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「美しい国」?僕の考える
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僕は今温室をつくっている。材料は、昨冬の大雪で倒れた杉丸太を近所から貰ってきて(貰ってくるといっても、山に入りチェーンソーで倒木を切り倒し、2m程に切りそろえて我が家の1500ccのワゴン車に積んで持ってくるのである)、構造的な部分(柱や梁)を作り、後の材料はホームセンターで買ってきて、トンテンカンテン建てている。われながら、けっこう美しい温室になりそうである(現状写真を載せる)。せっかく我が家に温室を作るなら、ただ機能を求めるだけより「美しく」楽しい温室がいい。

 この世の中も、「美しくない」「醜い」より「美しい」ほうがいい。特に女性など美しくなるために随分苦労(努力)している方々が多い。このところの若い女性の服装は下着まがいの重ね着で、様々な色を幾重にも着重ねるという、ミイラか案山子のようなかっこうの、少々色気を通り越して、嫌悪感すら感じる(これまた若いものだけかと思いきや4、50代の伯母様方もときてはいやはやなんとも)。最近は女性だけでなく男性諸君も美に余念がないようである。相当数の男性が黒髪を捨てて茶髪にしているのも、そういうことだろう。ただ、そういう彼らが「美しい」と思ってやっていることが本当に「美しい」のかというと、これまた評価の分かれるところであるが。

 そもそも「美しい」というものには一定の基準があるのだろうか。多分「美しい」ものの評価には一定の傾向はあるだろう。例えば鳥を例にとれば、一般的にメスよりはオスのほうかカラフルで「美しい」。本当に下手なガチャガチャな絵より職業画家の絵の方が一般的には「美しい」。ただ「感動」となるとまた別である。小さな子供の自由奔放な絵のほうが大変有名な売り絵「一枚の絵(ご存知の方はご存知だろう)」などより数段感動することもある。街中を歩いていても、避けたくなる汚い場やただ通りすぎてしまう場と、なんとなくひきよせられて佇んで見つめてしまう場がある。そのような場には、何かがある。小さなお狐さんの祠があるかもしれない、打ち水をした店先にしゃれた花壇があるかもしれない、石組みの側溝のせせらぎにめだかが泳いでいるかもしれない。そういう自然な営み、さりげない生活が描き出す風景は美しい。このあたりの「美しさ」は概ね共感を得られるのではないだろうか。

 その反面、わざとらしい空間、場はけっこう努力しているのに、どうもなという風景がある。最近気になった風景の一つが、NHKのニュースで流れる六本木ヒルズの夜景である。六本木ヒルズが出来る前は、光の海に浮かぶ東京タワーが東京の夜を醸し出していたのだが、最近の六本木ヒルズの夜景はどうも権威的に見え美しくない(それがホリエモンや村上ファンドの基地であったからかも知れないが)。特に六本木ヒルズの横に東京タワーを配置したアングルはいただけない。

 「美しい」とは、を考え出すと、大論文になるし美意識は相当個人的な感性、特に世代、環境によっても異なるのでこのあたりにしておくが、とりあえず先にあげた幾つかの事例を頭においておいて頂きたい。

 話は変わって、いよいよ安倍新内閣が誕生した。安倍新総裁は「美しい国」をつくるという。「改革なくして成長なし」をキャッチフレーズに政治を劇場化した小泉政権のあと(小泉さんの功罪はここでは論じないが、少なくとも社会がより拝金主義、弱肉強食になりアメリカ的混乱が拡大したことは確かだろう)の安倍総裁が言う「美しい国」とはどんな国だろう。昨日の国会での所信表明演説では、「活力とチャンスとやさしさのある世界に開かれた美しい国」と言っていた。
 この言葉を文法的に読み解くと「活力とチャンスとやさしさがあり世界に開かれ」ていることが「美しい」ということなのだろうか、それともそういう特性のある「別の意味で美しい(自然や町や暮らしぶりや)」国なのだろうか。安部氏の演説を聞く限り(ニュースで断片的に聞いた程度であるが)田中真紀子氏が批評した「ちっとも美しくない、何を言っているのか分からない、教育の再構築なら安倍さんこそもう一度教育しなおしたほうがいい(筆者要約)」といっていたが、僕も同感である。とくに「美しくなかった」のが、日本語の演説なのにやたら横文字が多く「日本の伝統や文化、自然を大切にする美しい国」と言っていたわりには日本語を大切にしていない、実に「美しくない」所信表明演説であった。

 僕の考える「美しい国」とはシューマッハが言った「スモール イズ ビュ?ティフル(これは本来外国人が言ったのだからカタカナでいいのです)」にのっとった政府であり、政府の考える「美しい国」など押し付けて欲しくない。とにかくまずゴミタメのような政治の場、政治家自身を「美しく」して欲しい。
「美しい」という概念は、それこそ個人的感性、創造性の中にあり、日本国民が個人の暮らしの中で自由におおらかに「美しさ」を醸し出せればいい。残念ながら現在の日本は、日本的美的感覚もおおらかな美しさを感じる精神的ゆとりも失ってきている。マスコミが言うところのセレブに代表される他者と競いあい目立ちたがる「醜い美しさ」は蔓延しているが。「美しい」は僕たち1人1人の暮らしの中に稟としてあって欲しいものである。
丸山暁〈55歳・人間〉
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