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大日本モラトリアム列島"Great Moratorium Islannde"
20070721094812.jpg

この映像は、我が家の風景の中で最も好きな一角です。この写真では全体像が解からないが、左端に見えている石組みは、我が楽園の中央にあるゴミ焼きカマドです。そして、その周りは数種類(大体4種類だが、最近自然交配して新種も現れてきた、クリーピングタイム(ハーブに一種)が群生している。今が花時、このあたりが一番奇麗な頃です。
この石組みのカマドも14年前に作った時は、石もしっかり組まれていて、乱れも無かったのだが、築14年の間風雨に曝され、小さくても震度3程度の地震に数回会い、今では何箇所かにほころびが見えてきた。それでも、ほころびが見えたところは、石をはずし組みなおせば、これから何十年も使えるものである。そうすることで、きっと、僕が死んでもこのカマドは僕が生きた証をこの地に伝えてくれるだろう。

数日前の〈僕の考えるブログ〉にも書いたが、今のこの国は、この国のあり方自体を早急に転換しなければ、このままモラトリアム(意思決定の先延ばし)を続けていたら、放射能汚染列島になり死の島となる。北朝鮮のテポドン数発どころの騒ぎではない。映画『日本沈没』に在った様に、全国民エクソダスになりかねない。
何故そうなるかは、今度の中越沖地震の東京電力柏崎刈羽原発の事故でほぼ明快になっただろう。それでも、原発は、人間の手で将来に渡っても安全に稼動できると考える方々は、思考停止か、将来を捨てたニヒリストか自暴自棄になった快楽主義者である。この国は、どちらかと言うと、思考停止した快楽主義者ではないだろか。

僕は以前から、かなり強固な反核主義者であることは、このブログを読み続けていただいた方は理解して頂いていると考えるが、初めてお目見えする人のために簡単に説明しておこう。僕は戦後原爆投下10年後のHiroshimaで少年期を過ごし、原爆の傷跡に衝撃を受けたこと、大学で地震や地球部地理を学び卒業後原発も建設するスーパーゼネコンに就職し、建設業体質(原発もある意味建設業の商売の範疇である)、技術的思い上がり(良く言えばチャレンジ精神、悪く言えば傲慢さ、もっと汚く言えば体制を操作して建設する)を肌で体験した。

ここでは話を拡散させないで、原発の危険性に戻るが、なぜ、原発が危険なのか、特に日本において。そこには、原発自体の技術者のレベルの低さ(これは以前シュラウド(放射能を遮断する容器)の亀裂隠ぺいで明らかになった時、シュラウドの亀裂を点検できる技術者がアメリカは500人、日本は数人で、これから養成するという体たらくであった)と、隠ぺい体質がある。これは北朝鮮の幼稚な核開発より危険ともいえる。ただ、これらのことは原発関係者が心を入れ替えて、技術を磨き、謙虚な体質を見につければ何とかなる。
しかし、なんともならないことが一つある。それは、この国が地震列島であるということである。地上に作る限り、原発とて、その運命からは逃れられない。

そんな大地に暮らす、日本の耐震技術は、多分世界一であろう。建設技術者や研究者は常に安全な建物、構造物を建てることに、心血を注いできた。現場技術者は、それこそ安全な構造物を作るため命も賭ける。技術者自体は、住宅を作る者も原発を作るものも同様に真剣である、と思っていたのだが、住宅の場合は姉歯なんていう男が出てきてしまったが、少なくとも、原発建設に係わる技術者にはそのようなもの一人もいはいないだろう(建設業が様々な問題を起こすが、経験上一人一人の技術者は優秀でまじめである)。そういう個々の意識、技術が高くても、根本問題で間違ってしまえば、そこにどんなに高度な技術、努力を持ってきても、解決できない問題があるのである。

それが、地震と原発の命である核分裂から出る放射能の問題である。

まず、どの程度の地震が何処で起きるかを予想することはまづ出来ない。これは、地震予知の研究が進めば進むほど、地震予知が困難なことが明らかになってきた。勿論、部分的には、巨大地震の到達前数秒の予兆を察知して警報を出すことや、今言われているようなある数10?数100kの範囲で数十年単位の予想での地震の予測は観測の高度化で統計的に可能となったが、何処でいつ地震が発生するかは、永遠にわからないだろう。
また、地震が起こる場所も、有史以降の記録や地震探査で過去に動いた活断層だけが話題になって「この地帯には活断層がないから安全だ」と原発推進派は言ってきたが、活断層は過去に動いたから痕跡が残っていて、また動きやすいというだけであって、地殻の歪(日本の場合海洋プレートの沈み込みによる)はまだ、破壊されていないとこにこそ大きく溜まり、それが破壊した時こそ、巨大地震が起こることに言及していない。これが正に日本の技術者・科学者そして政策決定者のモラトリアムなのである。

では、原発推進派は何を根拠に安全と言ってきたのだろうか。そこにこそ、この国の致命的欠陥がある。この国の政治政策は、明治の富国強兵政策以来今だに開発開発発展発展なのである。そして、そういう政治を支えてきたのが(そこに巣くって来た)スーパーゼネコン(僕の時代は超大手と言っていた)である。
考えてみてください。バブル経済を支えバブル崩壊後、バタバタ倒れるかに見えたいわゆる大手ゼネコン23社(数社合併したかな?)は全て生き残ったではありませんか。そして今、スーパーゼネコン鹿島や大成は2兆円企業に成長しています。僕のいた竹中工務店は相変わらず品良く1兆円を越したぐらいのようでが。

本当は、原発を作り続けるこの国の体質“Great Moratorium Island”の社会構造(官僚、特に技術官僚、ゼネコン、政治家、経済界、電力会社)を開設したかったのだが、序論を書いているうちに、ここまで来てしまった。これがブログの限界か。本論は次にしましょう。

なお、先に書いておきますが、こういう議論を始めると必ず「お前は原発反対と言うが、原発ナシで、この日本の文明を維持できるのか、どんなに危険でも原発ナシではこの国はやっていけない。お前は軽薄なロマンチストに過ぎない」というご批判がある。そのあたりの対応策の断片は数日前の〈僕の考えるブログ〉で紹介しているので、そちらもあわせて読んでみてください。
このブログに書き手がまた参入してきたと安心していたら、また、独りぼっちになってしまったようで、これなら、これからは〈僕の考えるブログ〉に力を入れていこうかなとも考えている。
丸山暁〈56歳・人間〉
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