Google
全ての記事を表示する

全ての記事を表示する

最近の記事

カレンダー

09 | 2017/10 | 11
1 2 3 4 5 6 7
8 9 10 11 12 13 14
15 16 17 18 19 20 21
22 23 24 25 26 27 28
29 30 31 - - - -

カテゴリー

ブログ内検索

プロフィール

疾風

Author:疾風
岩手県盛岡から発信、ローカルな足場からグローバルな普遍性を論じる
人気blogランキングへ

FC2カウンター

リンク

このブログをリンクに追加する

RSSフィード

FC2ブログランキング

FC2ブログランキング

ブログ新聞 『市民ジャーナル』
市民ジャーナルは、ローカルな現場の当事者の視点からグローバルな普遍性を論じようとするものです。皆さんの投稿をお待ちしています。 sj17417@yahoo.co.jp
スポンサーサイト
上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

農業と競争原理
「有る程度の競争は、必要だよ」とよく言われる
 スポーツならば、一定のルールの上に立ち、勝ち負けを競い合う。
ボクシングやレスリング・柔道は、体重別制限がある
(もっとも“小よく大を制す“のが醍醐味だ。と言われるが、総じて体格のいい人が勝つことが多い)また団体球技は、人数の制限がある。(サッカー11人・野球9人等々)
 工業なら、その製品の性能の優劣、デザインの好悪で競い合う
生産量が小規模でも、その機能や独自の意匠で勝つことが可能である。
 商業ならば、販売手法による売上の多寡や利益の多さで競う。
小規模でも地域密着の販売や、独自の品揃えなどで特徴を出し、勝たないまでも継続することができる。

しかし、農業に競争はあり得るのだろうか?
 地球という小さな星に、太陽が降り注ぎ、光合成という仕組みで植物が生産され、それを動物(人間も)が食べて、寿命がきて、星(土)に帰る。
その循環という枠組みの仲で、我々は生かされている。
 そして江戸時代の3000万人から近年の1億2000万を超える人口増により、植物の収量を高める。動物の増体重を求める、などという品種改良や、栽培方法の開発で、食糧の増産をおこなってきたが、ここ50年は科学技術を駆使した、さまざまな手法が取られ始めている。
ところが遺伝子組み換えやクローン技術などの科学技術で生産された物が、同じ組成だと言っても、食べ続けることにより子や孫に、どんな症状が現れてくるのか、疑問である。
DSCF1359.jpg

 そして単位面積当たりの日射量は、一定であり、土も栽培に要した養分を再度補充しないと前年並みの収穫量を上げることは出来ない。
稲作など、理論的には一反分(300平米)で最高24俵の収穫が可能であるという。
ところがその翌年は、土壌養分の収奪量が多いため、土が再生できず、収穫量は皆無に等しいと言われる。
人間は、「今年は豊作だから腹一杯食べて、来年は食べなくても良い」と言うわけにはいかない。まして気象条件が毎年違い、土壌条件が地域によって違う。
そこで生産された農産物は、「安定生産」と言うことが一番に評価されないといけないはずである。
 そこへ安さ、量。美味しさ、鮮度等の競争原理を持ってくると、人件費の安いところへ流れて農を見失い、大量生産のための機械化で化学肥料や農薬の多投により土を壊し、美味しさを求めて栄養のバランスを崩し、鮮度を求めて大量のロスを生み出す。
 自然の恵みと言われる農産物を、さまざまな工夫をして調理し、余すことなく食べるという生き方を、何万年も続けてきたからこそ、今日がある。
スポンサーサイト

この記事に対するコメント

この記事に対するコメントの投稿














管理者にだけ表示を許可する



上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。