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「ミートホープも大使館も50歩100歩」?僕の考える
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この小さなスケッチにいくらの値がつくか。葉書大の鉛筆やペン画だが、個展をやると額つきで1万円の値をつける。そんな僕のスケッチでも一回の個展で、数点は売れる。
30数年前、初めて銀座の画廊で展覧会をやった時、全く自分でも「何てど素人の下手な絵だ」と思いながらも展示していたら、画廊の檀那が「この絵はいくらで売るの」と聞いてきた。「いや、こんな絵を買う人はいないだろうから値段はつけない」というと、「もし、どれかの絵が気に入って、欲しいとおもっているひとがいたら、値段が無ければ買えないじゃないか。展示するからには、売る意思があるなら、10円でもいいから値をつけろ。そして、一度、誰かに絵を売ったら、絵を描きつづけろ、そうでないと買い手に失礼だ」。
僕は今でも、その言葉を肝に銘じて、それ以来、どんな年でも、なにがあっても、毎年少なくても数点絵を描きつづけている。そして、個展では、必ず値をつけることにしている。それが、僕が絵に対する仁義だと思っている。

それにしても情けない「大使館、在外公館、美術品を廃棄45点」、大使館や在外公館が買ったり寄贈された絵が古くなったからと廃棄したという。
この国の公的な施設には、けっこう絵が飾ってある。それも、建物、施設のランクにあわせて、絵のランク(画家のランク)も決まってくる。国会や首相官邸には入ったことが無いが、多分、平山郁夫や東山魁など、お決まりの日本画がかかっていることだろう。そこに奥村土牛や熊谷守一などちょっと渋い粋な絵が無いのが、これまた日本の文化レベルなのだが。見るからに、日本画、日本の風景でござい、というのが、日本の政治家や権威者はお好きのようである。

絵の世界も見事にヒエラルキーが出来ていて、次に県庁や県の公会堂にはその県出身者の画家の絵が掛かっている。彼等は、大体日展の入賞者や県展の大賞者である。そして、それが市長村となると、在住の芸術協会の会員が寄贈した絵となる。
例えば、北の町の役場か公民館にノルデやムンクの絵でも掛かっていれば面白いのだが、そんな場にでくわしたことが無い。

それと同じように、病院にも、同じようなヒエラルキーに準じて絵がかかっている。聖路加病院や慶応大学病院辺りには、きっと東郷青磁(青磁の字が違う?)や黒田清輝あたりが架かっているのだろう。日大病院や厚生年金あたりになると、麻生蓉子や田村能理子辺りではないか。そして、公民館や庁舎と同じように、県立病院にはその県出身者の絵となる。そして、小さな個人病院では、岩崎ちひろや相田みつおのコピーか、その病院の先生の手になる絵がかかっている。先生の直筆画ならかなりいい方である。
祖母が入院した東大病院にも、絵が飾ってあったようだが、なんだかそれなりの絵描きの絵が、薄暗い廊下に、見るものもなく、ただかけるべくしてかけてあったように思う。

結局、この国の公的な権威あるであろう族や医者という地位ある方々の絵に対する感覚は、この程度のものなのである。勿論、個人的には、芸術をよく解している方も多少はあるだろうが、概ね、多くの公的場での絵の扱われ方は、惨めなものである。埃かぶってあたりまえ、曲っていても知らん振り、中にはライトがそっぽを向いているものもある。
そんなこの国の、大使館だから「あれ、古くなったなこりゃゴミだ」と平気で絵画を捨ててしまったのだろう。結局絵をお金やブームで見ているのである。

要するに、自分がかかわっている(仕事であっての、その仕事の空間にかかわっている他者の存在)者、物に対する、必然性、意味をほとんど考えずに、ただあたりまえの業務をこなしているだけなのだろう。たとえ、彼等が日本のエリート東大や京大やせいぜい外語大での官僚とて。自らの係わる空間にある、文化や芸術に対して、心から関心を払えないものたちが、この国の文化を語り海外の文化と接しているとしたら、情けない限りである。

少々、話は飛躍するが、本来牛肉を加工、販売すべきミートホープの田中稔社長が、豚肉を混ぜ血を入れ水増しして利益を得ていたことと、彼等大使館で絵を捨てことは50歩100歩同じことである。大使館の連中は絵を文化として芸術として愛して飾っていたのではなく、ただ場を飾るため、文化的な見せ掛けのため飾っていただけなのである。だから、古くなったと簡単に廃棄してしまうのである。牛肉のすり替えと大使館の虚飾は同じこと。
そこには、何のために自分がそこにいるのか、その責任を見失っているのである。利益を生まないもの、仕事に関係ないものは、ごまかしたり簡単に排除してしまうのである。そこにかけているのは、人間性である。

選挙むけてあたふたとやたら動き出したかに見える安倍首相も、僕の目には似たような存在に見える。
丸山 暁〈56歳・人間〉
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