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「携帯1億総端末機」?僕の考える
20070224074952.jpg

 この写真をみてすぐ「お、刺身でいっぱいやりたいな」と思った方は、かなりの自然派で、「さびはやっぱり本物じゃなきゃね」と言うのは粋な人です。そうです、これは我が家の沢で育てているわさびです。形は少々小ぶりだが、ちゃんと立派なわさびなのです。
 やっぱり、人間も植物も、風雪に耐えて生きてきたやつがいいですね。人間関係も、甘くべたついているより(青少年の恋愛ごっこはいたしかたないが)、チョッと目には生意気で、じっくり付き合ってみると味があり、いつの間にかそいつが居ないと物足りないと言う関係がいいですね。今回のテーマは粋ではありませんが、そんな関係が人間的で粋な関係ではないでしょうか。

 ところが最近の若者の友人、恋人関係は、ナマの声、接触ではなく、携帯電話を介しての、もしくは携帯電話内の情報を判断材料にした関係性が増えてきたそうだ。
 例えば、あるカップルがあるとしよう。ある時相手の携帯電話の着信履歴を盗み見て、別の異性のメールが入っていたりすると、そのことを相手に追求したり、責めたりしないで身を引いて、次の相手をまたメールで探すという関係が増えてきたそうだ。そこにあるのは、人間対人間の生身のではなく関係、携帯電話の情報に対するシステム的な反応があるだけのようだ。とうとう人間が携帯電話という通信端末に動かされる時代がきた。僕はそういう状況をここ数年来、大宅壮一の「TVは1億総白痴化運動」にちなんで「携帯電話は1億総端末機」と呼んでいる。まさに、日本の携帯電話は1億台になったという。

 ところで、そういう携帯電話だが、新製品開発は狂気(キチガイと打って狂ちがいと書きたかったのだが、狂ちがいは差別用語でワープロでは出てこないのだろうか)を帯びてきた。電話しか使えない僕には、次世代携帯などは未知の宇宙人の器具とさして変わらない、と思っていたら、最近の新聞に面白い記事が出ていた。「携帯電話の開発競争が激しく、開発技術者にも完全にシステムが理解できず、欠陥があるまま、新商品を市場に出している(大手電気メーカーの開発室室長談)」。なんだ、携帯電話が使いこなせないのは僕だけじゃないじゃん、携帯電話を作ってる連中も携帯電話が解からないのだ。個人的には安心したのだが、なんだか空恐ろしいことではないですか。
しかし、このようなことは既にPC,インターネットの世界ではあたりまえに起こっている。PC自体、主流のWindowsすら、OSやアプリケーションは欠陥だらけで、ウイルスやハッカーによって、どんな危険があるかさえ予測できないシステムに、現代社会は頼りきっている。コンピーターミスの核戦争だって起こりうる。

 実はこのようなことは既に現代文明における先端技術、高度技術と言われる世界全体で起こっていることではないのだろうか。要するに、ある高度なシステム、そのシステムを動かすハード技術は、個々の細密なシステムや技術によって構成されていている。しかし、その高度に複雑化したシステムの、細部から全体像、そのつながりを把握、もしくは管理できるものは、システム管理者の中にただ一人も居ないのではないか。

例えば、最近、最近どころか何年も前から、原発の事故隠し、データの改ざんが露呈してきて社会問題化しているが、僕は以前からこういう事故隠し、データの改ざんには、別の視点で疑問を持っていた。
近年、事故隠し、データ改ざんとして表面化した問題は、実は、事故隠しやデータの改ざんではなく、原子力発電所という高度な巨大システムで何が起こっているのかを把握している人間が一人も居ないのではないか。要は、何が事故で、どのデータが真実なのかすら、管理者は理解できていないのではないか。ここ数日の新聞紙上だけでも、数箇所の原発で数回の計器誤作動、計器は正常なのに機器の停止が起こった、と報告されている。すでに、何が正常で、何が狂っているのかさえ、管理者に分析できていないから、まして、何がなんだか解からないなどと、口が裂けてもいえないから、原発と言うシステムそのものを隠ぺい偽装するしかないのではないか。

これと同じことが先の元姉歯建築士(建築士剥奪)の耐震偽装問題にも言える。
昔、昔といっても僕が学生の頃、どんな大きな建設構造物(ダムや橋や高層ビルなど)でも、紙と鉛筆と計算尺(電卓がやっと出た頃だが高くて手が出なかった)と筆算(懐かしい言葉です)で、構造計算して部材(構造物の材料)を選んで形や本数を決め全体を組み立てたものです。だから、設計者には構造物が何故そういう形なのかということが、端から端まで解かっていたのです。もちろん大きなものは分業ですが、それでも結果にいたる理屈、プロセス、結果の妥当性は自分の頭で判断できたものです。
しかし、現在の建築設計では、建設構造物の設計思想、経験的判断がなくても、チョッと器用なら(器用と言うのは建築的センスがなくても、かえって無い方が、)構造設計も一応のデザインも出来てしまうのです。しかも、見た目には同じように機械が奇麗に清書して、図面化して。そこに、建築偽装の落とし穴があったのです。要は、他者の出した計算書、図面の、設計システムやプログラム、アウトプットの正否、を正確に評価するのは至難の業なのです。
ちなみに僕は今だに電卓片手に、鉛筆で図面を引いているレトロな建築屋です。

結局現代先端文明システムとは高度であればあるほど、人間の身体性が身体から解放され、人間が人間性を放棄しシステムの端末でしかなくなることなのです。そして壊れたり、時代遅れの端末は、すぐにゴミとして捨てられていくのです。

てなことを書いていた時、世界一の文明都市、人間端末機の巨大市場である東京で「黒川紀章都知事選立候補」のニュースが飛び込んできた。公約に「オリンピック招致中止」「ミニバブル批判」があり、それは大賛成。オリンピック招致の人寄せパンダ安藤忠雄を叩き潰せ。東京一極集中拡大路線(メディアこぞって礼賛だが、大梅マラソンを横取りしての東京マラソン、なんて汚いやり方だ、粋な江戸っ子のやることじゃあないよ。そうだ石原さんは湘南ボーイだったか)の石原都知事は追い落とせ。ただ、黒川記章の第2国立美術館、全国に広がるガラスのとんがり帽子はバブルの申し子だと思うのだが。民主党は候補者擁立できず、変わらず情けない。
黒川紀章は若くして理論家(今日的な共生と言う概念は彼の発案だと言う)で有名で「建てずの黒川」と呼ばれ、「僕も建てずの丸山だ」と建築の仕事が少ないことを、斜に構えてやせ我慢。建築家とは、どこかで社会に目を向けたくなる習性があるもの、実は僕も今「花巻市まちづくり市民条例検討市民会議」の委員長兼議長をおおせつかっている。こういうのを建築家ではなく建楽家と呼ぶ人(延藤安弘氏)もいるが、僕も脱建築宣言をした建楽家かもしれない。
丸山 暁〈56歳・人間〉  
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