の大変動があったからうまれた。
 いわゆる生命の進化は大きな環境破壊を乗り越え、もしくは環境破壊によって変化させられた結果といえる。
 そうであれば、人類の進化を考えれば今の環境破壊は人類にとっての飛躍的進化の契機もしくは好機とも言えるかもしれない。そうであれば「人間よ進化のためにはもっと環境を破壊せよ」いうことになる。だったら、ちまちまと「子供たちに環境教育を、リサイクルを、地球を大切に、命を尊び、」などとおせっかいを焼かずに、「食って飲んでどんちゃん騒ぎして」人間はやりたい放題今のままでいい。だから、地球規模での「環境」問題は人間があたふたする問題ではないなどとニヒルに生きようではないか。
 ただ、もちろん今の急激な環境変化に人間の進化が追いつくがどうかは知りません。それまでの環境変化は自然のなせる業だったけど、今度のは人間自らが変化させてるのだからその責任は人間にあるのだし・・・。
 ま、とにかく、今「環境環境」という人たち「政治家も教育者も環境保護屋さんも有識者という人たちも・・・」が一番大事にしなくてはならない「環境」とは何なのか。それは「地球環境」ではなく、自分自身の「日常環境」ではないでしょうか。要はたらふく食って、たらふく飲んで、快楽を享受しながら、劣悪の日常環境をあたりまえのように生きている方々、そこにこそ「環境問題」の根本があるのです。
 やっぱり、日々の「生活環境」を人間という種にとって(自分自身にとって)、身体的にも快適な環境に近づけるべきではないのでしょうか。それはやっぱり都市での行き過ぎた文明生活をシフトダウンすることだし、食べものを残さないことだし、あんまり夜まで起きて遊んだり仕事しないことだし・・・・。
 僕は銀座や神田で飲み歩くのは大好きだったが、30歳のころから「どうも東京という環境は僕が暮らしたい環境ではない」と、考え始めていた。また、どんなにがんばっても僕の手で「東京の環境」を変える力もなかった。逆に、ゼネコンにいたから環境をもっともっと悪化させる仕事をしていた。
 僕の手で環境を変えられないなら、僕が環境を求めて旅立つしかない。それが僕の今の環境である。
 もちろん「環境」とは「自然環境」だけでなく都市基盤、食料環境、社会環境・・・様々な人間を取り巻く全てが環境であり、その全てが最良の環境などありえない。しかし今僕が考える「最良の環境」は「美味しい空気ときれいなせせらぎがあり、地域で取れる新鮮な食べ物があり、自分が自分として生きていける環境」、そんな「環境」ではないだろうか。
 多分地球規模での「環境問題」の根本はそういう「環境」にあるのではないか。僕たちが良質な環境を求めるように、他者(他の国、地域、とくに搾取されている人々、低開発や発展途上国など)も良質な環境を享受できるような社会構造に向かうことが「環境問題」の解決ではないか。
でも残念ながら「CO2の排出権の売買」などと世界はますます先進国がより狂乱的な文明を享受するように動いている。
 僕という身体はきっと今の環境破壊のシナリオにはついていけず進化もしないで、きっと死んでいくだろう(あと30年いきれば十分か)。しかし生き残った子供たち次の世代とて、ここたった百年の環境変化に対応していけるのだろうか。
生命の進化は数万年、数億年単位で起こるものである。これからのたった百年では人間は進化しようがない。そうなら人間は何処に行けばいいのだろう。
 これは悲観的過ぎるシナリオでしょうか。巨大都市、特に東京で最先端の暮らしを暮らしている方々、六本木ヒルズの皆様、東京ビッグシティーにお家を買おうという方々、あなた方だけが特殊な保護された「贅沢環境」で生き続けられるわけにはいかないのですよ。少々田舎暮らしのひがみがでたかな?でも本音。
 
丸山暁(55歳・人間)

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テーマ:日々のつれづれ - ジャンル:日記

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