Google
全ての記事を表示する

全ての記事を表示する

最近の記事

カレンダー

07 | 2017/08 | 09
- - 1 2 3 4 5
6 7 8 9 10 11 12
13 14 15 16 17 18 19
20 21 22 23 24 25 26
27 28 29 30 31 - -

カテゴリー

ブログ内検索

プロフィール

疾風

Author:疾風
岩手県盛岡から発信、ローカルな足場からグローバルな普遍性を論じる
人気blogランキングへ

FC2カウンター

リンク

このブログをリンクに追加する

RSSフィード

FC2ブログランキング

FC2ブログランキング

ブログ新聞 『市民ジャーナル』
市民ジャーナルは、ローカルな現場の当事者の視点からグローバルな普遍性を論じようとするものです。皆さんの投稿をお待ちしています。 sj17417@yahoo.co.jp
スポンサーサイト
上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

「半透明な妖怪の住む社会」?僕の考える
20070407084509.jpg

この写真は数日前の、春の雪降る集落の風景である。この眺めは、僕が気に入っている風景である。防風用の杉木立の陰にひっそり佇む集落の暮らし。このような半透明な風景は異次元へいざなってくれる。まるでNHKの朝ドラ「どんと晴れ」の座敷童しが出てくるような。ちょっと、乗りすぎました。
ここまで書いて、はたと指が止まった。ここまでこの文を僕は「集落」という言葉を使っているが、これは本来「部落」だったのである。ただ「部落」は部落問題から来る差別用語ということになり「部落」は「集落」となったが、やっぱり「部落」と言ったほうが、こういう場合趣がある。「集落」という言葉は、地域の構造、すなわち農村部の家々の集まりを表し、「部落」はそういう構造の中にある暮らしまでを表象する言葉ではなのだろうか。
こうゆう言葉の中にも半透明な現代社会が現れているように思える。すなわち、言葉を変えることで、本来あった歴史、現象などを混在もしくは抽象化して曖昧にしてしまうという意味において。

今回は、せっかく風情のある写真から入ったので、気楽にやろうと思ったのだが、またまた半透明な妖怪に捕まってしまった。ここには少々イントロとしての伏線があって、半透明というのは、なさそうでありそうで、どっちつかずの状況を言うのである。

さて、高度成長やオイルショック、バブル期、「不確実性の時代」という言葉が流行った。また、最近は、世界の不安定な状況、経済状況などの変化に鑑み、先に何があるか分からないという意味で、「不透明な社会」「不透明な未来」などということがある。確かに、未来の不確かさ、予想できない未来を表すには「不透明」という言葉は的を得た用法であろう。
だが、僕が今問題としたいのは、「不透明」でも「透明」でもない。今、日本という国を覆っている、考え方によれば世界をも覆っている「半透明」という社会状況である。この世は今、ひょっとしたらかなり以前から「半透明」を装った妖怪に覆い尽くされている。
その妖怪とは、制度や慣習や雰囲気や法や制度的なものから、社会一般の風習、風俗などの姿をして、半透明に全世界を覆いつくしているのではないだろうか。

まず、今の日本の政治状況だが、これが「透明」でも「不透明」でもなく、全く「半透明」なのである。政治が「透明」ならまず問題ない。何がこうなって、どうなったからこうである、とちゃんと起きていることが全て公開されておれば、いい面も問題点も明らかになり改善点も戦う相手も見えてくる。また、完全に「不透明」なら、透明にしろと戦う相手がはっきりしている。
しかし、困ったことに今の日本の政治は全てに「半透明」なのである。まず、小泉さん肝いりの「道路公団民営化」や先の「国鉄民営化」にしても、民営化したように見えても、赤字路線はばったばったと切り捨てて新幹線や高速道路建設は相変わらず政治の道具(票集め)であり、政官民の高度癒着産業に高度化したようなものである。このことは、現在安倍政権の重要課題という「公務員天下り規制」にしても「年金制度改革、社会保険庁」改革にしても、「改革しましたよ」と制度を作ったり体制をいじったりするものの、結局、実体は、民間的形をとった天下り機関となったり、天下りの斡旋機関であったりする。
そこには「改革しましたよ」という形式的な形が残るだけで、実体は制度という闇の中に沈みこんでしまう。要するに「不透明」だったものを「透明」にしたというが、実は実体はよけい見えにくくなっている。これが、ぼくのいう「半透明」な妖怪なのである。

原発の事故隠しも、政府や官僚が「原発はこの国に必要であり安全です」と言葉をくり返すだけで、実体を調査しようともせず、見てみないふり、すなわちちゃんと管理しているふりをして、書類、制度上は安全という「半透明」な状況を放置してきた証拠である。今になって「許されないことである」、と言ったって、政治や官僚が放置してきたのでしょう。賢明な市民や技術者、学者は危険性をずっと指摘してきたのに。
なぜなら、原発労働者の被爆は原発建設当所から相当数あるのに、その実態は隠され続けている(この辺りは『原発ジプシ?』『火の墓標』(現代書林)参照)。このことにはメディアも目を瞑ってきている。

いわゆる、お上の立ち入り検査など、事前に「明後日行きます」と連絡が入り、整理整頓、書類の整理(改ざん、隠ぺいを含む)が終わった現場に「いらっしゃいませ」とお招きするようなものである。こないだなくなった植木等のスイスイスーダラタッタスラスラスイスイスイと検査に通ってしまうのである。「こんな検査でいいわけないジャン、分かっちゃいるけど止められない」とくらー。このことは、あらゆる分野、不二家や雪印の食品衛生でも、ゼネコンの労働安全検査でも、何処でもお上の検査とはこのようなものである。
すなわち、ちゃんと検査してますよ、「透明」ですよ、といいながら実態が隠されている、すなわち「半透明」で、実体が見えていそうで見えないのである。問題は、このことを検査する行政側が社会的慣習として知っていて、やっているということである。
これは、天下の水戸黄門によくあるパターンで「お殿様が見回りのとき、悪代官が手をまわし、民百姓が引きつった笑みを浮かべて働く姿を、黄門様が見破って、悪代官を退治する」という構図とまったく同じなのである。ただ、現代日本は黄門様がいないのである。ああ、スーパーマンになりたかった僕、印籠欲しいな・・・・・。
民主党の何とかという爺さんが、現代の水戸黄門などとの賜っているが、世直しどころか民主党を叩き直せ。投票したくても、こんな民主党じゃ投票できないではないか。

安倍首相の靖国神社参拝問題、どうするのと聞かれても「参拝自体が外交問題化する現実がある以上、参拝するかしないか申し上げられない」これほど国民や侵略された国々をはぐらかし、馬鹿にした表現はない。安倍首相という人間の政治手法がここに端的に現れている。戦う対象、判断材料をごまかして、ヌメヌメと思いどうりに悪事を進めていく。うん、どうも安倍総理の顔がウナギ犬に見えてきた。かれの政治手法はまさに「半透明な政治」である。まるで、見えそうで見えない昔の女学生のシュミーズである。今の女学生からはそうぞうできないだろう。僕はそういう年代です。

最後に小噺を1つ。与太郎「おとつぁん、透明人間になれたら何処に行きたい。」オヤジ「そりゃおめー、決まってんじゃねーか、えへへ、女湯よ。おっかーにはないしょだぞ。」与太郎「あれ、おとつぁん、想像しただけで興奮して汗びっしょりじゃねーか。それじゃ透明人間が半透明になっちまってばれちゃうよ」オヤジ「馬鹿やろー、それが水も滴るいい男ってんだい」。お粗末。
丸山 暁〈56歳・人間〉
「僕の考えるブログ」もよろしく。
『西欧「偶景」今昔話』(丸山暁、絵/文・新風舎)も読んでみてください。
スポンサーサイト

この記事に対するコメント

この記事に対するコメントの投稿














管理者にだけ表示を許可する



上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。