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岩手県盛岡から発信、ローカルな足場からグローバルな普遍性を論じる
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ブログ新聞 『市民ジャーナル』
市民ジャーナルは、ローカルな現場の当事者の視点からグローバルな普遍性を論じようとするものです。皆さんの投稿をお待ちしています。 sj17417@yahoo.co.jp
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都市計画のパラダイムシフト
これからの都市計画

 わが国都市計画法制の源流である「東京市区改正条例」(1888年)は、3つの特徴を以降の都市計画ヘビルトインしました。すなわち、対象論としては「既成,市街地における後追いインフラ建設」、方法論としては「全体プラン無しの個別事業等の決定」、体制論としては「中央集権・官僚主導型|の都市計画です。

 同条例をうけて、市街地の総体的コントロールを目ざした「1919年都市計画法」は当時.世界的にみても先進的な都市計画制度でした。しかし同法は、その後「震災復興→戦時体制→戦後復興→高度成長」という史的展開の中で「官によるインフラ事業」という基本的性格のまま「化石化」してゆきました。この点は、ほぼ同時に出発したアメリカの都市計画が、自治体の公共事業・土地利用・空問構造を切り口とする社会的コントロール・調整の政策技術へと大きく進化していったのと対照的です。
 
 戦後の高度成長期には、急激な財政膨脹の下で「都市計画事業が都市を破壊する」という事態となり、再び市街地の総体的コントロールを目ざして「1968年都市計画法」が制定されました。

 他方,戦後の自治体民主化の中から「まちづくり」が生まれました。1960年代の高度成長期には、再開発、公害反対、区画整理反対、歴史環境保存、地域住民要求などの各種の市民住民運動が全国各地で展開されました。譬喩(ひゆ)的にいえば1968年法とまちづくりとは、共に高度成長が生んだ双子の兄弟なのですが、一方は国会議事堂の赤絨毯の上で生まれ、他方は権力に後押しされない市民パワーとして生まれたのです。

 そして今このまちづくりが、市区改正以来の伝統的都市計画パラダイムへ挑戦を続けているのです。すなわち「インフラ建設から住環境整備ヘ」「個別具体の都市計画からトータル・ビジョンヘ」「集権・官中心型から分権参加型へ」等の要求なのです。

 これを敢えて、一点に集約すれば都市計画における「公(public)」の位置づけにあると思われます。つまり「公=中央政府官僚」から「公=自治体+市民社会(住民・市民・NPO等)」の都市計画へと、如何にして進化させてゆくか、という点です。

 分権の制度論のポイントは「都市計画制度の全体構造の分権化」と、「その制度内での技術・手続きの分権化」を明確に区別すべき点です。多くの既往提案は前者のみに絞られているようですが、全体構造の分権なしに真の「都市計画の分権」が可能か、が問われるべきです。

 「公としての市民社会」の重要なプレイヤーは、都市計画ブロフェッション、つまり職城を超えて職能を同一とし、都市計画技術を実質的に担う専門家集団です。日本は、確立したブロフェッション無しに都市計画を行っている世界でも特異な国なのです。これが可能なのは、都市計画が政策技術よりは工学技術」「技術よりは行政事務」の方向へと退化しているからではないでしょうか。

 このような状況の下、新鮮な観点から都市計画制度を構想し、次の百年に耐える都市計画の制度設計を研究・実践することが今,求められている社会的要請ではないでしょうか。


<都市プランナー>


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テーマ:政治・経済・時事問題 - ジャンル:政治・経済

世界経済
人類の生存基盤をマネーゲームにするな

 人類の生存基盤をマネーゲームの場にしてはなりません。
 
 1987年ブラックマンデー、97年アジア通貨危機、2007年米国の信用力の低い個人向け住宅融資(サブプライムローン)問題。10年周期で世界を襲った金融危機の背景には、金融工学の異常な学問の進化がありました。

 金融工学はブラックマンデー時にプログラム取引、アジア通貨危機には為替モデル、サブプライムでは証券化商品としてその負の部分をあらわにしました。特にこの10年、ブラック・ショールズ式で二人の学者がノーベル経済学賞を受賞して以降の発展は目覚ましく、サブプライムでは確率式を駆使し二次、三次、四次の証券化商品とマーケットが開発されました。

 しかし出来上がったのは微分できても積分出来ない、いびつな世界でした。世界の金融機関夫々が自らの損失を計算(微分)出来ても、世界全体で一体どれだけの損失があるのか計算(積分)出来ないのです。

 マネーゲームの場を失い狼狽した余剰マネーは原油、穀物などの実物経済になだれ込んでいます。原油価格は史上最高値圈にとどまり、発展途上国は深刻な食糧不足やインフレに襲われています。ヘッジファンドなどは商品相場を算式に置き換え、利益を上げようとしています。

 この状況は異常です。金融は実物経済の成長を支えるためにあり、金融工学も信用創造のリスクをヘッジして実物経済を壊さないための技術でした。いま世界の金融界に必要なのは、工学ではなく、哲学なのです。

 金融技術もマネーゲーム(ギャンブル)も確率を土台にする点では同じですが、ギャンブルはその参加者に勝敗が下るだけで、参加しない一般の人々の生括とは隔絶されていました。マネーゲームも参加者の淘汰を生むだけならまだ増しだが、生活や物価に直結する商品相場を限度を超えてつり上げ、実物経済に多大な影響を与えることは許されません。

 実物経済成長の基本は貨幣単位で原価を低減し、社会を豊かにする技術やサービスを競う地道な価値創造にあるのです。金融や金融工学はそれを妨げるのではなく、後押しすることが、ミッションにならなければなりません。

 サブプライム危機も今の混乱が収まれば、徐々に記憶が薄れゆくと思います。しかし余剰マネーはさらに膨張し、金融技術も進化すると思います。
 経済はギャンブルではありません。金が一部のところに集中すると、経済は成り立たなくなります。経済活動の基盤である人類社会が疲弊するからです。
 
 何やら、現在の経済問題は環境問題に共通しています。人類の生存の大前提である生活環境を破壊しても、経済発展が大事だという一部の政治家や企業者のうんちくに似ていませんか。問題の本質は明らかなのに、洞爺湖サミットでも各国の思惑の中で、効果的な対策案は出ませんでした。

 これからの10年、人類の生存基盤である実物経済をターゲットにしたマネーゲーム(ギャンブル)が繰り返されれば、今度こそ本当に世界経済は崩壊しかねません。


<うわさのMBA>




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