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「天下りと学歴に関する一考察」ー僕の考える
20070331082220.jpg

やっと北国に春がきたと思ったら、また雪が降ってきた。今年は雪道も少なく、冬タイヤを今日にでも交換しようと思っていたのだが、もう少し様子をみることにしよう。山の暮らしで、あわてないこと、自然に任せることを学んだはず。
 写真は、僕がここに越してきた時に植林された杉の子たちである。でっこみ引っ込み、死んだやつもあろうが、13年経ってやっと思春期の杉と言えるのではないだろうか。彼らは、このように遠めに見ると、一塊の杉林に見えるが、中に分け入って一本一本付き合ってみると、まっすぐなヤツ、ひん曲がったヤツ、根元から2本に分かれているやつ、先が折れて途中からまた頭をのぞかせて生きなおそうとしているやつ、今まさに瀕死のやつなど、色んな生き様がある。

 人間も同じこと、小学校の一クラス、まとめて見れば、かわいい子供たちだが、一人一人見れば苦楽も違い、既に未来を予見する素養、資質を備えているものである。今日のブログは読む方によっては少々差別的、偏見に満ちたものとおしかりを受けるかもしれないが、抽象的すぎると、切っ先が鈍って、論点が曖昧になるので、不愉快な方は、その時点で読むのを辞めてください。

 僕が広島市の市立吉島小学校の5年6年の時、クラス5人の仲間と「SKK/少年科学クラブ」というグループを作って、確か500円出し合って実験器具を買って、まず理科の時間に習った蒸留水を作り、何がしかの化学実験をするのだと張り切っていた。その仲間の話から入ることとする。
 遊びで、そんなクラブを作るぐらいだから、小学生にしては結構真面目なお勉強仲間である。僕は、山や海を駆け巡る自然児であると共に、程ほどに真面目な子供だったのですね。その5人は、だいたい同じ問題集(あの頃ぶ厚い『自由自在』と、何とかという問題集があった)を買って、時々問題集を持ち寄っては厚さ比べをしていた。厚さ比べというのは、勉強好きの方々にはお分かりだろう。その頃の教科書や問題集というのは、あまり紙質がよくなく、何度もページをめくっているうちに紙が痛んで、ふやけて、本がぶ厚くなってくるのである。お分かりいただけるだろうか。
 そhして、その5人の中で、何時もどの教科も一番厚くなるのが式部(名前もかっこいい)、2位が中村、3位が奥田、4番か5番が僕と神田だった。この順番は教科によって多少の違いがあるもののほとんど代わることがなかった。そしてその5人の進路は、式部が東大現役、中村が阪大現役、奥田が一ツ橋一浪、神田が早稲田現役、そして僕は埼大一浪(埼大は埼玉大学ですよ、あまり有名ではないので)。要するにこの大学ランクは、まさに小学校のあの時の、問題集のふくらみ加減と見事に一致するのである。
今思い返しても、東大に行った式部はオヤジが広大の教授で、泥棒が家に入っても知らずに勉強を続けていたという逸話のある勉強好きの少年だった。やっぱり彼は小5で既に進路は東大一本で、少々飛び抜けていたが、後の4人は知能指数も程ほどで、顔つきも並の少年で、やっぱり勉強量の多さが最終的に大学を分けたのだと今も考えている。あの頃、誰も塾には行っていなかった。
 
彼らがその後どのような人性を歩んだかは分からないが、奥田だけは、僕が竹中工務店の頃、飲んで銀座のサウナで夜明かしした時に、パンツ一丁でばったりであった。彼は司法試験浪人であった。それからは飲み仲間になり今も年賀状のやりとり程度だが、付き合いはある。

 さて、その後竹中工務店に入った時の同期には、東大、京大、など旧帝大から一ツ橋、東工大、から横国大、広大、名古屋、九大・・・そして僕が埼大とほとんどの1?2流国立大と早稲田、慶応、上智、理科大、同志社、中央、日大、近畿大・・・・とまあ1?2、3流私大まで、受験雑誌にでてくるような主要大学はほとんど軒を連ねていた。
 
 さて、これからが本番です。僕の、そんな大学体験に中で、東大出というのはどうも扱いにくかった。彼らは一様にお品が良く、ちょっと反り返ったような話し方で、なんでもそつなくこなし、理知的に見えるのだが、空想的な馬鹿話には乗ってこず、どうもあたりまえに出来すぎた人間像をそこに見てしまった。「僕たちは、頭がいいのだから、そういう道を歩いてきたのだ。」みたいな。
 多分、そういう連中の代表格がいわゆる高級官僚、キャリーになっていくのだろう。もちろん上級職試験には東大以外でも数倍の合格者があるが、とりあえず東大生に代表してもらう。
 
彼ら多くの東大生(多くというのは中には勉強しないでも出来るやつがいる)は、多分小学校から、今は幼稚園からのようであるが、勉強漬けで中学高校は東大に行くための人性で、常に他者(弱きものを追い落としてきた)を追い落としてきた族なのである。
 それは一見自らの生きる道を切り開いていたようにも見えるが、実は、日本という国のヒエラルキ?をただただよじ登ってきただけではなかったのか。そして、彼らが大人になり、官僚となり、40代、早くは30代で肩たたきにあい、役場を辞めてくれ、といわれた時に、彼らは官僚というとりあえずの頂点にたったことで疲れきり、自力で次の人性を切り開くことが出来ないのではないか。だから、彼らは、今度は駆け上ったヒエラルキ?を天下っていくしか能力がないのである。

さて、この仮説に憤慨する官僚諸君、特に東大出の官僚諸君、お怒りなら天下りを止めて、自力で次の仕事を探しなさい。普通の国民は、中卒でも高卒でも大卒でも首になっても仕事は自分で探すしかないのです。なんだか天下り禁止のかわりに、天下り手配の「人材バンク」を作るとか、あなた方は引かれたレールの上しか歩けないのでしょうか。
 断っておくが、これは全ての東大生のことではなく、あたりまえの東大生に対する話であり、中には面白いヤツ、本当の天才級もあることを付け加えておく。

 おしまいに小噺を1つ「与太郎、お前も一生懸命勉強して、東大に行って役人になって天下りするんだぞ」「冗談じゃねえやおとっつあん、鯉だって滝登り、鮭だって川を上らあ。天下りなんて、天の川に落っこちて溺れるみたいじゃねえか。天下りなら川下りのほうがまだましだい」。お粗末様。
丸山 暁〈56歳・人間〉
「僕の考えるブログ」もよろしく。
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