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「死者の数、数のトリック」?僕の考える
20070317085916.jpg

シンシンと降る雪、夕暮れ時の静けさをほのかに照らし出す手作りの外灯。いい風情ですね。春近くなって、やっと冬を満喫しました。これで、心も体もしっかり冬を感じたので、きっと春を気持ちよく迎えられるでしょう。やっぱり季節はカレンダーの数字ではなく直接身体的に感じるものです。
ところで、気象庁がサクラの開花予想を間違えて、「ごめんなさい」と謝っているシーンをTVでやっていたが、開花予想のプログラムにデータ?を間違って入力したそうだ。ま、それも情けないことだが、出てきたアウトプットをそのまま疑いもなく発表してしまった気象庁そのものが情けない。あなた方には、既に気象、気候を判断する身体的能力、センスを失ってしまったのでしょうか。
気象予報は昔から西の空を見上げて「お、夕焼けだ、明日は晴れだな」とか「ナマ暖かい風が吹いてきた、こりゃあ雨だ」そんなものであたっていたのです。それが、コンピューターなんぞに頼り切ってしまうから、こんなことになるのです。気象予報士とやらのかわいいおね?さんたちを並べたからといって、気象予報ができる身体的能力がなければ、ただの見せ掛け、賑やかしのお天気人形ですよ。

こういう現象はとにかく最近多くなってきた。コンピューターというシステムにデータ?を入力して、そこから出された結果が全てであり、鵜呑みにしてしまう。いつの間にか、人間は蓄積した経験や第六感や身体的判断能力を失い、情報伝達端末機となり、コンピューターの一部分となってしまった。情けない。何度も書いているのでこの件はこの辺で。
その辺りの感覚欠如、麻痺は、ちょっと状況は異なるが、事務所費507万円の穴埋めに、一本5,000円の水を飲んでいると、平気で言ってのける松岡農林水産大臣の数字感覚の欠落と同じかもしれない。彼は自分では掛け算も足し算も、もちろん割り算も出来なくなってしまったようだ。要は、ものごとを自分の意識、感覚、経験で判断できないという意味において。

今この世の多くの現象が数字で表現されている。先の気象予報も、降水確率で表され、内閣支持率など、青果市場の白菜の値動きの如く上がったり下がったり毎日のように報道されている。これなどどうでもいいことで、小泉発言と違って意味で、「鈍感」であってもいいだろう。ただし、僕の安倍内閣支持率はマイナス50%だが。

このように、数字が闊歩する今の世の中で、もっとも僕が気になる数字は、「死者の数」である。新聞を開けば、ニュースを見れば「ヘリコプター撃墜によりアメリカ兵6人死亡」「イラクで爆弾テロ50人死亡」「米軍テロ組織掃討作戦で150人殺害」「アメリカ軍イラク戦で死者3,000人を越す」「イラク人の死者60,000人」・・・これらの数字はアメリカがしかけたイラク戦争によって発生した様々な状況での死者の数である。これら数字は僕たちに何を訴えかけてくるのだろうか。その数の裏に人間の身体的死が見えているだろうか。

昔の戦争、ついこの間までの2次大戦でも、ベトナム戦争でも戦略的に何処何処を占領した、何処から撤退した、首都陥落などと、個々の戦闘には目標があった。そして、その目的を達すれば、戦争は少なくとも中断したり、戦闘は終結した。しかし今の戦争は、何を攻略したら終わりになるというターゲットがない。もちろんアメリカが撤退するのが一番いいのだが、今すぐ撤退したとして、すぐイラクが平和になることはないだろう。今度は、延々と続く宗教、民族間の内戦に突入するかもしれない。それでも、まずアメリカは撤退して、戦争犯罪人として裁かれるべきであるが。

すこし、数字から離れたが、ここで言いたいのは、先に上げた数で表される死が、個々の人間の死をあらわすのではなく、マス、塊としての戦果、もしくは被害の単なる尺度になってしまっているということである。この戦争は、何処何処を制圧した、何処何処から撤退したという、具体的な戦闘による地勢的な戦果が見えてこない戦争なのである。そこには人間の死がカウントされ続けるだけで、死者の山を累々と積み重ねるだけである。多分アメリカは、イラク人の死者が10万人に達しても戦争を止めないだろうが、アメリカ兵が1万人死んだら即撤退するだろう。アメリカにとっての死者の数の意味はその程度のものであろう。これは決してアメリカ人個々の死を揶揄したり皮肉るものではない、個々に死は、かけがえのない人間の死である。もちろんイラク人の死も。
死者の数が戦果になってしまった戦争、それはこの世で最も醜く残酷な戦争である。日本はそのような戦争に今だ積極的に加担している。

今回は戦争論ではなく、数の話なので、数の小噺を1つ「世界中でカブ(株)が大幅に下がったんだってね」「そうかい、そりゃカカアが喜ぶぜ、だけどカブばかり食ってもいられねえ、漬物にでもしておくか」。
要するに、毎日毎日、一日に何回も「株価があがったの下がったの」だから一体何なの、と言いたいのである。確かに世界大戦の引き金にもなったウォール街での株の大暴落並の株価の変動なら、「こりゃ大変、少しは何とか考えなければ」と思うかもしれないが、元々株には縁のない僕なんぞ手の打ちようがない。
ましてや、日々の何十円下がった、何百円あがったなど、どうでもいいことなのです。これは為替の日々の変動も同じこと、2円上がったの30銭さがったのそんなこと言われたって、いったい僕にどうしろと言うのだろう。もちろん株やさんや為替取引や輸出産業は一喜一憂してパソコンにしがみついているのだろうが、それは仕事であたりまえ。しかし、そんな数字を本気で気にしているのは日本人の数パーセントではないのだろうか。
こういう数字、日々否が応でも世界の株価、為替の変動を見せられるうちに、僕たち単なる生活者に、なんだか世界経済の荒波を生きている、すなわちグローバル経済を生きているという感覚を植え付けているのではないだろうか。

さて、結論です。個々の尊厳ある人間の死の数を戦果の指標にしてはならない。天気予報の指標を人間の身体に取り戻せ。株価、為替の上下なんていう、グローバル経済のトリックに騙されるな。
堀江貴文に実刑判決が出た。彼は何故?といっている。彼は単なる集金システムの端末機であって、社会システムが分かっていなかった。今も分かろうとしていない。
丸山 暁〈56歳・人間〉
「僕の考えるブログ」もよろしく。『西欧「偶景」今昔話』画/文丸山暁(新風舎)もよろしく。
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この記事に対するコメント

はじめまして!!
突然のコメント失礼いたします。

わたしの稼ぐ関係サイトで、
こちらの記事を紹介させていただきましたので、
ご連絡させていただきました。

該当記事は
http://blog.livedoor.jp/s0710shun1/archives/53233297.htmlです。


どうぞこれからもよろしくお願いいたします^^
【2007/03/20 23:54】 URL | 稼ぐ調査員 #- [ 編集]


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