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岩手県盛岡から発信、ローカルな足場からグローバルな普遍性を論じる
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市民ジャーナルは、ローカルな現場の当事者の視点からグローバルな普遍性を論じようとするものです。皆さんの投稿をお待ちしています。 sj17417@yahoo.co.jp
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僕の考える番外編「鳩山アルカイダ発言」
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紅葉の中の我が家。今日は玉葱の苗を植え、霜にやられた花々を抜いて、そろそろ秋じまいを始めた。昨日も書いたが、引き抜いた花々は、枯れて消えていくのではなく、堆肥となり来年再び畑に帰り、野菜のどれかの栄養素として吸収され、それを食べた僕の体内に入ってくる。これぞ、命の輪廻です。この地に来て14年、僕の体の何分の1かは我が家の畑でつくられたようなものである。このあたりの論理展開は、昨日も紹介した『生物と無生物の間』を読んで下さい。ネズミの体の分子は3日で入れ替わるという。
さてさて、茶番だらけの政治にはしばらく口を出さないで静観していようと思っていたのだが、どうもそうもいかない。鳩山法相の「私の友達の友達はアルカイダで、危険だからバリには近づくなと言った」旨の発言は、もう、一国の法相としては常軌を失しており、狂気の沙汰である。まあ、彼がシリアかイランの法相ならいざ知らず(しかし、今の世界情勢の中では、どんなにアルカイダびいきの国家の法相でも口が裂けてもそんな軽率な、幼稚な発言はすまい)。
彼の発言は、一国の法相が「僕の友人の友人は殺人鬼で、今度銀座の4丁目あたりのレストランに人殺しにいくから、そのあたりに近づくな」と伝えてきたと言ったようなもの。彼は、その情報を警視庁や関係者にも隠ぺいし、現実に銀座のとあるレストランは血の海と化した。これはあくまでもたとえ話でアルカイダを殺人鬼というのではありません。
しばらくして、全てのレストランでは、危険防止の為に、全ての客に身分証明書を提示させるという法律を作る段になって、かの法相が「僕の友人の友人の殺人鬼がレストランでの殺戮を伝えていた。普通に見える人間関係でもそんな人がいるのだから、身分証明書の提示は望ましい」と、いけしゃあしゃあと言ってのけたようなもの。
福田さん以下政府は「望ましい発言ではない」程度のコメントだが。鳩山発言は、一国の治安を守る人間として、戦後最大の犯罪的失言である(戦後最大というのは、戦前にどんな失言があったか僕は知らないので)。
この件では、発言の中身も問題だが、こういう発言を平気でやってしまう、それこそ政治的な配慮のなさ、普通レベルの大人としての良識に欠ける事である。
では、何故、彼がこんな軽率な発言をしてしまったのか。何日か前のブログにも書いたが、彼の発言は、この国の今を生きる最近の60代以降の人間たちの、我が我がという、少々なにかを知っているからという、身勝手発言に通じるものである。
彼は、あの場で、あえてアルカイダをださなくても良かったのだが、鳩山の中に「僕の友達の友達にはアルカイダがいるんだぞ、どうだ、すごいだろ」的な、幼稚な自慢げな気持ちがあったのではないだろうか。
そんな、幼稚な、社会や世界が見えていない、少しの配慮もできない男に、この国の法相は任せられない。即刻、首である。
今、テロ特措法や防衛省守屋問題が出たばかりに、この鳩山発言は「もう自民党政治は、とりあえず終止符を打ちなさい」という天の声ではないか。きっと、尋常な政治家ならそんな軽率な発言はしないだろうから、きっと天が鳩山に言わせたのだろう。そうとでも考えなければこの国の政治家はあまりにも愚かである。
アメリカも既に、「石油は自前で何とかしよう」日本の頭越しに「北朝鮮のテロ支援国家指定解除のシナリヲがある」旨の発言をし始めた。もう、日本という国の政治は、このままでは世界的に相手にしてもらえないだろう。僕が他国の政治家でも、この国の政治家とまともには話ができない。
福田さん、すぐに鳩山さんを首にしないとあんたの首が危ないよ。丸山暁〈56歳・人間〉

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森羅万象万物流転
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朝日の輝く我が家の畑です。まるで、畑かお花畑か分からないでしょうが、マリーゴールドに囲まれているのは白菜です。彼らは、いま、輝いているが、もうすぐ冬を迎えると、畑から消えていく。
マリーゴールドは、もうすぐ霜にあたり、くたってきたら、引っこ抜いて切り刻んで、堆肥として、また来年畑に戻る。
白菜は、霜に何回かあてて甘さ増したころ収穫して、我が家自慢の室(半地下の収納庫)に収め、来春まで食卓を賑わしてくれる。彼らは、僕の体に入る。
昔(数十年前、僕の子供の頃)なら、その後も、本当は下肥として、肥料として縦貫していたのだが、今はわざわざお金を払い収集してもらう。おかしなことだ。

この写真にある、マリーゴールドは花であり、白菜は野菜であり、方や観賞用、方や食料のようであるが、実は、生命、人間の僕にとっても、両方とも食料のようなものである。今は花開いているマリーゴールドはいずれ堆肥となり、土を肥やし野菜を育て、僕の体内の入ってくる。もちろん白菜も。実は、マリーゴールドだけでなく、雑草として刈り取った堆肥の、畑の中で生まれ新でいったミミズもオケラも、たまに訪れる狸の糞も、木枯らしに飛ばされてきた葉っぱも、僕の畑にあるものは全て、土も砂も、僕の畑の全ての野菜たちを育て、育てるということは野菜を構成する成分(栄養素)となって、僕の体内に入ってくる。これはすごいことです。僕の畑を構成しているもの物質、それを構成している分子は全て僕の体に栄養素として入ってくるのです。

もしろん、空から降ってくる雨も雪もH2Oとして土にしみこんで、植物の体内で分解して何かと結合して、僕の体をつくってくれるのです。
これは、すごいことです。要は、僕の体には、この世にある物質全てのものがいつかは体内に入ってくる、入るというより、僕の一部となっているのです。命とは、不思議なもの。やっぱり、一人一人の命は、宇宙そのものなのです。

今、ベストセラーの『生物と無生物の間』(福岡伸一)はそんな雄大なロマンを思い起こす本です。

新聞に世界最長の生物が発見されたという。それはアイスランド沖で見つかった大きさ8cm程度の2枚貝で、505歳から510歳だという。その貝は、海賊フランシスドレークが乗っていた船の破片や、ばら戦争で死んだ兵士たちの肉体を、体内に持っていたかもしれない。
この貝の遺伝子を人間に組み込めば、200年ぐらい生きられるのかもしれないが、そのうち、そんな研究も人間はやってしまうのか。ただ、クローン羊のドリーもまともな羊にはなれなかったようで、あまり、人間が命の操作に手を出さない方が言いと思うのだが。

僕たちの寿命はせいぜい90年(希望的観測だが、子供の頃は120歳まで行きたいと思っていたが)、僕などあと30年少々の人生です。それを短いと見るか長いと見るか、行き方にもよろうが、ただ、今この一瞬の僕の体内に宇宙が宿っていると考えれば、いつ消えてもいい命。僕は宇宙へ帰っていくのだ。そして、何処かにまた宿るのだ。
だから、もっとたくさんの宇宙をこの体に取り込みたいという欲望も。誰が言っていたのだったか、ガリレオだったか、万物は流転すると。これは、たんなる天体現象ではなく、命にもいえることのようだ。それが輪廻ということか、昔の人は偉かった。
どんなに科学が発達したかに見えても、人間を構成しているのは、この宇宙である。それが神である。丸山暁〈56歳・人間〉


宇宙のチリたる僕なれど
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特に意味はなく、今は秋。
今日は週末なので、上サンが我が家のビデオをDVDにダビングしてくれるのを、ボーット見ていたのだが、その中に、10年ぐらい前、地元TVの朝まで4時間討論番組に出たものがあった。テーマは「このままではどうなる日本」という、政治討論番組だが、そこで議論していることは、政治と金、官僚腐敗、行財政改革、選挙制度などで、今問題になって         いる政治状況と全く同じテーマだった。
そこには、自民党、新進党(現民主党)の国会議員、社民、共産の県議クラスの政治家が出ていたが、特に自民党の前農水大臣玉沢徳一郎が「政治改革、財政改革、今すぐやります」といっていた。さてさて、あんたはあれから10年、今になって、政治資金管理で、同じ領収書を4重コピーして、自民党すら逃げ出してしまった。さてさて、政治家とは情けなき生き物なり。
実は、今日は、話題の新聞、TVのニュース、亀田兄弟、厚生省の悪魔的無関心体質、守屋元事務次官のたかり人生、比内地鶏、赤福、イラク、給油・・・はもう書く気がなかったので、新聞の片隅に出ていた、ニュートリノの重力を確認する実験が、ジュネーブで打ち込んだニュートリノをイタリアで受けるという、壮大な、超超微小な実験をやるとでていたので、そのことを書こうと思っていたのだが、もう一杯引っかけたので今日は辞めにする。
ニュートリノは針の先よりも小さな、宇宙の元=存在が一瞬にして爆発した3秒後ぐらい(今の宇宙とほぼ同じ状況)のときに発生した何がし、物質らしいが、それが何だかまだ分かってなく、それが分かったら、少し宇宙のことが見えてくるというのだが、きっと、それが分かってもニュートリノより小さなものがあるから、きっと永遠に宇宙はわからず、ということは人間もわからず。
ただ、人間は、何処から来て何処に行くのか、僕は・・・・、そんなことを考えれば、なるべく清らかに流れて消滅したいものだ。そして、宇宙のチリとなる。〈田舎人〉

今年の紅葉はまっかっか
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いまさら温暖化の証に気づいてみても仕方のないことだが、今年の紅葉はやたらに赤い。真夏がいつも以上に暑かったからではないだろうか。例年、夏が暑いと、紅葉は鮮やかだと言うが、それは赤や黄やオレンジが混ざってのことで、今年は、やたらまっかっかである。それと、裏庭のフランボワーズ(野いちご)の赤い実がまた実った。この間、アサツキ(ノビル)がまた出てきたと書いたが、既に北国には来年の春が来てしまった。

地球的規模では、温暖化は危機的状況だが、北国は、案外しばらくは暮らしやすくなるのかもしれない。海面が1m上昇し東京23区の半分が水没(これは土木工学的に見ても現実的である)しようと、ここは海抜200mはある。温暖化が少々進行しようが、あと20?30年はなんとか、そんな人間が地上で生きていけないほどの変動もないかもしれないから、東京からここに越してきたのは大正解かもしれない。
さて、東京在住の方々、特に田舎から出てきた多くの方々は、そろそろ、田舎に帰る準備を真面目にした方がいいですよ。関東大震災が来て、600万人の避難民の1人になるという可能性だって、そうとう現実味を帯びてきたのだし、帰京の機会を伸ばせば伸ばすほど、あなたの悲劇は高まっているのですよ。

僕は、以前から予知能力があった。それは、社会の未来を読む力があると自負している。もちろん、それは、オカルト的な予知ではなく、自然科学の本を読むのがけっこう好きだったことと、社会の動きを肌で感じてのことだが。これは予知能力というより、臆病ということかもしれないが。

それと、動物的感、6センスを感じることもけっこうあった。それは、学生時代恋をして、彼女といつも繋がっていたいがため、お互いの運命的な絆を確かめたくて、「夜の12時丁度に、トランプのカードをお互い思い浮かべよう、そのお互いのカードが一致することが多くなれば、絆も深まる」と、数週間それを続けたことがある。その結果は、やっぱり、深く念じると、カードがあたる確立が高まったのである。
それと、東京は地震が多い、広島から出てきたときなど、地震の多さにとんでもないところに来たと思ったものだ。その内少々の地震には慣れてしまったが。
動物には、地震予知能力があるという。ある時、パンダは地震の前は寝なくなる、というニュースを聞いてから、僕は、夜眠れなかった日は、会社に行ってすぐに「今日は地震がある」と宣言すると、けっこう地震があった。そんな、こんなで、僕には常人にない6センスがあると信じている。
また僕は、UFOを2回見ているし(赤羽上空と銀座上空)、高層ビルで会議中に、窓の外を羽ばたく大きな火の鳥も見ている。これでは、6センスではなく、たんなるアホかもしれませんね。

ただ、人間の予知能力やいわゆる6センスは、あながち否定も出来ないようである。科学的な真面目な本を出版していた(今は残念ながら真面目すぎて潰れてしまった)蒼樹書房
が出した本で『偶然の本質』(A・ケストラー著)という本があった。その本は真面目に、ノーベル賞科学者たちの超感覚知覚に関する研究を解説していたが、念動や予知能力というのは、実験的にも随分信憑性がありそうである。

さて、またまた、話が広がってきたが、既に温暖化や地震予知は、たんなる非科学的予知や6センスのレベルではなく、間違いなく、僕たちが生きている間に起こる(時期だけが定かではないが確実に起こる)現実なのです。このことを、まだまだ多くの人々は、自分に関係のない世界の現実としてしか見ていないのではないか。
そうでなければ、こんな乱痴気騒ぎの東京であり続けるはずがないのだが。そこで、平穏に暮らす振りをしている人々は、すでに、自己放棄(生きているのに自己放棄とはこれ如何に)してしまっているのだろうか。

炭鉱のカナリアは既に死に絶えたであろうに
丸山暁〈56歳・人間・田舎人〉


我が家にも福田内閣にももう秋の気配
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新聞から話しのネタを拾おうとすると、もういつも通りの「はらふくるる」ことばかりで、何も書く気が起こらない。ここ数年、政治と金、企業、経済界のごまかし、食品衛生問題、偽装、賄賂、子どもの悲劇、などなど、こんなことが、2度と起こしては起こってはならないといいながら、結局数ヶ月に一回ぐらい、長くても1年に一回は同じような事件、事故が起こってしまう。
昨日の朝日新聞の1面は「守屋次官業者とゴルフ」・・全く上さんまで一緒に業者にたかってやるゴルフがそんなに面白いのかね。みっともない。「中越沖地震、原子炉炉心にも被害、制御棒抜けぬ状態」・・・・制御棒が抜けないのでなくて、制御棒が入らなかったらどうするの。もうメルトダウンですか?「公園遊具相次ぐ事故、老朽化点検も不十分」・・・子どもが何人怪我しても死んでも、この国の管理者(行政)はびくともしない。
だから、そんな事件に目くじら立てても、会社の名前や政治家や官僚の名前が代わっただけで、同じような論評を繰り返すだけで、むなしい限りです。
まあ、これ全て、戦後自民党の55年体制とは言わないけれど、やっぱり、福田首相のごまかし政治では、この国は沈没しますよ。何だか、彼のメルマガニ「もう疲れた」と書いてあったとか、もう疲れたのはアンタじゃなくてこっちだよ。疲れたなら早く辞めろ。我が家の畑も秋の気配、世の中これでは、もう冬眠するか。我が家の栗林にもリスがやってきたようだ。いくつかかじった後があり、きっと幾つも冬の蓄えに持っていったことだろう。たんと持っておいき。
朝ご飯の時TVでペシャワルの会の中村哲医師がカンボジアの現状と彼の民生的支援活動を紹介し、今のアメリカ連合国のテロとの戦い、日本の海上石油支援を批判していた。彼の言葉にはリアリティーがあるのだが、彼に同情、政府、アメリカを擁護するコメンテーター(学者、評論家、政治家)のなんと軽薄で空虚なことか。
中村哲氏の言葉に耳を傾けられない政府には、テロとの戦いを語る資格はないだろう。〈田舎人〉

むなしいこの国の農業政策
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最近雑穀をつくる農家が少しずつだが増えてきた。以前は、ほとんど田んぼだったものが減反で、転作作物として、雑穀をつくるようになった。この写真のとんがり帽子は多分キビの柄だろう。

日本の農作物の自給率が40%を切ったという。これは無策(政府が何もしない)の状況ではなく、それなりに自給率を上げましょうと掛け声をかけたり、なんらかの背策はとっているのだが、このざまである。それでも政府は「自給率を上げることは急務」と掛け声だけは、かけている。
ただ、昨日の国会でもやりとりを聞いていても「農業も自由化に向かい、かつ、自給率をあげる」などとのたまっている。そんな手品のようなことが出来るなら、お手並み拝見したいのだが、手品とてネタがありインチキなこと。

政府の政策は、とにかく大規模農業で輸入作物に対抗する、などといっているが、現実に大規模化をしてきた農家は、現在存続すら危ぶまれる状態にある。日本で最も大規模化が進んでいる八郎潟の農家の米60kの実利益が650円だという。我々が家庭で買う10kの米の儲けが百円程度である。こんなことでやっていけるはずがない。
自由化した途端、この国の農業は崩壊する。そんな簡単なことが役人や政治家には分かっていない。

日本の農業を救うのは大規化と言いながら、日本農業の40%を支えているのは、冒頭の写真にあるような、僕が暮らす村のような、大規模化が不可能な農業地帯である。僕の暮らす村とて、あと10年農業が続くとは考えにくい。多分、あと4?5年がいいところだろう。さて、その時日本は、食糧を抑えられ、何処かの属国に成り下がっているのだろうか。それはアメリカか、ひょっとしたら中国の2級品をあてがわれて、体調不良を起こしているかもしれない。
要するに、現代の農業政策は農業政策といいながら、全く、無策か農業をかえって後退させているのである。
日本の為政者は多分、それを知ってやっているのだろう。自動車や家電が海外で売れて、それに伴うIT関係や大企業だけが繁栄して、農業従事者や農村部、都市部の若年層は、海外(東南アジアや中国)の労働者と対抗するための低賃金労働者に仕立てていく。これが日本のグローバル経済戦略である。

大企業の社員とて、多くは6?700万円程度の年収で四苦八苦しているのが現状ではないだろうか。それを、企業のビルや都市の虚飾がカモフラージュして、あたかも自分自身が輝いているかのように錯覚している。
竹中平蔵などがいつも言っている日本のグローバル経済政策は、こんなものである。
日本人は、いつまで、そんなおとなしい働き蜂を演じ続けるのだろうか。
ノーベル平和賞に『不都合な真実』のゴアとIPPCが受賞することになった。これは、世界にとって喜ばしいことであると共に、人間にとっての環境破壊の現実を認めたことである。だからといって、世界の環境政策が加速化するかといえば、そんなこともない。ここが問題なのである。
植木等の「わかっちゃいるけど止められない」というのは、日本人のいい加減さかと思いきや、これは世界に通じる、人間の行動形態だったようだ。

これからの文明、思想は、如何に亡んでいくか、ここに掛かっているようだ。地球環境しかり、我が村しかり。
丸山暁〈56歳・人間・田舎人〉

バブル狂乱と小学生のうつ
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天を突き上げるがごとき真っ赤なケイトウの花。こいつ等は、何年か前に種を蒔き、苗を育て、花壇にちゃんと丁寧にお花らしく植えてやったヤツラが、そのときはこじんまりと咲いていたのに、今では、その子孫どもが勝手気ままに咲きたいところで咲いている。中には畑のじゃまになり、ひっこ抜く奴もあるが、大体は好き勝ってにさせておく。そうすると、こんなに屈託なく元気に育つ。

人間は、何故、もっと、自然を見習わないのだろうか。
今朝、みのもんたのアサズバを見ていたら、「中学生1年生の1割がうつ病(北海道大教授報告)」とあった。以前から、子どもたちのうつ病の問題は報告されていたが、データーに基づいた調査は今度が始めてだと言う。中学校の1年生が「うつ」ということは、小学校のときに既に精神的にダメージを積み重ねてきているのだろう。もしくは、ダメージに抵抗できる精神構造を培えなかったのだろう。

いずれにしても、小学校、中学校共に、本来最も子どもらしく社会生活を楽しみながら学べる時期が、子どもたちにとって、最も希望のない抑圧された時期だとすれば、これは、子どもにとっては勿論であるが、社会としても危機的状況にある。
最近、20年ほど前のような学校での暴力事件は減ってきたようだが、ここに来て陰湿ないじめが増えてきているようだ。
また、携帯の普及で、オープンな人間的な実態のある接触(会話や身体的触れ合い)ではなく、携帯と言う情報端末機に伝達される情報をも意識しながら(怯えながら)暮らさなければならない。
このことは、様々な場で、子供社会の2重構造(表向きと携帯社会の使い分け)として報告されている。子どもたちは、現実とバーチャル(携帯は既にバーチャルではなく、もう一つの現実として作用している)の2重の抑圧を受けている。

彼等が、まともな感性をもち続けようとしたら、現実逃避か、自己崩壊しかない。

今年のクリスマスや年末年始のホテルの予約は、バブル期を越えた盛況ぶりという。1泊30万円?130万円の部屋が既に予約で埋まったとか。経済的な勝者は浮かれ、最も、この国の大切な宝物である子どもたちは、抑圧されていく。とんでもない世の中になったものだ。
今の日本で最も下品に目立っている一人、神田うのが結婚をしたとか、豪華な結婚式を上げたとか。今日は、そんなニュースがお茶の間を賑わすのだろうが、この国は、そんなことでいいのだろうか。これも、単に経済発展のための宣伝行為なのだろうが。

子どもたちを救えない限り、この国に未来はない。

子どもたちは、冒頭に上げた、ケイトウのように育てるのが一番いいのだが、子どもを教育する教師が抑圧され、大人が大人に成長できず、政治かはちゃらんぽらんで、子どもたちは怯えている。

今『生物と無生物の間』福岡伸一著がベストセラーでという。あまり売れている本は読みたくないのだが、「人間も生物も鉱物も空気もそれを構成している分子は縦貫している」旨のことが書いてあると言う。生命の面白さ、人間は、もっとおおらかにならなければ・・・というところが書いてあるようでぜひ読んでみたい。
丸山暁〈56歳・人間・田舎人〉

巨人・大鵬・卵焼き
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今日は特別何事もなかった一日なので、なんとなく窓辺の風景を載せておきます。特別に何事のなく過ぎ行く一日は、なんとなくつまらない一日にも見えるが、実は最も平和な一日かもしれない。

話し変わって、昭和の高度経済成長の真っ只中、日本人は働き蜂といわれながらも、頑張れば頑張るほど目に見えて生活が豊かになっていった時代、日本人の好きな物として「巨人、大鵬、卵焼き」と言われたことがある。僕が小学校の頃だろうか。
勝ち続ける巨人は成長の象徴、大鵬は強さの象徴、卵焼きはほぼ皆が何かの時に(遠足や運動会など)いつでも食べられるようになった好物と言うことか。卵とて、今のように安くはなく、運動会の時など「精をつけろ」と、一個まるごと飲まされたものだ。 

その反面、国は豊かになり、世界中の贅を尽くしているのに、何だか満たされず、将来に不安を覚え、いつも何かに怯えているような日本。どんなに働いても、生活が楽にならず(本当は昭和の時代よりもっと物は豊かになっているはずなのだが)、何かにせっつかれ、いつまでも満たされず。どこか、昭和のあの時代の日本中にあった充足感が今はない。

さてそういう状況下、日本人の大好物「巨人、大鵬、卵焼き」はどうなってしまったのか。
巨人は5年ぶりにリーグ優勝した。ここ十数年の巨人は、金や太鼓で選手をかき集めても、よたよたして安定感がなく、巨人どころか小人であった。今年優勝したからと言って、来年はどうなるか分からないだろう。
そして、大鵬に象徴された相撲は、外国人横綱に牛耳られていたが、その横綱も何だかすねていなくなり、今度は時津風部屋の新弟子しごき殺人事件がおこり、すもう自体がとんでもないことになっている。
では、最後の頼みの綱卵焼きはどうかというと、かろうじて、巨人や相撲ほど地に落ちてはいないだろうが、少なくとも人気のある食べ物ではなくなったようだ。最近のガキに「何が好き」と聞くと「寿司、ステーキ、焼肉」と生意気なことをほざきおる。少々可愛げがあって、カレーにハンバーグというところである。

こういう状況が正に、今の日本を表象しているのではないだろうか。日本人全体に、安定感がない。個々が、バラバラになり、なにかにせっつかれながら、日々を送っている。何か、包まれるような安心感がない。

さて、そういう今と言う時代は、いい時代なのか、それとも悪い時代なのか。どうも、そこのところは、どちらともいえない。しばらくは、この混沌とした時代が続くだろうが、その先にもし、安定した未来があるとしたら、日本人が総体として「日ハム・イチロー・ハンバーブ」ではなく、一人一人がそれぞれの夢やビジョンをもてる社会であって欲しいのだが。
丸山暁〈56歳・人間・田舎人〉




成熟した民主主義国家日本
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なんだか、久しぶりに穏やかな気候を感じている。今年を振り返るには、まだまだ早いが、今年の気候は大雨、高温、嵐と、温暖化による気候激変を予兆させる天気が多かった。しまし、ここ数日は、まだまだ、自然のサイクルは、そう簡単には壊れませんよ、と言っているように穏やかな秋空が続いている。いつものように赤とんぼが上空を舞い、栗の実も落ちてきた。今、毎朝の仕事は栗拾いです。

福田新内閣になって、日本の政治もこの秋空のように晴れ晴れしてきた。その証拠に、内閣支持率は60%に回復したようだ。めでたしめでたし。ただ、それでも、60%程度の有権者は半年か1年以内に解散総選挙すべきと言うのだから、この支持率は「福田さん、貴方に期待しているわけではないが、せめて、しばらくは政治空白をつくらないで、すこしは国民のこと世界のことを考えてよ」という悲壮感漂う国民の祈りである。

それにしても、日本の政治は民主主義の最高の姿に達したのかもしれない。この間まで「構造改革、民営化、愛国心、憲法改正、格差は景気回復とともに解消される」といっていた自民党政治家たちが、参院選で大敗して福田内閣の国民に甘い所信 表明演説を聞いた途端、今度は「国民の暮らしのため、格差是正」と言い始めた。まさにたった一回の選挙で政治が国民の方を向いてきた。ついこの間まで「沖縄の集団自決に軍は関与していなかった」と教科書からその言葉を削除しておいて、今度は、沖縄で11万人の「教科書検定の撤回集会」があった途端、集団自決に対する軍の関与を再検討するという。小泉、安倍政権下では、ここまで早い対応にはならなかったろう。
これも、参院選挙の大敗で自民党が弱気(国民の声を聞くようになった)になっている証だろう。

要は、政治家なんて、とりあえず自民党の(民主党も政権をとればどうなるかは割らしてみないと分からないが)、票欲しさ、国会議員のバッジほしさに息をしているようなもの、ちょっと選挙で危うくなれば、ころっと考えを変えてしまう人種のようだ。なんと分かりやすい連中だろうか。
まさに、この国の政治は完全に選挙民の手の内にあることが証明された。これは、ちゃかしなしで素晴らしいことである。
この際、次ぎの衆院選挙に向けて、国民が求める政治をたくさん要求しておけば、今なら自民党政治化はなんでも聞いてくれるかもしれない。

政治資金の問題だが、これだけ批判され、身内からぼろが出て自殺する大臣まで出しているのに、自民党は政治資金を全て領収書をつけて公開するのではなく、領収書を管理する第3者委員会のようなものを作るといいだした。
これも、その程度の政治資金規制法改正なら「だれも自民党には投票しませよ」と、みんなで自民党さんに伝えましょう。あわてて、反省をするかもしれないよ。

政治家を育てるも、堕落させるも、国民次第ですね。子どもを見れば親が分かるように、政治家を見れば国民が分かる。
僕の考えるブログと同じです。丸山暁〈56歳・人間・田舎人〉



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