Google
全ての記事を表示する

全ての記事を表示する

最近の記事

カレンダー

09 | 2017/10 | 11
1 2 3 4 5 6 7
8 9 10 11 12 13 14
15 16 17 18 19 20 21
22 23 24 25 26 27 28
29 30 31 - - - -

カテゴリー

ブログ内検索

プロフィール

疾風

Author:疾風
岩手県盛岡から発信、ローカルな足場からグローバルな普遍性を論じる
人気blogランキングへ

FC2カウンター

リンク

このブログをリンクに追加する

RSSフィード

FC2ブログランキング

FC2ブログランキング

ブログ新聞 『市民ジャーナル』
市民ジャーナルは、ローカルな現場の当事者の視点からグローバルな普遍性を論じようとするものです。皆さんの投稿をお待ちしています。 sj17417@yahoo.co.jp
スポンサーサイト
上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

教育再生会議提言に意見?ゆとり教育見直しは本当に良いのか?
1月24日に教育再生会議の第1時報告が出された。
報告では、学校教育に対する7項目の提言がなされた中で、第1番目に、学力の低下を危惧し、「ゆとり教育を見直し、学力を向上する」ということが示されている。
具体的な内容には「読み書き計算の能力や、対話・意思疎通能力、問題解決能力などの基礎を重点的かつ効率的に学ばせる。このため、基本的教科(例えば、国語、英語、算数・数学、理科、社会・歴史)を充実し、授業時数を増やす。その際、各教科の選択の幅を広げ、詰め込み教育にしない。」と記されている。

さて、ここでちょっと視点を変えて、明治以降の教育を短絡的に概観すると、義務教育は富国強兵のための、指示命令を忠実に実行できる兵士と労働者を育成することが最重要目的であった。欧米列強の植民地化の波に飲み込まれることなく独立を維持していこうとする時代情況の中では、必要不可欠やむを得ない選択であったかもしれない。

そして、「欧米列強に追いつき追い越せ」という明確な国家目標は、明治、大正から昭和までの4度の戦争を経て、その後の復興と高度経済成長期まで続いた。その間の義務教育は、「必要な知識を教え込む」こと、もう少し極端な言い方をすると「規格に合った品質の良い兵士と労働者を短期間に大量生産するシステム」が基本形であったわけだが、それは見事に時代要請に応えて成果を上げ、鎖国明けのアジアの後進国を世界第2位の経済大国へ押し上げたと見ることが出来る。

しかし時代は変わっては現代は、欧米が必ずしも我々の目標とする手本ではなくなってきた。目標を自分で見つけ出さなければならない時代に突入してきた。これまでとは異なり、社会の問題を自ら探り当て、その解決方法を自ら考えて、進むべき方向を自ら模索していかなければならない。
こういう手本の無い時代、あるいは、問題に対する正解があらかじめ用意されていない時代においては、求められる人材はこれまでとは違ったものになるはずである。

さて、それでは今回教育再生会議が問題視している学力不足とは、何が不足しているというのだろうか。
それはこれまで通りの単なる知識不足の問題ではないと私は思う。今本当に不足し身につけなければならない学力とは、問題の存在を感知する“感受性”や、進むべき方向性を探し出す“判断力”や“想像力”、この3つをまとめて『感性』と呼ぼうと思うが、この『感性』が不足してきているのではないだろうか。
そういう見地に立つと、教育再生会議が示した「ゆとり教育を見直し、基本的教科(例えば、国語、英語、算数・数学、理科、社会・歴史)を充実し、授業時数を増やす」という考え方でだけで良いのだろうかと疑問が出てくる。
『感性』を磨くためには、むしろ、音楽、美術、家庭、図工、体育等の、一般の大学入試科目では無い科目が、これまでより一層重要になってくるのではないだろうか。
そしてさらには、ゆとり教育を見直して授業時間を増やすことが、本当の意味の学力向上、すなわち感性を養うことにつながるのか、むしろ逆効果ではないのか、まだまだ議論の余地があるような気がする。
<佐々 疾風(ササハヤテ)>
スポンサーサイト

この記事に対するコメント

この記事に対するコメントの投稿














管理者にだけ表示を許可する



上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。