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「死に至る病それは」?僕の考える
20061216075615.jpg

12月も中旬、北上高地早池峰山の麓、そろそろ夜など?5℃まで下がり、何回か雪も降ったという今日この頃である。何で今頃バラの蕾の写真なのだと思われるかもしれないが、それはこっちが聞きたいことである。先日我が家のバラ園(バラ数本の花壇だが)をふと見たら、もう新芽が芽吹いてきて、しかも、春から咲き続けてきたバラの蕾がまた膨らんできた。これは大変と、剪定鋏みを取り出して、バラの第一次剪定を始めた。この剪定は、本来、2月から3月にやることである。
東京からここに越してくる時、持ってきた、赤と白のバラを植え、こちらで数本増やしたバラの手入れは、毎年2月から3月と相場が決まっていた。確かに数年前から、やけに新芽が大きいなと思っていたけど、ことここにいたって、これは、びっくりどころではなく、恐怖である。

僕がここに越してきての13年で、バラの季節が間違いなく3ヶ月早まった。これは明らかに定常的な気温上昇(気温上昇による定常的な地温上昇も起こっている)、すなわち地球温暖化の影響だろう。人間は、人工的な都市環境や、いい加減で曖昧な気分で、環境変化をごまかしているが、自然を生きるバラたちは、素直に環境変化に順応してきている。ま、人間もまだかろうじて生き続けているところを見ると、とりあえず、いろんな意味で、環境変化に順応しているのだ、と言えるかもしれないが。

 しかし、今まだ、繁栄を享受し浮かれながら生きている人類だが、環境破壊〈地球の温暖化〉は、「人類の〈死に至る病、すなわち絶望(キルケゴール『死に至る病』)の一つである。
 地球温暖化の壊滅的最終章として、スーパーコンピューターがはじき出した幾つかの現象が、〈北極海の氷の融解〉と〈シベリア、ツンドラ地帯の融解によるメタンの放出(メタンはCO2の数倍だか数十倍の温室効果がある)〉であった。ここ数週間のTV(NHK)と新聞(岩手日報)の報道によると、既に両方とも危機的状況が顕現化して来たという。北極海の氷は2040?2070年で無くなり(もちろん冬チョッとは凍るのだが)、シベリアのメタン放出が現実化してきた。ここまで来ると既に、人間の手では、環境変化(ここではもう環境破壊と呼ばず、環境変化と呼ぼう、なぜなら、これまでの温暖化は人間の行為によって起きてきたのだが、これからは、人智を離れ、地球の活動として温暖化、すなわち環境変化が始まってしまったのだから。)は止められない。今だ、少々の気づきがあっても、人類として温暖化を止める方向に世界の政治経済は舵を切っていない。地球上はいまだ飲めや唄えの大騒ぎである。もちろんその影には数十億人の飢えをも共存させながら。人間とはやはり生物としても特異である。
 
 既に人類にとって地球環境は〈死に至る病、すなわち絶望〉となった。

 この世には、もう一つの人類にとっての絶望がある。それは〈核兵器〉である。今世界政治の場では、北朝鮮の核放棄を求めた6各国協議が話題であるが、この世に数万発の核兵器を温存しての核廃棄交渉である。米ロそれぞれ1万数千発、仏英中が数百発、イスラエルインドパキスタンが数十発、そしてイランが開発し、多くの中東諸国も核開発に踏み切るだろう。そして、放射性兵器は既にばらまかれ始めた(ロシアの諜報員殺害事件)。核兵器の所持は、核抑止による平和の維持だという。そのためには、核をもつ国は、限りなく核開発を進めざる負えない。核抑止とは、先に上げた、人為による環境破壊が、地球自らの環境変化に転化したのと同じように、核抑止という核開発のスパイラルに転化する。核兵器が廃絶されることはまずありえない。なぜなら、世界唯一の被爆国の政治家や市民も核を欲しがりはじめた。

 これ、すなわち核兵器が人類にとっての〈死に至る病、すなわち絶望である〉。

 人類として、これだけ絶望があるのに、我が国にはもう一つの絶望がある。日本という国で普通に生きていくこと、〈普通の定義は難しいが、日常の定常的な労働や義務をはたしながら、ある程度のゆとりと夢を持って暮らすこと〉が、将来の平穏で豊かな暮らしにつながらない。いつも、市場経済だ自由主義だと競争を強いられ、時流に乗って、機転の効いた努力をしなければ、いつでも貧困に陥いって「あんたは努力が足りないよ」と国に切り捨てられてしまう。常に、未来に不安をいだきながら、競っていなければ、日常が維持できない社会、これは日本の今の暮らしの状況、〈死にいたる病、それは絶望〉ではないだろうか。

 人間の精神的病は、〈人間にとっての唯一の確かさ、死、すなわち絶望から生まれる〉、というのが通説である。

 これだけ、絶望が揃った世の中で、僕たち人間は、よくもまあ、けなげに生きていることか。ある人は、それでも未来に希望をもちながら、ある人は物を集めることで不安を解消し、ある人は一時の恋に、酒池肉林に・・・。
しかし、普通に真面目に逃げずに、逃げられず、生きる人々、子供たちも〈狂う〉しかなくなるかもしれない。その〈狂い〉の先に様々な異常と言われる現象が表出してくるのではないだろうか。今の異常と思える社会現象は、案外、人間がもっている、時代への正常な反応なのかもしれない。

 すくなくとも、日本の今の政治状況は、世界的にも、国内的にも、僕たちを絶望から解放してはくれない。だからといって、政治に背を向けていたら〈奴らは何をやらかすかわかったものではない(汚い言葉でごめんなさい。でも最近の政治家たちのやっていることを見ると、印籠を出して叩きのめしたくなるのは、僕だけでしょうか)。自民党がダメなら民主党、それでもダメなら共産党といっても、共産党ももぬけの殻だし。昨日、教育基本法改正案も自公ファッショで採決されてしまった。さてさて、それでも、絶望の時代だからこそ、希望をもってがんばりましょう。それも、人間の特性かもしれない。
丸山 暁〈56歳・人間〉
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