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市民ジャーナルは、ローカルな現場の当事者の視点からグローバルな普遍性を論じようとするものです。皆さんの投稿をお待ちしています。 sj17417@yahoo.co.jp
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モノとコト1 東北原子力懇談会広告批判(その1?その3)
東北原子力懇談会の広告について、
2006年5月13日(土)岩手日報朝刊紙面に、東北原子力懇談会なる団体?が、専門家に聞くー「再処理工場からの放射性物質や放射線は安全ですか」というテーマで、広告を掲載した。
 その広告の趣旨は、「現在、青森県六ヶ所村では原子燃料サイクルの要となる再処理工場が、来年夏の本格操業開始を目指して最終段階の試験運転を行っています。この再処理工場からは放射性物質が放出され、その安全性を心配する声が聞かれます。
 そこで、放射線の影響についてどのように考えればよいのか、東京理科大学名誉教授の久保寺昭子先生にお聞きしました。」というものです。
 そして、
◯再処理工場から放出される放射性物質は、危険ではないですか?
◯再処理工場から放出される放射性物質は蓄積、濃縮されませんか?
◯再処理工場周辺で受ける放射線は一年間で最大約0・022ミリシーベルトという        
 が、安心できますか?
◯再処理工場周辺での白血病は心配ありませんか?
のそれぞれの問いに、久保寺昭子が答える形ですすみ、最後に久保寺昭子のメッセージなるコメントで、締めくくる構成の広告である。
そして、
その広告のキャチコピーが、なんと!「放射線のことを正しく知って、正しく怖がっていただきたいと思います」である。これは久保寺昭子のメッセージの言葉でもある。
 「放射線のことを正しく知って、正しく怖がっていただきたいと思います」なんじゃこれは!。「放射線のことを正しく知って」までは理解できる。「正しく怖がっていただきたいと思います」、こんな文章あるのか?だいたい「正しく怖がる」なんてどんな状態なの?、しかも「いただきたいと思います」だって。B級のホラー映画のコピーならまだしも、これが学者先生の言葉なのだ、しかもそれを使う広告主の神経までも疑ってしまう。
 「正しく怖がる」の言外の意味は、放射線のコトを正しく知れば、怖がらなくてもいいですよ、チャンと管理ができるし監視もできるのが放射線ですから、であると思われる。
 優しい母親(彼女の写真はまさにそこを狙っている)が、無知な子どもに諭すような語り口でもある。
 が、これは裏を返せば、怖いことを認めている発言でもある。怖いことを認めつつ、管理と監視が可能であるから、怖いことはないし、不安ではありませんヨ、と諭しているのである。一読すれば正直な発言でもある。
 が、怖いには怖いことであるけれども、私の言うことを信ずれば、怖いことも怖くなりますヨ、という意味でもある。ついに久保寺昭子は、エセ宗教家の域にまでたっしてしまった。だから、「正しく怖る」とは、他の論客の話は信用せず、私の話だけを信じて下さい、という意味でもある。

 冗談じゃね?、怖いものは怖い!誰が何と言おうと、わたしゃ怖いものは怖い。不安なことは不安である。久保寺昭子の、子どもを諭すようなエセ優しさや、私を信ずれば大丈夫!風の言説には、到底
賛成しかねる。
「いただきたいと思います」ふざけるな!恐ろしいとは?そんな、いただいて思うようなことではない。正しく怖がるとは、知れば知るほど怖くなる、これが怖がることの正体でもある。むろん、一般人は怖いことは知りたがらない、目をつぶって生きてる。だからこそ、怖いことは怖いと、しっかり説明するのが、科学者としての社会的責任でもある。久保寺昭子はそのような科学者としての社会的責任を放棄し、宗教家の様な、またあるときは政治家のような言動をしたりと、わけのわからんことになっている。久保寺昭子は、企業イメージ捏造のスケープゴードとして利用され、いずれは使い捨てられる宿命にある人でもある。わかりきったことではあるのだが?

(その2)
その広告は
 まあー簡単にいえば「放射線は監視できやすいし、危機管理も可能である」したがって再処理工場はなんら危険な工場ではない、ということをいいたいのである。
 
 どうも引っかかるのは、その監視と,管理である。
久保寺昭子は、その最初の問いである「再処理工場から放出される放射性物質は、危険ではないですか?」の答えの最初に「大事なのは『モノ』ではなくて『コト』です。放射性物質という『モノ』が危険かどうかよりも、それをどう管理して一般の方たちに迷惑をかけないようにするかという『コト』が大切なのです」と言い切っている。
 この文言は,放射性物質は危険なものである。と、暗黙のうちに認めている発言である。
 放射性物質は危険である。が、そのような危険なものを、どう管理して他人に迷惑をかけないコトの方が大切だ、といっているのである。「人様に迷惑をかけないコトが大切だ!」。またまた、人様に迷惑をかけないである。「人様に迷惑をかけない」を研究?している私としては「放射性物質はホントに人様に迷惑をかけていないのか?」と言いたい。確実に監視と管理によって、危険なものを封じ込めることができるのか?しかも放射性物質である。確かに、システムや,施設においては、それを封じ込めるコトが可能であるのかもしれない。 
 が、そのコトを為すのは人間である。つまり、管理するのは、それこそ人様が行うのである。ここのところが,私自身は一番の難点であると思われる。
 「・・・・・・それをどう管理して一般の方々に迷惑をかけないコトが大切なのです」という発言は、それこそ大切なコトである、と思われる。
 が、再処理工場建設の過程や、人類史上最も危険とされる放射性物質の施設や管理の、今までの過程を考えてみると、そう簡単に「それをどう管理して一般の方に迷惑をかけないコトが大切なのです」などとは軽々に言えることではない、ようにも思われる。つまり、放射性物質の監視及び管理にまつわる歴史認識と、そのことによって多くの人がそれこそ迷惑を被っている、という事実をどう考えているのかである。「大事なのは『モノ』ではなく『コト』です」という以上は、それにまつわる歴史や状況をどう見るかが重要になる。
 久保寺昭子は「日本は法治国家ですから」とまで言っている。文字通り御用学者の言い草である。これほど露骨なものはないのではあるが。これはもう政治的発言でもある。

(その3)
で、話を戻せば「コト」て何?である。「有事」「無事」「物事」という言葉もある。 「有事」とは、非常の事態が起る、「コト」である。「一般の人に迷惑をかけないコトが大切である」と言い切る論拠が「日本は法治国家ですから」では話にならない。
 事実、「日本は法治国家ですから、放射性物質の扱いは法律で大変厳しく規制されていて、違反すれば刑事罰をあたえられます」と語っている。違反すれば刑事罰をあたえられます!これは事業主体である日本原撚に対しての発言なのか?事業者もびっくりである。そのように、法律で守られているから一般の人は、安心して下さい。という論旨なのか?ホントに能天気な発言である。つまり、久保寺昭子は「コト」の重大さが、全然わかっていない人である。放射性物質による、非常の事態はまだ起っていない!監視と管理が行き届きさえすればすれば、非常の事態は起らない、という意味あいである。それこそ、それは信ずるにたる語りなのであろうか?。
 チェルノブイリ原発事故から20年が過ぎた、あの原発事故は、非常の事態ではなかったのか。コトは地球規模である。日本は法治国家ですから!などというレベルではない。もし仮にコトの方が大切だ、というのであれば、単に一般の人に迷惑をかけないコトが大切である、というレベルの問題ではなく、過去の、放射性物質にまつわる巨大事故に、何を学ぶかが重要になる、と思われる。それが、一般の人に迷惑をかけないコトが大切である!ということの裏付けにならなければ、説得力がない。
 法治国家などと、能天気なことを言っているが、もし非常事態がおこり、その因果関係を判断することに、裁判とか色々な手続きを踏み、結果としてその因果関係は認められない、というコトが法治国家の正体でもある。それは水俣病という非常事態(有事)が物語っている。水俣病など何十年も前の事態であるにもかかわらず、現在にいたるまで、十分な救済も、被害者としての認定すら得られず苦しむ人は数多い、という現実を久保寺昭子は知ってか知らずか?一般の人に迷惑をかけないコトが大切である、と宣うているのである。
 いずれ、「コト」が大切です、という以上は監視及び管理というコトではなく、非常事態(有事)というコトが大切なのである。そしてそのような事態は、世界いたる所で起っているのである。しかも監視と管理という大切なコトの、隙間を縫ってそのような事態は起っている。そしてまた、そのような事態は、多数の一般の人々に迷惑どころではない、生存の危機に瀕死せしめている、のである。それは運命等という言葉で済まされる問題ではない。
 放射性物質とは危険なモノである。これほど危険なモノはない。
 しかも、そのような人類史上最も危険な放射性物質を発見したのも、コトなのである。発見したばっかりに、それを軍事利用であれ平和利用であれ、どう利用するか?というコトが問題になってくる。また,それを巧く利用すれば,膨大な利益が上がるとか、はたまた強力な権力を誇示することができるとか、物質的に豊かになるという幻想を産み出す、のもコトである。ただ問題はそのようなコトは、非常事態を誘発するコトでもある。
 本当にそのような事態を誘発し起こさない、監視及び管理は可能なのであろうか?
<チョイ÷和尚>
 つづく
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テーマ:時事 - ジャンル:政治・経済

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