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岩手県盛岡から発信、ローカルな足場からグローバルな普遍性を論じる
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市民ジャーナルは、ローカルな現場の当事者の視点からグローバルな普遍性を論じようとするものです。皆さんの投稿をお待ちしています。 sj17417@yahoo.co.jp
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農業の二面性
小生は、農業には二面性があると思っている。
それは産業という経済活動、そして営みという側面である。
 多くの人が農業を第一次産業と位置づけ、他の産業と同一に捉えている。
農家もしかり、農業は苦しい、収入が安定しないと言い、後継者には継がせたくない。もし経済活動が資本を投下し、売り上げを上げる活動を言うなら、農業という産業は、資本投下に値しない活動である。なぜなら資本投下してもそれに見合う生産が上がると言う方程式に、あてはまらない。なぜなら自然という大きな力に左右されるからである。寒さが続けば冷害を、暑さが続けば干ばつを心配し、雨が多ければ日照不足を嘆く。そして科学で自然を克服しようと様々な技術が開発される。しかし、自然のパランスは、一方が良ければ一方が崩れるように、うまく行かない。結局、科学技術というのは、ある程度まで有効だが、万能ではない。つまり、農業生産は農家が主役ではなく、太陽光からブドウ糖を作り出す光合成の仕組みを助ける管理者である。だから工業のように、思うような生産ができない。
 人間は、食べて生きていく動物である。食べ物が無くては生きていけない。海辺の村では、海にさえ行けばある程度の食べ物が手に入る。山では森の中に行けば、何らかの食べ物が手に入る。ところが安定して食べ物を手に入れることは出来ない。より一層の安定した食べ物生産、それが営みとしての農である。
そこには、耕すという自分の腕を高める技や、植物の生長を感じ取る目を養い、結いなどのように助け合う人間関係、そして自然と共にある自分を確認する喜びもある。それを「営みとしての農」だと小生は思う。

つまり金銭を媒介する商品経済としての農業は、産業として常に不安定な仕事であるが、営みとしての側面は、素晴らしい人間本来の仕事である。
今の経済優先社会では、農業という言葉を、産業としての農業と営みとしての農を、まぜこぜにして使っている。だから齟齬をひきおこす。
農政もしかり、「水田集落ビジョン」等というモノは、WTOにて作物別補助金が禁止になったのを受けて、集落単位で補助金を出そうと考えている机上の空論である。
農産物の流通は、中央政府が政策を立てるべきだし、集落は地域の営みとして、どう取り組むかを考えるべきである。それを一方的に集落営農の計画を出さなければ補助金を出さない、等というのは、言語道断である。
<たこ入道>
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