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核・神への挑戦
hydoranngea.sun.jpg

紫陽花の花の真ん中に一輪の向日葵 。まるで、まさに、宇宙に誕生した一つの太陽である。
人間は今太陽を手に入れようとしている。

太陽は、130億年前(まだはっきりはしていないようだが100臆年から200億年の間)ビッグバン宇宙誕生後、核融合を続けて今に至っている。永遠不滅に見えた宇宙、この世だが、人間とて少なくとも200万年以上前は存在しなかったのだし、太陽とて将来数十億年後(50だか80億年だったと思うが)には核融合も最終段階となり爆発して超新星になるという。その時は人間とて、太陽系には生きられず、まさか、太陽系以外の惑星にいけるはずも無く、住めるはずもなく、人類は全て亡びてしまうだろう。要は、人類は不滅ではなくもともと有限な生き物なのである。

それなのに、最近江原啓之や三輪アキヒロあたりが「彼方の前世はお姫様です」などと、他者を脅し、からかって大金をせしめているが、現在の我々人間の祖先はアフリカ大地溝帯でたった1人のイブから始まったと言うのに、今50臆人近い世界の人間の前世は、一体いつ突然に増えたのだろうか。これも、どこかで人類ビッグバンでもあったのだろうか。

人間は、直立歩行、言語を生み出し火を手に入れて、動物から大きく飛躍し文明のみちを歩き始めた。ギリシャ神話でも、人間に火を与えたプロメテウスはゼウスの怒りを買って、巨岩に縛り付けられてしまったぐらい、火は神から与えられた人間の至上の利器なのである。火とは、熱で煮炊きし光を得るための火から、エネルギーをえ得るための火へと発展し、薪、石炭、石油ときて、今人類は太陽を生み出そうとしている。すなわち核融合である。
そして、人類は、その一歩手前の核分裂を火(エネルギー)として利用するために神へ挑戦を試みている。そして神はそれを見つめている。
人間は核を制御できるのか、核分裂すら制御できないのに、永遠の太陽を求め核融合などとんでもないことである。それは神への挑戦である、神がそんなことを許すはずが無い。
僕は、今の核技術開発(原子力発電からプルトニューム利用そして核融合)は、宇宙人(神?が創った宇宙に生きる人類)である人類にとって、そのような段階にあると考えている。

日本は、正にその初期段階でつまずいた。地震は地球すなわち宇宙の鼓動であり避けられない。そこに人類が太陽、すなわち「核」を構築しようとしても、それは悪あがきでしかない。神の手の内では、それは許されない。
この神話的原発論は、核開発、核融合は神への挑戦に等しい。人間が行う神への挑戦だから、神以上の原発に対する配慮が無ければ、神は人間に核を許すはずが無い、ということを言いたいのである。

少々現実離れして神話的になってしまったから、先の新潟中越地震での柏崎刈羽原発の話に戻ろう。

日本の原子力開発は、そのように「核」に対する敬意、畏れを、すなわち神に対する畏敬の念をもって開発をしてきただろうか。
残念ながら、前回のブログで書いたように、たとえ原発が、「僕が考える」そのような原始力発電所、核開発であっても、この国の建設事業の悪しき馴れ合いの慣習、経済優先政治主導の政策は変わらないのです。そこに、今回起きた原発の、そしてこれからも起きるであろう原発の根源的危険性があるのです。

リアルな話をすると、原発建設の全責任は刈羽原発の場合は東京電力にあります。そして、原発の建設技術的な問題は東電設計という東京電力の子会社が担っています。そして、東電がある原発を建設しようとする時、当然原発の社員では原発施設の設計は出来ません。彼等には能力も人員も足りません。それを補うのが、ゼネコンの出向社員です。要するに、原発の設計を管理すべき機関の主要な技術者は、原発を受注する会社の人間なのです。そこから、どのような結果がでてくるかは明らかでしょう。
もちろん、前回の書きましたが、そういう技術者が設計をサボって、有利にごまかしていると言うのではありません。彼等は、徹夜をしながらでも、必死に命を削っていいもの、安全な物を作ろうとしています。

しかし、問題は、その計画が一端始まれば、いわゆる一般の公共事業と一緒で止めることが無いのです。大きな疑問、問題が発生しそうでも、なんとか、データ?を読み替え、場合によっては甘く読み(それも、けっして、ゴマカシではなく許容範囲内)プロジェクトを進めるのです。問題を一番知っているのは、現場の技術者ですが、そこで疑問点を指摘しても、それを判断するのは、いわゆるお偉いさんたちなのです。そこにはご用学者や会社の利益優先、政治的判断が介入してきます。

今度の地震の震源となったであろう活断層も、地元の大学に先生(新潟大)は予測をしていたようだが、そういう先生には話を聴こうとしないのです。

今回言いたかったことは、神に対する挑戦なら、神以上に繊細な安全性に対する配慮が必要なのに、この国の原発建設は、神にみすかされる技術開発しか出来ていないということです。
この世には、トリックスターと言ういたずらっ子がいる。それは自然の申し子でいつ現れ消えるかもしれない。そのようは者を相手にしなければならないのが「核」開発なのではないだろうか。
これは、原発だけでなく、核兵器にもいえることで、人間が核をコントロールできると錯覚したところから、人類滅亡のカウントダウンが始まったのではないか。
核による滅亡が先か温暖化による崩壊が先か、それでも太陽は数十億年輝き続け、また新人類を生み出すのだろう。
丸山暁〈56歳・人間〉
僕の考えるブログ
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