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「閉塞的階層内競争社会その3」?僕の考える
20061111075714.jpg

北国の我が家の庭にも既に薄っすら霜が降りる今日この頃であるが、今年の野菜たちは、まったく見事に育ってくれた。写真の手前は白菜で、これから寒さが増してくると、もっとしっかり巻いてきて味が乗ってくる。その上のちょっと一段高い位置にすっくと立ち上がっているのが大根。これはもう見事に育って、そろそろ掘り上げなければならないのだが、埋けるには(大根は土に埋けて冬越しをする)まだちょっと暖かすぎる(暖かい内に埋けてしまうと腐ってしまう)。その奥には葱がつんと槍の刃先のように天を突いている。
 彼ら野菜たちは、我が家の堆肥をすきこんだ(我が家の堆肥は我が家の雑草〈堆肥に使うのだから雑草ではなく貴重な有用植物だが〉を熟成した堆肥である)それぞれの区画で、太陽の光を浴びて、雨を受け、すくすくと育ってくれている。彼らは、形態的には決められた「閉塞的」区画ではあるが白菜と大根と葱などに「階層」はなく〈夫々に個性的な価値を持つ〉、結果的に出来不出来はあるものの、のびのびと育っている。中には人生と同じで、生をまっとうできないもの、他所に飛んでいって大きく育つもの、消えていくものもあるが、夫々が同種の中で競い合っているわけではない。
 
私たち人間もある意味、人類みな平等という理念は認めるものの、現実には、貧富の差、環境の差などある意味野菜たちと同じように構造化した「階層」のどこかで生まれてくる。しかし、その後の人生において、我が家の畑の野菜たちが太陽や雨の恵みを受けるように、社会保障や教育が均等に受けられる「解放的競争社会」であればいいのだが、現代の日本社会はそうではなくなって、「閉塞的階層内競争社会」になりつつある。それは固定化した階層社会の中で、周囲と競わなければならない社会であり、そういう社会で大人も子供も精神が蝕まれているのではないだろうか。

 そのような社会を作り上げている大きな原因の一つが教育問題であろう。政府は何が何でも、「国家のために世界と競争する子供たちを育てる」ための「教育基本法改正」を急いでいる。そうではないのだ、教育改革とは、そんな〈管理〉を強化して「閉塞的階層内競争社会」をより強化することではないのだ。今必要なのは「開放的機会均等創造教育」である。

確かに人間社会にはある程度の競争は必要なようだ。そうでないとやっぱり何もしないで食って寝ていたいという人間は必ずいるものだ。蟻や蜂の社会にも2割程度は働かないやつがいるという。そして働くやつを2割殺すと、殺さなくても除外すると、働かなかったやつが働き出すが、やっぱり2割は働かないという。これは、どんなに景気が良くても、人間社会にもいえることだろうから、競争なんて馬鹿らしいという人間も当然居るだろうが。

 現代日本の問題、失業率4%(日本だけでなく景気がいいというアメリカとて失業率は5パーセント、多くのヨーロッパは10パーセント近く、アジアアフリカには50?60%という失業率もあるが)、働く意欲、生活のために働かなくてはならない人々に正当な働き口がないということ、どんなに一生懸命働いても一定限度(年収200万円程度)以上、経験を積んでも所得が伸びないという階級が増えてきた。これはIT革命後の先進国共通に起こっている問題である。以前のように頑張れば報われる社会ではなくなってきた。

 仕事にはいろいろある。3K(以前は建設業であったが、今は介護関連の仕事のようだ)といわれる仕事、一見楽しそうに見えるが結構ストレスの多い都会のサラリーマン、玉の輿を狙う女の子には憧れの医者とて、うつ病を診察しながらうつ病が最も多いという精神科医、苦境にある多くの中小企業の社長たち・・また同じ仕事でも楽な部署厳しい部署、生き方の上手いやつ下手なやつで・・・仕事の充足感、満足感は違うだろうが、人生においては働くという行為、努力が報われる(例えば収入、地位など)ことが必要ようである。「生きるとは何か」島崎敏樹(1978年岩波新書)に「生きがいとはその場に居る甲斐と、前に進む、すなわち行くことが共に備わっていることである」、それが「生きがい」とあった。多分人間が働く意味もそういうことなのだろう。

 ところが、残念ながら今の日本社会にある閉塞感、苛立ちは、〈自分が居る場(仕事でも生活でも)が不安定(雇用や将来設計において)であり、かつ正当、普通に頑張ってもなんだか報われない〉という状況にあるのではないだろうか。もちろん、進取な気性に富み、誰よりも努力して、地位やお金を得ている成功者はある。これはこれで賞賛に値するが、どうも最近の地位や名声、お金の裏には不正が見え隠れするが(裁判中の堀江氏、村上ファンドの村上氏、賄賂ずきのあちこちの知事たちなど)。

 本当は「閉塞的階層内競争社会」をいわゆるケインズの計画経済とアダム・スミスの神の見えざる手、放任主義、サッチャーやブッシュの新保守主義、市場主義、グローバリズム(アメリカ民主党の勝利で多少変わってくるか?)あたりを論じながら、解明したかったのだが・・・少々力不足なのでまたこの次とする。
 ただ、人生の一般的な幸せは、我が家の野菜たちのような生き方かもしれない。与えられた環境、境遇で均等な社会環境(制度)のもとのびのびと暮らしていく。そういう社会になればいいのだが。
丸山 暁〈55歳・人間〉
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