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「社会の闇・心の闇 」?僕の考える
20070421072829.jpg

春がやってきた。百姓にとっては畑がはじまり、冬場なまった体を絞るにはいい季節である。ここではわざわざお金をかけてジムに行かなくても、食糧生産と運動が一体であり、実に効率的である。また、汗糞たらして百姓に精を出しましょう。

こんな、のんきなことを書いているどころではない凄惨な事件が日本とアメリカでほぼ同時期に起こった。長崎市長銃殺事件とバージニア工科大学での32人射殺事件である。亡くなられた伊藤長崎市長と工科大の学生たちにまず哀悼の意を捧げます。
この二つの事件の共通点は銃であるが、犯人は方や暴力団(右翼団体)で方や学生である。これらの事件は共に痛ましく、許されるべきでなく、僕などに軽々しく論評できるとは思わないが、今週の出来事としては避けて通れない。特に長崎市長は、広島育ちの反核思想の僕の僕には、無念である。

この二つの事件は、それぞれに日米の社会的特質を表した事件ではないだろうか。これらの事件が逆で、日本の大学で2丁の銃を持った学生が銃を乱射して32人射殺した、アメリカでマフィアが州知事を射殺したというのであれば、今度の事件以上に驚愕するだろう。ただし、日本では報道されないだけで、アメリカでもマフィアが政治家を射殺するという事件が起こっているのかもしれないが、ケネディー大統領もR・ケネディー大統領暗殺もマフィア、いわゆる暴力団ではなかったはずだ。僕の知る範囲ではイタリアではかなりマフィアによる政治家暗殺もあるようだが。

アメリカでは、銃の乱射事件はしょっちゅう起こっており、コロンバイン高校での2生徒による銃乱射事件も記憶にあたらしく、今回も死者の数が多いだけで、またかという気持ちも否めない。こういう事件が起きる度にアメリカでも銃規制が論議されるようだが、結局500万人いるという、かのキリスト礼賛のアメリカンヒーロー『ベンハー(映画)』のチャールストン・ヘストン率いるライフル協会の票欲しさに、政治家は動かないようである。
アメリカ社会は、戦場にいまでも借り出される数十万の兵士の体験、日常に起こる(アメリカの銃による殺人は年15,000件ある、ブロンクス辺りの黒人の若者の死亡は銃殺が1位だそうだ)殺人事件で、銃には銃で対抗するしかないという極限状態(アメリカ社会はそれを憲法が保障した当然の権利としている)におちいってしまった。

さて、戦後だけでも日本の政治家の殺傷事件をみると、古くは‘60年の浅沼稲次郎社会党委員長の19歳右翼少年による刺殺に始まり、木島等長崎市長銃撃、金丸信自民党副総裁、細川前首相銃撃、石井紘其衆議院議員刺殺、加藤紘一衆議院宅放火、これら全て右翼団体(右翼団体ということは指定暴力団であり、昔で言うところのヤクザ)による事件である。幾つものこのような事件が起こるたびに、犯人が逮捕され、犯罪の理由が明らかにされるのだが、どうもそれぞれにしっくりこない。そんな理由で、殺すのだろうか、と思うことが多い。中にははっきり狂信的な右翼思想の確信犯的事件もあるが、どうも、右翼と政治家の何らかの、僕たちには見えてこない関係に根があるように思えてならない。その証拠に、社会党の浅沼委員長は天皇制に絡んだ事件であるが、それ以外は、ほとんど大勢派・右翼政治家(自民党、民主党とてもともと同じ穴のムジナが多い)が暴力団構成員によって狙われている。そこには、日本の闇の世界が顔を覗かせているのではないか。

その大きく深い闇の部分は、日本の政治経済の権力が右翼、いわゆるヤクザを利用してきたという歴史が長かったからではないだろうか。特についこの間まで、経済界の総会屋などは(最近は総会屋も締め出されているようだが)まさに持ちつ持たれつの関係にあった。金融界や銀行、ゼネコンなどが画策した都市部の地上げなどはホワイトカラーの社員たちはオフィスに座っているだけで、庶民を脅し暴力まがいで移住を強要したのは右翼団体構成員すなわちヤクザだった。政界に大金が流れるサラ金とて、ヤクザまがいが絡んでいることは周知の事実である。
まさに、日本の国家権力、政治経済は右翼団体、指定暴力団(指定暴力団と右翼団体は違うというが、僕にはどうもその違いが分からない)を利用してきたのである。今度の長崎市長の事件がこれにあたるというのではないが、日本の政治の闇の部分が、ひょっとした瞬間に、白日の元にさらされるのではないだろうか。闇が闇としてあった社会を突然切り捨てても、闇はやっぱりどこかに巣くっていくのではないだろうか。

むかし、ゼネコンの現場にいた時に、背中に刺青を背負ったマッチャンという鳶職の親分がいた。彼は鳶の頭であると共に、東京下町の闇の世界ではちょっとした顔の親分であった。バブル最盛期、ヤクザ、右翼団体がらみのトラブルがあると、彼が呼び出され問題解決にあたっていた。杓子定規に考えれば、決してほめられたものではないかもしれないが、そういう闇との関係が曖昧にあって、成り立つ社会もあった。

僕が、いまここで、社会の中の闇に対する、回答を出せるものではないが、やはりどこかに、闇は闇として生きられる社会が必要なのではないだろうか、現代は社会を奇麗に見せているようで、闇を単に隠してしまっている場合も多いのではないだろうか。また、闇に光をあてたために、化け物どもが、日常の社会に拡散してしまうということもあるだろう。ここでは、けっして、右翼団体やヤクザを弁護するものでも、保護しようとするものでもない。

世の中一見、奇麗に清潔に豊かに見えても、闇、心の闇、社会に闇があることを忘れてはならない。では、その心の闇と、社会の闇と、どう付き合っていけばいいのか、今の僕には答えはないが、これから益々闇は深く静かに潜行しながら、ひょっこり頭をもたげてくるのではないだろうか。ただ管理、監視だけでなく、社会の闇、心の闇と生きる新たな思想、人間観、社会感、人生観・・・が必要なのではないだろうか。

ここで小噺を。「おっかあ、あたりまえに生きててもらちがあかねえ、おいらも闇の世界にでも足をつっこんで、一花咲かせるか」「ばかだね、あんたのようなお人よしは、すぐに裏のどぶ川に浮いちまうよ。そんなに闇がいいなら、鍋底の真っ黒な焦げ付きでもとっとくれ、その方があたしゃどんなに嬉しいか」「そうだな、おっかあの笑顔が値千金だな」「ばかだね、おまえさん、一本つけてやるか、でも飲みすぎてお風呂に浮かぶんじゃないよ」
丸山 暁〈56歳・人間〉
「僕の考えるブログ」もよろしく。
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この記事に対するコメント

はじめまして^^

突然のコメント失礼いたします。

私の子育てサイトで、
こちらの記事を紹介させていただきましたので
ご連絡させていただきました。

該当記事は
http://satobeejp2000.blog101.fc2.com/blog-entry-16.html

これからもよろしくお願いいたします^^
【2007/04/21 08:12】 URL | ともべえママ #- [ 編集]


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