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「頭変えたら?桜井よしこさん」?僕の考える
20070414075529.jpg

この写真は、クリの木に杉の丸太を渡し、それに屋根をかけた簡易薪小屋である。雨ざらしの杉丸太には、一応防腐剤を塗布してあるが、3?4年もてば十分と考えている。この地に来た時作った別の杉丸太の農具小屋は、屋根も杉板で葺いたため(防水処理もせず)12年目に大雪で屋根が落ち、昨年立て替えた。今度小屋は鉄板で屋根を葺き、防腐剤も塗り、ちゃんと建築的に雨仕舞いもしてあるので、僕がここで暮らす間は十分もつだろう。以前このブログでも紹介した赤いドアのある小屋ですが。

写真の小屋のように、雨ざらしになる木造の構造物は、基本的に腐食して老朽化して、強度が落ちて、崩壊するものなのです。もちろん、木造であっても、法隆寺を待つまでもなく、しっかりした屋根を架け、軒を十分とって、建築的に雨仕舞いを備えた構造物は百年でも千年でも持つが、風雨にさらされた木造構造物は、よほど丁寧なメンテナンス(基本的には塗装でしょうが)をしなければ、数年で強度低下を起こすでしょう(材質にもよるが杉などは特に)。外見上形を保っていても、強い力が掛かればあっけなく倒壊するでしょう。

今月の11日に岐阜の小学校で、木製の支柱にロープを渡した遊具の支柱が折れて、13人軽症を負った。子供たちはビックリもし痛かっただろうが、骨折したり、死者が出なかったことが不幸中の幸いだった。打ち所が悪ければ、重症、死者とてあったかもしれないが、本当に不幸中の幸いと感じているのは、学校と、教育委員会だろう。教育委員会は年に3回遊具の定期検査をしており、3月にも検査して異常なしと報告していたそうだ。当然学校関係者はしょっちゅう、毎日のようにその遊具を見ていたことだろう(教師も校長も子供の遊具には関心なかったのかな?)。

その遊具は、ほぼ20年前の1989年に廃棄になった電信柱で作ったものだという。TVのニュースで折れた部分を見る限り、丸太の外側からほぼ3分の1は腐食し中心部もかなり痛んできていたようだ。補強用の金属のバンドが3箇所あったが、このバンドは腐った部分においてはなんの補強にもならない。ちょっと意識して見れば、「危ないな」と感じることの出来る状態ではなかったのか。さて、学校や教育委員会は廃材を使った雨ざらしの遊具の耐用年数を何年と踏んでいたのだろうか。年3回の定期検査とは何を検査していたのだろうか。

こういう事故(数年前埼玉県上尾市プールで、給水口に吸い込まれて女児が死亡した事故。これもそれなりに定期検査をしていたという)がある度に考える。多分、本事故の教育委員会の検査(最近は公的機関であっても検査したと嘘をつくことがあるから、疑って掛からなければならないが、情けない。)も、外見的に一寸見て「いつもどおりで変わらない」、というだけの検査だったのではないだろうか。要するに、一回一回の検査で、何を検査するのか、例えば、大人何人かで揺すってみる、木鎚でたたいてみる、金属の棒を柱に差してみる、実際に大人何人かでぶら下がってみる、そんな検査をちゃんとやっていれば、簡単に腐敗が進行し老朽化していることが見抜け、危険であり、使用禁止、という処置が取れたのではないか。教育委員会の検査は、きっとチェック項目があったとしても全部○で検査しましたという書類だけが残されたのではないだろうか(書類があったとして、ひょっとしたら書類すらなかったのかもしれないが)。

僕は最近、こういう状況を「半透明」な状況と呼んである。検査をしていないなら、責任をとらせることも、検査しろといえるが、いい加減な検査でも正常という記録がある限り、危険なまま正常を装い、事故が起こるまで実体が見えてこないのである。要するに、検査したということが、見えそうで見えない「半透明」を状態をつくってしまうのである。

要するに、彼らは、自分が何か、欠陥なり問題点に気づいて、今ある状況(たとえそれが職務であっても私的であっても)に変化を与えることを避けるのである。それは単純に言えば事なかれ主義というヤツです。教育委員会も学校関係者も、たとえ、遊具に欠陥がありそうでも、自分で真剣に欠陥を見つけようとしてこなかったのである。このことは今回の事故だけでなく、ここのところの多くの子供たちを取り巻く事件、事故、特に子供のいじめや自殺で、「知りませんでした、気づきませんでした」と顔を伏せて、もしくは平気で言ってのける教育委員会、教育者を見ていればよく分かる。

今、教育問題は国を挙げての大問題だと、政府もメディアも有識者も評論家諸氏もあたふたしているが、子供を教育する前に、自分たちを教育しなさい。自分の力で、意思で善に向かい事を起こす(例えば、先の遊具の腐食には誰かは気づいていたはずである。もしも、ただ1人も気づいていなかったとしたら、この国の教育委員会も教師もただのでくの坊である)勇気を持つことである。とにかく、大人たち、政治化、教育委員会、教師が保身、既得権にしがみついている限り、教育問題なんて解決できるはずがない。子供はどんどん変化するのに、変われない大人が子供を型にはめようとしても、子供は潰れるか弾きだされるしかない。

変わらない偉い大人として思い浮かぶのが桜井よしこさん。何年経っても、いつも、大きな壊れたヘルメットのような髪形で、一見おおらかそうな、他者を見下したような、妖艶な?笑顔。彼女の変わらないのは、髪型だけでなく、頭の固さである。彼女の自論は「自虐史観はいけません、首相の靖国参拝何が悪い、従軍慰安婦は日本軍が命令したものではないから責任はない」である。国会図書館の資料で戦犯合資は国が靖国に働きかけたことが明らかになり、実際に軍隊で慰安婦として強姦まがいの仕打ちを受けた方々が何人いても、彼女はいつまでもああいう言説と髪型で食べていくのでしょう。彼女が髪形を変え、ワンレンかショートカットのなった時、きっと彼女の評論も面白くなるのかもしれないが。
最近のTVなどでのコメンテータ?や有識者の発言、また最近やたら増えてきた、爆笑問題やタケシが司会をやっている政治家や評論家のやりとりを聞いていると「お前らが出てきて何言っても、それぞれの立場に固執するだけで、なにをいうのか予想が出来て、全く対話になってなくて話にならない」、出来の悪い掛け合い漫才より出来が悪い。せっかく毒舌司会ができるのだから、爆笑問題もタケシもただ笑わせるだけじゃなく、しっかりしろよ。

最後にお決まりとなりつつある小噺をひとつ「おまえさん、どうだい、髪結いに行って来たんだよ」「お、いい女がいるから誰かと思ったら、おめえだったのかい。見違えたぜ」「そうかい、一本つけようかね」「なんでえ、気味が悪いや、頭結ってきたら、中身まで変わっちまったみたいだぜ」「そうそう、おまえさん、憲法改正のための国民投票法案が衆議院特別委員会で強行採決され、衆議院でも自民党多数で通過したってね」「そうよ、これじゃこの国はヒットラーや北朝鮮の独裁体制と変わりねえな。自民党一党独裁だもの。そのうち核も欲しいよ、戦争したいと駄々こねる首相が出てくるかもしれねえぜ、くわばらくわばら」「そうだねあんた、やっぱりこの国の頭(首相)も変えたほうがいいかね、そうしたら、この国の政治にも心が入るかもしれないね」。少々長くなっちまったが、あなたも頭変えてみたら、土台は悪くないのだから、もっといい女になるよ、だべ、桜井よしこさん、どんど晴れ。
丸山 暁〈56歳・人間〉
僕の考えるブログ」もよろしく。『西欧「偶景」今昔話』(新風舎)も読んでみて下さい。
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