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岩手県盛岡から発信、ローカルな足場からグローバルな普遍性を論じる
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市民ジャーナルは、ローカルな現場の当事者の視点からグローバルな普遍性を論じようとするものです。皆さんの投稿をお待ちしています。 sj17417@yahoo.co.jp
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行政は誰のためにあるか?
行政の主役は住民

日経ビジネス8月18日号の巻頭「有訓無訓」に、慶応義塾大学教授(前鳥取県知事)の片山善博氏のインタビュー記事が掲載されています。

片山氏が鳥取県知事の時に、鳥取県西部地震がありました。

過疎地の山間部で家屋を失った高齢者がたくさん出た。被災者は高齢で家を建て直すローンは組めない。氏は国に掛け合い、住宅再建策の支援を依頼しました。しかし、国は道路や橋は直しても個人の家の再建には税金を投入できないと譲らない。

住宅を再建できなければ道路や橋をいくら直しても意味がない。国に頼らないで自分たちの県で再建支援することにしました。

しかし、国はそんな支援を「やらないでくれ」と言いました。なぜか。阪神・淡路大震災の時も認めなかったからだと言ったそうです。

片山氏は総括します。
その時の国の役人にとって大事なのは「国民の生活ではなく、自分たちの立場なんです」「使命を間違えている」「誰のために仕事をしているかと突き詰めると、自分たちのために仕事をしている」

さらに片山氏は、日本の行政について語っています。
(役人の内向きの組織防衛の行政が)日本を息苦しく、住みにくい社会にしている」「日本はこれまで中央集権型国家統治のツールとして地方自治を位置付けてきた」
このことは片山氏が元自治省の役人だっただけに、妙に説得力があります。


中川秀直_

上記の本は、元自民党幹事長だった「中川秀直」氏が書いた役人改革論です。氏はもと新聞記者だっただけに鋭い観察をしています。文中役人のことをステルス集合体と表現していますが、正にその通りだと感じました。組織防衛にうつつを抜かし、国民不在の行政がまかり通っているのです。先の国会で成立した「公務員改革法」も役人スタッフによる骨抜き工作が始まっているそうです。

住民が自分たちの便宜を満たすために、自分たちでイニシアテイブをとるのが分権自立型の地方自治です。上からではなく、下からボトムアップで草の根で住民達がコントロールする。こうした発想転換が日本の活性化に必要です。

さらにマネジメントの視点から見ると重要な指摘をしています。政治家も、地方の企業経営者も、世襲制が非常に多い。自分の頭で顧客は誰か、顧客をどう創造するか、考えなくなって、前例主義の内向きの目的で仕事をする。行政も、企業も、顧客を創造するマネジメントが社会を活性化します。

ドラッカーは言っています。
「現代は近代の中央集権国家ができる以前の中世の多元社会になりつつある。中央集権国家が進歩であり大義とされた。全体主義・共産主義は最後のあがきだった」と明治時代に進歩の証だった西欧から導入した中央集権国家の行政の仕組みも、本家本元の欧米でも崩壊しかけています。

心豊かな国民という「満足する顧客」をつくるマネジメントのミッションを行政が担うのは可能でしょうか?。片山氏の話を聞くと、官僚組織が硬直しすぎています。草の根の住民が自律して行政に頼らないマネジメントの場を設計せざるを得ないでしょうか?。


〈うわさの技術士〉
 


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楽しくないオリンピック
北京オリンピックがやっと終わった。
やっとという意味は、見ていて疲れるオリンピックだったということだ。
オリンピックは元々そうではあったが、ロサンゼルス大会あたりから回を重ねる毎に、“スポーツ大会”から“スポーツ興行イベント”へと急激に変化してきた。
“アマチュアの祭典”などという言葉はいつの間にか消え失せ、選手も主催者もテレビ局もシューズメーカーも関係者全員が、一発当てようという“商業イベント”というという認識で一致団結しているように感じた。

さて、野球が金メダル以外は要らないと豪語しながら、銅メダルも取れない結果に終わった。しかもその内容は、韓国、キューバ、アメリカに対しては4戦全敗という惨憺たる結果である。
しかし、元々野球という競技は、強い者が必ず勝つという競技ではない。プロ野球を見ても優勝チームでも勝率は6割前後である。そういう競技では、そのときの選手の調子、極端に言うとピッチャー一人の調子の善し悪しで勝負が左右される。こういう競技では、「絶対」は無いのだから、オリンピックのような短期決戦ではなおさら勝つも負けるもあり得る。いくら日本が強かったとしても、こういう結果はあり得る話である。
では何が問題なのか。それは見ていて楽しく無いのだ。
監督やコーチがマスコミを前にして「絶対金メダル」と豪語して選手にプレッシャーをかける。互いに力を出し合いスポーツを楽しむという感覚のかけらも感じられないからだ。選手はプレッシャーを背負って重苦しく、プレッシャーをかけた監督も自らのプレッシャーを消化しきれず、ゆとりのない采配を執り、ロボットゲームを見ているようなつまらない、楽しくない試合を見せつけられてしまった。
本来、たかが“世界運動会”なのだから、それぞれが全力を出し切れればそれで良いと思うのだが、国威発揚などという胡散臭い言葉や、お金が絡むからそれだけでは済まされなくなる。
競技団体のお偉いさんやマスコミの「国威発揚」などと言う世迷い言に煽られて、社会全体がやすやすと乗せられてしまうところも問題がある。

話を野球に戻すと、日本の選手は“ボランティア”で、韓国やキューバは“プロ”なのだから勝てっこないのだ。すなわち、韓国やキューバの選手にとってオリンピックは人生を賭けた仕事場なのだ。韓国では勝てば2年間の兵役免除、キューバでは生活が保障されるだけの見返りが得られる、一生を左右する大仕事なのだ 。これに対して、日本のプロ野球選手にとっては、たとえ金メダルと獲得したとしても年俸が上がるわけでもなく、一瞬の拍手を受けるだけでそぐに忘れ去られるだけ。ボランティアでお祭りに参加しているようなものなのだ 。甲子園大会の地区予選以下の意味しかないのである。肩が抜けるまで投げるとか、怪我を恐れず 果敢なスライディングやダイビングキャッチを試みる価値は無いのだ。唯一金メダルがその人生を左右する人間は監督だけである。だから監督は、目立ちすぎるほど目立って檄を飛ばすのだが、選手とは同床異夢なのだ。日本チームを「星野ジャパン」などと監督の名前で呼ぶのを耳にするのは実に不快であるが、無意識のうちにこのことを的確に言い表している。アメリカが大リーガーを派遣しないのは正解で、このことをしっかり認識しているからなのだろう。
このことはサッカーにも当てはまる。

いずれにしろ、出場する選手の人生を賭けた一発勝負の舞台に、野球やサッカーなどのすでに安定した地位を得ているプロの選手はふさわしくないし、国威発揚などと世迷い言を並べて税金で選手強化などをするのも我が国では必要の無いことだ。

オリンピックを見るとすれば、選手個人が人生を賭けた一発勝負を、競馬やプロボクシングのような感覚で観戦するのが正解なのだろう。
<はやて>
大野病院医療過誤裁判判決を受けて
大野病院事件で無罪判決をうけて、日本産科婦人科学会医療問題ワーキンググループ委員長が、「たとえ患者への説明が不十分だったとしても、医師に刑事罰を与えることにはつながらない。医療を知らない警察が最初に捜査を行ったことが問題。まず、専門家が第三者機関を設けて調査すべきだ」と述べたと報道されている。
私はこの発言は、専門家組織というものの本質を知らないか、あるいは認識しながらも、組織人としてこういう発言しか出来ないところの、日本社会の未熟さ、欠陥を痛切に感じる。
学会などのいわゆる専門家集団というものは、基本的に組織を構成する構成員のためにある。組織は常に外部に対しては組織内部の人間を守ように作用し、中立公正な立場に立つことはない。もしも、専門家と言われる者が、その専門家集団内部の人間を批判すると、それは組織批判と受け取られ、組織内で村八分を受けることになるからだ。
専門家といわれるものほど、生活基盤は狭い範囲で成り立っており、その中で村八分的な扱いを受けることは、大きな不利益を被ることになるため、村の論理からはみ出すことはきわめて難しい。
すなわち、この産婦人科学会の理事の言うように、専門家の第三者機関を設けても、そこで公正中立な調査を行うことが出来る可能性はきわめて小さいと私は思う。
私は医学界ではないが、専門家といわれる職業に身を置いているから実感として常々感じているところである。
そうかといって、専門外の人間に専門分野の物事に正しい判断を下せるかと言えば、それもまた難しい問題である。
ではどうすればいいのだろうか。
それは、専門分野においても多様な組織が必要だということだ。もしも一つの医学界に反旗を翻して内部批判を行って村八分にあっても、もう一つの別の医学界で医師としてやっていけるのであれば、堂々と賛否を論じることが出来るだろう。
現在の我が国の専門家組織は、一党独裁の政治組織のようなものあり、独裁政治は必ず腐敗することは歴史が照明している 。
医学界のみならず、社会がもう少し成熟し多様性を認めていかなければ、この問題の本質的解決策は見いだせないと私は思う。
<はやて>



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