Google
全ての記事を表示する

全ての記事を表示する

最近の記事

カレンダー

07 | 2017/08 | 09
- - 1 2 3 4 5
6 7 8 9 10 11 12
13 14 15 16 17 18 19
20 21 22 23 24 25 26
27 28 29 30 31 - -

カテゴリー

ブログ内検索

プロフィール

疾風

Author:疾風
岩手県盛岡から発信、ローカルな足場からグローバルな普遍性を論じる
人気blogランキングへ

FC2カウンター

リンク

このブログをリンクに追加する

RSSフィード

FC2ブログランキング

FC2ブログランキング

ブログ新聞 『市民ジャーナル』
市民ジャーナルは、ローカルな現場の当事者の視点からグローバルな普遍性を論じようとするものです。皆さんの投稿をお待ちしています。 sj17417@yahoo.co.jp
スポンサーサイト
上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

「まちづくりと暮らし」?僕の考える
20060923074502.jpg

 この写真は、僕の集落の人たちが耕し植え育てた花壇から見た炭焼き小屋の風景である。この花壇も、炭焼き小屋も集落の人々が作った。すなわちそこに暮らす人々の手仕事である。大きな機械や、他者の手(お金と引替えにして)、行政や巨大資本によって出来上がったものではない。高度情報化消費社会であっても、日本の集落、過疎地域にですらこのような素晴らしい造景がある。造景とは、風景、景観づくり、すなわち「まちづくり」と捉えていただきたい。

 いわゆる「まちづくり」、中心市街地(商店街)活性化、過疎対策、逆に都心の過密、スラム化、再開発と言う名の歴史的文化遺産(歴史的空間)の破壊、私たちが暮らす場は多くの問題をはらみながらも、いわゆる「まちづくり」が行われてきた。先の市民ジャーナルで〈佐々疾風氏〉が郊外大型店と商店街の再生、商店の必然性について論じていたが、彼の論点は結局「まちづくり」は、「市民、住民にとっての必然性によって成り立つ」というところのようであり、僕も、ある意味、同じような見解をもっている。

 あまり日常的には語られることがないが、日本の「まちづくり」(大きな意味での都市計画も地域開発も市街地計画も暮らしの場を作ることも、今は「まちづくり」という言葉で括っておく)は大きく制度的には都市、地域の枠組み(土地の利用形態とか建物の種別とか)を決める都市計画法と建築物の構造、形態を規定する建築基準法にのっとって作られる。これらの法律がよく出来ていて皆が従えば、構造的な「まちづくり」は上手くいくかというとそうではない。昔から都市計画なき日本といわれるように、いつまで経っても日本の都市や街や住宅地が「快適に暮らしやすく」ならないというのが現実である。ただ見た目には随分高度にデザインされた空間は多くなってきたが、そう長続きしない。

 少し横路に反れるが、日本の都市や街並み、田園風景は「美しくない」とここ何十年も言われ続けてきた。僕も建築や「まちづくり」にかかわってきたが、学生の頃からずっと(僕だけでなく都市計画屋さんや有識者といわれるものたち、一般の市民も)「いわゆるヨーロッパに比して日本の都市、街並みは汚い」と思ってきた。確かに、観光案内やTVの旅番組、ニュースなどで見る多くのヨーロッパのまちは美しい。しかし、ヨーロッパを(主に西欧であるが)ゆっくり旅した時「なんだ、ヨーロッパにも汚いまちが沢山あるじゃない」と気づいたのも事実である。あの世界有数の観光名所パリでもブルージュでもバルセロナでもチョッと横路にそれるとうらぶれたごみごみした廃墟、雑然として危険の臭いのする街区がいたるところにある。薄汚いところの薄汚さと言う面では、少々キッチュ(いろんなものがありばたばたがらがら)な日本のほうが数段清潔でああり安心感もある。

 では、日本のまちづくりは問題がないかと言えばおおいに問題がある。そのおおいなる問題は、日本の都市政策、都市計画の主眼が「人々の暮らし」ではなく「経済効果」に置かれていることである。まず、日本の自然や街並を荒廃させ、日本経済を大不況に陥れたバブル経済は、とりもなおさず経済最優先の都市、地域づくりであった。実は経済発展というのは、消費物資の生産消費拡大(これが経済発展、好景気という実体である)と言う部分も大きいが、いわゆる商業ビルや住宅を建て道路や橋を作るという建設需要に追うところが大きい。バブル期に税金を使い、また安易な投資をして(それらは不良債権になった)壮大な建築、施設が作られた。しかし、それらは私たちの暮らしをよくする、すなわち良質の「まちづくり」ではなく、公共事業の名の元、国家、地域経済を疲弊するものでしかなかった。北海道夕張市が財政再建団体に陥ったのがいい例である。
 
また商業、商店街、中心市街地の活性化と称して、多くの法律を作り補助事業で税金を垂れ流してきた。「大店法」など一見大規模郊外店の拡大を規制しているようにも見えるが、実は時代に即して大規模店を促進する制度であった。今度の中心市街地活性化法の中心街の集積支援とて、今にもつぶれそうな中小商店では手も足も出ないというのが本音だろう。結局また大資本が中心街に乗り込んできて、経済的・歓楽的消費空間が華々しく作られ、そこは昔のような暮らしと商業、地域のコミュニティーが混在した町にはならないだろう。僕たちはある意味、再開発と言う見栄えにいい「消費的繁華街作り」に騙されてきた。お台場、六本木ヒルズ、安藤忠雄の原宿ヒルズしかりである。まだまだ広がりつつある大規模ショッピングセンタ?しかりである。

 ただ、本当のところ、今の日本人、日本社会はどのような「暮らしを」「まち」を求めているのだろうか、それが見えてこない。多分表向きは「昔のように近所が助け合い、みんなの目が行き届く地域」というだろうが、実際に多くの人々はそのような面倒くさい暮らしを望んでいないのではないだろうか。今の多くの人々は「個人的に自由で、他者と面倒くさいことでは係わらず、欲しいときに欲しいものが手に入る社会」を望んでいるのではないか。そういう意味では、日本の都市政策は大いに成功したといえる。
3大都市、特に東京ではまた地価の上昇が始まった、またヤクザまがい(本物のヤクザが動くのだが)の地上げも復活したようだ。結局日本では暮らしのための都市計画「まちづくり」というものは、まだまだ先のようだ。
丸山暁〈55歳・人間〉
スポンサーサイト

この記事に対するコメント

この記事に対するコメントの投稿














管理者にだけ表示を許可する



上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。