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岩手県盛岡から発信、ローカルな足場からグローバルな普遍性を論じる
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ブログ新聞 『市民ジャーナル』
市民ジャーナルは、ローカルな現場の当事者の視点からグローバルな普遍性を論じようとするものです。皆さんの投稿をお待ちしています。 sj17417@yahoo.co.jp
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「天下りと学歴に関する一考察」ー僕の考える
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やっと北国に春がきたと思ったら、また雪が降ってきた。今年は雪道も少なく、冬タイヤを今日にでも交換しようと思っていたのだが、もう少し様子をみることにしよう。山の暮らしで、あわてないこと、自然に任せることを学んだはず。
 写真は、僕がここに越してきた時に植林された杉の子たちである。でっこみ引っ込み、死んだやつもあろうが、13年経ってやっと思春期の杉と言えるのではないだろうか。彼らは、このように遠めに見ると、一塊の杉林に見えるが、中に分け入って一本一本付き合ってみると、まっすぐなヤツ、ひん曲がったヤツ、根元から2本に分かれているやつ、先が折れて途中からまた頭をのぞかせて生きなおそうとしているやつ、今まさに瀕死のやつなど、色んな生き様がある。

 人間も同じこと、小学校の一クラス、まとめて見れば、かわいい子供たちだが、一人一人見れば苦楽も違い、既に未来を予見する素養、資質を備えているものである。今日のブログは読む方によっては少々差別的、偏見に満ちたものとおしかりを受けるかもしれないが、抽象的すぎると、切っ先が鈍って、論点が曖昧になるので、不愉快な方は、その時点で読むのを辞めてください。

 僕が広島市の市立吉島小学校の5年6年の時、クラス5人の仲間と「SKK/少年科学クラブ」というグループを作って、確か500円出し合って実験器具を買って、まず理科の時間に習った蒸留水を作り、何がしかの化学実験をするのだと張り切っていた。その仲間の話から入ることとする。
 遊びで、そんなクラブを作るぐらいだから、小学生にしては結構真面目なお勉強仲間である。僕は、山や海を駆け巡る自然児であると共に、程ほどに真面目な子供だったのですね。その5人は、だいたい同じ問題集(あの頃ぶ厚い『自由自在』と、何とかという問題集があった)を買って、時々問題集を持ち寄っては厚さ比べをしていた。厚さ比べというのは、勉強好きの方々にはお分かりだろう。その頃の教科書や問題集というのは、あまり紙質がよくなく、何度もページをめくっているうちに紙が痛んで、ふやけて、本がぶ厚くなってくるのである。お分かりいただけるだろうか。
 そhして、その5人の中で、何時もどの教科も一番厚くなるのが式部(名前もかっこいい)、2位が中村、3位が奥田、4番か5番が僕と神田だった。この順番は教科によって多少の違いがあるもののほとんど代わることがなかった。そしてその5人の進路は、式部が東大現役、中村が阪大現役、奥田が一ツ橋一浪、神田が早稲田現役、そして僕は埼大一浪(埼大は埼玉大学ですよ、あまり有名ではないので)。要するにこの大学ランクは、まさに小学校のあの時の、問題集のふくらみ加減と見事に一致するのである。
今思い返しても、東大に行った式部はオヤジが広大の教授で、泥棒が家に入っても知らずに勉強を続けていたという逸話のある勉強好きの少年だった。やっぱり彼は小5で既に進路は東大一本で、少々飛び抜けていたが、後の4人は知能指数も程ほどで、顔つきも並の少年で、やっぱり勉強量の多さが最終的に大学を分けたのだと今も考えている。あの頃、誰も塾には行っていなかった。
 
彼らがその後どのような人性を歩んだかは分からないが、奥田だけは、僕が竹中工務店の頃、飲んで銀座のサウナで夜明かしした時に、パンツ一丁でばったりであった。彼は司法試験浪人であった。それからは飲み仲間になり今も年賀状のやりとり程度だが、付き合いはある。

 さて、その後竹中工務店に入った時の同期には、東大、京大、など旧帝大から一ツ橋、東工大、から横国大、広大、名古屋、九大・・・そして僕が埼大とほとんどの1?2流国立大と早稲田、慶応、上智、理科大、同志社、中央、日大、近畿大・・・・とまあ1?2、3流私大まで、受験雑誌にでてくるような主要大学はほとんど軒を連ねていた。
 
 さて、これからが本番です。僕の、そんな大学体験に中で、東大出というのはどうも扱いにくかった。彼らは一様にお品が良く、ちょっと反り返ったような話し方で、なんでもそつなくこなし、理知的に見えるのだが、空想的な馬鹿話には乗ってこず、どうもあたりまえに出来すぎた人間像をそこに見てしまった。「僕たちは、頭がいいのだから、そういう道を歩いてきたのだ。」みたいな。
 多分、そういう連中の代表格がいわゆる高級官僚、キャリーになっていくのだろう。もちろん上級職試験には東大以外でも数倍の合格者があるが、とりあえず東大生に代表してもらう。
 
彼ら多くの東大生(多くというのは中には勉強しないでも出来るやつがいる)は、多分小学校から、今は幼稚園からのようであるが、勉強漬けで中学高校は東大に行くための人性で、常に他者(弱きものを追い落としてきた)を追い落としてきた族なのである。
 それは一見自らの生きる道を切り開いていたようにも見えるが、実は、日本という国のヒエラルキ?をただただよじ登ってきただけではなかったのか。そして、彼らが大人になり、官僚となり、40代、早くは30代で肩たたきにあい、役場を辞めてくれ、といわれた時に、彼らは官僚というとりあえずの頂点にたったことで疲れきり、自力で次の人性を切り開くことが出来ないのではないか。だから、彼らは、今度は駆け上ったヒエラルキ?を天下っていくしか能力がないのである。

さて、この仮説に憤慨する官僚諸君、特に東大出の官僚諸君、お怒りなら天下りを止めて、自力で次の仕事を探しなさい。普通の国民は、中卒でも高卒でも大卒でも首になっても仕事は自分で探すしかないのです。なんだか天下り禁止のかわりに、天下り手配の「人材バンク」を作るとか、あなた方は引かれたレールの上しか歩けないのでしょうか。
 断っておくが、これは全ての東大生のことではなく、あたりまえの東大生に対する話であり、中には面白いヤツ、本当の天才級もあることを付け加えておく。

 おしまいに小噺を1つ「与太郎、お前も一生懸命勉強して、東大に行って役人になって天下りするんだぞ」「冗談じゃねえやおとっつあん、鯉だって滝登り、鮭だって川を上らあ。天下りなんて、天の川に落っこちて溺れるみたいじゃねえか。天下りなら川下りのほうがまだましだい」。お粗末様。
丸山 暁〈56歳・人間〉
「僕の考えるブログ」もよろしく。
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山里便り44「ゆっくり発酵パンみたいに。」 2007年3月26日
りんご農家のmiharuさんから、
「りんごの枝を集めておきましたよ。いつでも、どうぞ。」と、連絡がきた。毎年、ストーブの焚きつけ用に、剪定をしたりんごの枝をもらっている。
その声を聞いて、いよいよ春が来たと思った。
昨夜からの雨で家まわりも雪も融け、土が見え始めた。フキノトウも食したし、クロッカスも咲き始めた。南からは、桜の便りも聞こえてきたし、何だか心も弾んでくる。

近所からは、冬の間、畳んでおいたビニールハウスを組み立てる音が聞こえてくる。その音を聞くと、園芸初心者の頃は、何だか妙にソワソワして、「春だ!種まきや植え付けをしなくっちゃ!」と、せっかちに種まきやら花の株分けをして数々の失敗を重ねてきた。このウキウキ・ソワソワを通称『園芸熱』と言うそうで、園芸初心者が誰でも1度はかかる麻疹みたいなものだそうだ。
まわりの山を見渡せば、まだ残雪もある。山の雪があるうちは、どんなに陽射しが暖かくても風は冷たいから「まだ早い。待つのさ。」と、古老たちから教わった。なるほどね。
まわりの景色や風の匂いから、種子の蒔きどきも読めるようになってきた。何よりも分かったことは、急いで蒔いても、『その時』にならないと芽が出ないということ。結局、早蒔きしても、ゆっくりと『その時』に蒔いたものと成長は揃ってしまう。
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      シラーの観察日記4。雪の下になって少々傷んだものの花が咲いた。          20070325090128.jpg
   石の間からクロッカス!

最近、一晩かけて発酵させるパン作りに凝っている。眠りながら『待つ』のだけれど、これも待つことのひとつ。
イーストを通常の1/3に減らして作る。天然酵母のパンが人気だけれど、私はイースト派。イーストパンの皮・食感・風味が好き。レンジで発酵スピードパンが一世を風靡した時もあったけれど、やっぱりゆっくり発酵したパンの方がおいしい。どうせ手をかけるなら美味しい方がいい。そこそこの味のものならお店で買えばいいもの。家庭で作れば自分の好きな味に仕上げられるし、商売をしているわけじゃないから利益を出すことも考えなくていい。自分の食べたい物は、自分で作るという人が増えるといいなあと思っている。
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ベーグルの穴が、ちょっと小さかったかも。
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          ドライフルーツ入りバゲット。 

固いパンになったり発酵過多でアルコール臭が出てしまったり、数々の失敗を繰り返したけれど、チャレンジ精神と実験や失敗が大切なコトだと思っている。それって、人生とか仕事や結婚と似ているなあと思う。
年度末、何となくドタバタとあれこれ、気持ちばかりが慌てるけれど、ゆっくりと落ち着いて、私もゆっくり発酵させようっと。(丸山淑子)
  


テーマ:食べ物 - ジャンル:ライフ

「バブル再熱、そして知事選挙」?僕の考える
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ここのとこ我が家、及び周辺の写真を乗っけることが多いようである。何故だろう。それは僕は僕の家、そして暮らしているこの辺りが好きだからである。どんな豪邸かと思いきや、ご覧のとうりの小さな山小屋のような家である。家というより「おうち」と呼びたいところである。なぜ、僕は僕の家が好きなのかといえば、けっこう手間が掛かる、もしくは手が掛かる家だからである。
まず、13年前に(どうも今まで僕は1?2年移住期間をさば読んでたみたいで14?15年前といっていたが、実はまだ13年しか経っていなかったと最近確認した次第。その割には良く頑張ってここまで生きてきたものだが)建てた家だが、約30坪500万円(消費税別)で建てた家である。もちろん設計は僕ですが、東京にいる頃図面を引いて、地元の大工さんに「500万円しかありません」とお願いして、泣きついて、立てた家である。

土地が300坪(1,000?)125万円、建物500万円、〆て625万円でここの暮らしが始まった。そんなこんなで2階は外壁だけ、天井は野路板(屋根の下地材)剥き出しで引き渡された後に、妻と一月足らずで、断熱材を入れ杉板を打ち付けて内装を仕上げた次第。畑も、単なる土一面のタバコ畑を区切って石を積み、石を敷き、小道を作り、一本一本木を植え花、ハーブを植えて、今は町から見物にやってくる人もある、豊かなハーブ菜園となった。

ここで言いたかったことは、とにかくここで暮らすには手間が掛かる。お金がないから人に頼めず自分でやる。それはそうでしょう。しかし、自分で自分の空間を知恵と体を駆使して築いて行く、そのことが、やせ我慢ではなく生きている楽しみなのです。

ところで、僕が東京銀座にあった大手ゼネコンを辞めて、ここで暮らすようになったきっかけの1つが、東京のバブル、乱開発への疑問であった。僕は乱開発と思っていたが、どうも世間ではそうは思っていなかったようで、今また東京は性懲りもなく開発ラッシュに湧き立っている。そしてバブルがまたやってきた。表参道ヒルズや六本木は地価が年に45%あがったという。これは明らかにバブルである。
TVを見ていると、並みのサラリーマン風の夫婦が5?6千万、1億というマンションを覗いている風景を映し出している。確かに景気が回復した大手企業の部課長クラスは年収1千数百万円あるだろうから、そんなマンションも買えるだろうが、今買えるからといって、このバブルとていずれ弾けてしまい、億ションもただの古びたコンクリートの墓石になってしまうのですよ。昔最先端だった多摩ニュータウンの末路のように。
以前のバブルは国内の開発業者やゼネコン、住専企業バブルだったが、今度のバブルはどうも外資系のお金が入ってきているようで、彼らはきっとバブルを膨らむだけ膨らませておいて、きっと、はじける前に売り払って、さっさと次のターゲットに移っていくのでしょう。これが市場原理、自由経済だそうである。小泉さん、安倍総理そうですよね。

ここでちょっと堅い話を1つ。今日本も世界中も、ソ連崩壊、中国の資本主義導入によって、社会主義の失敗、敗退、資本主義、自由主義の勝利と、やれグローバリズムだ市場開放だの現を抜かしているが、本当に、この世は、日本は、資本主義、市場経済のための自由主義を闇雲につっ走っていていいのだろうか。自由主義を動かす社会制度としては民主主義であるが、この民主主義が曲者であることは何度か書いた。
要するに今という時代、自由主義、民主主義というだけで、どのような社会をめざすのかと言うビジョンがちっとも見えてこないのである。ただ市場経済で儲けることが世の全てで、それが自由主義、民主主義というのであれば、どんな世の中になってもしようがない。戦争が起こっても、貧富の差が拡大しても、仕方ないのだ。そんな世界観を世界は、特に日本社会は持ってしまった、能無しの政治家どもに持たされてしまったのではないか。

しかし、果たしてそうなのだろうか。確かに社会主義国家、共産主義国家を目指した国は崩壊するか、市場経済化していった。今残るマルクスレーニン的社会主義国家は、狂人独裁体制の北朝鮮ぐらいに思われている。しかし実は、まともな社会主義政権も増えてきているのである。ベネズエラやキューバ(キューバはアメリカのいじめがなければ結構いい線いくだろう)など、また社会主義国家だけではなく、実はイギリス(ブレア労働党)もフランス(ジャスパン社会党政権)、ドイツ(シュレイダー社民党)も社会主義系の政権なのである。まして、福祉国家北欧の政策はまさに福祉的民主主義社会主義国家なのである。

何故、日本の政治家、批評家、特に昔社会主義、民衆のため、世界平和のためといっていた、左翼系の知識人や評論家は何処に雲隠れしてしまったのだろう。社会主義官僚国家が崩壊したからといって、社会主義思想、富の配分という社会が最も考えなければならないテーマが消えたわけではないのです。
今の日本の政治体制は、自民党はもう手におえないとしても、民主党もだらしない。社会党は社会党を名乗ることすら恥ずかしく、共産党もなんだか何をやりたいのやら、困ったものだ。庶民のためといくら叫んでも、その先が見えてこない。
僕の言いたいのは、イデオロギーや世界の動向ではなく、僕たちは僕たちの国に何を求めるのかを本当に真剣に考えないと、この国はバブルと不況というマネーゲームの格好のターゲットとなり、少数成金と多くの真綿で首を締められて身動きの取れない労働者(今は昔でいうホワイトカラーこそ労働者である)、世を捨てた放浪者かアナーキストの国になってしまいます。

あちこちで選挙選挙とうるさくなってきた。今年はもう投票は止めよう。そんな気になる候補ばかりである。石原都知事よ、カルガモ親子のようにピヨピヨしたガキを引き連れての「カルガモ選挙」はみっともないですよ。せっかく東京から岩手にやってきたのに、岩手県知事選に、あほな覆面レスラー、サスケが出馬した。岩手県民よ、サスケを知事にするようなら恥ずかしくて、僕は今度はどこに行けばいいのだ。サスケを落とすために選挙にいくか。

最後に小噺を1つ、アホな与太郎曰く「またいっぱいシャボン玉(バブル)が膨らんでとんでんだってね、はじけたら大変だ、びしょびしょだね」熊さん答え「なあに、バブルはみんな外国に飛んで行かあ。あっちには金が降り、はじけりゃこっちにゃ何にもねえ、俺たち貧乏人の知ったことか」
丸山 暁〈56歳・人間〉
「僕の考えるブログ」もよろしく。


岩手競馬・追記
 最近のマスコミの報道が廃止で職を失いそうな競馬関係者のことを取り上げている。特にテレビにその傾向が強いような気がする。
 そういえば、この1?2年、訳の分からない風水師(?)などを使ったCMが盛んに流れたりしていたっけ。
 民放4局で年間いくらになるのか分からないが、競馬廃止で最も影響を受けるのは、もしかしてテレビ局なのかもしれない…。
 だから、あんな報道になると考えると、合点がいくなあ。(ゼロテン)

狭い視野で論じてないか?岩手競馬の存廃
 岩手競馬が一転存続する方向になった。県議会が1票差で下した結論が、1票差で覆された。
 岩手競馬に未来はないと多くの県民が考えていると思うのだが、2千数百人といわれる関係者の雇用と、奥州市などの地域経済への影響ということを持ち出されると、揺れ動いてしまうということなのだろうか。
 一旦、廃止の方向が固まりかけた後のテレビや新聞の報道は、競馬関係者などへのインタビューなどに偏りがちになり、存続への巻き返しを予測あるいは、支援するような報道が目についた。

 盛岡市と奥州市が10億円ずつ負担を増やしたといっても、根本的には何も変わらないということはだれでも分かる。
 今回、存続させたとしても、来年か、近い将来、再び存廃を議論することになるのは目に見えているが、とりあえず先送りしたにすぎない。
 関係者の声もあっただろうが、ここに至った責任を明らかにすることを避け、廃止によって生じるさまざまな課題、いわば“敗戦処理”を先延ばししたいという行政と議会関係者の意向が作用した結果でもある。

 ただ、落ち着いて、2千数百人の雇用や地域経済への影響というが、138万県民の生活、沿岸や県北を挙げるまでもなく県全体の経済、そして今後を考えると、視野が狭すぎないだろうか。
 もちろん、マスコミもである。
 競馬関係者が職を失うというのは大きな問題ではあるが、職を失っている、あるいは不安定な雇用にさらされている県民はその何倍もいるのではないか。
 地域経済にしても、厳しい現実の中で必死に活路を探している中小企業者や商店主は県内にたくさんいるだろう。
 本来、そんな状況を打開するために使ってしかるべき予算が、緊急措置とはいえ、一部地域、業種に投入されると考えると、不公平感は否めない。
 競馬だけでなく、行政が関与した営利事業がうまくいっていない時代に、存続しても収益が上がるどころか、赤字を増やしかねない。
 雇用や地域経済にしても、時間稼ぎがうまくいけばいいが、逆の結果となる可能性もある。

 納得がいかないことの一つに金融機関の貸し手責任というのもある。
 行政と表裏一体の組合だから、どんどん貸した金融機関だけが、何の負担もせずに儲けるというのはいかがなものか。
 負担を求める仕組みがあるのかないのか分からないが、常識的に考えれば金融機関にも応分の負担を求めるのが筋だと思う。

 少なくとも、迫られている返済分を少なくとも半年でも据え置きで返済を猶予させ、岩手競馬の存続問題を争点に知事選や県議選、市議選をする。できるなら、県民投票をやって、県民の意志が反映された結論を出したらいい。
 賛否が拮抗しただけに、存続にしろ廃止にしろ、自らの意志を反映させることができないことに歯がゆさを感じている県民も多いのではないだろうか。(ゼロテン)

ライブドア堀江元社長実刑判決で思うこと
ライブドア元社長ホリエモンこと堀江貴文の一審裁判で実刑判決が出されたが、この判決を聞いて、日本の社会はこれで本当にいいのか、という疑問がふつふつと湧いて来た。
私は、ホリエモンが有罪か無罪かは分からないので、そこを問題にするつもりはない。まあ、ホリエモンが粉飾の事実を知らなかったと言うのは本当かな?との疑問は大いにある。

それはさておいて、判決の中で疑問に思ったのは、「反省の情が認められないから執行猶予を付けず実刑とする」と。こんなことがまかり通っていいのだろうか。有罪か無罪かを争っている被告が、無罪を主張することが量刑を重くするなんて、裁判長が「自分の心証に沿わないものは厳罰だ!」と言っているようなものだ。
また閉廷前に裁判長が、堀江被告に勇気づけられたという障害者の母親から届いた手紙を紹介し諭したと言うが、こういう事案でそんな情緒的なことを裁判長が言う必要があるのだろう、私は違和感を覚える。裁判長は情緒的・感情的過ぎるのではないか。
また、テレビでは、多くの個人投資家に多大な損害を与えたことの責任を問うていたが、そもそもライブドアの株を買うなんてことは競馬の馬券を買うようなもので、博打と同じ感覚なのだから、外れて損をしたなんて騒いでいる投資家を、他人が同情する必要はない。

今回の判決の後いろいろ言われていることに、「日興コーディアルの粉飾決算」や「北陸電力の原発事故隠蔽」と較べてどうなのか、ということだ。
日興や北陸電力は組織的ではなかったというが、会社が本当に組織的に関与していなかったのなら、会社はこの件の担当者を背任で告訴すべきである。そうしないということは組織ぐるみの犯行だと言うことだろう。

どうも今回のライブドア事件は、 “日本旦那クラブ”の荘園に勝手に入り込んで商売を始めて大儲けした成り上がり者に対し、既存の勢力の旦那衆が既得権益を脅かされることに脅威を感じ、これを叩いて見せしめにしたと言う構図がしっくり来る。

法の抜け穴をついて金儲けすることを問題視するのなら、個人投資家を言葉巧みに株投資に誘い込んで利益をあげる証券業界、ゼロ金利を利用して空前の利益をあげた銀行業界、排気ガスや交通事故の問題から目を背けて巨額の利益をあげる自動車会社、中毒症状や肺癌を発生させる毒を売りながら莫大な利益をあげるたばこ会社、CO2排出による地球環境問題に対応しようとしない産業界など、こういうところは問題ないのか。
世の中もう少し単純に眺めることも必要ではないだろうか。


山里便り43 「メタボリックな苺たち。」 2007年3月18日
暑さ寒さも彼岸までというが、ここ数日は寒い。
今朝の気温もマイナス9℃だった。先日の大雪で、あたり一面雪景色に変わり、土も見えない。覚悟のできている冬の寒さより、春先の寒さの方が、身にも心にもこたえる。
「あーあ。冬みたい・・。」と思いつつ、朝食を食べていたら、テレビにつやつやと真っ赤な大きいイチゴが登場した。丈は7?8センチ、腹回りは、ヒトで言うならばメタボリックシンドロームっていうかんじのイチゴたち。
「おっきい・・。」とあっけにとられて見ていたら、イチゴのブランド化が過熱しているという番組だった。美味しそうというよりは、何だか不気味というかビョーキのイチゴたちに見えてしまった。
ヒトは本能的に酸っぱい食べものには、拒否反応を示す生き物なのだそうだ。酸っぱいイコール腐っているという構図ができているらしい。それにしても、ベリーと名が付くからには、酸味もなくてはイチゴじゃない!

酸味の少ない果物が増え、果物売り場に糖度表示がされることが、あたりまえみたいになってきた。なんだか、つまらない。工業製品ではあるまいし、1パック・1袋の中に甘いものや酸っぱいものが混ざっていた方がドキドキする。酸っぱいやつの後に、今度は甘いかなあと期待して食べたりして。味も形も口当たりよく、姿良く揃えていくのは、今の日本の社会みたいだ。

その番組によると、全国で168品種のイチゴが栽培されているそうだ。消費者がイチゴを選ぶ基準は、甘さが一位。以下、品質・価格と続くと説明していた。ゆえに、甘くて大きなイチゴが、次々に誕生するらしい。
今の時代、農薬のことなど気にしていたら何も食べられないということなのか、それとも安全だと信じているのか、生産過程については、何ら気にしていないようだった。
私の母は、イチゴを食べない。生食で皮をむかずに食すものは、避けたいと言っている。彼女は、はなから表示を信じていないようだ。
フツーより大きくて甘いイチゴをつくろうとしたら、より長い期間、病害虫がつかないように育てるわけだから、やっぱり農薬散布の回数が増えるのではないかと思うのは素人考えなのだろうか。先日も、栃木県産イチゴの一部から、規定の8倍の残留農薬が見つかったばかりだ。

お宝野菜(伝統野菜)復活ブームや競争の激しいフルーツ市場の中で、果物や野菜のブランド化が益々過熱し、登場しては消えていくものも多い。どうにか生き残ろうと、しのぎを削っていく。これでは、農家が落ち着いて土つくりも農業もできないのじゃないかな。日本の農業は、やっぱり、あやういなあ。
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イチゴクリームに、イチゴをトッピング。大迫でも数年前から、観光イチゴ園がオープンした。産直に定番の『とちおとめ』や『さちのか』が並んでいる。栽培技術が向上したのか、めっきり粒が揃ってきた。
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シラーの観察日記3。蕾がふくらんできたのに、今週は雪の下。多分、このあたりだと思う。
(丸山淑子)

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「死者の数、数のトリック」?僕の考える
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シンシンと降る雪、夕暮れ時の静けさをほのかに照らし出す手作りの外灯。いい風情ですね。春近くなって、やっと冬を満喫しました。これで、心も体もしっかり冬を感じたので、きっと春を気持ちよく迎えられるでしょう。やっぱり季節はカレンダーの数字ではなく直接身体的に感じるものです。
ところで、気象庁がサクラの開花予想を間違えて、「ごめんなさい」と謝っているシーンをTVでやっていたが、開花予想のプログラムにデータ?を間違って入力したそうだ。ま、それも情けないことだが、出てきたアウトプットをそのまま疑いもなく発表してしまった気象庁そのものが情けない。あなた方には、既に気象、気候を判断する身体的能力、センスを失ってしまったのでしょうか。
気象予報は昔から西の空を見上げて「お、夕焼けだ、明日は晴れだな」とか「ナマ暖かい風が吹いてきた、こりゃあ雨だ」そんなものであたっていたのです。それが、コンピューターなんぞに頼り切ってしまうから、こんなことになるのです。気象予報士とやらのかわいいおね?さんたちを並べたからといって、気象予報ができる身体的能力がなければ、ただの見せ掛け、賑やかしのお天気人形ですよ。

こういう現象はとにかく最近多くなってきた。コンピューターというシステムにデータ?を入力して、そこから出された結果が全てであり、鵜呑みにしてしまう。いつの間にか、人間は蓄積した経験や第六感や身体的判断能力を失い、情報伝達端末機となり、コンピューターの一部分となってしまった。情けない。何度も書いているのでこの件はこの辺で。
その辺りの感覚欠如、麻痺は、ちょっと状況は異なるが、事務所費507万円の穴埋めに、一本5,000円の水を飲んでいると、平気で言ってのける松岡農林水産大臣の数字感覚の欠落と同じかもしれない。彼は自分では掛け算も足し算も、もちろん割り算も出来なくなってしまったようだ。要は、ものごとを自分の意識、感覚、経験で判断できないという意味において。

今この世の多くの現象が数字で表現されている。先の気象予報も、降水確率で表され、内閣支持率など、青果市場の白菜の値動きの如く上がったり下がったり毎日のように報道されている。これなどどうでもいいことで、小泉発言と違って意味で、「鈍感」であってもいいだろう。ただし、僕の安倍内閣支持率はマイナス50%だが。

このように、数字が闊歩する今の世の中で、もっとも僕が気になる数字は、「死者の数」である。新聞を開けば、ニュースを見れば「ヘリコプター撃墜によりアメリカ兵6人死亡」「イラクで爆弾テロ50人死亡」「米軍テロ組織掃討作戦で150人殺害」「アメリカ軍イラク戦で死者3,000人を越す」「イラク人の死者60,000人」・・・これらの数字はアメリカがしかけたイラク戦争によって発生した様々な状況での死者の数である。これら数字は僕たちに何を訴えかけてくるのだろうか。その数の裏に人間の身体的死が見えているだろうか。

昔の戦争、ついこの間までの2次大戦でも、ベトナム戦争でも戦略的に何処何処を占領した、何処から撤退した、首都陥落などと、個々の戦闘には目標があった。そして、その目的を達すれば、戦争は少なくとも中断したり、戦闘は終結した。しかし今の戦争は、何を攻略したら終わりになるというターゲットがない。もちろんアメリカが撤退するのが一番いいのだが、今すぐ撤退したとして、すぐイラクが平和になることはないだろう。今度は、延々と続く宗教、民族間の内戦に突入するかもしれない。それでも、まずアメリカは撤退して、戦争犯罪人として裁かれるべきであるが。

すこし、数字から離れたが、ここで言いたいのは、先に上げた数で表される死が、個々の人間の死をあらわすのではなく、マス、塊としての戦果、もしくは被害の単なる尺度になってしまっているということである。この戦争は、何処何処を制圧した、何処何処から撤退したという、具体的な戦闘による地勢的な戦果が見えてこない戦争なのである。そこには人間の死がカウントされ続けるだけで、死者の山を累々と積み重ねるだけである。多分アメリカは、イラク人の死者が10万人に達しても戦争を止めないだろうが、アメリカ兵が1万人死んだら即撤退するだろう。アメリカにとっての死者の数の意味はその程度のものであろう。これは決してアメリカ人個々の死を揶揄したり皮肉るものではない、個々に死は、かけがえのない人間の死である。もちろんイラク人の死も。
死者の数が戦果になってしまった戦争、それはこの世で最も醜く残酷な戦争である。日本はそのような戦争に今だ積極的に加担している。

今回は戦争論ではなく、数の話なので、数の小噺を1つ「世界中でカブ(株)が大幅に下がったんだってね」「そうかい、そりゃカカアが喜ぶぜ、だけどカブばかり食ってもいられねえ、漬物にでもしておくか」。
要するに、毎日毎日、一日に何回も「株価があがったの下がったの」だから一体何なの、と言いたいのである。確かに世界大戦の引き金にもなったウォール街での株の大暴落並の株価の変動なら、「こりゃ大変、少しは何とか考えなければ」と思うかもしれないが、元々株には縁のない僕なんぞ手の打ちようがない。
ましてや、日々の何十円下がった、何百円あがったなど、どうでもいいことなのです。これは為替の日々の変動も同じこと、2円上がったの30銭さがったのそんなこと言われたって、いったい僕にどうしろと言うのだろう。もちろん株やさんや為替取引や輸出産業は一喜一憂してパソコンにしがみついているのだろうが、それは仕事であたりまえ。しかし、そんな数字を本気で気にしているのは日本人の数パーセントではないのだろうか。
こういう数字、日々否が応でも世界の株価、為替の変動を見せられるうちに、僕たち単なる生活者に、なんだか世界経済の荒波を生きている、すなわちグローバル経済を生きているという感覚を植え付けているのではないだろうか。

さて、結論です。個々の尊厳ある人間の死の数を戦果の指標にしてはならない。天気予報の指標を人間の身体に取り戻せ。株価、為替の上下なんていう、グローバル経済のトリックに騙されるな。
堀江貴文に実刑判決が出た。彼は何故?といっている。彼は単なる集金システムの端末機であって、社会システムが分かっていなかった。今も分かろうとしていない。
丸山 暁〈56歳・人間〉
「僕の考えるブログ」もよろしく。『西欧「偶景」今昔話』画/文丸山暁(新風舎)もよろしく。

西武の裏金問題
プロ野球・西武がアマチュア選手2人に金銭を渡していた問題で、金を受け取っていた選手二人マスコミの前で頭を深深と下げる映像がテレビで放映された。その内の一人の大学生は野球部から退部させられた。
私は、この問題で謝罪して頭を下げた二人の若者を責めようという気がしないし、むしろ同情する。
スポーツ選手が大学に進学する時に、その才能を評価し、あるいは大学の宣伝のために優先的に入学させ、授業料を免除したり奨学金を支給する例は珍しくない。それは好ましいかどうかは別にして、現代の社会では堂々と認められていることである。
この二人の選手は、その才能を認めて奨学金を出してくれるスポンサーがついていたのだ。そのスポンサーがたまたまプロ野球球団であったということで問題となっているのだ。
選手側の立場から見れば、自分の才能を認めて支援してくれるのであれば、スポーツ用品メーカーであろうが、ウイスキーメーカーであろうが、銀行であろうが、サラ金会社であろうが、大学であろうが、どこでも構わないしどこでも差はないのだ。
受け取ったお金の趣旨は、将来の就職手付金、支度金のようなもので、賄賂でもないし、八百長の報酬でもない。
私には何故この二人の若い選手が、マスコミの前で謝罪会見をして頭を下げさせられ、退部処分を受けたり、所属する野球部が大会出場を自粛したりする必要があるのか理解できない。

今回の問題は、お金を出した西武球団がプロ球界内部の取り決めを破ったことが問題で、それはプロ球界という一業界内の企業モラルの問題なのである。そしてこういう事をしているのが西武だけなのか。そこにメスを入れることこそが今回の問題の焦点ではないかと私は思う。
私に納得できないところがあるが、はっきり事情を説明して謝罪した若者二人はむしろ立派な態度であると思う。
事務所費問題で、「制度的に何も問題はない」と情報を公開しようとしない松岡農水相安部総理に、つめの垢でも煎じて飲ませたいものだ。
<疾風>
球春たけなわ?田中将大と藤川球児に注目
ここ盛岡では雪が殆んど降らなかったせいで、季節感が薄らいで、やっと春が近づいてきたという実感がまるで湧かない。
ダラダラと時間が経過してゆくようなヘンな感覚で3月を向かえた。
北国に雪が降らなくても、2月からはプロ野球のキャンプが始まり、3月に入るとオープン戦もたけなわとなってきた。

さて、今年のプロ野球は久し振りに大物ルーキーが話題をさらっている。
言わずと知れた、駒大苫小牧高校から楽天に入団した田中将大投手である。
プロ向きのふてぶてしい面構えと繊細な神経を併せ持って、すでに大器の風格を滲み出している。

テレビで見るあのキレのいいスライダーはただ者ではない。巷ではこぞって今年大リーグ入りした松坂大輔以来と評しているが、私のような50代の人間にはもっと懐かしい名前が浮かんでくる。
その名は、尾崎、池永、堀内・・・・。
怪童尾崎行雄は浪商を2年で中退して東映フライヤーズに入団し、1962年若干17歳にして20勝を挙げ、衝撃のデビューを果した。
当時私は12歳の野球少年だったが、あのロッキングモーションから繰り出される剛速球に、大毎の4番打者山内が三振を喫したシーンは今も鮮明に目に焼き付いている。
ロッキングモーションは当時は小学生の間でも流行し、もちろん私もこれを真似て尾崎の気分に浸ったものであった。
尾崎はもはや伝説であるが、そこまで行かなくても、悪太郎こと堀内恒夫くらいまではいきそうな気配を感じる。
久々に期待を抱かせる楽しみな逸材である。

今年のプロ野球でもう一つ私が注目しているのは、阪神タイガースの藤川球児投手。
昨シーズン2006年の藤川のストレートは、伝説の怪童尾崎と並ぶ、プロ野球史上最高のストレートボールであったと私は思っている。
尾崎がマサカリストレートなら、藤川はカミソリストレートとである。
見え見えのストレートをど真ん中に投げ込んでバットにかすりもさせない。
プロ野球を50年近く見てきた私でも初めての見るシーンが幾度となく見られたのだ。
尾崎の時代よりバットが軽量化し打撃技術が格段に進歩したことを考えると、藤川のストレートは日本プロ野球史上最高と言っても過言ではないかもしれない。
いずれ玄人筋の間で伝説として語り継がれるだろうと思っている。
伝説を現実に見ることができるなんてことはめったにあることではない。
今年も見られるだろうか。昨シーズン後半にいためた肩は回復しているだろうか。あれほどの速球投手はほとんどが短命である。見られるうちにしっかりとこの目に焼き付けておきたい代物である。

山里便り42 「いり卵とスクランブルエッグは、違うのに・・。」 2007年3月11日
『御馳走帖』という書名に引かれて、内田百を読んだ。
今どきの言葉と違い、言葉に慣れるまでは読みにくかったが、昔の人の言葉には色気があったなあと思いつつ巻末を見ると、
「本書の文章の文中で、今日の歴史的・人権意識に照らして不適切と思われる表現が見られますが、時代的背景と作品の価値を鑑み、そのままとしました。当時の政治的・社会的状況を充分にお考えいただき、ご賢読いただきますようお願い致します。」と、編集部からの断り書きがあった。
「どこどこ?どの部分?」と、不適切な言葉が分からないまま、最後まで読み終えてしまった。『女中』だろうか・・。

誰でもが抵抗なく使える名前に改めるべきということで、魚介類や昆虫の名前も改名が進んでいる。掃除婦・用務員・ジプシーなどもタブーの言葉になった。清掃作業員とか学校補助職員などと表現するらしい。
やたらと長い。分かりやすい表現が求められている時代に、人間関係を重視してか、ぼかして、間接的で、やんわりとした表現が増えている。人間関係を重視している割には、逆に、関係そのものは希薄になっている。
差別用語と呼ばれる言葉が問題なのではなく、その言葉に対する偏見と蔑視が問題なのだと思う。時と場合によっては、美しく正しい言葉使いだけでは、到底、間に合わないこともある。

「今どきの若い者の言葉使いは、なっていない。敬語を知らない。」と、私も言われて育った。今どきの若い者は云々ということは、いつの時代にも言われ続けてきたことだ。試しに祖母に聞いたことがある。祖母も、今どきの若いもの云々を言われて育ったという。若いうちから敬語を流暢に使える人間の方が、妙ではないか。間違った言葉使いは、その度に、まわりの大人が直して教えてくれれば、それでいい。
尊敬していない相手に尊敬語を使うのも妙な感じだし、企業のトップのお詫び会見などは、いくら丁寧語や謙譲語を並べられても慇懃無礼な印象しか残らない。
形式だけ整えてみたところで、心が伝わらない言葉・届かない言葉は、言葉の意味がない。

『ら』抜き言葉が認知され、古語から現代語に長い年月をかけて変化したように、
明治維新で新しい造語が一気に増えたように、
言葉は、時代の移り変わりや社会の必然性によって変わっていくものなのだろう。
ただ、身体(しんたい)を使った表現が差し障りがあり、料理の手ばかり・目ばかりが忘れられていくのは、ちょっと寂しい。
それに、いつの間にかスクランブルド・エッグといり卵が、同じものということになってしまっている。
スクランブルド・エッグは油を使う料理だし、いり卵は油を使わず作る、ほのぼのとした日本のおかあさんの料理なのに・・。
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けなげ!シラーの蕾が膨らんできた。20070311081645.jpg
ローリエの新芽が発芽!
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薪ストーブを一日中焚くこともなくなってきた。ことことふっくらの煮豆つくりも、そろそろ終わり。   20070311081737.jpg

(丸山淑子)

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「国会崩壊」ー僕の考える
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薄っすらと雪が積もりました。久々に寒い一日でした。そんな日は、市民ジャーナルの原稿を書きながら、お家で過ごしましょう。いつもならこの時期、湿ったどか雪が降って、重い雪かきで大変なのだが、既に地温も上がってきているので、積もった雪ははなから解けていく。政治のこんがらがりや、国際関係のねじれも、雪解けのように自然解消してくれればいいのだが、どうも、政治や国際社会は馬鹿と阿呆の絡み合いなだけに、疑心暗鬼の世界、魔物の世界で厄介なものである。

 先日国会中継を見ていて、相変わらずの馬鹿なやりとりにあきれてしまったが(今更あきれるまでもないのだが)、安倍総理が自民党の片山虎之助(?)議員の質問に「先生のご質問にお答えして・・・」と、たかが国会議員同士のやりとりに先生と呼び合っていた。まあ、彼らも巷では、彼らを担ぎ上げる族からは先生と呼ばれているようだが、国会の場で、議員同志、先生はないだろう。彼らには「先生と呼ばれるほどの馬鹿じゃなし」という、理性的な市民の間では当たり前のことがちっとも分かってないのである。

 『裸の大様』という話がある。裸の王様というのは、自分の本当の姿に気づこうとしないで、威張りくさっている王様のことであり、国会議員の本分を忘れ、痴話げんかや痴呆ごっこ(言った言わない覚えていない)に終始し、お互い先生と呼び合っている族はまさに裸の大様以外の何者でもない。なかなかいい喩えでしょう。少しでも彼らに、自分たちのやっていることを客観的に見る勇気があるなら、とてもTVの前に立てるはずがないのだが、それでも立ち続けているのは彼らが裸の大様である証である。ま、彼らは大様の器ではないから、「裸の先生様」ということにしておこう。

 国会議員を「裸の先生様(大様)」に例えたのは面白かったでしょう。次に近年問題になっている「学級崩壊」をモデルとして「国会崩壊」について考えてみる。

 「学級崩壊」というのは、ご存知のように小学校などで、「子供たちがおしゃべりしたり立ち上がったり、動き回ったりして授業が出来ない」ことをいう。では「国会崩壊」とは、国会議員の先生たちが、おしゃべりしたり野次を飛ばしたり、居眠りしたり、席から立ったり(だいたい選挙が近づくと国会にも出てこない)、最後は乱闘騒ぎで審議が出来ない」ことをいう。

これだけでも「国会崩壊」だけでも問題なのに、もっといけないのが、「国会議員は嘘をつく」ことである。国会というのは、何で成り立っているかというと、言葉を媒介とした人間同士(それぞれ党派を背負っているにしても)の対話(コミュニケーション)である。対話が成り立つ最低条件は嘘をつかない、ということである。ものを知らない、世の中を見ていない、世界が見えない、無知な国会議員は多いが、それでも、ちゃんと議論してくれれば、少しは国会議員らしいのだが、嘘をついてはいけません。

松岡農水大臣(多分農水だったと思う。最近の大臣は仕事のことでは話題にならないので、何大臣だか記憶に残らない)の事務所費問題で、光熱水道代0の議員会館の500数十万円の光熱水道代計上に対して「浄水器をつけた、暖房機を買った」と国会の場で答弁(答弁とは言いたくないね、言い訳にもならない言い訳)していたが、実際に事務所には浄水器はなかった(たとえあっても浄水器なんて2万円程度でしょう)という(朝日新聞)。
その姿は、子供が食べてはいけないと言われていたケーキを食べて、口の周りにクリームがついているのに、母親に「ケーキ食べたでしょう」といわれ「僕は食べていない。ケーキなんてなかった」と言っているようなものである。
こんなこと、子供なら、お尻ペンペンですむが、「松岡大臣よ、いやさ松岡、あんたは日本の最高機関国会という言う場で大嘘(情けないほど幼稚だが)をついたのだ」これは明らかに偽証罪ではないのか。重い重い犯罪ですよ。

こんな連中が大臣やってるようじゃ、安倍内閣なんて、ただの嘘つき集団ではないですか。これじゃ、小学生の学級会の方がよっぽど真摯で真面目ですよ。
要するに、彼らは日本語同士の国内政治でもこの程度なのだから、国際政治の舞台では、「ナニガナンダカ、ワッカラナイノヨ」というところではないか。
まあ、国会議員や大臣なんて、公式の場では官僚が事前に作ったシナリオを忠実に鸚鵡返ししているのだろうが(多分、今の政治家に自分の頭で考えさしたらえらいことになる(安倍総理の従軍慰安婦発言、九間防衛大臣のイラク発言などなど)。それでも、残念ながら彼らの国際会議での発言、通常の発言でも国際的には大きな意味を持ってくる。
例えば、安倍総理が「拉致問題の解決無くして、国交正常化なしというのは、アメリカも同じ考え」と力説しているが、アメリカ側は「拉致問題は重要だが、それが全ての条件ではない」旨の発言をしている。このような差異は、当然政治的駆け引きとしてはありうるだろうが、それでも「日本とアメリカの認識は同じである」と安倍総理が繰り返す時、彼は子供の如く頑なに「僕は信じている」という悲壮感があり、とても駆け引きしている賢さは見えてこない。
特に国際政治の場合、異なる言語間の対話であり、翻訳という行為が介在することで、ほんとのところ相手が何を言いたかったのか理解できないうちに、何らかの結論をだしてしまっているのではないだろうか。もちろん最終的には、文章化して署名しているのだろうが。

実は、今、コミュニケーション、翻訳、署名ということが、哲学的に最も重要なテーマである。これを脱構築しなければならない。それと同時に、この国の権威、国会、政治、国会議員を脱構築しなければならない。多分、国会議員は、裁判員制度と同じに国民の中から任意抽出して、一年任期、年収1,000万円、当然世襲制なし、というところが良いのではないだろうか。
そうそう、TVで有名な丸山弁護士が都知事選に出るとか出ないとか、同じ丸山だから頑張れと言いたいとこだが、ま、丸山さん、この辺りは静かにしておいた方が良いのでは。あんまり、政治をオモチャにしないでね。ダンディーじゃないよ。
丸山 暁〈56歳・人間〉
〈僕の考えるブログ〉もよろしく。丸山暁著『西欧「偶景」今昔話』新風舎(1200円)も御一読を・・Amazonで御購入を!

再度事所費問題を問う
野中宏務自民党元幹事長がテレビ番組「時事放談」で、民主党小沢党首の事務所費に問題を非難する発言を行なった。
しかし、この野中という人物は少しも物事の本質が分かっていない。

事務所費の内訳を公表した小沢と、資料の公開に応じない安部総理、松岡農相、伊吹文部科学相などと、どっちが問題か。ここが分からないようではテレビにしゃしゃり出てものを言う資格はない。
小沢の公開した内容が良いか悪いかは、自民党側の安部総理以下が資料を公表し、同じ土俵に上がった後、じっくり論じるべきものである。
何度も言うが、公開した方がその内容を非難され、公開しないで隠している方が非難を受けずに逃げ切るとすれば、誰も情報公開などには応しなくなる。
そうなれば、民主主義の崩壊、社会道徳の崩壊である。

自派の肩を持ち相手方を非難したい気持ちは分かるが、余りの無分別では聞いていて呆れてしまう。

議員を引退して俗世を離れたご意見番的に持ち上げられているのだから、大所高所から正義の基本を外さぬように発言してもらいたい。
若者が見ているのだから。
<はやて>

山里便り41「春3月に、つらつらと思うこと。」 2007年3月4日
風なし。トラック通らず。通勤の車少なし。絶好の野焼き日和。
晴れて暖かな土曜日の夕方、表の土手の野焼きをしようと思って見たら、すでに草が青々と育っている。今年は、野焼きのタイミングを逃したようだ。
その上、鐘を鳴らし、消防団が「乾燥しています。火災に注意をしましょう。」というテープを流しながら、うちの前を通り過ぎた。ああ、もう完全にあきらめなくては・・。
楽しみを奪われて、仕方がない市民ジャーナルの原稿でも書くかとパソコンの前に座った。

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クリスマスローズ・早生咲きのシラーが出てきた! 20070304084459.jpg

このところ気になっていることがある。私が書いているこのブログの中で、アメリカがしばしば登場する。しかも、あまり好い場面で登場していない。特に、アメリカ人にうらみや悪い感情を持っているわけではなのだが、ただ、アメリカという国家となると話は別になる。
アメリカが再三登場するのは、いかに私たちの生活の中にアメリカという国が入り込んでいるかということだ。テレビ番組で○○評論家・○○学者の皆さんの話は、先進的な例として「アメリカでは・・。」という枕詞から始まる場合が多い。「また、アメリカの話か・・。」と思いながら見ている。ニュース番組でも毎日のようにアメリカが登場する。岩手県が出てこなくても、アメリカが出てこない日は殆どない。

30年近くアメリカに住んでいる友人が、「アメリカに住んでいると、アメリカのこと以外知らないの。そういう国なのよ。」と、憂鬱そうに話していた。
フランスに20年近く住む友人は、「日本のニュースは、アメリカよりだからねえ。」と、嘲笑的に言っていた。
私たちはアメリカ人のようにアメリカを通して世界を見ているのだと思う。
アメリカに圧力をかけられてもイラクに軍隊を送らず、医療福祉の充実した犯罪の少ないカナダの事情や同じアジアの国々の報道は少ない。そして、アメリカの不都合な報道も少ない。

アメリカの農業はと言えば、国際化・大規模化・高収量化・企業化を目指し、農作業を極限まで単純化し、労働を可能な限り減らして作業効率を高めたが、結局、ほとんどの農家の収入は上がらず、利益を得ているのは1%強の農家にすぎない。日本以上に労働力不足・後継者不足の状態で、有機・自然農業に活路を求める中小家族経営者が増加しているという。
アメリカ得意のひとり勝ち・格差社会です!
日本の農業も、そんな結果に終わったアメリカの農業を追いかけている、と思う。

自称民主的で自由の国のアメリカに対し、ミュンヘンで開催された安全保障国際会議でプーチン大統領が、「世界を危険に陥れ、民主主義を破壊している。」と発言した。時代も変わったものだと思う。

高レベル放射性廃棄物を受け入れる受け入れないで、東洋町が騒動になっているが、岩手県だって人ごとではない。隣町の遠野に埋められたら困るけれど、かと言って他所に持っていけとも言えないし、フランスにだけお願いし続けるわけにもいかない。すでにあるものは、どうかしなくていけないし・・。
世界で唯一原爆を落とした国アメリカが、世界で唯一原爆を落とされた国日本の高レベル核廃棄物を引き取ってくれるといいのにと、真面目に思っている。あんなに広い国土も持っていることだし。

どんなに慕ったところで、食べるものや石油がなくなっても、アメリカがどうにかしてくれわけがないし、とりあえず、自分たちの食べるものは自分たちで作ろうと、今年も、そろそろ菜園計画を始めようと思う春、3月。
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棒寿司といちご大福。不揃いなイチゴは便利。小粒なものを選び、あんで包み生クリームをのせて、レンジでつくった求肥皮で包む。いくつになっても、ひな祭りは祝っている!  
(丸山淑子)

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「どうも、村上・ホリエモンです」?僕の考える
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この2台の自転車は、20数年前東京の高尾で僕が結婚した時に、上さんとスポーツ車で風を切って疾走するのが夢だったので買ったものである。買った後、上さんはママチャリにも乗れないことが分かって、それからが大変だったが、それでも乗りこなし、春夏秋冬雨の日も風の日も甲州街道、環八を買い物に図書館通いに疾走した仲間である。ここに来てからも何年かは乗っていたのだが、山の暮らしはやっぱり車で、今はパンクしてブレーキワイヤも切れて雨ざらしになっている。それでも「今度修理してまた乗るからね」といつも語りかけている。「オバケと今度は出てこない」というけれど、自分で自分に嘘をついてしまうことになるから、今年はなんとか修理にとり掛かりたいと思っている。
 
人間は相手が人間でなくても、語りかけることができ、相手の声を心で聞くことも出来る。まして人間同士なら、言葉が通じるのだから、会話していれば意思の疎通ができるものと考えていたが、どうもそうとばかりもいえないようである。
 数日前TVに、現在裁判中の村上ファンドのインサイダー取引事件で村上被告に有利な証言が続いているとでていた。その証言とは「04年11月8日のLDと村上ファンドの会議は日本放送株取得の話も出ていたが、堀江被告と村上被告の話は掛け合い漫才のようなもので、とても情報を提供したというようなまともな会議ではなかった。だからその場での情報があったからと言ってインサイダー取引にはあたらない。」という趣旨のものである。
 
さてさて、僕は村上被告と堀江被告が会議でしゃべっている場に居合わせたことはないが、彼ら単独でもTVでしゃべっているのを聞いている限り、彼らにまともに対話する資質、姿勢、(対話とは相手の言葉を良く聞くと言う謙虚さがいる)があるのかと疑っていた。
多分彼ら2人が何かのテーマで議論しても、きっと掛け合い漫才のようになってしまうのではないかと思っている。なぜなら、彼らは対話するのではなく、お金が儲かるセオリー(漫才ネタ)にのっとって、儲かるセオリーを探しながら(アドリブで)駆け引きしている(ぼけたりつっこんだり)のであって、まさにそれは、漫才師が笑いを取るためにドタバタしているのとなんら変わりはないのではないか。
そうであれば、彼らの会議が掛け合い漫才のようであり、そこで出された情報が笑いのネタのようであっても、それは彼らにとっては真剣勝負の情報交換の場ではなかったのか。要は彼らにとっては、メールのチャットのようなやりとりが、まさに貴重な情報であるのに通じる。そうであれば、会議が漫才のようであっても、十二分に村上被告はインサイダー情報を得たと言えるのではないか。

「裁判長、僕のこの論理構造をぜひ読んで理解して判決を下してください。」丸山暁談。

会議とは会議の形が整ったり、一見真面目そうな会議だから信頼がおけると言うものではないのです。国会を見てください。一国の総理大臣が、官僚の書いた原稿をさも自分で考えたようにすら演技も出来なく、棒読みにして、質疑応答となると、凝り固まった頑固爺かボケてみせ、それがこの国の先行きを決めているのだから、これほど漫才以上に笑える話はないのです(本当は笑っていられないのですが)。皆さんもある程度の大人であり、会社や公的な会議に出たことがあれば、会議なんて馬鹿馬鹿しく、馬の糞より役にたたない(馬の糞は良質な燃料になり、循環的資源です)場合が多いのは良く御存知でしょう。

結局、何がちゃんとした会議で何が正しい情報化か、なんてことは、形が真面目か不真面目かで決まるものではないのです。国家の最高の会議、すなわち国会が信用できず、漫才師の話が真実の事だってあるのです。今、世界的な混乱危機を拡大し、数万人の市民を殺し続けているブッシュのイラク戦争も、世界最強の民主主義国家の大統領や議会が、ガセネタを元にヤラセを仕組んで、国家的に引き起こした戦争犯罪なのです。アメリカが正式に決めたことだから正しいと言えるのでしょうか。とんでもない。

最近の若手漫才師爆笑問題は、下手な政治家や評論家よりいい線いっている。ま、まだまだ若いから視野が狭く、短絡的だけど、これから勉強すれば結構いい社会派漫才師になるのではないですか、期待してるよ。昔は、芸人が結構世相や政治を皮肉って社会性もあったのだが、今は芸人は芸人同士のおちゃらかしに終始し、大量生産消費の先兵として生まれては死んでいく消費財と化した。「これじゃダメジャン」春風亭笑太さん。

 ちゃんとした話のできる大人が増えないと、この国はだめになるのだが、またやってしまいましたね伊吹文科相。「悠久の歴史の中で、日本は日本人がずっと治めてきた・・・人権は大切だが、尊重しすぎたら、日本社会は人権メタボリック症候群になる」。あんたのこの言葉の中に、どれだけの錯誤、危険思想が含まれているか分かった上でしゃべったのでしょうか。いくら自民党支部大会といういかがわしい講演会(あんな言葉が平然と認知されてしまう講演会は、僕にはいかがわしく感じられる)であっても、もし分かって言ったのならあなたはすぐ責任をとって文部科学大臣を止めるべきだし、もし、分かっていなかったら、あなたの知能では文部科学大臣の椅子は荷が重過ぎるので辞任すべきでしょう。子供の教育だ、日本語が乱れたと嘆く前に、自分が話す言葉の意味、影響をよく考えてください。あんたは、そこら辺のおっさんか、伊吹さん。そ、おっさんよりたちが悪い。

 話し変わって都知事選に浅野史郎元宮城県知事が都民の熱意にほだされ出馬に傾いていると言う。せっかく大学教授になって女学生相手(慶応の女の子って付き合ったことないからわからないけど)に楽しくやろうと思っていただろうに。でも都民にとっては、結構なことでしょう。なぜなら、彼なら話が出来る、要は対話が出来る知事になるでしょう。それが首長とって一番大事な資質なのです。
 東京オリンピックをもう一度という石原都知事にはもう止めてもらわなくてはならないし、黒川紀章は石原都知事が引っ張り出した安東忠雄への面当てのようだし、共産党推薦の元足立区長吉田氏は良く分からないのでノーコメントとして、他所の事ながら浅野さん頑張って。民主党は浅野さんの足を引っ張るな。あんたたちがのらりくらりしているから、この国は変われないのだ。江田だか海江田だったか、もう都知事選には手を出すな。

 今回の「僕の考える」も、いろいろ書いたけど、テーマは「対話」です。そこのところは御理解ください。
 丸山 暁〈56歳・人間〉 
 「僕の考えるブログ」開設しました。


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