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岩手県盛岡から発信、ローカルな足場からグローバルな普遍性を論じる
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ブログ新聞 『市民ジャーナル』
市民ジャーナルは、ローカルな現場の当事者の視点からグローバルな普遍性を論じようとするものです。皆さんの投稿をお待ちしています。 sj17417@yahoo.co.jp
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「僕という人間」
maruyama.jpg

 市民ジャーナルが開設された。この企てが、今後どのように育っていくのか、単なるお遊びに終わるのか、それとも、現代という時代に何らかの鉄槌を下すのか、今という時代を耕し未来を読み解く鍵を提示しうるのか、今の僕には分からない。それでも、とにかくこの新たな試みに乗っかってみるもこととする。ま、やってみない限り何も始まらない。
 このメディアが「市民ジャーナル」を名のるからには、ジャーナリズムといいながら単なるマスコミュニケーションに堕落したジャーナリズムが多い昨今、それなりに責任のある言説を述べるべきであると僕は考えている。ただ、責任あるというのは、いわゆる書く中身が真面目そうで道徳的なことを述べるというのではなく、内容が固くても柔らかくても、精錬潔癖でもとことん猥褻でも、真摯にその課題に取り組んで真面目に書くということである。哲学(ポストモダン、構造主義、ポスト構造主義)の世界でも今最も重要な課題はいわゆる「言葉」のもつ意味「言葉は本当に伝えたいことを伝えているのか、伝えうるのか」である。ルイス・キャロルの『鏡の国』のハンプティー・ダンプティーが行った「僕が言葉を使うときは、その言葉は、僕がそういう意味に使うことにした意味になる」ということであり、言葉は使う側受け手によって様々な意味を持ちうる。ある場合は反対の意味とてもちうるものである。だから言葉は注意深く使い、注意深く読み解かなければならない。滑稽な実話だが、日本国首相小泉の言った「自衛隊の行くところは非戦闘地域である」、この言葉は実に哲学的な言葉であり簡単に素通りさせてはならなかったはずなのだが、国会や政治の場では既に言葉は意味を失った。単に数合わせの猿蟹合戦、ガキたち(小泉チルドレンとやら)の遊園地となってしまった。
 インターネットが情報メディアの大きな位置を占め始めたが、「匿名」の名も元いいかげんな無責任な言説が巷に溢れ出てきた。なんでも有とは、まさに現代のインターネットの世界だろう。だからこそ、真面目に書くということが大切でありその最も基本は「誰が書いたか」ということである。「僕は僕として僕を書いていくことにする」。
 では「僕とは誰」なのか。僕は1950年宇都宮生まれ、広島の山奥の農場で幼少期を送り、原爆投下後15年経過した広島市の海ッペタで青春期を過ごし、「自然」と「反核」の思想を身に付けた。その後首都圏の大学(埼玉大学建設基礎工学科)をでて東京銀座に本社のあった、今は大阪と東京の東陽町が本社のようであるが、ゼネコン(竹中工務店)でいわゆるバブル最後の狂乱期巨大開発、都市開発に関与した。そして自分自身の考え思想と会社の仕事の間に大きな亀裂が出来て会社を辞めた。38歳の時である。そして今岩手県大迫町(不本意ながら花巻市と合併してしまった)の早池峰山のふもとの小さな谷間の集落で畑を耕しながら小さな設計事務所「丸山暁建築・空間工房」を設立し暮らしている。山奥の設計事務所であり「建築家でござい」と気取ってもおれず、僕というもの、いろんな事、物をかき集めて放出して暮らしている。
 通常個人の属性を表すには「職業」を表記することが多いが、僕はこのジャーナルの寄稿では「人間」と名乗ることとする。昔から職業で人間を規定する方法、例えば会社員、医者、建築士、画家、無職・・・、それは仕事であり個人の何者かを伝えていない、に違和感を覚えていていつの日か「人間丸山暁」と名のりたいと思っていた。僕の仕事は法的には建築士で設計事務所代表、仕事は建築設計、地域計画・・かといってそれだけで食えるわけではなく、物書き、絵書き、百性となんでもできることはやりたいと考えている。どれか一つの職業で僕を代表できるものではない。それと、僕の人生に大きな影響を与えたフランス生まれの生物学者ルネ・デュボスが「人間とは生まれた時はヒトであり、人生を重ねて人間になっていくのが人の役割である」というようなことを言っている(「人間であるために」「目覚める理性」「内なる神」など)。  僕も僕の役割はたぶんそうなのだと思っている。僕は僕という人間になるために生きているのだと。だから僕は人間丸山暁と名乗ることとする。
 これから「市民ジャーナル」に書いていく僕とはそのような人間であると、心の隅にでも置いておいて頂けたら幸いである。寄稿NO-1はさしずめ「僕という人間」ということである。<丸山>
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テーマ:文明・文化&思想 - ジャンル:学問・文化・芸術

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