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岩手県盛岡から発信、ローカルな足場からグローバルな普遍性を論じる
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市民ジャーナルは、ローカルな現場の当事者の視点からグローバルな普遍性を論じようとするものです。皆さんの投稿をお待ちしています。 sj17417@yahoo.co.jp
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生きていくための基盤整備
 税金を使って道路をつくり、橋をかけることを、「基盤整備」と言う。
社会の中で、経済が発展するために工事をすることらしい。
それ以前の問題として、社会で人間が生きていくための基盤整備が必要ではないかと思う。
人間が生きていくために必要なものは、空気(酸素)であり、水であり、食糧である。
酸素を生み出す森林、水を循環させる川や海、食糧を得るための農。
これらを、まず最初に整備することを、ないがしろにしているのではないか。
自動車産業だって、人が働かないと産業として成り立たない。
流通産業だって、人が作る、買うと言う行動を起こさないと成り立たない。
IT産業だって、人がキーボードを叩かないと成り立たない。
それを第一次産業・第二次産業・第三次産業などと、農林水産業を並列に語ることは、まず最初に産業ありきで、人間が働いてこそ産業がおきる、と言う基本を忘れている。
たぶん経済優先社会の中で、本来交換するための道具だった貨幣が価値を持ち、
その貨幣を稼ぎ、貯めることが人間の生き方になってしまったからであろう。

山村に住む友人が、言っていた
「ほんの40年前。村にトラックで魚や肉を、売りに来て、米で支払った」
物々交換である。
多分全国的に貨幣が使用されて流通し始めたのは、ここ100年でないか?
それ以前は、「貨幣」と「物々交換」が混在していたのではないか。
山村や農村では、それで生きていくことができた。
ところが科学技術の発展によって工業が発達し、人口が集中する場所ができた。
この人口空間は、森林や川や海・農を忘れ、貨幣を持たないと生きていけない都会を産みだし、貨幣に絶対的価値を与えた。そして農山村もまたそれに引きづられていった。
そして人間は、“自然の仕組みの中で、生かされている“ことを忘れた。
DSCF0519.jpg


「貨幣が有れば、何でも交換出来る」と思っている人が大部分であろう。
農産物も、水産物も。食糧は貨幣で交換出来る。
ところが地球という星は、限られた水や土地である。
生きるための食糧を、効率よく生産しても、限られた量しかできない。
だが貨幣は、いくらでも生産でき、いつまでも保存することが可能である。
限られた農産物・水産物を、貨幣の多寡で奪い合う。そして戦いになる。

我々の住んでいる国は、他国の水産物や農産物を奪うほど、自給率が低い。
そして国内では、生活保護世帯の急増、フリーター等のワーキングプアーをどんどん産みだし、不安を抱え明日の食事もままならない人間を作り出している。
「明日も、食べるものがある。生きることが出来る」と言う
人間の命の糧をつくる仕事を大事にしなければ…
それを国が、一番やらないといけない基盤整備では、ないだろうか?(入道)
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