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岩手県盛岡から発信、ローカルな足場からグローバルな普遍性を論じる
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市民ジャーナルは、ローカルな現場の当事者の視点からグローバルな普遍性を論じようとするものです。皆さんの投稿をお待ちしています。 sj17417@yahoo.co.jp
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道路特定財源のもう一つの議論?高速道路無料化論に賛成する?
道路特定財源暫定税率に関する議論が国会で始まったが、与党と地方首長の「暫定税率・特定財源死守」と、民主党の「暫定税率廃止・一般財源化」の両者がぶつかり合って、議論が全く進まない。
与党の暫定税率延長論は、50年来のこれまでと同じやり方を続けるということで、世界のパラダイムシフトに取り残されつつある現在のわが国の情況を立て直す期待感が全く湧いてこない。日露戦争の成功体験に埋没して、第2次大戦を敗戦に導いた旧日本軍の「失敗の本質」を想起させる。失敗の本質

対する民主党の暫定税率廃止論は、最近の澱んだ流れに一石投じようという意図は感じられるが、これとてもその先をどうするのかという展望が見えない。

さて、この両論以外には無いのかと目を転じると、山崎養世氏の唱える「高速道路無料化論」が密かに脚光を浴びつつある。5年前の2003年に出版した「日本列島快走論」(高速道路を無料にして日本再生へ)の中で、道路公団の借金返済への道路財源の活用と、高速道路の無料化による日本再生の道筋が述べられている。
昨年出版された「米中経済同盟を知らない日本人」のなかでも、快走論
米中

「最大の問題は、道路の大動脈である高速道路のコストが高いことです。このため、他の血管である一般道路ばかりを使い、道路ネットワークが使われません。大都市はドロドロ、過疎地はスカスカです。
大動脈である高速道路の通行料を無料にすれば、道路ネットワーク全体が使われるようになります。
それが、国土交通のアクセス全体を向上させます。」

と述べている。
論点は資産の有効活用である。高速道路を社会の資産と考えると、現在の運用効率はきわめて悪い。利用料金が高いため、一般の車両は長距離以外では高速道路を使わないし、長距離トラックでさえも一般道路に回って、まち中に排気ガスを撒き散らしながら渋滞を作り出している。
資産はじっと抱えているだけでは利益は産まない。フルに活用してこそ利益を生み出すのだ。
グローバル化が進む時代に、国内の内輪で金をやりとりして非効率を囲っているようでは世界から取り残されてしまう。国内の身内からお金を毟り取るより、国内の血液の流れをスムーズにさせて、世界との戦いに挑まなければならないのだ。
インターネット現代は、グーグルのように「無料」が大きな利益を生み出す時代なのだ。

自民党の道路族の後にくっついて、道路特定財源死守を唱えている知事や市町村長には、ちょっと立ち止まって、山崎養世氏の論に一度耳を傾けてみてはいかがだろうか。
<ハヤテ>

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知事の軽さ
大阪府の橋下知事が就任早々馬脚をあらわしている。
選挙公約を次々に撤回。更にそれを追及されると“キレ”てしまう。
まったく近頃の出来の悪いガキと変わらない。
選挙公約なんてものは、守られないのが当然の政治の世界を見慣れている目から見ても、就任後僅か数日で次々と公約を撤回していくのは、異常と映る。
しかし、この橋下という人物を見ていると、それが少しも不思議ではない。
元々何か信念があって政治を目指したようには見えない。バラエティー番組に出て有名になってはしゃぐことの延長線上の知事選出馬だったのだろうから。
そして大阪というところも、横山ノックや太田房江に懲りずに、またまたこういう人物を当選させるところを見ていると、大阪らしいと言うか、経済地盤の沈下もむべなるかなと感じさせる。

ところで最近、この橋下知事に限らず、知事の軽さが目立ってきている。
その象徴は、道路特定財源への対応に見られる。
この問題で知事会は特定財源の延長を求める決議をした。
東国原宮崎県知事は「もしこれが一般財源化したなら、ある県では道路に使い、ある県では教育や医療に使うようになり、地域格差が広がる。知事にそれを決めてくれと言われたら大変だ」と言うような趣旨の発言をテレビでしていた。
これはどういうことだろうか。
「自分の所の施策を自分で決めるのは嫌だ。人に決めてもらった方が責任が無いから楽だ。」と言っていることに等しい。
こういう事を堂々とテレビカメラに向かって話すことに、違和感を感じないことに唖然としてしまった。

まあ、知事に限らず、自分の言葉をもたない国土交通大臣や、社会人としての資質を疑われる法務大臣などが棲息しているのだから、さして驚くことも無いのかもしれない。
<はやて>

道路特定財源を通して社会の幸せづくりの本質を議論せよ
ガソリン税等の道路特定財源を巡る国会の議論がいよいよ始まる。
道路特定財源は1953年にできた「道路整備費の財源等に関する臨時措置法」が始まりで、その後1958年に「・・・緊急措置法」、2003年に「・・・特例に関する法律」というように名前を変えながら50年以上も維持されてきた。
暫定税率は、1974年に『2年間の暫定措置』として上乗せ税率が定められたものが、30年間以上もその期間延長を重ねてきたものである。
「臨時」「緊急」「特例」「暫定」が30年も50年も続けられる、日本語の曖昧模糊としたところが、日本の社会や政治を象徴している。

さて、なぜ臨時や暫定がこれほど続けられてしまうのだろうか。それは一旦動き出した制度は、変えない方が当事者にとっては楽であり有利だからだ。決められた制度に乗って利益を享受するシステムがつくられてしまえば、その枠の中にいる者にとっては、そのシステムは利益産み出し続ける“打ち出の小槌”となる。枠の中にいる者の視点は枠の中だけに絞られてしまうから、枠の外まで目を向けて社会全体を考えることなく、その利益誘導的な枠の中の正義を社会の正義と錯覚しながら、声高に外に向かっても叫ぶことになる。
今、道路特定財源の廃止や一般財源化に対し声高に反対を唱えているのが、与党の道路族、国土交通省、地方自治体の首長などという状況を見れば、実にそのことがよく見える。
大体、首長などが集まって「道路促進期成同盟会決起大会」などが開かれてテレビなどに映されると、いかにもそういう声が世の中に高まっているような錯覚を起こさせるが、あれはほとんど国土交通省が予算を盾にした動員による世論操作である。

さて、それでは国会ではどういう議論が必要なのだろうか。
政府与党や地方の知事や市町村長の主張は「道路ネットワークはまだ未完なので、今後ともこの予算を維持して道路をつくり続けるべきだ」というものだが、このままで行くと100年経っても状況は変わらないだろう。つくった物は維持補修や更新が必要になるからだ。
道路が必要か必要でないかと聞かれれば、必要でないという答えは返ってこない。同じように、公民館も病院も体育館も、無いよりは有った方が良いと答えるのが一般市民の答えである。
しかし、「あなたのお金を今どう使うのが一番良いですか?」と聞かれれば、答えは違ってくる。「医療」「教育」「福祉」「子育て」「環境」「安全」「経済」「文化」等々、答えは分かれるはずである。
例えば国土交通省が唱える「高齢化社会を迎え、病院へのアクセスを良くするために道路をもっと作らなければならない」という主張はいかにももっともなことのように聞こえる。しかし、高齢者を抱える家庭や社会にとっては「アクセス道路」だけではなく、「身近な診療所」や「介護施設」や「介護費用」や「医療費」や「住宅事情」等も必要なもので、何が優先で、何が最も効率的な組み合わせなのかを考えなければならないものなのだ。病院へのアクセス道路だけが立派にできても、病院が廃止されるような状況や医療費負担が増えて病院にかかれないようでは問題は解決しないのだ。

道路特定財源が初めてできた戦後の時代とは異なり、現代社会は様々な事柄が有機的に関係し合って成立している複雑な社会に変化してきている。時代の変化に対応して変わっていかなければ社会は滅びてしまう。税金を使う目的は物を作ることではない。社会の幸せをつくることなのだ。安易に昨日までの惰性に流されることなく、「社会の幸せをつくってゆくためには、何が優先で、何をどのように組み合わせていくことが社会にとって最も有効なのか」という視点に立って議論を重ねることが必要なのではないだろうか。
答えは一つではないかもしれないし、正解が有るかどうかもわからない。
しかし、広く深く議論を重ねることが正解に近づく道ではないだろうか。
我々が選んだ議員による国会の議論を注視し、次の選挙に活かそうではないか。
<疾風>



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