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「炭焼きと文明」?僕の考える
20061125072339.jpg

今年も炭焼きが始まった。僕の暮らす谷間では、昔は炭焼きが正業として盛んに行われていたが、多くの山間部と同じように、高度経済成長の中でいつしか炭焼きが消えていった。しかし、近年の地域おこし、環境の見直し、自然志向によって、各地で炭焼きが小規模ながら復活しつつある。僕の集落でも昨年、炭焼き釜が地元の人の手により復活し、今年もまた炭焼きの煙が立ち昇り始めた。

近代文明は、産業革命、エネルギー革命を繰り返し、現代の高度な文明を築き上げた。そして、そういうこと、文明の発達、発達した文明は、人類にとって望ましいもの、人類の目的ともされてきた。では、そういう文明というものにおいて、炭焼きという行為は文明においての進歩なのだろうか、それとも後退なのだろうか。もちろん、今から炭がエネルギー供給の主流を占めるという状況を考えるのではないが。ちなみに我が家の暖房の60%は薪である。それを最近ではバイオエネルギーというそうだが、要は単に丸太を切って割った今も昔も変わらない、薪である。

僕たち日本人を含む先進国、発展途上国でも一部富裕層は、高度に発達した文明社会を生きている。そして、僕たちはそれがあたりまえのように暮らしてきた。文明は発達すればするほど良いものだと。しかし、近年の環境破壊、地球温暖化などの顕現化により、僕たちは、文明が発達することは人類にとって、どうも良いことだけではないということに気づいてきた。このことに対しては、多くを語る必要もないだろう。

過去の歴史をみても、3大文明インダス、チグリス・ユーフラテス、エジプト文明もその時代、高度に発達した極限状態で亡びた。最近TVで露出が頻繁になってきたインカ帝国の空中都市マチュピテュ(こんな名前だった)も今は単なる廃墟である。
そのように、発達した文明の先にあるものは、歴史が教える通り、文明の崩壊が待っているのだろうか。そうであるなら、現代社会が向かいつつある文明の姿は、皮肉だが、歴史的には正常な文明の姿だと言える。文明を発展し続けて、どこかで限界が来て、急激に崩壊する、それが、文明というものなのだと納得して、今を生きる僕たちは、文明を限りなく享受して、静かに現代文明の崩壊を待つこととしよう。めでたしめでたし、と。
 
とは言っても、〈崩壊に向けて発展し続ける文明をそのまま容認することが、文明というもののあるべき姿なのだろうか。〉禅問答のような問いかけであるが、ここで少々「文明」なるものを考えてみたい。

国語辞典レベルでの「文明」は「世の中が進み、精神的、物質的に生活が豊かである状態」とある。また哲学的には「文明は人間が、人間にとって自然を利用しやすく形成すること、またその成果(岩波哲学小事典要約)」とある。
フランス、リセ(高等学校)のP・フルキエの哲学講義によると「文明”civilisation”は、18世紀に、動詞”civiliser”から派生したが、その動詞自体はラテン語の”civis”(市民)と”civitas”(都市、国家)に由来している。よって文明は整然とした政治組織をもつ都市における諸関係」、とある。また、「開花した国の知識、風俗、思想の総体『科学アカデミー辞典』」、などから始まって、「文明とは、高いレベルの暮らしやすさ、基本的な欲求を充たすための気苦労から開放された特権階級によってなされる。しかし、技術、富、暮らしやすさは手段にすぎず、西欧諸国(ここでは今の日本の僕たちも見事に含まれるだろう)では多くの人が、その手段を目的と勘違いして、結局は真の文明から遠ざかっている。」、とあり、つぎの展開となる。「文明とは本質的に精神的なものである、〈知能の発達〉〈感性の洗練〉〈自己支配〉〈モラルの観念と宗教〉。」と来て、最終的に「文明とは、ある社会の成員の精神的発展に好都合な、社会組織と技術的装備と精神的雰囲気との枠組みである。」と締めくくっている。

 このように「文明」を解釈してくると、「文明」というものの本質が少し見えて来る。さすが、フランスは哲学の国である。なかなか、鋭い分析をしている。僕の考える「文明」はP・フルキエの「哲学講義」の後半に近い、超要約すると「文明とは人間にとっての便利さだけではなく、その時代に必要とされる知恵や技術の総体である」、ということになりそうだ。さて、「文明」をそのように考えると、冒頭で挙げて「炭焼きは」、現代社会において、文明論的には、いかなる位置付けにあるのだろうか。それは、未来を見据えて考えると、最も進んだ文明へいたる一方策となるのではないだろうか。そして、そのような仕組み、制度、行為を行おうという意思のある地域こそが、世界で最も進んだ文明の地と、これからは考えるべきなのではないだろうか。ま、後の判断は皆さんにお任せします。

 それらを踏まえて解釈すれば、現代の高度に発展したかに見える、グローバルな科学技術文明は残念ながら、未来に向けての「文明」の姿ではないということになる。今最も高度な「文明」とは、自然の循環に中で「持続的社会」を模索する思想、制度、行為などの総体をいうのではないだろうか。炭焼きにこそ、未来への「文明」の姿が見えてくる。そして、多量のエネルギーを消費し、機械化し、身体的行為が少なく、金儲けのために多くのストレスに晒された、六本木ヒルズの暮らしは、未来に対して最も非文明的生活と言えるのではないだろうか。僕の文明論においては、これは持たざるもののひがみではない。
丸山 暁〈55歳・人間〉

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この記事に対するコメント
お礼の返事
55歳なんですね、お若い。自然に帰れの生活ですね。
【2006/11/25 20:34】 URL | katinakikami #- [ 編集]


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