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「閉塞的階層内競争社会その2」?僕の考える
20061104082357.jpg

今回のテーマは前回と同じく「閉塞的階層内競争社会」なんて、固い、なんだか分からない七面倒臭いテーマなので、せめて冒頭の写真だけでも明るいものにしよう。この写真がなんだか分かりますか?防空壕と答えた人は相当年配の人だが、随分と陽気な方だろう。きっとどんな時代、戦争中でも、どこかに人生の楽しさ、喜びを見出せたる人ではないだろうか。次に祠と答えた人は、実は昨日我が家を訪れたある人は「あの祠のようなものは何ですか」と聞いてきた、ということは、これが祠に見えることもあるのだろう。こういう人は、信心深いか、下手をするとあらぬ宗教にのめりこんでいく人かも知れない。地下牢だという人は一度精神科を訪ねた方がいい。
このダークグリ?ンの枠に赤い扉の構造物は、我が家の室である。僕の市民ジャーナルをちゃんと欠かさず読んできた方は、「僕という人間?5〈環境3〉」にあった写真と同じものだろうと、お気づきになったに違いない。これは室(ムロ)である。14年前に作った室の扉が老朽化して壊れたので、新しく作り変えたものである。

 さて、面倒臭いテーマだから明るい写真からと言っておいて、結局僕の文章は面倒臭くなってしまう。これに懲りずに今日もお付き合いください。

「閉塞的階層内競争社会」、この言葉はまだ何処でも、誰からも言われたことのない僕の造語である。この言葉は現代の日本社会、ひょっとしたら、現代だけでなく日本という社会での社会人〈あえて社会人としたのは個人個人は結構個性化、多様化してきているので、あえて大人の一般的な社会活動という意味で社会人としておく〉生き方の特性を表している言葉ではないかと考えている。
まず「閉塞的階層内競争社会」の「閉塞的」は読んで字の如く「つまっている、塞がっていること」であり、「階層内」とは「あるヒエラルヒ?、支配的な秩序によって形成された個々の階層内部」のことである。そして「競争社会」はそのまま「皆が競いあっている社会」である。言葉の全体的意味はそんなとこだが、字義をそのまま理解しても、なんじゃこれという域をでないので、具体的事例で説明したい。

いままさに政治決着しようとしている「高校必須科目未履修問題」であるが、なぜこのような理不尽な問題が起こったかというと、大方は大学受験問題に端を発していることだろう。ではなぜ、こういう問題が起こったか。僕はそこに「閉塞的階層内競争社会」の典型的事例をみる。そのことを、僕たちが大学を受けた30数年前と今の大学受験制度を比較して考えてみたい。

多分今40代以上の方々は御存知だろうが、30数年前、国立大学は2期校制であった。それは東大、京大など旧帝大や東京工大、一ツ橋や地方の古い大学を1期校として、横浜国大、埼玉大、山口大、愛媛大など戦後出来た大学(地域的バランスもあったようだが)を2期校(この分類方法は少々違うかもしれないが)としてほぼ半分づつ受験次期がずれていた。これはこれで、確かに1期2期という階層、優劣はあったが、高校生もまだのんびりしたもので、関東で言えば、1期校を東大や一ツ橋を受けてだめなら横浜国大、埼玉大(受験ランクでは東大と相当開きがあるのだが)、なんてのんびりしたものだった。高校でも「お前の偏差値ではあの大学はダメだろうが、ま、ひょっとしたらなんとかなるかも、とにかくやってみろ」なんて時代であった。そんなことで、大学にランク付けはあったが、まだ、度胸や運、そして努力によって、かなり挑戦の幅が広かった。

しかし1期2期校という序列があるのは良くないと文部省が言いだし、(確かに最初は第一希望の1期校を落ちたという惨敗感は残っているがいず忘れていく。中には1年生ですぐ止めてまた挑戦するものもあるが)、1期2期校がなくなり、共通一次なるものが導入され、大学は夫々に個性を生かし受験生の選択肢も増やすのだといっていたが、結局蓋を開けて見れは、大学は見事に新たな明解な偏差値による序列(1・2・3・・10・11・・40・・50・・)がつけられてしまった(前期後期日程はあるが)。

今の大学受験を見てみると、高校(予備校も含め)での成績によって受験生個々に偏差値が設定され、偏差値で括られたランクの受験可能(合格可能)大学が選定され、そこには、夢やまぐれが介入する余地がない。歴史や伝統でほぼ固定化され、偏差値によって階層化された大学に偏差値で割り振られた受験生が、夫々の偏差値の範囲内で競い合っている。そんな構造がまさに「閉塞的階層内競争社会」なのである。そして、その大学ランクは残念ながら、概ね、企業のランク、高級官僚の合格ランクと一致する。もちろん、個人的な運、努力によって覆されることも多少はあるだろうが。

もうひとつの事例を挙げれば、日本企業社会の伝統的重層構造、特に建設業に現れる下請け孫受けひ孫請けの構造に端的に現れている。この件はまたこの次とする。
経済成長期は効率的に見えていた「閉塞的階層内競争社会」の歪みが、社会的目的を失った今、精神的圧迫をきたし、様々な予期せぬ犯罪やいじめ、自殺を誘引しているのではないだろうか。この件はまた次に論じてみたい。
丸山 暁〈55歳・人間〉
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