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「さよなら安藤忠雄〈脱建築〉」?僕の考える
20070113075649.jpg

 新年2週間も過ぎて、まだ出てこないとは、やっとこれでブログのくせに七面倒臭い文章を読まなくてもすむとお考えだった皆さん、おあいにく様でした。今年も「僕の考える」はやって来ました。なぜ、これほど遅れたかというと、正月は一般的には逆帰省で東京に10日ばかり帰っていました。この地(北上高地の霊峰早池峰山の麓の集落)に越してきて13年、毎年正月は帰京しています。
 さて、そんなことで、東京の再開発、新しい建物が出来たとなると僕も一応建築屋、その機会に新しい建築を見に行きます。これまでにも、新宿、お台場や汐留、恵比寿、この間の正月には、かのIT金満家たちがしのぎを削る牙城、六本木ヒルズ、そして今回行って来ましたよ、あの、憧れの、飛ぶ鳥落とす勢いの安藤忠雄の表参道 ヒルズに(ご存知の方はご存知の元の同潤会アパート跡地)?写真参照。

 結論を先に言おう。「さよなら安藤忠雄」である。ここではあまりにも有名な安藤忠雄の説明は要らないだろう。最近NHKの講座やTVでも建築家としては結構頻繁に露出しているし、ついこの間は石原都知事のとなりで東京オリンピック誘致の先兵となって演壇に立っていた。安藤忠雄の建築への道、建築論には多いに共鳴し憧れてもいた。しかし、彼の最新作「表参堂ヒルズ」に行って、その空間を感じて見て「さよなら安藤忠雄」となった次第。
 
 正月3日だったか、暖かい日だった。原宿の駅を降り、恋人に会いに行くように、欅並木をはやる心を抑えきれず足早に「安藤忠雄」に会いに行った。遠くに欅に見え隠れして、透明感のある外壁が見えてきた。さすがに安藤忠雄、見事に欅の並木に溶け込んだ、と言うより対話した、明解な建物が見えてきた。10時チョッと前、既にオープンを待って人の波である。僕は、反対側の歩道からじっくり対面して、外周をぐるっと見てきた。新しく出来た建物なのに、既にそこにあったかのような、そして派手さは無いがしっくりした存在感のある「安藤忠雄」がそこにあった。
 10時をしばらく過ぎ、人の波が落ち着いた頃を見計らって、期待に胸を膨らませ、建物に入った。
「何じゃコリャ」、入った時の第一印象である。既に雑誌やTVなどで建物の概要は知っていた。表参道のスロープに合わせて傾斜した、周回的な回廊的平面構成、真ん中に大きく開かれは大空間、建築的にはまあまあ面白い。しかし、何がいけないかといえば、その空間に長い時間居たくないのである。すぐ、出て行きたくなるのである。もちろん、せっかく来たのだから小一時間、ぐるぐる歩いたり、写真をとったり、佇んでいたのだが。

 なぜ居たたまれないのか。それは建築が、あまりにも建築的なコンセプトが詰め込まれた息のできないキチキチの空間だからである。一定の形態(階層)の連続、目いっぱい階数を増やしたための天井の圧迫感(これは欅の並木に溶け込ますための建物の高さから来るのだろうが)、テナントを増やすための見世物小屋的店舗群、あたりまえの吹き抜けの大空間、そして最もいけないのが、なんだかヒーリング音だか自然の雰囲気を出すのだか知らないが、コロコロヒューヒューキュトンキュトンと繰り返すざわめき(僕には癒しの音ではなく耳うるさいざわめきに聞こえるのだが)、そして大空間を覆う華美なガラスの装飾・・・、長い長い回廊にただ一箇所だけお決まりのように置かれたベンチ(置くならもっとたくさん置け)、それら全てがあまりにも現代建築のコンセプトでがんじがらめになっている。それらが全て、計算された、見え見えの建築として僕に責めかかってくる。そして僕を阻害する。この現象はあくまでも僕にとって、と言っておく。
たぶん、これが現代建築の集大成なのだろう。そこには「〈建築技術とデザインと自然と人間〉の融合というコンセプトの商業主義」が見事に完結している。先に挙げたものも含め、現代建築は往々にしてそのようなものなのだが、安藤忠雄よお前もか、ということでした。

その上、オリンピックの東京誘致の人寄せパンダ(安藤忠雄さんはどこかパンダに似てませんか)になるとは何事ですか。神戸の震災後の、植樹の運動とか、淡路島の計画とか共感していたのに、関東大震災が確実に想定される、しかも温暖化による海面上昇で海抜ゼロメートル地帯の数百万人が危機に瀕すると言うのに、あほな石原都知事の尻馬に乗って「オリンピックを東京に」などとは、理性ある建築家のすることではない。もっと東京はやることがあるだろう。僕にはとてもとてもそんなことは出来ない。もっとも、僕には誰からもお呼びがかからないけれど。

 そんなことで、新年早々、「さよなら安藤忠雄〈脱建築〉」である。

では僕の考える建築、「脱建築」とはなんなのか。建築は“Smoll&Beautiful(小さくて美しい)”である。それは「人間の身体と共鳴できる、基本的に人間の手による、環境と人間にとって美しい建築」である。では、建築家・屋の仕事がなくなってしまうではないか。要は、そういうことなのである。さて、この問題はまた後で。

さてさて、今年も新年早々、家族によるバラバラ殺人(正確には殺してバラバラにする)、政治家の金の問題(大臣様の「え、別に悪いことはしてませんよ」ととぼけた)、天候異変・・・書くことはたくさんありそうですが、嘆いてばかりもいられません。今年は出来たら〈未来へのビジョン?「僕の考える」〉を描いていきたいですね。今、人間には、人類には〈希望〉しかないのです。
丸山 暁〈56歳・人間〉
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