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岩手県盛岡から発信、ローカルな足場からグローバルな普遍性を論じる
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ブログ新聞 『市民ジャーナル』
市民ジャーナルは、ローカルな現場の当事者の視点からグローバルな普遍性を論じようとするものです。皆さんの投稿をお待ちしています。 sj17417@yahoo.co.jp
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対話のしかた「コンセンサス会議」
bazil.blog.jpg

あまり奇麗な写真ではないが、我が家自慢のハーブの一つバジルです。我が家には数十種のハーブがあるが、バジルだけでも5種類ある。毎年種を蒔き、苗を育て、ハーブティーで飲んで(これがまた甘い香りがして滑らかないい味がするのです)、ここまで大きくなると、そろそろ刈り取ってピイストゥー(ニンニクや松の実を混ぜた保存食)にしたり、乾燥してハーブティーとして保存するのです

当所14年前、この地に来た頃は、まあ、畑に時間がかかったこと、ある時期は毎日朝から夕方までやっても、なんだか、進まず、かなりしんどかったのだが、しばらくして、特にここ数年は、畑の労働が、数分の1に減ったような気がする。
それは、畑の作業に慣れてきたこともあるが、僕と我が菜園の園長である上さんとのコンセンサスが得やすくなったことである。最近はツウカーでほとんど、もめることなく作業が進んでいくが、以前は、どれを何処に植える、いつ植える、今何をするで、一々意見が食い違ったり、反論したり、あげくに喧嘩になって作業が中断したりで、無駄な時間が多かったようです。

それが今は、様々な経験や、情報を共有したり、相手を信頼することで、ほとんどもめることなく事が進んでいきます。やはり、ここまで来るには、幾つもの意見の対立や、失敗や、協調や、すなわち「対話」を重ねてきた結果です。それでようやく、畑に関してのコンセンサス(意見の一致)がえやすくなったのです。たとえ、その関係が社会の最小単位2人でも、けっこう時間がかかるのものです。

数日前の新聞に「長野県の公共工事評価委員会のダム反対派(田中前知事が推薦した)の委員、金子勝(慶大教授)と保母武彦(島根大教授)を長野県の土木部長が丁重に辞めさせた」という小さな記事がでていた。
ここ数回の市民ジャーナルに、柏崎刈羽原発の震災事故を契機に、この国の大規模建設事業のあり方を批判的に書いてきたが、僕は、単に大技術や大規模公共工事、原発を否定するのではない。僕が問題にしているのは、事業の意思決定、疑問、問題が起こった時の判断の仕組みを問題にしているのである。
要は、先の記事に象徴されるように、国や県の重要課題、特に巨大公共事業や電力など国家プロジェクトが、事業者(国や行政、国策会社)に都合がいいように、技術的、科学的にではなく、政治的(経済的)判断によってに決められていくことである。

その構造を簡単にまとめれは、経済団体が政治家を動かし、もしくは官僚が政治的に、大規模公共事業を発意し、それを官民が一体となってっ推進、研究開発し、その裏づけに東大に代表される御用学者(巨大都市の乱開発は早稲田も尾島教授だったり、制度的なものは国士舘や国学院や右翼的な大学であるが)がお墨付きを与える。
そこには端から、中立な立場で、そのプロジェクトを政策的にも技術的にも評価できるものが介在していない。国がやると決めたらやるのである。この構造が今の日本を作ってきたのであり、その構造が国の隅々末端部の県市町村レベルまで行きわたっているのである。

国の政策、予算配分を地方がそのまま受け取り、省庁よりは小規模の公共事業を地方議会や民間企業が画策し、それ裏づけを地方国立大学先生方が受け持つ。皆さんの、それぞれの地域の何々委員会(最近流行っている政策評価や公共工事評価など)のメンバーの発言を注意していれば、彼等は評論家的批評はするが、面と向かって批判したり反対意見を述べる委員はほとんどいないはずです。

また、近年盛んに言われる「市民参加(最近は参画と言葉遊びが流行っているが)」だが、広く市民の意見を聞くという形はまあまあ整ってきたのだが、市民の反対意見で政策、特に決定した事業を中止したり、修正することはまずありえない。通常市民には、どんな正しい判断でも、それを裏付けるだけの調査能力も資金も無い。結局、国や行政が雇った「お抱えコンサルのデーター」を駆逐するだけの論陣を張ることは不可能である。それは当たり前のことである。

これではいつまで経っても、この国に、市民参加、もしくは国民の声を聞いて政策を進めたり、事業の可否を決定する仕組みが出来上がらず、結局お上のいうとうりになってしまう。市民が原発建設の危険性、疑問をいくら提示しても、それを、データーとしては提示できないのである。まちろん高木仁三郎さんのような研究者はいたが、それでも資金的にもスタッフも微弱であった。

しかし、世の中には、そういう国家主導プロジェクトを改変する素晴らしい制度、仕組みがある。それが、デンマーク(多分デンマークだったと思うが北欧だったと記憶している)あたりで始まった「コンセンサス会議」である・・「またまた欧米か」。
「コンセンサス会議」とは、国家的プロジェクトに対して、市民を交えた会議体をつくり、事業者が出した計画に市民から疑問が投げかけられた場合、事業者は、中立な研究機関、技術者を通してその疑問に答える義務があるのである。そこでは、当然事業者に不利な発言、データーが出てくることもある。事業者がそれを覆せなければ、その事業は進められないのである。市民もただ感情論を押し通すのではなく、理論的に納得すれば了解のうえ推進するのである。
日本でも、2,3年前農水省が「コンセンサス会議」を導入するといっていたが、今どうなっていることやら。

今この国に必要なのは、全ての政治(国から地方まで)の場で、正にこのような対話の仕組みでが生まれることである。そのためには、国も市民もかしこくならなければならないが、「私の進める改革路線が否定されたわけではないので、改革を進めるために辞めません」と言ってのけるような総理大臣が早く辞めなければ、そんな体制も無理でしょう。民意により、保革逆転した参院、そういう政治状況が対話の政治が生むのだろうか。
丸山 暁〈人間・56歳〉

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