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岩手県盛岡から発信、ローカルな足場からグローバルな普遍性を論じる
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ブログ新聞 『市民ジャーナル』
市民ジャーナルは、ローカルな現場の当事者の視点からグローバルな普遍性を論じようとするものです。皆さんの投稿をお待ちしています。 sj17417@yahoo.co.jp
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ネバーギブアップ その3
 本日インターネットで感動的な話を見つけました。常人の我々では到底耐えられないと思われる逆境を乗り切った女性の話です。

 今、世の中は暗い話題が充満しています。節操の無いメディアは人心を落とし込むニュースをせっせと流しています。政治は阿呆(麻生)街道を突っ走っています。鶴田浩二の歌の文句ではありませんが「右も左も真っ暗闇じゃござんせんか」と言いたくなる心境です。

 そんな中でも、人間の可能性を信じてプラス思考で行きたいと思う今日この頃です。


奇跡の物語(原文のまま)

<難病で両手・両足を失った幼女>

中村久子さんは、「えそ」という体の組織が腐る難病を患い三歳で両手・両足を切断した。
身を寄せた親戚宅では来客の度に隠れ、帰るまで物音をたてずに息をひそめた。
楽しげに登校する同年代の子どもたちを窓から寂しく見守ったことや口と上腕だけで一生懸命つくった人形を友達に贈ったところ、「汚い」と捨てられるなど、つらい経験は数限りない!

19歳の時、家計を助けるために自分の意志で名古屋の興行師の所へ行った。
見せ物小屋で口を使った裁縫や書を見せるためである。
それから20年間、「だるま娘」として国内はもとより、中国大陸までおもむいた。
苦しみはさらに続く。
結婚、死別、再婚。
離婚、三度結婚。

やがて二人の娘に恵まれた。
包丁を脇にはさんで野菜を切る。魚をおろす。
上腕と口を使って雑巾を絞り掃除をする。
口にくわえたマッチで火をつける。
たとえ体に障害があっても親としての誇りは失わない。
<娘には教育だけはきちんと受けさせたい>との思いから、娘を知人に預け、自分は巡業先を転々とした。
そんな中でも「手紙」と「仕送り」を欠かすことはなかった。
一方、しつけに厳しい彼女は、時には付け根までしかない腕で娘を殴ったこともある。
「だるま娘」を引退した彼女は講演を依頼されることが多くなった。

講演ではこう話した。
「わたしには手足がないのではなく、なんでもできる付け根までの手足があります」
見事なプラス思考である。

来日したヘレンケラー女史に会った時、女史はこう言った。
「わたしよりも不幸で、偉大な人!」


いかがでした。〈うわさのMBA〉

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国政大乱
後ろから袈裟切り殺法

2/12日「郵政民営化を進める会」という数年前の幽霊のような会合が、自民党の中で開催された。

その内容を夕刻のメディアが待ってましたとばかり一斉に面白おかしく取り上げた。

息子に選挙地盤を譲り政界引退を宣言した、いわば“死んだ筈だよ、お富さん”の小泉純一郎氏が奇声を上げた。徹底した現総理大臣の麻生太郎批判だ。

数ヶ月前、阿部・福田両氏の短命放り投げ政権の後の自民党再生の期待をかけて選出した麻生総理大臣だ。それは誰が選んだわけではない。勿論、国民が選んだわけではない。小泉氏をはじめとする自民党議員たちの政権執着の究極の選択だった筈である。

ましてや、小泉氏は元総理大臣である。気の合う有志を集めて、現職総理大臣を公然と批判する品格の無さは、彼流の言い方をすれば“あきれる前に嘆く気にもならない”。

迷走する麻生首相を擁護する気はさらさら無いが、元首相としての言動に問題がある。

現首相のやり方に不満・批判があるのであれば、先輩首相として一対一の面談・議論を重ねることが、頂点を極めた政治家としてのあり方だと思う。

その結果として自論説得がかなわなければ、公けに問うという手順を踏むのが、良識ある政治を目指す賢人のかたちである。

2/12日の会合での発言は、気に入らないから後ろから袈裟懸けに切り下ろす、卑怯極まりない批判(殺法)である。

メディアは評論家と称する人間を集めて、あーでもない、こーでもないと論評しているが、小泉元総理大臣の現総理大臣の命運を抉るような批判は、麻生政権の葬送曲になりかねない。

自民党という破れ傘はついに骨まで腐ってきた。

国民参加の“国民のための政治”が実現させるときが、目前に迫っている。


〈うわさのMBA〉

経済対策
アーバン・ニューディール

1929年のブラックマンディを上回るリーマンショックに端を発した世界金融大恐慌に世界中が経済危機に見舞われている。各国は経済対策にテンヤワンヤだ。特筆されるのは、世界最大のCO2排出国の米国のオバマ新大統領が提唱するグリーン・ニューディールである。石油依存をグリーンエネルギー化しようとする試みだ。

反面、日本は8割が必要と思っていないのに、国民全員に一人1.2万円バラ撒こうとする。経済対策は金をばら撒けば良いと言うものではない。

少子高齢化と人口減少により国力が衰える前に、この国がやるべきことはある。今の日本がなすべきことは何か?福祉は大前提だが、日本の突破口がどこにあるのかを考えるとき、「都市再生」というキーワードか浮かぶ。これは日本が一番サボってきた分野の一つだ。ヨーロッパ各国の都市に比較して、比肩できる都市は京都ぐらいだ。

日本でも戦国時代には、工夫を凝らした街づくりが行われた。織田信長・豊臣秀吉にしても徳川家康にしても一国を築くときに防衛や防災の知恵を絞り、経済・民生面も考慮しながら、ゼロから城下町をレイアウトした。

しかし大風呂敷といわれた後藤新平以後、戦後60年、大都市は闇市以来の自然発生的な流れのまま形づくられてきて、政治家は都市づくりに手をつけてこなかった。豊かになっても、日本には世界に誇る街並みというものがない。なぜか?目先のことにとらわれ、日本の将来を考えるリーダーがいないことが、最大の原因だ。さらに日本人の性格で、街づくりのような個を超えた大事業に夢を持とうとしなかった。

今、経済対策の大きな柱として安全・安心という国民の住環境に公金を振り向けて、21世紀に世界に誇れる都市を創っていくことが必要だ。都市環境の豊かさは文明国の証しだ。世界第2位の経済大国でありながら、日本では都市機能の充実が政治の中心から外されてきた。行政も住人も、自分たちがどれだけ危ない地盤や建物の中で暮らしているかを忘れている。

近未来に向けた都市再生をやろうとすれば、アメリカのように世界中から借金せずに、中国のように農民から土地をだましとらなくても、日本は原資とニーズが国内に十分ある。唯一、足りないのは決意とビジョンだけだ。

都市再生の事業は経済の多面的な分野に大きな影響を及ぼす。

災いを転じる経済対策として、子々孫々から敬意と感謝をされる「アーバン・ルネサンス・インジャパン」に取り組む最大のチャンスが訪れている。

〈うわさのMBA〉



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