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バーチャルな社会の見えない都市の貧困
japaniesradish.blog.jpg

百日草の先に見える小さな青い芽は、一週間前に蒔いた大根です。一箇所に数個出た新芽だけど、もうしばらくすると元気な奴一本だけを残して摘んでしまう。つまれた連中が出来損ないと言うわけでも、彼等に何か落ち度があったわけではないが、これも大根の宿命です。多分蒔いた種から一本の立派な大根に育つのは5分の1ぐらいだろうか。

さて、人間は種(精子や卵子)から考えると大変なことになるから、生まれてから考えると、どのくらいの比率の人間が元気に生まれて大きな病気も無く育ち、元気に老衰で死んでいくのだろうか。元気で老衰というのも変な表現だが、特別の病気も無く天寿を全うしたとすれば、元気にあの世に旅立ったといってもいいだろう。
社会や身の回りを見れば皆元気に見えて、病気がちであったり、どこか障害があるのは自分だけ、もしくは少数者と考えがちだろうが、果たして、本当に健康で生まれて死んでいける者はどの程度か考えてみると、そんなに多くないのではないだろうか。

例えば糖尿病は1,000万人、HIV感染者は数万人エイズ発症者は1万数千人、具体的な数字は把握していないが癌による死亡者は数十万人?百万単位でいるだろうから、癌で闘病中の方々はその数倍はあり数百万人単位ではないだろうか。心臓病や呼吸器障害などは数百万人あるのではないか。水俣病患者数万人(認定、非認定を考えると)、原爆症数万人(認定、非認定を考えると)、リュウマチ患者数数百万人、キンジストロィフーなど難病患者でさえ数万人単位の患者がある。
統合失調症の方も多分数十万人、最近増えてきたうつ病などは予備軍も考えれば千万人単位かもしれない。知識不足で把握できていないが、目の見えない方、耳の聞こえない方、手足の不自由な方々は、それぞれ数万人、数十万人といらっしゃるのではないだろうか。
僕の無知により、ここに挙げきれていない病気や障害の方ももっと在るだろうから、まだまだ数千人、数万人、数十万人、数百万人、千人単位の病症者があるだろう。
中には生まれてから名も無き難病もあり老いて、最近は若年でも痴呆症が起こり、その数も数十万か百万人単位に登るのではないだろうか。

このような人々を集計すれば、日本国民の相当数、数千万人、半数以上の国民が、何らかの病気や障害をもって今この国で暮らしているのではないだろうか。

それでも、この国は世界最高の繁栄を享受して、華やかに物溢れる豊かさにみちた国に見える。TVのドラマやドタバタ芸能や新聞の広告や雑誌やインターネットでの華やいだ世界は、決して、この国に多くの病気や障害者があることが表に現れては来ない。
勿論最近の健康ブームとやらで、病気発見番組や健康番組も多くあるが、それらは、病気や障害の悲惨さ負の要素を社会的問題として提示するのではなく、病気というテーマと芸人の演技を見世物として恐怖心をくすぐる娯楽番組が多い。
要するに、この国を概観した時に表層に現れてくるのは、多くの国民が抱えている個々の苦悩ではなく、総体的に華やいだ豊か世界なのである。それは、社会としては当たり前かもしれない、いつも負の部分をしょっては人間は生きてはいけない。

少し視点を変えて見てみよう。数日前にネットカフェ難民が厚労省の調査で5,400人あると報じていた。内20代が26%、50代が23%だという。僕も50代だが、毎夜帰る家が無く、ネットカフェで暮らすのであったらとぞっとするが、今の世の中、いつ誰がそのような境遇になっても可笑しくないようだ。今、年収200万円以下が30%、毎日働いても100万円ちょっとの人が仕事を失ったら、誰かに頼るか、ネットカフェ難民のようなものになるしかないだろう。

昔は、生活困窮者は身なり態度なり、それなりの風采であった。数十年前、日本中がまだ貧しかったけど何処と無く違いがあった。最近使わないが言葉だが、物乞い、乞食(乞食というのは差別用語だというが、さて、なんて呼べば良いのだろうか、路上生活者?)なども見るからにそれらしい格好をしていたのだが、今は、彼等とて、身なりが良く銀座などでは下手したら僕なんかよりいい服着てる連中もある。

しばらく前だが、アメリカの経済学者が「アメリカの貧困の問題は貧困が表に見えてこないことである。貧しい人がスーパーでレジを打ち、飲食店で働いていても彼等が生活に困っているようには見えない(これはスーパーのレジ打ちや飲食店の店員が貧困だというのではない)」と言っていたが、日本でも同じことが言えるのではないだろうか。それでもアメリカは最低賃金が1,000円を越して日本は今年10数円上がってやっと700?800円程度だろう。そい言う意味では日本はアメリカより条件が悪い。

日本という国は間違いなく世界一豊かな国(貿易黒字は最高、大手企業利益も上がりっぱなし)である。東京を中心とした巨大な建築群、商業享楽施設を見れば、これ以上の豊かさは邪悪とも思えるが、その影にはこの国の国民の多くの病苦、障害が隠されている。多くの国民が病苦、障害を抱えながらこの国の豊かさを支えている。
奈良県で、妊婦が10数箇所の病院を拒否され、救急車が事故を起こし胎児が死亡した。以前も同じ様なことで、妊婦が死んだ。この傾向は、全国に広がっている。

日本という国が豊かに見えるのは、数10%、ひょっとしたら数%の享楽的贅沢が映し出されるバーチャルな世界をみて、自分たちもそこに生きているという共同幻想によるのではないか。都会の暮らしを断片的に描けば、例えそれがインターネットカフェ難民と呼ばれようと、田舎の、僕の暮らす谷間の暮らしより、豊かに華やかに見えるものである。

現代文明、特に都会の暮らしというものは、そのようなバーチャルな病理を有しているものである。ひょっとしたら、そうゆうバーチャルな虚像を描きながら、この国は動いているのかもしれない。
30年確立で、関東大震災や東海、南海、宮城沖地震は30?90%おこるという今も、巨大都市は拡大し続けている。最近被害予測が頻繁に映像化されているが、バーチャルに慣れた思考回路はそれをも単なるバーチャルと受け止めて、娯楽映像としか見ていないのではないだろうか。
丸山 暁〈56歳・人間・田舎人〉
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