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「閉塞的階層内競争社会その4」僕の考える
20061118075012.jpg

もう「閉塞的階層内競争社会」などという、どう考えても憂鬱で出口のない、閉塞的なのだから出口がなくてあたりまえなのだが、テーマを何時までも書いていると、これを読んでくださる皆さんも、もういい加減にしろ思われるかもしれないので、もうこのテーマは止めにしておこうと思ったのだが、今日、秋じまい(作物の収穫、貯蔵)で畑に出たら、隣の水道ポンプ小屋の軒下にスズメ蜂の大きな巣を見つけてしまい、彼らの攻撃性、喧嘩っ早さを思いついた途端、やっぱり今回も「閉塞的階層内競争社会」を書かなければと、なんだか思ってしまった。またかと、読む気も起こらないかもしれませんが、お付き合いください。

我が家にはスズメ蜂がよくやってくる。こともあろうに僕はもう2度も刺されてしまった。一回目は左腕の手首を刺され、大したことはないと市販の虫刺されの薬を塗って放っておいたら、どんどん腫れて腕がマルタンボウになり、手の平はグローブのようになって紫色に腫れてきた。これは大変と急いで、3日目に病院に行ったら、「何ですぐにこない、死んでしまうぞ」と脅かされ、実際毎年何人も死んでいるようだが、注射を打ってもらって何とか治まった。二度目は耳の後をやられた。チェーンソウでジャ?ンジャ?ン薪を切っている時、耳の後がムズムズすると思って手で払ったのがいけなかった、一気にジクときた。普通の蜂に指されたらチクと表現するが、スズメバチに刺されるとチクのチのすぐ跡にジンという感じのまるで鈍い錐で突き刺したような強烈な痛みが走る。「やられた」。刺されたところを指でなぞると、固いものに引っかかった。抜いてみるとなんと真っ黒い針が刺さったままだった。これはえらいことだ、でっかいスズメ蜂に違いない。

今回はもうゆっくりしてはおられない。下手をすると死んでしまう(スズメ蜂に刺されると、一度より2度、2度より3度と危険が増すという)。かみさんを呼んで急いで車で病院に向かった。1人で運転して行ってもいいのだが、途中でショック症状を起こすことがあるので、「蜂に指されたらすぐ救急車で来なさい」と医者に言われていた。案の定、数分立つとフット気が抜けてきた。病院についてすぐに注射を打ってもらいベッドに横になると点滴が始まった。なんだかふわっとした気持ちになり、頭がほわっとしてきた時「血圧40、奥さんを呼んで」と医者が行った。こらはやばい、と思っても、意識が薄れるとはそういうことなのか、大変だとか恐怖心すら薄れるようで、ただボートして横になっていただけだった。10数分たった頃だろうだろう、意識もはっきりしてきて、どうやら助かったようだ。

皆さんも蜂、特にスズメ蜂に指されたらすぐ病院に行くことをお勧めします。命に係わりますよ。

さて「閉塞的階層内競争社会」とスズメ蜂の関係だが、スズメ蜂は肉食かつ凶暴で、何にでも攻撃して来て噛んだり刺したりする。特に黒いものには熊と間違えて攻撃するそうだ。それだけではない、今年数回2匹のスズメ蜂同士が絡み合い空から落ちてくるのに遭遇した。そのうち何度かは二匹とも踏み潰したが、どうもお互い刺しあったのか、かじりあったのか分からないが、二匹が絡んだまま死にいく姿を目撃した。彼らは他の種を襲いながらも、同種同士でも熾烈な争いをしているようだ。そんなことを思ったら「閉塞的階層内競争社会」を思い出してしまった。

こういう「閉塞的階層内競争社会」の問題で今最も許せないのが教育改革をテーマにしたタウンミーティングのヤラセである。小泉首相の肝いりで始まったタウンミーティングだが(本来これはこれで結構なことではあるが)「やっぱりね」というのが正直な感想である。何かことが起こった時、もしくはなにか新しい動きをする時、なるべく波風がたたず、穏便に済ませられる方法を何気なく、裏ではみんなおぼろげながら知りながら知らん顔をして、画策している。こういう不正は、不正とも思われず、けっこう習慣的にこの社会では広く横行してきたことではないだろうか。

僕も大人になりいくつかの公的な会議や集会に出てきたが、多くの場面で明らかなヤラセに遭遇してきた。まず、何だコリャと思ったのが、初めて参加した県知事との懇談会である。何の事前情報も知らずに個人的に参加して、意見交換の場で手を上げて質問したのだが、参加者にあれ、という目で見られてしまった(知事本人はなんの不思議も感じていなかったようだが)。他の質問者は、何々団体、協議会の顔役が指名され事前に用意した(もちろん、個々の団体の代表が関係する問題を質問するのは結構なことだが)当り障りにない陳情、提言でシャンシャンシャンとことが運んでいった。そこには意見交換、対話という本来の姿は見られなかった。大体多くの行政の会議や集会はこのような性格を持っている場合が多い。中には紛糾するものもあろうが、多くは問題が起こらないように穏便に済まそうとする集まりがまだまだ多い。これは主催者だけでなく参加者にも責任があるが。

本来対話、意見交換を通して、お互いの考え方を修正したり、考え直したり計画を見直したり、納得したりするための集まり(会議、集会など)が、あまりにも形式的であったり、原案を頑なに押し付ける集まりが多すぎる。多分こういう組織的な日本的慣習(外国の集まりをTVなどで見ていると、実体はどうだか分からないが、けっこう意見を戦わせているようにも思える。)が、組織だけでなく個人の行動にも反映し、言いたいこと、真なる思いを表現できず、自己抑制し、または真綿の圧力により抑圧し、知らず知らずに閉塞的社会を作っているのではないだろうか。

社会全体に少々の不平不満、ある程度の抑圧があっても、暮らしが安定し、将来に対してもある程度希望が持てた時代は、不安な心が表層には表れてこなかったのだろうが、現在の日本社会は心の不安、心の叫びを吐露できず、かつ自分の中ではごまかしきれず、もしくは吐き出せず、自己崩壊に向かっているのではないだろうか。
これは、国家の最高機関国会(あの場ではほとんど対話がなされていない、また自民党は教育基本法を強行採決しそうだ)から、地方行政、会社の会議、地域の集まりにまで、見事に巣くってい悪しき構造である。そこでは多くの人間が「閉塞的階層内競社会」のなかで、先に上げたスズメ蜂のように同類を傷付け合っている。〈子供の自殺〉その最も大きなしわ寄せが、最も抑圧された、逃げ場のない子供社会に表層化してきている。

とにかくあらゆる場、階層間、閉じ込められていても対話しましょう。素直に、喧嘩をしてでも、心から、最初は照れくさくても、どきどきしても、顔が赤くなっても・・誰かに話をして、お互い意見を交換しましょう。そこにしか「閉塞的階層内競争社会」を打ち破る方法はないのです。
丸山 暁〈55歳・人間〉
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この記事に対するコメント

アマルティア・センはこう述べています。
「何を信じどう生きるかについて、充分に学んだうえで選択させる教育の機会は激減しています」「一枚岩のようなアイデンティティをつちかう運動に誰もが夢中になっている」

国や学校が子どもに『狭量さえお押しつけ』てはいけません。もっと多様な主義主張があることを学ぶことの機会も重要で、そういう教育ができる国であってほしいと願います。
http://blog.livedoor.jp/tarotohachinosu/
【2006/11/19 21:38】 URL | さくら #- [ 編集]


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