Google
全ての記事を表示する

全ての記事を表示する

最近の記事

カレンダー

09 | 2017/10 | 11
1 2 3 4 5 6 7
8 9 10 11 12 13 14
15 16 17 18 19 20 21
22 23 24 25 26 27 28
29 30 31 - - - -

カテゴリー

ブログ内検索

プロフィール

疾風

Author:疾風
岩手県盛岡から発信、ローカルな足場からグローバルな普遍性を論じる
人気blogランキングへ

FC2カウンター

リンク

このブログをリンクに追加する

RSSフィード

FC2ブログランキング

FC2ブログランキング

ブログ新聞 『市民ジャーナル』
市民ジャーナルは、ローカルな現場の当事者の視点からグローバルな普遍性を論じようとするものです。皆さんの投稿をお待ちしています。 sj17417@yahoo.co.jp
スポンサーサイト
上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

僕という人間―その2〈身体性〉
20060513080409.jpg

 否が応でも目に入るだろうがまず写真を見ていただきたい。これが何の写真であるか、嫌な顔もせず好意的にすぐ見抜けた方は相当の自然派である。
 この写真は昨日(4月10日)我が家の向かいの山に山菜(タラの芽、シドケ)を採りにいき見つけたものである。最初目にしたときは「何でこんなところでウンコを」と思ったが、良く見るとウンコに木の実や種が混じっている。しかも何日か分(新鮮なものや固いのや形の崩れたものなど)のウンコがある。ここは彼(女)にとっての厠である。こんなところで何日も同じ場所にウンコをする人間がいるだろうか。しかも、ウンコの周りには紙も葉っぱも、最悪の場合のパンツ(これは経験者ならわかるだろう)も落ちていない、いわゆる拭いた形跡がない。この写真は紛れもなく熊のウンコである(僕も始めて見たので100%の自信はないが十中八九当たっているだろう)。
 
 僕が今このようなメッセージを送れるのは、僕がこのような環境、場で暮らしているからである。
 
 僕は約20数年前頃、東京銀座の東京湾が見渡せるゼネコンの高層ビルの18階にあった冷房の効いたオフィスで考えた、「僕は僕の身体をちゃんと使っているのだろうか。頭も体も感性も自分というものを十全に使って生きているのだろうか」。朝起きて電車に乗り、会社で机にへばり付いて適度に頭を使い、あわてて昼飯かっ込んでちょっとウトウトしながらもデスクワークをこなし、また電車に乗って家に帰る(たまには一杯引っかけて)。そんな生活をもう十数年繰り返している。多分これからも何十年もそんな生活なのだろう。
 
 巨大都市東京も高層ビルも億ションも経済活動の賜物であり、それらを作るために企画を立てたり計画したり図面を引いたり監督するのが僕らの仕事だった。ある意味まちを作っているのは僕たちだというプライドもあった。しかし現場に足を運ぶようになり、視点を変えてまちを見ると僕の中に疑問が湧いてきた、「本当は具体的に体を張ってまちの礎を築いているのは誰だ。それはスコップやトンカチを持った土工たち(多くは孫請け、ひ孫請けの出稼ぎ労働者、最近は外国人も多い)ではないのか」。
 彼ら土工たちと仕事の合間話をした。彼らは元々百姓だった。本当は今も百姓で暮らしたいのだが仕方なく出稼ぎにきていた。彼らは自然を読み田畑を耕し、建設現場では器用に土を動かし、大工をやり、なんでもこなした。「僕は彼らのように頭と体〈身体」を使っているのだろうか」と考えた。
 それも今僕がここで暮らしている大きな動機づけであった。

 現代社会はあまりにも脳と体が分離してしまった。心(気)、頭(脳の機能)ばかり使って、脳の中にストレスを溜め込み、体を使うことで心を開放し脳をも育てること、すなわち〈身体〉が共に生き、育つことを忘れてしまった。人間の脳は脳を使うだけでは脳が育たないということが、やっと科学的にも証明され始めた(現代という時代の大きな欠陥は科学的という神話にあるのだが)。しかし、そんなことは科学が証明しなくても分かっていたはずである。特に子供は「良く遊び(野山を駆け巡り)よく学べ」、これに尽きるのに、最近は「管理されろ、教科書を覚えろ、国を愛せ」である。これでは頭も体も、すなわち“身体”としての人間が育つはずがない。
 人間になれない。たんなる社会的自動機械(端末機)が増産されるだけである。

 僕は今畑を耕し、こうして文章を書き、たまには頭をひねって仕事して、山菜採りで「熊のウンコ」に出会い。まさに身体を駆使して暮らしている。
 また本当のところそうしないと暮らしていけない。「あんたの暮らしは楽か
い?」と問われれば、けして楽でも、楽しいだけではない。けっこうしんどい事が多いかもしれない。でも僕は自分の“身体”を使って生きているという実感を感じている。それが「僕という人間」になることだと考えている。

丸山暁 (55歳・人間)
スポンサーサイト

テーマ:文明・文化&思想 - ジャンル:学問・文化・芸術

この記事に対するコメント

この記事に対するコメントの投稿














管理者にだけ表示を許可する



上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。