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岩手県盛岡から発信、ローカルな足場からグローバルな普遍性を論じる
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市民ジャーナルは、ローカルな現場の当事者の視点からグローバルな普遍性を論じようとするものです。皆さんの投稿をお待ちしています。 sj17417@yahoo.co.jp
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イモ堀とこれからの日本
hydoranngea.sun.jpg

今朝一番でジャガイモを掘った。小さな種イモを4月頃植えておくと、何もしないでこの時期20倍ぐらいのジャガイモが育つ。自然の恵みとはありがたいことである。今年は豊作、これで来年の3月ぐらいまで持つ。
参議院選挙が終わり、大方の予想通りの結果となった。これでこの国が変わるかと言えば、そんなには変わらないだろう。ただ、政治的不正や金権政治に歯止めがかかれば、まずは、それだけで立派なものである。まだ、民主が政権を取ったわけではないが、民主が目立てば、民主の政治的負の部分を暴くものが出てくる。ちゃんと身辺整理や領収書を揃えておかないとね、民主党の皆さん。彼方たちも自民党と同じ穴のムジナなら、この国はもう終わったも同然。

さて、この国は、何処に行けばいいのだろうか。
僕の考える理想の国は、一個のジャガイモを植えればそれが20倍の実りを与えてくれる。ただし、そのためには、畑を耕し、堆肥をすき込み、種イモを植えて掘るという数時間(トータルで6時間ぐらいだろうか)の労働があるが。
要は程ほどの労働と、自然の恵みから、暮らしが成り立つ社会。じゃあ、電気は車はTVは、お前が今打っているパソコンはどうする・・・。

芋掘りで少々疲れてしまって、頭が回らない。午後からは「まちづくり条例」市民会議の議長役が待っているので、今日はここで辞めておく。

ただ最後に一つ。原発をどうするかにこの国の将来がかかっているのではないか。巨大地震が必ず来るこの国で、完全な安全などありえない原発を懐に抱えて、怯えながら高度な文明を享受し、いずれ、日本自体の崩壊に立ち会うか。
それとも。徐々に文明を逆方向にシフトして、日本という大地の上で、持続的な社会を模索するのか。ただ、いまの世界状況は、日本だけが日本独自の道を歩める時代でもないが、日本という国が、ある、理想郷を目指す方向性ぐらいは示せるのではないか。そんな、ことを真剣に考える政党があれは、この国も随分変わるのだろう。
黒川紀章や若尾文子の共生党にも期待できないし。
丸山 暁〈56歳・人間〉

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核・神への挑戦
hydoranngea.sun.jpg

紫陽花の花の真ん中に一輪の向日葵 。まるで、まさに、宇宙に誕生した一つの太陽である。
人間は今太陽を手に入れようとしている。

太陽は、130億年前(まだはっきりはしていないようだが100臆年から200億年の間)ビッグバン宇宙誕生後、核融合を続けて今に至っている。永遠不滅に見えた宇宙、この世だが、人間とて少なくとも200万年以上前は存在しなかったのだし、太陽とて将来数十億年後(50だか80億年だったと思うが)には核融合も最終段階となり爆発して超新星になるという。その時は人間とて、太陽系には生きられず、まさか、太陽系以外の惑星にいけるはずも無く、住めるはずもなく、人類は全て亡びてしまうだろう。要は、人類は不滅ではなくもともと有限な生き物なのである。

それなのに、最近江原啓之や三輪アキヒロあたりが「彼方の前世はお姫様です」などと、他者を脅し、からかって大金をせしめているが、現在の我々人間の祖先はアフリカ大地溝帯でたった1人のイブから始まったと言うのに、今50臆人近い世界の人間の前世は、一体いつ突然に増えたのだろうか。これも、どこかで人類ビッグバンでもあったのだろうか。

人間は、直立歩行、言語を生み出し火を手に入れて、動物から大きく飛躍し文明のみちを歩き始めた。ギリシャ神話でも、人間に火を与えたプロメテウスはゼウスの怒りを買って、巨岩に縛り付けられてしまったぐらい、火は神から与えられた人間の至上の利器なのである。火とは、熱で煮炊きし光を得るための火から、エネルギーをえ得るための火へと発展し、薪、石炭、石油ときて、今人類は太陽を生み出そうとしている。すなわち核融合である。
そして、人類は、その一歩手前の核分裂を火(エネルギー)として利用するために神へ挑戦を試みている。そして神はそれを見つめている。
人間は核を制御できるのか、核分裂すら制御できないのに、永遠の太陽を求め核融合などとんでもないことである。それは神への挑戦である、神がそんなことを許すはずが無い。
僕は、今の核技術開発(原子力発電からプルトニューム利用そして核融合)は、宇宙人(神?が創った宇宙に生きる人類)である人類にとって、そのような段階にあると考えている。

日本は、正にその初期段階でつまずいた。地震は地球すなわち宇宙の鼓動であり避けられない。そこに人類が太陽、すなわち「核」を構築しようとしても、それは悪あがきでしかない。神の手の内では、それは許されない。
この神話的原発論は、核開発、核融合は神への挑戦に等しい。人間が行う神への挑戦だから、神以上の原発に対する配慮が無ければ、神は人間に核を許すはずが無い、ということを言いたいのである。

少々現実離れして神話的になってしまったから、先の新潟中越地震での柏崎刈羽原発の話に戻ろう。

日本の原子力開発は、そのように「核」に対する敬意、畏れを、すなわち神に対する畏敬の念をもって開発をしてきただろうか。
残念ながら、前回のブログで書いたように、たとえ原発が、「僕が考える」そのような原始力発電所、核開発であっても、この国の建設事業の悪しき馴れ合いの慣習、経済優先政治主導の政策は変わらないのです。そこに、今回起きた原発の、そしてこれからも起きるであろう原発の根源的危険性があるのです。

リアルな話をすると、原発建設の全責任は刈羽原発の場合は東京電力にあります。そして、原発の建設技術的な問題は東電設計という東京電力の子会社が担っています。そして、東電がある原発を建設しようとする時、当然原発の社員では原発施設の設計は出来ません。彼等には能力も人員も足りません。それを補うのが、ゼネコンの出向社員です。要するに、原発の設計を管理すべき機関の主要な技術者は、原発を受注する会社の人間なのです。そこから、どのような結果がでてくるかは明らかでしょう。
もちろん、前回の書きましたが、そういう技術者が設計をサボって、有利にごまかしていると言うのではありません。彼等は、徹夜をしながらでも、必死に命を削っていいもの、安全な物を作ろうとしています。

しかし、問題は、その計画が一端始まれば、いわゆる一般の公共事業と一緒で止めることが無いのです。大きな疑問、問題が発生しそうでも、なんとか、データ?を読み替え、場合によっては甘く読み(それも、けっして、ゴマカシではなく許容範囲内)プロジェクトを進めるのです。問題を一番知っているのは、現場の技術者ですが、そこで疑問点を指摘しても、それを判断するのは、いわゆるお偉いさんたちなのです。そこにはご用学者や会社の利益優先、政治的判断が介入してきます。

今度の地震の震源となったであろう活断層も、地元の大学に先生(新潟大)は予測をしていたようだが、そういう先生には話を聴こうとしないのです。

今回言いたかったことは、神に対する挑戦なら、神以上に繊細な安全性に対する配慮が必要なのに、この国の原発建設は、神にみすかされる技術開発しか出来ていないということです。
この世には、トリックスターと言ういたずらっ子がいる。それは自然の申し子でいつ現れ消えるかもしれない。そのようは者を相手にしなければならないのが「核」開発なのではないだろうか。
これは、原発だけでなく、核兵器にもいえることで、人間が核をコントロールできると錯覚したところから、人類滅亡のカウントダウンが始まったのではないか。
核による滅亡が先か温暖化による崩壊が先か、それでも太陽は数十億年輝き続け、また新人類を生み出すのだろう。
丸山暁〈56歳・人間〉
僕の考えるブログ
「原発の建設業的不安とIAEA査察」?僕の考える
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この写真は、チュルノブイリで被爆した少女の写真である。少女は美しい女性に育っているだろうか、それとも甲状腺がんや白血病で苦しんでいるのか。何も無く元気に育ち母となり元気な子どもを産んで・・、たぶん、その確立は少ないだろうが、この少女の姿が、世界の、日本の子供たちの未来の姿にならないために。
このブログは、だいたい、あるテーマを決めて書き始めるのだが、書いているうちにblog(日記的)になり、あれこれ話が飛んで、論点がずれたり拡散してしまうので、今日はさっそく本題に入りましょう。

前回のブログでは、『大日本モラトリアムモ列島”Great Japan Moratorium Islands”』で、地震列島における原発の危険性を語り、建設業(国の建設事業)が有する慣習的、慢性的怠慢、危険性を述べようとして、おしまいになった。よって、今日は、この国を動かしてきた(現体制が続く限り、多分これからも動かすであろう)建設業を取り巻く負の体質を経験的に述べることとする。
また、今回は柏崎刈羽原発の地震による事故から始まった話で、建設業は原発本体からすれば付随施設ともいえるが、主体設備(原子炉や発電施設)を維持するための建築・土木施設は、原発設備と同等それ以上の重要度を持つ。
ここでは、原発建設に関して、付随的建設物を事例に話を進めるが、原発本体を作る重工業(三菱や東芝など)も同じような体質にあると推測してかまわないだろう。

ここでお話するのは、僕がスーパーゼネコンにいた20代?30代時の経験からの話である。当事、日本は正に”Japann as NO1”の時代、僕も若手技術者として、日本の将来を左右するナショナルプロジェクト(関西新国際空港、東京湾横断道路や未来都市、エネルギー構想など)に係わることを誇りにしていた時期でもある。しかし、同時に、その裏にある、技術的革新とずれたところにある、政治的業界的負の部分に疑問も感じていた。

一般論として国家プロジェクト(多くは数千億円、1兆2兆円の土木建築事業が伴う)の成り立ちの骨格をお話しよう。
まず、何かのプロジェクトを発意するのは多くは国(政治家)を動かす巨大企業だろう。勿論ものによれば官僚ということもあろうが、いわゆる、そうゆう一団と考えていただきたい。そして、国(国というのは管轄省庁)がそのプロジェクトを進めるための「○○建設検討委員会」を立ち上げる。そこにでは官僚(係長クラス)が顧問と言う形で参加し、民間主導の体裁を取る。そしてこの国を動かす巨大企業(金融、ゼネコン、重工、ものによっては重化学など)が委員として並び、御用学者(多くは東大系)がオブザーバーとして顔をそろえる。

委員会では、政策的データ?や世界の趨勢など一般的な情勢論は官僚が用意するが、技術的資料や実験的データ?は民間企業が用意する。そして、その会議資料を元にプロジェクトの可否を議論するのだが、多くの場合、既に方向性は見えている。なぜなら、調査したり実験したり解析するものは、そのプロジェクトを進めて利益をあげたい民間企業だからである。
日本の巨大企業の研究施設は、下手な国の施設や大学の研究機関より数段レベルが上のものが多い。それに、実践的、経験的データ?や具体的実験に関しては、ゼネコンや重工業の研究施設を超えるものは少ないだろう。勿論、ニュートリノ発見の小柴さんのカミオカンデやスパーコンピュータの地球シミュレーターなど最先端の巨額な施設は国にかなわないものもあろうが、実践的建設施設に関しては鹿島や大成、竹中などの研究所のレベルは高い。

すると、そこにだされる検討結果、実験データ?は、間違いなく、プロジェクト推進の方向を向いたデ?ターになってくる。日本にも、本来中間的な立場でプロジェクトを評価すべき、いわゆるコンサルタントと言う業界もあるが、多くのメジャーなコンサルタントは、ほとんど大企業の関連企業で下請け的体質を持っている。

では、技術者は、自分の会社が儲かるようにと、嘘のデータ?を作っているかというと、そうでもない。最近そういう会社も多いが、それは犯罪であり問題外である。
データーと言うものは、特に工学や自然科学的データ?は、データ?として出てきた数字そのものには意味が無いのである。その数字をどう解釈して読み解くかでデータ?に意味が生まれる。
やはり、民間企業の技術者は、会社の方針、仕事が生まれるようにデータ?を読み解く傾向がある。
そして、ここが問題なのだが、そのプロジェクトを進めるかどうかを判断する初期段階でのデータ?と言うものはまだ、初期的データ?であり抽象的なものも多く、どっちとも取れそうなデータ?が多いのである。
大学の先生は、データ?に対する解釈や注文はつけるが、概ね「善処してください」程度しか言わない。なぜなら、プロジェクト反対派、懐疑派の多くは地方大学の地道な研究者で、そういう委員会には参加させてもらえない。

推進が決まってからの技術者は、それこそ技術者生命、夢をかけていいもの、安全な物を作ろうとするが、どんなに後から技術的に真摯に対応しようと、プロジェクトの始まりのところで、ゴマカシがあれば、そのプロジェクトは根本的問題がモラトリアムのまま進められることになる。原発だけが、日本のナショナルプロジェクト、建設事業のそういう体質をから、逃れられるはずは無い。
しかし事が起こった時、原発と他の施設とでは根本的に違う。それは原発が放射能を排出する「核施設」であると言うことである。

簡単な例だが、バブル期日本全国リゾート開発に燃えた。それを推し進めた開発業者、コンサルタント、ゼネコンなどのデータ?は、景気増加に輪をかけて需要予測を上乗せしていた。要は、その施設を建設して利益が出るまで、データ?を上方修正(修正と改ざんのちがいとは?)したのである。まあ、みんな、浮かれていた。僕もある港町の農水省が補助金を出すリゾート開発で、データーをヒョイと上方修正したことがある。
今、そういう施設がバタバタと倒れた。ただ、こういう施設は、使えなくなったり、負債が増えるだけだが、原発建設にあたってのデーターの甘い読み、修正は、こうはいかない。
こんど政府は、IAEAの査察を受け入れると言う。このことは、日本の原子力政策にとっては大きな恥であるが、全てを明らかにして欲しい。
丸山暁〈56歳・人間〉
僕の考えるブログもよろしく。


大日本モラトリアム列島"Great Moratorium Islannde"
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この映像は、我が家の風景の中で最も好きな一角です。この写真では全体像が解からないが、左端に見えている石組みは、我が楽園の中央にあるゴミ焼きカマドです。そして、その周りは数種類(大体4種類だが、最近自然交配して新種も現れてきた、クリーピングタイム(ハーブに一種)が群生している。今が花時、このあたりが一番奇麗な頃です。
この石組みのカマドも14年前に作った時は、石もしっかり組まれていて、乱れも無かったのだが、築14年の間風雨に曝され、小さくても震度3程度の地震に数回会い、今では何箇所かにほころびが見えてきた。それでも、ほころびが見えたところは、石をはずし組みなおせば、これから何十年も使えるものである。そうすることで、きっと、僕が死んでもこのカマドは僕が生きた証をこの地に伝えてくれるだろう。

数日前の〈僕の考えるブログ〉にも書いたが、今のこの国は、この国のあり方自体を早急に転換しなければ、このままモラトリアム(意思決定の先延ばし)を続けていたら、放射能汚染列島になり死の島となる。北朝鮮のテポドン数発どころの騒ぎではない。映画『日本沈没』に在った様に、全国民エクソダスになりかねない。
何故そうなるかは、今度の中越沖地震の東京電力柏崎刈羽原発の事故でほぼ明快になっただろう。それでも、原発は、人間の手で将来に渡っても安全に稼動できると考える方々は、思考停止か、将来を捨てたニヒリストか自暴自棄になった快楽主義者である。この国は、どちらかと言うと、思考停止した快楽主義者ではないだろか。

僕は以前から、かなり強固な反核主義者であることは、このブログを読み続けていただいた方は理解して頂いていると考えるが、初めてお目見えする人のために簡単に説明しておこう。僕は戦後原爆投下10年後のHiroshimaで少年期を過ごし、原爆の傷跡に衝撃を受けたこと、大学で地震や地球部地理を学び卒業後原発も建設するスーパーゼネコンに就職し、建設業体質(原発もある意味建設業の商売の範疇である)、技術的思い上がり(良く言えばチャレンジ精神、悪く言えば傲慢さ、もっと汚く言えば体制を操作して建設する)を肌で体験した。

ここでは話を拡散させないで、原発の危険性に戻るが、なぜ、原発が危険なのか、特に日本において。そこには、原発自体の技術者のレベルの低さ(これは以前シュラウド(放射能を遮断する容器)の亀裂隠ぺいで明らかになった時、シュラウドの亀裂を点検できる技術者がアメリカは500人、日本は数人で、これから養成するという体たらくであった)と、隠ぺい体質がある。これは北朝鮮の幼稚な核開発より危険ともいえる。ただ、これらのことは原発関係者が心を入れ替えて、技術を磨き、謙虚な体質を見につければ何とかなる。
しかし、なんともならないことが一つある。それは、この国が地震列島であるということである。地上に作る限り、原発とて、その運命からは逃れられない。

そんな大地に暮らす、日本の耐震技術は、多分世界一であろう。建設技術者や研究者は常に安全な建物、構造物を建てることに、心血を注いできた。現場技術者は、それこそ安全な構造物を作るため命も賭ける。技術者自体は、住宅を作る者も原発を作るものも同様に真剣である、と思っていたのだが、住宅の場合は姉歯なんていう男が出てきてしまったが、少なくとも、原発建設に係わる技術者にはそのようなもの一人もいはいないだろう(建設業が様々な問題を起こすが、経験上一人一人の技術者は優秀でまじめである)。そういう個々の意識、技術が高くても、根本問題で間違ってしまえば、そこにどんなに高度な技術、努力を持ってきても、解決できない問題があるのである。

それが、地震と原発の命である核分裂から出る放射能の問題である。

まず、どの程度の地震が何処で起きるかを予想することはまづ出来ない。これは、地震予知の研究が進めば進むほど、地震予知が困難なことが明らかになってきた。勿論、部分的には、巨大地震の到達前数秒の予兆を察知して警報を出すことや、今言われているようなある数10?数100kの範囲で数十年単位の予想での地震の予測は観測の高度化で統計的に可能となったが、何処でいつ地震が発生するかは、永遠にわからないだろう。
また、地震が起こる場所も、有史以降の記録や地震探査で過去に動いた活断層だけが話題になって「この地帯には活断層がないから安全だ」と原発推進派は言ってきたが、活断層は過去に動いたから痕跡が残っていて、また動きやすいというだけであって、地殻の歪(日本の場合海洋プレートの沈み込みによる)はまだ、破壊されていないとこにこそ大きく溜まり、それが破壊した時こそ、巨大地震が起こることに言及していない。これが正に日本の技術者・科学者そして政策決定者のモラトリアムなのである。

では、原発推進派は何を根拠に安全と言ってきたのだろうか。そこにこそ、この国の致命的欠陥がある。この国の政治政策は、明治の富国強兵政策以来今だに開発開発発展発展なのである。そして、そういう政治を支えてきたのが(そこに巣くって来た)スーパーゼネコン(僕の時代は超大手と言っていた)である。
考えてみてください。バブル経済を支えバブル崩壊後、バタバタ倒れるかに見えたいわゆる大手ゼネコン23社(数社合併したかな?)は全て生き残ったではありませんか。そして今、スーパーゼネコン鹿島や大成は2兆円企業に成長しています。僕のいた竹中工務店は相変わらず品良く1兆円を越したぐらいのようでが。

本当は、原発を作り続けるこの国の体質“Great Moratorium Island”の社会構造(官僚、特に技術官僚、ゼネコン、政治家、経済界、電力会社)を開設したかったのだが、序論を書いているうちに、ここまで来てしまった。これがブログの限界か。本論は次にしましょう。

なお、先に書いておきますが、こういう議論を始めると必ず「お前は原発反対と言うが、原発ナシで、この日本の文明を維持できるのか、どんなに危険でも原発ナシではこの国はやっていけない。お前は軽薄なロマンチストに過ぎない」というご批判がある。そのあたりの対応策の断片は数日前の〈僕の考えるブログ〉で紹介しているので、そちらもあわせて読んでみてください。
このブログに書き手がまた参入してきたと安心していたら、また、独りぼっちになってしまったようで、これなら、これからは〈僕の考えるブログ〉に力を入れていこうかなとも考えている。
丸山暁〈56歳・人間〉

美しい日本は何処へ行く
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こういう風景は、日本中地方には何処にでもある風景なのだろうが、僕の暮らす谷間では、このような風景は、僕がこの世を去る頃には消えていくだろう。美しい日本の古里は何処に行く。
参院選挙が公示になり、静かな谷間が、騒がしくなってくるが、こんな時だけ、ギャ?ギャ?わめきたて、白手袋を振るだけの候補者には入れてやら無いからそう思え。ちったー、実現性のある、なくてもいいから、この国の、地方のビジョンをしっかり語れる奴がいないものか。自民党は、大規模農政を掲げ、民主は個別保証制度の復活のようなことを言っているが、どちらも、この国の農業を維持することは出来ないだろう。特に、このような村の。選挙目当てのふるさと納税は、少々姑息だが、農業者だけではなく、僕らのように、山里を暮らしで守るものたちは、「現代の屯田兵」として、免税か特別手当でも出ないものか。

こっそり教えますが、地方の農家の多くは既に、兼業で、兼業と言っても自家消費が主で、農業を生業としているものたちはほんの一部になりつつある。そういう農家も、農業者としての補助金を受け、個別支払い制度であろうと今度の大規模農家支援であろうと、集落営農という規模拡大策で、政府が手を変え品を変えて繰り出す補助金を上手くもらえるように立ち回っているのである。たとえ、夫婦2人が役場に勤め、1,000万以上の年収があっても、土日で田畑耕せば、農業者としての補助金をもらいつづけているのである。その影で、自力で頑張っている農業者が国の制度から見捨てられることも多い。

多分、ちゃんと実態調査をして農業者の把握をして、農業政策や補助金対策を立てるなら、もっと効率的な農業(効率というのは単に大規模という意味ではなく)が出来るようになると思うのだが、こういう補助金頼みの農業に誰がした。きっと、自民党とそれに群がった地方議員、無能な農協ひいては農業者たちであろう。
だからと言って、それに変わる農業政策を打ち出した政党も無いが。

この国の政治は、不確かなデータ?で、曖昧な政策をたて、法律や制度でがんじがらめに縛り、お金を垂れ流す。とにかく行き当りばったりである。その結果を検証したことがない。

数日前の朝日新聞だが、MD構想(弾道ミサイル防衛)の件で「米へのミサイル迎撃極めて困難、答弁書で政府見解」という記事と「集団的自衛権懇談会座長「行使容認(米国向けのミサイル迎撃ができる)」」という記事が同じ日に載っていた。
要するに、この二つの記事を、ちゃんと並べて読めば、「あたりもしないとわかっている自衛隊のイージス艦のミサイルを、アメリカに向けて発射された弾道ミサイルに、形式的に発射することが出来る」ということを、大の大人が、しかも、この国のお偉いさんたちが喧喧諤諤やっているということである。そして2兆円という国税がアメリカの軍需産業に垂れ流されるのである。

MD構想というのは、まだ、ほとんど完成されていない技術なのである。それは、以前あのあほの九間元防衛庁長官も「あたるかどうかわからない」といつものようにペロリと、本音をだしていたが、「天空のかなたで、突然発射された弾道ミサイルを追っかけて発射したスタッド(スカッドだったか)ミサイルでうち落とすなど」、「素人の僕がストライクで、かの大リーグオールスター戦でMVPを取ったイチローを空振りにする」ようなものだ。
それは、以前にも書いたが、カウボーイのレーガン元大統領が打ち出した、SW(Star Wars or Space War)構想 に匹敵するほど愚かなことなのである。確かに宇宙レーザー兵器よりミサイルの方がリアリティーがありそうだが、MDはしょせんアメリカの兵器販売、戦争の恐怖拡大戦略でしかないのである。アメリカのMDチェコ配備、対中国配備など、アメリカ軍事産業の戦略以外の何ものでもない。

つい話がMD構想に流れたが、僕が言いたかったことは、政治やいわゆるこの国の権威者が、真面目腐って議論している風に見える事事が、ほとんど根拠があいまいなまま、井戸端会議的議論だけが繰り返されて、法律、制度が作られ、空虚でものによったら危険な法律制度を垂れ流していると言いたかったのである。
あたらないミサイルを発射できるか出来ないかなど、単なる絵空事の絵空事でしかないのである。こういう傾向は、なにも日本だけではなく、ブッシュのイラク戦争のインチキ情報、情報操作も同じ事。

今度の選挙でも、各党いろいろ言っているようには見えるが、相手の政策への批判でしかなく、曖昧な政策をどんなに批判しても曖昧でしかなく、みづからの社会モデルをどこの政党も打ち出せていない。結局MD構想のあたらないミサイルと同じで、空虚な空中戦を演じているだけである。このことが、この国の最大の欠陥である。政治家は、みんな、一度は僕の暮らすような村で生きてみるといい。少しは、心も頭も奇麗になって、落ち着いて先のことを考えられるようになるかもしれない。


ただ、そういう僕もまだまだ理想的な社会モデルを提案できてはいないが。ただ言えることは、みんなが漫才のようにアッパラパーに愉快に、贅沢をして、幸せに暮らせる社会などあるわけが無く、理想社会とは、ある程度不便や、不自由を共有しながら、その中で人間として成長できる社会だろうと考えている。ただここで言う、不便不自由は物質的なことで、そこにこそ、精神的な幸せが育まれるのである。ちょっとかっこよすぎるかな。
「1艘2千億円もかけて作ったイージス艦から発射した、2兆円もかけるMD計画のミサイルは、弾道ミサイルを落とせないんだってね」、「へー、だったらMD計画なんて絵に書いた餅だね」「そうさ、MD計画なんて、空に鉛筆”pencil”で書いたロケットのようなものだね」「全くだ、それこそMD計画なんて、”pencil rocket(日本最初のロケット)の巨大お化けのようなものだね、百害あって一利なしさ」
丸山 暁〈56歳・人間〉
僕の考えるブログ

このままでは温暖化は加速する
 地球温暖化は人為的なもので、このままいけば温暖化は加速度的に進み、取り返しのつかない情況に陥る。ここ10年の間に抜本的な取り組みをしなければ人類は滅亡する―。
 先だって盛岡市内で開かれた地球温暖化の講演会で、タイムリミットが10年という衝撃的な話を聞いた。
 講話したのは、生活者の視点から環境問題に取り組んでいる田中優さん。
 田中さんの説明によると、各国の気象学者らが集う「気候変動に関する政府間パネル(IPCC)」が今年2月に発表した第4次報告で、「気候システムの温暖化は疑う余地がなく、人為的現象である」と断言したとのことだ。
 温暖化を加速させる主な原因として?シベリア森林の伐採?森林が二酸化炭素を吸収する場から排出する場になる?海が二酸化炭素を吸収する側から排出する側になる?氷河の溶解―の4つがあり、このうちのどれか一つでも悪循環に陥れば温暖化は雪だるま式に膨れ上がり、人間の力では元には戻せなくなるというのだ。
 例えばシベリアはツンドラ地帯で、凍土の上に森林が形成されている。
 一度木を伐採すると次の木が成長するまで時間がかかり、伐採後の地面に太陽の光が直接降り注ぎ、表土を覆っている氷が溶けて池となり、湖底からメタンガスが湧きでてくるという。
 メタンガスは二酸化炭素の20倍以上の速度で温暖化を進め、それがさらなる温暖化を招き、温暖化によって再び池ができて、メタンガスが発生するという悪循環を繰り返しながら温暖化を加速さるというのだ。
 シベリアでは極地的に温暖化が進み、ロシアとアメリカの共同研究チームの調査によると、この30年間で年間の平均気温が2度上昇、凍土の氷が溶けて池となった面積は1974年と2000年を比較すると58パーセント増えているという。
 ヒマラヤ・チベット高原では、気温の上昇に伴ない氷河が溶けて、ダムサイズの氷河湖が出現。その数は4997個に及ぶ。大規模な氷河湖が何かをきっかけで決壊すれば、麓の村は一瞬にして消滅。そうした被害を繰り返すことで湖が干しあがり、ヒマラヤを水源にしているインダス川、長江、黄河の水が枯れて農業地帯が壊滅、30億人が流浪の民となる可能性があるという。
 「地球温暖化/人類滅亡のシナリオは回避できるか」(田中優著、扶桑社刊)の巻頭には、世界各地の氷河地帯の変貌、海面上昇で島が浸食されているツバル共和国の実態、ハリケーンの被害の様子などの写真が収録されており、このままでは人類が滅びてしまうという話に耳を傾けざるを得ない。
 身近なところでも異常気象が発生している。
 盛岡の今年の冬は、真冬日があったのは一日だけで、それも3月に入ってからだった。1月、2月は記録的な高温で、何度か大雨が降った。
散歩の途中で出会った年配の男性は「80歳過ぎの人がこんな冬は経験したことがないと言っていた」と、岩手山を眺めながら暖冬に驚いていた。
 昨年10月、葛巻町は集中豪雨に見舞われ、袖山地区では6日から8日にかけての総雨量が383ミリと過去最高の雨量を記録。90歳余のお年寄りがこれほどの豪雨を「経験したことがない」と語っていたとのことだ。
 6月、7月は寒暖の差が激しく、チリチリと肌が焼けるような暑い日が続いたかと思うと、雨が降って長袖が必要なほど寒くなる日もある。一日の間でも朝夕と日中では10度ぐらいの気温差があるなど、気温の変化が比較的穏やかな日本とは思えない変動が気になる。
 素人考えだが、温室効果で気温が上昇すると、南極や北極などの氷河地帯の氷が溶けて地球が冷やされて気温が低下、経済活動によって再び気温が上昇し、気温が上がると再び氷が溶けるということを繰り返しているのではないだろうか。
 話は変わるが、国民投票法案が成立し、安倍首相は憲法改正の準備が出来たとほくそえんでいる。国民投票は有効投票数の過半数で憲法改正が成立すると規定。これによって自民党と公明党の支持者票で法改正の可能性が濃厚になった。
 改正に必要な数は1800万票で、国民の2割が賛成すれば成立する数字なのだそうだ。有権者を18歳以上としたのは、前小泉首相を支持したのが女性、子ども、お年寄りだったことに起因、若年層の支持が得られると踏んでのことらしい。
 集団的自衛権の研究を進めている有識者懇談会の柳井俊二座長(前駐米大使)は、朝日新聞のインタビューに対して、集団的自衛権の行使容認を安倍首相に求める報告書を今秋にまとめる意向を表明、法整備の必要性も報告書に盛り込む、というニュースが報道された。
 憲法を改正して第九条を取り外し、戦争ができるようにして貧困層に入隊を呼びかける。給料が高く、上の学校に進学ができるなどと、夢をかきたてる内容で喧伝する。
 国のやり方は実に巧妙だ。派遣社員制度ができた最初のころは、職種が限られていたが、枠組みが撤廃され、今やワーキングプア養成システムとして社会問題となっている。
 仕事の内容が単純作業でも、今日と明日の作業は違うのだ。収入が不安定で多少体調が悪くても休むことができない。キャリアを積むこともできず、仕事への意欲も明日への希望もない。
 こうした貧困層に呼びかければ、徴兵制をとらなくても人が集まると踏んでいる。
 現にアメリカでは失業率の高い貧困地域を回って軍隊への入隊を呼びかけている。軍隊に入れば大学にも行けるし、給料ももらえると。
 こうしたやり方は、まるで悪魔が天使に変装して甘い言葉で死へ誘惑するようなものだ。
 今回の参議院選挙はそうした面からも重要だし、戦争は温暖化の要因にもなっている。田中さんの説明によると、紛争解決と温暖化防止の最善策は、現行の化石燃料から自然エネルギーに切り換えることで、ヨーロッパではそうした取り組みが進んでいる。
 住みよい地球にするか否かは一人ひとりの取り組みにかかっている。
                            (草子)

社会保険庁職員賞与自主返納への疑問その2
昨日の掲載した、『社会保険庁職員の賞与返納??サラリーマンに責任を押し付けるのか!?』に対して、「週間!木村剛」さんから同調と反論が寄せられてきた。
私の書いた、

「経営者と従業員では責任の重さが全く異なる。今回の職員に賞与を返納させるやり方は、成績不振の責任を、球団の受け付けや事務員にまで連帯責任をとらせるのに等しい。現場の権限の無いサラリーマンに責任を押し付けて、本当の責任を曖昧にする選挙目当てのパフォーマンスを、何の論調も無く伝えるマスコミ報道に惑わされて、事の本質を見誤ってはいけない」


という見方に対し、木村氏は、

「見方が少し甘いのではないでしょうか。成績不振で赤字になった球団においては、受け付けや事務員も例外なく給与カットの対象になるのですから・・・。」

そしてその前段として、

「私自身、じつは、賞与の自主返納には反対です。というのは、私は、『この仕事振りとパフォーマンスでは、申し訳ないが、職員に対する賞与は支給できない』ということを社会保険庁の経営陣が決定し、経営陣が自らに対してそれ以上の減給・降格の処分を課すというのが本当の筋だと思っているからです。」

私(ハヤテ)は、木村氏の反論に大部分は賛同するところですが、ちょっと引っ掛かる部分もあります。
木村氏の言うように、業績不振で利益が出ないので賞与は出ません、というのであれば筋が通りますが、 “返納”と言うのは、業績不振ではなく不祥事の責任をとる場合などに使われる手段です。今回の不祥事は10年以上も積み重ねられ、社会保険庁の体質そのものに原因があるとすれば、個々の一般職員が防止・改善できるような問題であったのだろうか、と思います。こういう役所の中の役所と言われる複雑な巨大組織では、サラリーマンの末端職員が、内部の問題に声を挙げて改革すると言うことは、現実にはかなり難しいと思います。
防止改善できる立場にあった者も、立場に無かった者も、十把一絡げにして連帯責任を負わせることは、高校野球の不祥事でチーム出場辞退と言う連帯責任を強制するやり方に似て不快感を感じます。
やはり、経営陣や管理職が統治責任や対外的な結果責任を負うために貰う手当てと、一般サラリーマンが労働の対価として受け取る賃金とは質が違うものであり、総理大臣から末端のサラリーマン職員まで一律返納と言う今回のやり方には強い違和感を覚えます。
<ハヤテ>



社会保険庁職員の賞与返納??サラリーマンに責任を押し付けるのか!?
社会保険庁の年金記録漏れ問題で、政府が社会保険庁の全職員約1万7000人に夏季賞与の一部返納を求めていた問題で,9割超の職員が返納に応じる意向を示していることが報じられた。

私はこういうやり方に疑問を感じる.

疑問その1「今回の記録漏れの原因とその責任の所在がはっきりしない段階で、社会保険庁職員全員に返納と言う名の強制的連帯責任をとらせるやり方は、責任の所在を曖昧にさせるものである。」
疑問その2「伝えられるところからすると、今回の問題の本質は、一般職員の職務怠慢と言うことよりも、社会保険庁の組織構成と組織運営そのものに問題があったように推量される。とすると、一般職員はこういう組織上の問題に対しては何の権限も持っていない。権限が無いにもかかわらず責任をとらされるということはおかしい。」
疑問その3「社会保険庁叩きのムードに流されて、職員イジメで溜飲を下げているとすれば、権力者の責任回避パフォーマンスに協力しているのも同然である。」

社会保険庁の組織構成や組織運営に問題があったとするならば、最も責任をとるべきは、そこのところに権限を持っていた者である。もし職員が怠慢であったとするなら、そういう職員を放置していた組織体制が問題である。
権限を持ち、そういう組織体制を作り監督してきたところはどこなのか。それは厚生労働省であり、それを統括すべきところは内閣であり、政府与党であり、国会である。

プロ野球の世界では、どういう監督を据え、どういう選手を獲り、どういう選手をクビにしてチームを構成するのかは、ゼネラルマネージャーの仕事であり、試合でどの選手を起用し、どういう作戦で挑むかは監督の仕事である。選手がエラーをすれば、そういう選手を起用した監督の責任となるのだ。チームの勝敗の責任は監督が負い、シーズン成績の責任は監督とゼネラルマネージャーが負うことになる。

経営者と従業員では責任の重さが全く異なる。
今回の職員に賞与を返納させるやり方は、成績不振の責任を、球団の受け付けや事務員にまで連帯責任をとらせるのに等しい。
現場の権限の無いサラリーマンに責任を押し付けて、本当の責任を曖昧にする選挙目当てのパフォーマンスを、何の論調も無く伝えるマスコミ報道に惑わされて、事の本質を見誤ってはいけない。
<佐々 疾風>
全てに対話"comunication"無き社会
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この場は我が家のハーブガーデンの中でも、僕が好きな一角です。ちょっと右下に見えるだけだが、玉石を並べた小道の両サイドに、レモンタイムの並木(身の丈20センチのタイムを並木とは言いがたいが、とっさの言葉で、最近うろうろしているトカゲになったつもりで御容赦ください)があり、その外側にジャーマンカモミールの茂みがある。その向こうには、ブラックべリーの垣根があるのだが、根元しか写っていない。今は白い花が咲き、美しいカモミールの茂みだが、ブラックベリーが真っ黒に実った時(真っ黒に実るのは面白いですが本当に真っ黒に熟すのです)にには、情け容赦なくカモミールを踏み倒して、せっせとブラックベリーを採取する次第。そのブラックべリーは、果実酒になったり、多くはおいしいジャムになる。

僕たちは小さなハーブガーデンでも、様々なハーブたち花や野菜たちの、様子を見ながら、語りかけながら、彼等の声を聞きながら共に暮らしている。妻などは「あたしをそろそろ食べて」という、野菜たちの声が聞こえてくるという。確かに、豆やキュウリのように、葉に隠れて見えにくい野菜たちは、僕が収穫するより、彼女の収穫の方が数段多い。きっと、彼等は僕には「ここにいるよ」と語りかけてこないのかもしれない。それは、僕が彼等にあまり語りかけていないことの証なのだろう。反省。
共に暮らすということは、こっちの一方的判断、欲求で、彼等を採取したり、踏みつけたり、引っこ抜いたりしているわけではない。季節ごとの彼等の育ちぐあい、ハーブや花や野菜たちのめぐり合わせ、関係性を見ながら、要は対話”communication”、をしながら、共に暮らしているのである。多分、そのことが、かなりの労働を要する庭、畑造りだが、そこからえられる収穫と共に、その彼等との対話が面白いから、このような暮らしを続けていけるのだろう。

さて、以前死者をだした、たったまま乗るジェットコースター「風神雷神」の破損事故から、多くのジェットコースターの点検不備、点検不良が発覚し大きな問題になった。国交省も、その後、点検の制度化を図って、安全を確保しようとしているが、昨日の新聞に「コースター事故の余波・・閉園、点検費350万円工面できず(秋田大森山遊園地)」朝日7月9日、とあった。この遊園地と同様に、全国で10?20箇所の遊園地が、点検費用を捻出できず、閉園を検討しているという。

政治の腐敗、年金問題、参院選挙で、早晩「風神雷神」の事故も忘れられていくのだろうが、先の「メンテナンス費用350万円が捻出できず閉鎖される地方の遊園地」この現実が、この国の現在を象徴している。

大都市圏の大資本によるレジャー施設(ディズニーランドに代表される)は日本中、海外からも人を集め、ますます華美、高度になっていく。その反面、地方にやっとできた地元に愛されている遊園地が、350万円(人件費1人分)というメンテナンス費用が捻出できず閉鎖されていく。元々、バブル期、どこもかしこもリゾート、レジャーと採算と取れないだろう遊園地を作ったことへの批判は、ここでは言及しない。
ここで言いたいことは、都市、大資本と地方、弱小資本という対比の問題もあるが、そもそも、遊園地を作って、ジェットコースターのような、高度に機械的で人命に係わるような遊具を設置した時に、安全操業のために、保守点検の制度、仕組み、費用の手当てをしてこなかったことである。

多分最初の遊園地計画、運営計画辺りでは、機会の点検保守費用なども計上されていたのだろうが、予定以上に収益が得られない時に削られてきたのが、人件費の前に、機械のメンテナンス費用ではなかったか。人件費を削れば、当然相手は人間だから、不平不満をいう。しかし、機械は、磨り減っても、ひびが入っても、キーキー軋むことはあっても、自らメンテナンスを要求することは無い。彼等は、最後まで黙って働き続け、最後には力尽きて破壊する。その時人間を道ずれにする場合がある。

この原因の背景には、効率化や収益優先という、現代社会の病理(儲けが全てに優先するという社会状況は、現代の病理と考える)もあるが、自分が係わっているものたちへの眼差し、問いかけ、すなわち対話”communication”が欠如してきたからではないだろうか。
仕事というものは、基本的には決められたことをマニュアルどうり(マニュアルというのは決められたことという意味で、ここでは本来必要とされる仕組みをいうのではない)すればいいのだが、実は、そこには、仕事、相対しているものへの、心の入った眼差しがあってこそ、仕事として成り立つのである。果たして、遊園地の経営者、ジェットコースターの保守点検者にそのような眼差しが合ったのだろうか。それが一番の問題である。

このことは、実は、ジェットコースターの点検だけでなく、社会保険庁の年金問題にもいえることで、国民一人一人の大事なお金を預かる姿勢として、間違いのないように、被保険者が不利にならないように、少しでもそのような姿勢があったなら、ここまで問題が大きくなる前に食い止められたのではないか。
市場開放、民営化、これ全てが悪ではないが、国鉄時代(今もやっているのだろうが、どうも蒸気機関車の風景が絵になるので)、夜の停車場で、かなずち一本もって「カンカン、キンキン」と車輪や車軸を叩いて、列車の安全を確認している姿、そこには機械とそれを愛しながら対話している人間の姿があった。

人間が人間同士、機械、自然・・・・との対話能力を取り戻せば、この世はもっと暮らしよくなるのだろうが。人間も、機械も、どんどん機械化し、孤立化してきた。
国会や政治討論番組でも、対話能力を学んで欲しいのだが、この国の政治家はチーチーパーパー幼稚園並である、そういう場の司会者、議長という人間がもっと無能と来ているから、この国には永遠に民主主義は育たないだろう。
「父上、父上は人間以外の森羅万象の声を聞くことが出来ますか」「あたりまえではないか、出来た人間とは草木の声、風の声、たとえ石の声でも聞くことが出来るものだ」「そうですか父上、私には、そこの茶店の団子が私の腹に入りたいといっていますが、私はどうすればいいのでしょう」「それはな、お前に邪心があるから団子につけいれられただけだ」・・なんじゃこりゃ。
丸山暁〈56歳・人間〉
僕の考えるブログ
この国をだめにする女芸人5人集
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6月末に届いた丸太を切り始めて、薪小屋がほぼ3分の1ほど埋った。まだまだ、汗を流さなければ全部の丸太を割り終わらないが、ここまで来ると先が見え、楽しい作業となる。薪の準備の合い間に、椅子を作ったり、今流行のチェン?ソーカービングとしゃれてみたり。日差しの中、気持ちのよい時間が過ごせる、僕の遊び場である。今、僕がこんなことを出来るのも、この国の今を生きているからである。これは幸せなのか不幸なのか。

この国はいい国か?多分世界的に見れば、相当いい国である。文化(文明といったとしても)程度は高く、犯罪が増えたといっても世界的に見ればまだまだ安全である。そして戦争が今この地には無い(戦地に行くことも、戦乱に巻き込まれることも。自衛隊がイラクに数百人行ったが別に行く必要もなかったので、国民1人1人に戦争の恐怖があったわけではない)。貧しくても飢え死にするものは居ない。たまに老人の孤独死や児童虐待(ネグレクト)で餓死することはあるが、これは異常な問題で、制度を利用したり、個人が生きる努力をしたり社会が一寸目をむければ生き延びる手立てはあるはずだ。少なくとも路上で餓死するということはまず無いだろう。

仕事が無いといいながら、失業率は4%以下、こんな国が何処にあろう。ヨーロッパの多くは10%程度、好景気といわれるアメリカも4%あたりをうろうろしているのではないか。
さてさて、それなのにこの国はいつもいつまでも不平不満が渦巻いている。先が見えないと不安の中で暮らしている。これもこの国の現実である。新聞やTVを見れば、この国の悪(政治と金、企業の不正ゴマカシ、原発の事故隠ぺい、年金の国家的サギ・・少年犯罪、政治家のあほさ加減・・上げれば斬りが無い)だらけである。
その一方では、国民を上げて(TVのコメンテーターがそういい)ハンカチ王子にハニカミ王子に大リーグ・・国民皆が注目しているかのように、TVでもトップニュースである。やっぱり、この国は平和なのである。ほとんどの人は少なくとも、生きていくには問題がないのである。もし、今の世の中が大変なら、もっと皆大変だという顔をしていてもいいのである。しかし、なんだか、この国に暮らしていく安心感、落ち着きがない。

そういう社会的、政治的問題をあげればきりが無いし、選挙が近いので考えても見たいのだが、今の政治家の選挙に向けた戯言を分析しても空虚なので、ここでは止めておいて、今日はしょうしょうおちゃらかしのお話をしよう。
テーマは「この国をダメにしている女芸人5人集」である。この国をダメにしている男芸人も居るのだが、それはまた別の機会にでも。

まずその5人の名前を上げておこう。一応5人挙げるが順番は無い。思いついた順にあげるとまず、ここのとこ自然派百姓タレントを自称する高木美保。そして自称美人セレブ女医西川史子。最近芸人にもセレブと言う言葉を使うがセレブすなわちcelebrityとは著名かつ働かなくても贅沢に食っていける連中のことで、あんなにTVに出て小銭を稼いでいる連中をセレブとはいわないのです。次に、現代の極悪人細木数子、芸能界のゴッドネーチャンこと和田アキコ、お茶の間人気NO1の下品の極み久本マサ美、そして、番外編で自民党のマドンナ片山さつきを上げておこう。そうなれば、社民の福島瑞穂も同レベルである。片山さつきは政治家ではあろうが、最近のTVへの露出、軽薄な言動を見れば、ひな壇芸人とたいして変わらない。

さて、高木美保だが、あんな青っ白いプヨプヨした腕で百姓が出来るか。以前TVで「ここの畝、私が鍬で耕しています」なんてのたまっていたが、その畑は見事に誰かが耕運機で耕した畑だった。それと、あんなに朝から晩までTVに露出して、畑の手入れが出来るのか。よっぽど大量に除草剤を撒き農薬をかけているのだろう。家庭菜園レベルで大きな顔をするでない。それはそれでいいのだが、彼女がしゃしゃりでるコメンテータとしての言説がほとんど常識的なオバサンレベルで聞くに堪えない。自然派を気どったあたりまえの個人的感想など糞の役にもたたないのである。

次に、西川史子、これがいただけない、顔が大げさでボディーもお粗末でオコゼが厚化粧したような顔で噛み付いてくる。彼女に惚れた男が居るなら顔も見てみたい。まず、下品な自分を奇麗だと思ってはいけません。
次に細木数子、これはまさに現代の極悪人。人間として誰にでもある普遍的な不安、恐れをさも個人的な問題としてえぐりだし、自分がその解決策を知っているが如く振る舞う。しかも、のその答えとは、ただあたりまえの社会的な通念である。このあたりは、江原啓之に通じるものである。彼等の役割は、ちょっと機転が利けば誰にでもできること、けっこう僕も得意です。
段々、こんなこと書くのも馬鹿らしきなってきた。読んでる皆さんもあほらしくなってきたでしょうが、一応最後まで。

和田アキコはいわゆる芸能界は良識、常識が無いと生きていけない「芸能界では礼儀作法が大切」などと、さも芸能界が世間と同じような良識が存在しているように見せかけているが、芸能界の礼儀挨拶などが、一般的な良識であろう筈が無い。いつも、ハイでパラノイヤ的人間たちが凌ぎを削っている世界と、通常の巷の世界を一緒にしないで欲しい。
和田アキコが「可愛くて礼儀正しい」と評していた河原朋美があの始末である。
だから、芸能界に憧れるちゃらちゃらした若者が増えてしまい、地道に仕事につこうとしないのである。芸能界は、異常な社会なのだと、素直に言いなさい。久本マサ美も似たようなもの、下品すぎてここでは省くことにする。

しかし、問題の根源は彼等女芸人にあるのではなく、彼女たちを育て祭りたてている、TV業界にあるのである。TV局というもの、多分日本の大学、特に私大系のトップクラスの学生が行くのだろう、そういう連中が一生懸命考えて、軽薄な品のない番組しか出来ないのだから、この国が不安になるのです。TVがもう少し社会性を持てばこの国も少しは変わるのだろうが、TVこそ市場経済資本主義の儲かればいいという先兵だから、この国が人間的発展に向かうはずも無い。
ついでに上げた片山さつきは、自分をかわいくておつむが良くて自民のマドンナだと確信しているのだろうが、あんたは、ただのオッサン太古持ちと変わらないのです。参院選挙もあることだし「この国をだめにする政治家5人集」も近じかやってみましょう。
丸山 暁〈56歳・人間〉
僕の考えるブログをよろしく。
「しょうがない」九間防衛大臣は、辞任ではなく罷免でなくてはいけない!
九間防衛大臣が長崎への原爆投下を是認する発言の責任をとって辞任したが、どうして辞めなけれならなかったのか、この九間と言う人物はいまだにそのことに思い至ることが無く、そして総理大臣も全く危機管理がなっていないということに唖然としてしまった。

九間大臣は、辞任後の記者会見では、「与党として困っているんだなと感じ始めた。参院選を控え、自民党だけでなく公明党もやりづらいかなと感じた。脇が甘い。もう少しきちんと言葉を選ぶ責務があった」と語った。
辞任会見の場でも尚、防衛大臣の発言の重みと言うものを全く理解できていない、こういう人物が、戦争になったら日本の軍事行動を指揮する立場にいるという、このことに改めて気が付いて寒気がしてきた。

あの「原爆投下がしょうがない」と言う発言の問題点は、日本国内の参議院選挙への影響となどという小さな内輪の話しなどに止まるものではない。
あの発言は、「核兵器の使用」「非戦闘員への無差別殺戮」を是認することになることが問題なのであり、日本の主要閣僚である防衛大臣がそういう発言をすることは、世界に対して日本はそういう考えであるとメッセージを発信したとことなのである。
すなわち世界に対して日本は危険な国であると言うメッセージを発信し、国民の安全を窮地に陥れるものであるのだ。たとえば、この発言により北朝鮮や中国に対して、日本は核兵器使用を容認しているとして、自国の核武装を正当化する口実を与えてしまうことになるのだ。
そして当初は辞任の必要はないと言い、その後本人の申し出による辞任を了承するなどと言う無策の総理大臣も、こういう事の本質を全く理解していないと言える。

わが国は核兵器廃絶を主張すると共に、対人地雷の廃絶など、非戦闘員に対する無差別攻撃を非難する立場をとってきたはずである。この国家政策に反するメッセージは即座に否定する必要があるはずで、そのためには、辞任を了承するなどというあいまいなものではなく、即刻罷免することによる、はっきりとしたメッセージを世界に発信する必要があったのだ。しかし、安部首相をはじめとする多くの政治家はその辺のところにまで頭が回らないようである。
やはりこういう問題は選挙ではっきりさせなければならない。それ以外には方法が無い。
<はやて>
「キリスト、マホマッドよさようなら」?僕の考える
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この時期、毎日飲む我が家のハーブティーのハーブたちです。この籠には、ラベンダー、ヒソップ、レモンバーム、オーデコロンミント、ペパーミントが入っている。あと十数種のハーブたちが、この仲間入りをして、日替わりで登場する。
ここ14年間続けたハーブティーのおかげか、このような暮らしをする田舎暮らしのせいか、ここのところとんと風邪を引いたことが無い。ハーブティーには鎮静作用もあるとかで、心も落ち着いているからか。それでも、ハーブティーを飲みながら上さんと喧嘩をすることもあるから、飲んだから即効性があるというのではなく、そういう行為も含めて、心を落ち着かせてくれるものなのかもしれない。それは、ある種、茶の道にも通じるものだろう。

本来、宗教も人々の心を静めたり、勇気づけたりしてくれるものなのだろうが、ここに来て宗教は人殺しの扇動役と化しつつある。

7月1日の朝日新聞にこんな記事が出ていた〈「神」引き合いに応酬、カストロは「神が私をブッシュから守ってくれた」といい、ブッシュは「神がカストロをやっつけてくれる」といったと言う。〉これは’60年CIAがカストロ暗殺を企てたことに対する最近のコメントのようだ。こんな所に引き合いに出される神もたまったものではないが、共産党は神を否定しているのだから、カストロもオジイチャンになって、少々ボケたのかもしれないが、まあ、既存の宗教ではなく、いわゆる森羅万象の神なのだろう。ブッシュのいうところの神は、間違いなく、選挙でたくさん票を入れてくれる、キリスト教団体を意識しているのだろうから、彼のいう神はキリストなのだろう。それとも、ゼウスか、どうも彼等も神、カミ、ゴッドを多用するので、いったいどの神を言っているのか、わかったものではない。

宗教は、本来人間を救うために生まれてきたはずだが、この世に宗教があるがために、どれだけの血が流されてきたことだろう。ひょっとしたら、本当に困って神に祈って救われたものより、神を信じたがために殺された者の方が多いかもしれない。
ここでは日常アメリカンホームドラマに出てくるような「今日も一日無事に終わって神に感謝します」程度の神ではなく、死ぬか生きるかの瀬戸際に祈る神である。日常の祈りなら、無神論者の僕でも、毎日のように、太陽や宇宙や大地や亡き母や父に祈っている。

大体神の元(カミノモトというと、毛生え薬のようだ)の神話の世界の神々とて、洋の東西に係わらず殺し合いの舞台だったようだが、三大宗教、特にキリスト教の歴史は、キリストが磔にされた時から、殺人の歴史であったといっても過言ではない。キリスト教を広めるため、守るため、どれだけの血が流されてきただろう。
ひょっとしたら、ある時代を考えれば、宗教で救われた個と宗教で殺された個を比較すれば、宗教に殺された人々の方が多いのではないだろうか。多分、キリスト教の普及拡大期、ローマにおいて、キリスト教を信仰したため、絶滅した集落や都市もあっただろう。もともと、自然の神を奉っていたのに、キリスト教を強要され(奇跡があったかに見せて信者を勧誘するのは、サギ商法と同じである)、キリストの信仰をもった途端、火あぶりにされたり、水攻めにされたり、串刺しになったり、たまったものではない。
新大陸発見の大航海時代の中央アメリカでは数十万人単位の国が滅ぼされ(虐殺され)幾つもの文明が崩壊した。中世のイスラムと十字軍の戦いとて、きっと数百万人、ひょっとしたら数千人単位で双方殺しあったのだろう。

今、イラクでは、神(キリスト)の名においてブッシュがイスラムの国に侵略し、内戦状態のイラクはスンニ派とシーア派の対立で、毎日のように数十人の無垢の民が殺されている。殺す方も殺される方も皮肉にも同じイスラム信者である。内戦から逃れるイラク難民は3百万人に近づこうとしている。
たしかにサダム・フセインは独裁者として、数十人、クルドでは2千人の人間を殺したとして、処刑された。しかし、各国の歴史文化を先に進んでいるかに見える、今のアメリカ、西欧型の文化ではかり、それに近づけることだけが、正義であり発展といえるのだろうか。
各国の歴史、その地域の体制は、その国なりの歩みもあるのではないか。特に、今のような情報が世界を駆け巡る時代、閉鎖された過去とは違い、内部での市民活動も、早くなり、けっこう市民的開放は、他所の国がちょっかい出さない方が早まるのではないか。

と、理想的なことを描いているが、実は、今の世界的混乱、宗教に名を借りた混乱を仕掛けているのは、アメリカ軍需産業の影の力で、ブッシュとて、それを推進する一つの駒かもしれない。
個人の祈りとしての宗教は、確かに人を救うこともあるだろうが、組織、機構、国が宗教を利用した途端、宗教は殺人の裏づけとなる。そのことを宗教者はどのように考えるのだろうか。

結局オオム真理教、現アレフの若者たちの、「キリスト教もイスラム教も人を殺し続けている、であれば自分たちが最終戦争を仕掛けて、宗教統一を図る」という教義が生まれ、それを信じても仕方が無い。それは、ブッシュの神の名における「近代化のためのイラク人虐殺」とたいして変わりは無い。ここではオオム被害者が戦争被害者と同じだと言うものではない。
ただ、国家が宗教のなお借りて行う虐殺のほうが、宗教的には悪質で罪が重いのではないか。それを世界が容認する限り、短絡的なオウム的犯罪は消えることは無いだろう。

困った時の神頼み、あなたの神はなんですか。一度考えて、神のあり方を世界で整理してみようではありませんか。特の、キンキラキンのでっかい椅子に座ってふんぞり返っている、宗教的権威者は直ぐに、天井近くで権威にあぐらをかいていないで、この現実の地に降りてきなさい。

「おとっつぁん、おいらも身を清めて、何処かの宗教に入ろうかな」「よせよ、そんなことしてみろ、本当の地獄に落ちるぞ。そうでなくても、今のこの世は地獄なんだから」
丸山 暁〈人間・56歳〉
僕の考えるブログ

戦争責任を逃れる安倍とあほの九間
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ブラックべりーの葉っぱの上で、朝日を浴びて体を温めているカエル。我が家の蓮池でも毎年数千匹のカエルが孵化しているのだろうが、そのうち何匹がこのようにのんびり暮らしているのだろうか。彼等が餌を捕るシーンをたまに見かけるが(壁に張り付いたり、窓の明かりに集まる虫を狙って)、小さな虫一匹口に入れるのに、何分、下手すると何十分も粘っているようだ。どの世界も食べていくのは大変だ。そのうち、逆に蛇に食われたりして。

「他所の国の議会が決議したことで、別にコメントするつもりはありません」と言ってのけ、「沖縄戦で住民に軍は自決強要はしていないといっている」と虚空を仰いでインタビューに答える安倍首相の眼は、彼の頭は、いったい何処を向いているのだろうか。・・・・
ここまで書いて、週末東京にいたので、初めて「市民ジャーナル」?僕の考えるが、一日(土曜連載)抜けた。「ああ、これで、ここまで続いてきた市民ジャーナルも終わった。これで詰まんないブログを見なくてもすむ」と、安心した方々もあったやに推測するが、残念でした、一日遅れで今日入れます。

半年ぶりの東京だが、夏に行くことが少なかったから、今回薄着の女性たちが目に付いた。結論は、数人は、TVタレント(質のいい方の)並みの美人もいたが、まあ、全体的には、ボートして、チャラチャラした連中が多かった。それと、就職活動中なのか、見事に同じ格好をした(白いブラウスに濃い色のスーツ)女の子たちが、うろうろしていました。個性の時代、会社に入る前から見事に忠誠心をあらわしたような彼等に、日本の未来(会社ではなく)は如何に。
また、先の数人の美人だが、どれもマッチロ(これは真っ白の訛った言葉)で痩せているのだが、肌にしまりが無く、厚化粧で、どうもいただけない。本当の美人は、もっと、シュット、さりげないものなのでが、そんな粋な美人を見かけなくなりましたね。

そうそう、マッチロで頭に来たのが、僕は、だいたい東京に行くと献血することにしている。今年も池袋駅前のビルの8階にある献血ルームに行ったのだが、申し込んで、問診して血圧測ったりする医者が、僕の右手に気がついて「その発疹はなんですか」といういうから「もうずいぶん前に毛虫に指されたもので、もう直った痕跡です」というと、「うーん、それはまあいいが、反対の腕の、その傷は」と聞くので「どれですか」と聞き返した。そこには、蚊に食われたような、やっぱり毛虫の痕跡が数点あるだけなのである。「これですか、これも毛虫の痕跡ですよ」というと「まあ、命には別状はないが、ちょっとそれは・・」と言葉を濁した。
結局彼は、はっきりいわないが「どうもその斑点は変なもののようだから、献血はしないで欲しい」と言いたかったようである。だから、僕は「蚊に刺されてもダメなの」と聞くと「そうだ」とのたまった。ほんまかいな、東京にはマッチロイ皮膚をして、蚊や虫に刺された痕跡の無い連中ばかりが住んでいるのかい。
彼も「毛虫の毒が残っているかもしれないから、献血は差し控えてください」といえばすむものを、怪訝そうな顔をして「命に別状は無いが・・」、とは、何たる言い草か。帰りに受付で、献血手帳を受け取ったのだが、受付のオバサンに、「この虫刺されがダメなんだって」というと、急に顔つきが変わって、嫌な顔をして献血カードの端をもって手渡した。僕の斑点をエイズの斑点とでも思ったのか。
田舎で畑やって薪を切って割ってりゃ、虫刺されの斑点の一つや千個はできらー。もう東京のヤツラには僕の元気な血は一滴たりともヤンネーカラナ。


そこまで、順調にいった久々の東京であったが、とんだとこで、出来の悪い「いなかっぺ」に出会い、不愉快な最後になった。どうも、東京の田舎者は鼻持ちなら無い。
最近実に、気遣い、言葉づかいを知らない大人、それもそれなりの立場にありそうな人間たちの人間性が欠如してきたものだ。

また、あのアホの九間防衛大臣が「長崎への原爆投下は、ソ連参戦によって、アメリカが終戦を急いで落としたもので、戦争を終わらせるためには仕方なかった」旨の発言をした。九間さん、そういう視点で原爆を理由づけする論点も確かにあるでしょう。特にアメリカは、原爆が無ければ、アメリカ兵がもっと戦死し、ついでに日本人の死んだ、というでしょう。でも、あんたは、そんな視点で原爆を語っていいのでしょうか。

あんたは、ただのニコニコした魚屋(ごめんなさい魚屋さん。九間大臣に手ぬぐいで鉢巻したら、魚屋さんになると浮かんだもので)ではないのです。本来なら、日本という国の安全を1手になう筈の人なのです。
そういう人が「こんなことを言ったら、どんな反応を他者がするか」も推測できないようでは、もう直ぐに大臣止めなさい。あんたのような、軽薄な男・人間を防衛大臣に据えておいては、あんたの一言でこの国にどんな不幸が訪れるか解かりゃしない。
当然安倍さんも任命責任で辞めてもらいます。あなたは、既にこの一連の自民党(公明とは尻馬)の強行採決で、ボツチャン独裁者遊びと判明しました。

これから出かけるので、今日はここまでです。
丸山暁〈56歳・人間〉〈田舎人〉



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