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中心市街地商店街の再生は可能か??消費者が求めるのは商店街ではなく商品?
盛岡では先日の9月15日に、県内最大級のイオンショッピングセンター2店舗目が郊外のロードサイドにオープンした。今日は開店後初の連休とあって、近隣の空き地を臨時駐車場に当てても車が入り切らず、付近は渋滞の車で埋め尽くされていた。
全国的に郊外大型店の進出が中心市街地商店街の衰退を招き、更には中心市街地の空洞化させるということは長年言われてきたが、ついにここ盛岡でも黒船来襲の感がある。

ところで、「郊外大型店」対「中心市街地商店街」の対立の構図は、単純で分かりやすいため違和感無く受け入れられているが、それは本当に本質を突いているのだろうか。
そもそも商店街と消費者の行動はどのように形成され変化してきたのか、そこをしっかりと確認しないと本質を見誤る恐れがある。

歴史的に見ると、商店街は“人の集まるところ”に店を出したものが連なって形成されてきた。人が集まるところとは、神社仏閣の参道筋、街道の宿場、役所周り、最近では駅前等である。こういう人が集まるところの立地条件が商店を吸い寄せ、自然に商店街という集まりを形成してきた。
一方消費者サイドから見ると、モータリゼーションが発達する以前までは、通常の買い物は歩いて行ける近隣商店街に限られ、消費者側に商店を選択する余地はほとんど無かった。例えば我々の子供の頃にはこんなこともあった。都会から来た子供はすぐに見分けがついた。服装が全く違っていて「垢抜けた格好いい」服装だったからである。それは当時田舎に暮らす我々には「垢抜けた格好のいい」服を買いたくても近くの商店では売っていないから買うことはできなかったからだ。仕方なく近くの店に並べられているダサイ服を買うしか選択の余地は無かったのである。
すなわち商店街の商店は、立地条件の絶対的優位性を持っているために、消費者のニーズに合わせなくても物を売ることができたのである。この構図は江戸時代以前から車社会が訪れる前の1960年代まで変わらず続いてきたのだ。

しかし車社会の到来とともに、消費者は行動範囲を大きく広げることにより商店を選べる立場になった。そして高度成長が終わった1980年代以降には、世の中全体に量的な充足感が広まり、寒さを凌ぐために服を買う時代から、オシャレのために買う時代に変わってきた。消費者は自分で欲しい商品を選択するようになった。さらに、テレビやインターネット等の情報化の拡大により、欲しい物や安い物がどこで売っているのかを見つけ出すことが容易に可能になった。
ここに至って、長年保たれてきた商店街立地の優位性は、ガラガラと音を立てて崩壊したのである。
江戸時代から続いてきた売り手と買い手の立場は劇的に逆転し、売買の主導権は商店側から消費者・買い手側に移ったのだ。消費者に選択されない商品や商店は衰退する運命となったのである。

こういう視点に立てば、中心市街地商店街衰退の原因が、必ずしも郊外大型店の進出だけではないという一面が見えてくるのではないだろうか。

今年に入り“街づくり三法”が改正された。
都市計画法の改正では、郊外に行くほど大型店に対する規制を厳して市街地への出店を誘導し、中心市街地活性化法では、TMOに代わる「中心市街地活性化協議会」の設置を盛り込んでいるが、私には相も変わらず商店街護送船団方式のように感じられる。法律と行政主導の活性化は一時的に少しは効果を発揮するかもしれないが、根本的な問題の解決に繋がるのかはなはだ疑問である。

さてそれでは商店街の再生はどうしたらいいのだろうか。それは可能なことなのだろうか。
私は一人の消費者として自分の行動を考えてみると、「美味しいそばを食べたい」と思うときには住宅街の中にあるなじみのそば屋に行くし、ピザは郊外の好みの店に出かける。また、私の家の近くにあるブテックは住宅地にポツンと店を構えているがいつも若者でにぎわっている。これらは全て商店街に店を構えておらず、立地条件は悪い。
しかし、現代の消費者は、個々の商店、個々の商品を目指して買い物に出かけるのである。今では海外に買い物に出かけるという話も珍しくなくなった。個々の商店がキラッとした商品を出せばそこに客が集まり、キラッとした商店が集まれば結果的に活気のある商店街ができあがるのではないだろうか。
私は、“商店街”というものの実態とは何か、そもそも商店街は必要なのか、ということを突き詰めて、商店街という概念を無くしたところに商店街再生の答えが潜んでいるような気がする。
郊外大型店の動向や行政の支援などに目を奪われて時間を無駄にするより、自らの足下をしっかり見つめることが必要ではないだろうか。
20060918210308.jpg

<佐々 疾風>
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