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岩手県盛岡から発信、ローカルな足場からグローバルな普遍性を論じる
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ブログ新聞 『市民ジャーナル』
市民ジャーナルは、ローカルな現場の当事者の視点からグローバルな普遍性を論じようとするものです。皆さんの投稿をお待ちしています。 sj17417@yahoo.co.jp
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事務所費問題で『鈍感力』は許されない!
民主党小沢党首が、政治資金収支報告書事務所費の内訳や領収書を公表したことを受けて、自民党の中川秀直幹事長が噛み付いて次のように述べている。
「問題は、情報公開ではない。投資目的疑惑への答えだ」
また、「次は自民党が公表する番だと言うが、自民党は、党改革実行本部の決定に従って粛々と対応する」
と。

おいおいちょっと待ってくれよ!
政権与党の幹事長としてはもっと先にすべきことがあるのではないか。
野党の党首などのことより、疑惑がもたれている身内の現職閣僚である松岡農相や伊吹文部科学相、そして安部総理にもきちんとした資料を出させるべきではないのか。
これら自らの政治資金内容をはっきりさせなければ、他人のことをとやかく言う資格はない。

そしてその発言の中で最も問題なのは、「問題は、情報公開ではない」という認識である。
国民が求める第一は「情報公開」であり、それこそが民主主義の基本なのである。

「党改革実行本部で検討する」などと、のらりくらりと時間稼ぎをして、ほとぼりが冷めるのを待つような態度からは、そこのところの重要性を全く理解していないように感じられる。

小沢一郎の公開した資料の内容については、これで全て良しとは思わないが、情報を公開したことによって良いか悪いかの議論が始められる。しかし、“ほおかぶり”をして情報を出さないところからは、議論も何も始められない。
もしここで、情報を出した小沢一郎がその内容に対して非難を受け、情報を隠す自民党側がこのまま逃げ逃げ切ることになったら、これからはみんな情報を出さないようになるだろう。
そうなったら、民主主義はおしまいである。

事務所費の問題は、もはや事務所費の枠を越えて、情報を隠すことを許すかどうかという、民主主義の根幹が問われる問題となったことを、自民党も、われわれ市民もしっかり認識しなければならない。

安部晋三総理は、『鈍感力』などと都合のいい言葉に逃げ込んだりしないで、『敏感力』を磨いてこの問題の本質を理解すべきである。
中川秀直幹事長には、とやかく野党攻撃をする閑があったら、自ら率先して閣僚全員の情報公開をさせるべきである。
「まず隗より始めよ!」
<ハヤテ>

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山里便り40 「忠誠心と藤野真紀子さん!」 2007年2月25日
今、宮本常一が若い世代に人気(今更、人気があるなどと言うのは、あまりにも失礼な方なのだが)があるそうだ。先日立ち寄った本屋では、特別にコーナーが設けられていた。そういえば、たまに聴く永六輔の長寿ラジオ番組でも、しばしば彼の話題が登場するし、藤原正彦も大学の読書会で『忘れられた日本人』をテキストに使っているそうだ。
へーえ、そうなんだ。と思い、改めて読み直してみた。
そして、ひとつ気がついた。なんて日本の昔(1940年代)は民主的だったのだろう。
一見(でも事実)、長々と続く寄りあい。話し合いが煮詰まると、どうでもいい雑談をして一休み。そして、また本題に戻る。みんなが納得するまで話し合う。実に民主的に物事を決めていく。
まだ、民主主義という概念が入ってこない時代に、アメリカから教わらなくても日本の庶民は、生活と仕事を楽しみ、大らかに性を享受しながら、それぞれの地域や場で元気に生きていた。

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   今朝の気温はマイナス7℃。寒かった!12月から咲いているエリカ。福寿草も咲き始め、2ヶ月早くチューリップの芽が出てきた。

で、今は?と考えれば、
数年前には斉藤孝の『会議革命』が売れ、コミュニケーション術の本が所狭しと陳列しているが、実際は、何の変化もなく、国会を眺めても、お互いの対話が成り立っていない。相手の言っている意味が分かっていないんじゃないの?と思うほど、自分の言いたいことだけを繰り返す。
そのうち「忠誠心」だ「鈍感力」だと言い出した。忠誠心は安倍さんに対してではなく国民に対して持つものなんじゃないの。それに、中川幹事長はじめ、みなさん、すでに十分に鈍感のように見えますが・・。うやむやにしたり、はぐらかすのではなく、いろいろな意見が出て話し合える社会が正常な社会なのではないかな。
そんな国会で、今頃、藤野真紀子さんは、どうしているのだろうかと思った。
小泉チルドレンとして当選し、頭に花輪を載せてもらって笑顔で写真に納まっていたが、その写真を見て、私はひどくがっかりしたのだった。
私のお菓子つくりは、藤野真紀子さんから始まった。しっかりとしたレシピと丁寧な解説に定評があった。彼女の教室に通っていたわけではないが、勝手に師と仰ぎ、長年、彼女の本を参考にしながらレパートリーを増やしていった。某書のあとがきに、「私のレシピでつくってくれている人たち全員に、ありがとうと言いたい。」と書かれていた。そこまでおっしゃる方ならば、長年の疑問にも答えてくれるのではないかと、少しの期待を抱きつつ、
返信用封筒を入れて3つの質問を送った。数週間後に、おしゃれな封書が届き、開けてみると、これまたおしゃれな便箋3枚にびっしりと、スケッチつきの直筆で書かれた返事が届いた。ていねいな説明と伝えるという熱意が感じられて、クラクラするほど嬉しくて、私のコウフン状態はしばらく続いたのだった。彼女にがっかりはしたものの、今でも、その手紙は大事にしまってある。

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簡単ソーセージ・ゆっくり発酵くるみパン・うちの野菜たち。
簡単ソーセージ:ひき肉200g+塩小さじ1/2+ローズマリーやセージを少し入れ、ひかえめに混ぜて中火で焼く。腸づめにしてないけれど、簡単でおいしい。


最近の彼女の本をパラッと見たら、肩書きが食育研究家に変わっていた。
ゴルフで親交を深め、高級料亭でお食事会している国会議員のセンセイ方を集め、男子厨房に入る会でも結成し、そこで食育指導をして、対話の仕方を伝授したらいかがかしら。
料理は、素材との対話が大事だし、繊細かつ大胆さが必要だから。(丸山 淑子)


テーマ:食べ物 - ジャンル:ライフ

「携帯1億総端末機」?僕の考える
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 この写真をみてすぐ「お、刺身でいっぱいやりたいな」と思った方は、かなりの自然派で、「さびはやっぱり本物じゃなきゃね」と言うのは粋な人です。そうです、これは我が家の沢で育てているわさびです。形は少々小ぶりだが、ちゃんと立派なわさびなのです。
 やっぱり、人間も植物も、風雪に耐えて生きてきたやつがいいですね。人間関係も、甘くべたついているより(青少年の恋愛ごっこはいたしかたないが)、チョッと目には生意気で、じっくり付き合ってみると味があり、いつの間にかそいつが居ないと物足りないと言う関係がいいですね。今回のテーマは粋ではありませんが、そんな関係が人間的で粋な関係ではないでしょうか。

 ところが最近の若者の友人、恋人関係は、ナマの声、接触ではなく、携帯電話を介しての、もしくは携帯電話内の情報を判断材料にした関係性が増えてきたそうだ。
 例えば、あるカップルがあるとしよう。ある時相手の携帯電話の着信履歴を盗み見て、別の異性のメールが入っていたりすると、そのことを相手に追求したり、責めたりしないで身を引いて、次の相手をまたメールで探すという関係が増えてきたそうだ。そこにあるのは、人間対人間の生身のではなく関係、携帯電話の情報に対するシステム的な反応があるだけのようだ。とうとう人間が携帯電話という通信端末に動かされる時代がきた。僕はそういう状況をここ数年来、大宅壮一の「TVは1億総白痴化運動」にちなんで「携帯電話は1億総端末機」と呼んでいる。まさに、日本の携帯電話は1億台になったという。

 ところで、そういう携帯電話だが、新製品開発は狂気(キチガイと打って狂ちがいと書きたかったのだが、狂ちがいは差別用語でワープロでは出てこないのだろうか)を帯びてきた。電話しか使えない僕には、次世代携帯などは未知の宇宙人の器具とさして変わらない、と思っていたら、最近の新聞に面白い記事が出ていた。「携帯電話の開発競争が激しく、開発技術者にも完全にシステムが理解できず、欠陥があるまま、新商品を市場に出している(大手電気メーカーの開発室室長談)」。なんだ、携帯電話が使いこなせないのは僕だけじゃないじゃん、携帯電話を作ってる連中も携帯電話が解からないのだ。個人的には安心したのだが、なんだか空恐ろしいことではないですか。
しかし、このようなことは既にPC,インターネットの世界ではあたりまえに起こっている。PC自体、主流のWindowsすら、OSやアプリケーションは欠陥だらけで、ウイルスやハッカーによって、どんな危険があるかさえ予測できないシステムに、現代社会は頼りきっている。コンピーターミスの核戦争だって起こりうる。

 実はこのようなことは既に現代文明における先端技術、高度技術と言われる世界全体で起こっていることではないのだろうか。要するに、ある高度なシステム、そのシステムを動かすハード技術は、個々の細密なシステムや技術によって構成されていている。しかし、その高度に複雑化したシステムの、細部から全体像、そのつながりを把握、もしくは管理できるものは、システム管理者の中にただ一人も居ないのではないか。

例えば、最近、最近どころか何年も前から、原発の事故隠し、データの改ざんが露呈してきて社会問題化しているが、僕は以前からこういう事故隠し、データの改ざんには、別の視点で疑問を持っていた。
近年、事故隠し、データ改ざんとして表面化した問題は、実は、事故隠しやデータの改ざんではなく、原子力発電所という高度な巨大システムで何が起こっているのかを把握している人間が一人も居ないのではないか。要は、何が事故で、どのデータが真実なのかすら、管理者は理解できていないのではないか。ここ数日の新聞紙上だけでも、数箇所の原発で数回の計器誤作動、計器は正常なのに機器の停止が起こった、と報告されている。すでに、何が正常で、何が狂っているのかさえ、管理者に分析できていないから、まして、何がなんだか解からないなどと、口が裂けてもいえないから、原発と言うシステムそのものを隠ぺい偽装するしかないのではないか。

これと同じことが先の元姉歯建築士(建築士剥奪)の耐震偽装問題にも言える。
昔、昔といっても僕が学生の頃、どんな大きな建設構造物(ダムや橋や高層ビルなど)でも、紙と鉛筆と計算尺(電卓がやっと出た頃だが高くて手が出なかった)と筆算(懐かしい言葉です)で、構造計算して部材(構造物の材料)を選んで形や本数を決め全体を組み立てたものです。だから、設計者には構造物が何故そういう形なのかということが、端から端まで解かっていたのです。もちろん大きなものは分業ですが、それでも結果にいたる理屈、プロセス、結果の妥当性は自分の頭で判断できたものです。
しかし、現在の建築設計では、建設構造物の設計思想、経験的判断がなくても、チョッと器用なら(器用と言うのは建築的センスがなくても、かえって無い方が、)構造設計も一応のデザインも出来てしまうのです。しかも、見た目には同じように機械が奇麗に清書して、図面化して。そこに、建築偽装の落とし穴があったのです。要は、他者の出した計算書、図面の、設計システムやプログラム、アウトプットの正否、を正確に評価するのは至難の業なのです。
ちなみに僕は今だに電卓片手に、鉛筆で図面を引いているレトロな建築屋です。

結局現代先端文明システムとは高度であればあるほど、人間の身体性が身体から解放され、人間が人間性を放棄しシステムの端末でしかなくなることなのです。そして壊れたり、時代遅れの端末は、すぐにゴミとして捨てられていくのです。

てなことを書いていた時、世界一の文明都市、人間端末機の巨大市場である東京で「黒川紀章都知事選立候補」のニュースが飛び込んできた。公約に「オリンピック招致中止」「ミニバブル批判」があり、それは大賛成。オリンピック招致の人寄せパンダ安藤忠雄を叩き潰せ。東京一極集中拡大路線(メディアこぞって礼賛だが、大梅マラソンを横取りしての東京マラソン、なんて汚いやり方だ、粋な江戸っ子のやることじゃあないよ。そうだ石原さんは湘南ボーイだったか)の石原都知事は追い落とせ。ただ、黒川記章の第2国立美術館、全国に広がるガラスのとんがり帽子はバブルの申し子だと思うのだが。民主党は候補者擁立できず、変わらず情けない。
黒川紀章は若くして理論家(今日的な共生と言う概念は彼の発案だと言う)で有名で「建てずの黒川」と呼ばれ、「僕も建てずの丸山だ」と建築の仕事が少ないことを、斜に構えてやせ我慢。建築家とは、どこかで社会に目を向けたくなる習性があるもの、実は僕も今「花巻市まちづくり市民条例検討市民会議」の委員長兼議長をおおせつかっている。こういうのを建築家ではなく建楽家と呼ぶ人(延藤安弘氏)もいるが、僕も脱建築宣言をした建楽家かもしれない。
丸山 暁〈56歳・人間〉  

山里便り39「そば、そして、鳥インフルエンザと知的財産権。」 2007年2月18日
『WHOへの検体提供拒否』という記事が目に入った。
2005年以来、鳥インフルエンザによる死者が63人出ているインドネシアが知的財産権などを主張し、WHOにウイルスの検体提供を拒んでいるという。インドネシアは、アメリカの大手医薬品会社バクスターとインフルエンザのワクチン開発で提携する計画を進めているため、WHOへのウイルスの提供が他社のワクチン開発につながるのではないかと懸念しているようだと書かれていた。
これは、バクスター(ということはアメリカ政府)に圧力をかけられたのではないかと疑った。
WHOは憂慮を示したと書かれていたが、憂慮どころの話ではない、と思う。

先進国、特にアメリカは、遺伝子を探すための植物採取(主に野生種)を長年熱心に行ってきた。植物は種子、動物は精子、微生物は凍結し、資源あさりを続けている。それは、高収穫品種の開発のためや医薬品開発が目的だが、開発後は、特許を申請し、タネや作物・薬などを売り込み、さらに利益をあげてきたという歴史がある。持っていかれた国では、資源提供に対して知的所有権などを主張してきたが認められていない。
4年前からビル・ゲイツがバイオ・アグリビジネスに参入してきたから、ますますアメリカのひとり勝ち状況が続いていくだろう。今回も、ナニカがあるに違いないと思いながら、そば粉をこね始めた。

そばねり、そばがき、そばがゆ、そばもち、そば団子、すいとん、せんべい、そば切りと、
そばは、日本では縄文時代から食べられている古い歴史を持つ雑穀だ。
おなじみのフランスのクレープに始まり、お粥、スープの具、パスタやソーセージの増量剤、餃子の皮に冷麺と、世界各地でも昔から食べられ、栽培されている。にもかかわらず、品種改良がほとんど進んでいない珍しい作物でもある。

ご存知のように、そばは寒冷地のやせた土地でよく育つ。平野部で育つのはコムギだが、関東のローム層でおおわれた畑よりも関西の平野部の方が土地が肥えていたので、結果的に「西のうどん、東のそば」になったようだ。四国出身の知人は、東京に住むまでそばを食べたことがなかったと言っていた。
私は、そばの文化圏を北上してきたことになる。

落語の『時そば』にも登場するくらい、昔から庶民に馴染みの深い食べものゆえにか、
『そばは三たて』、ひきたて・打ちたて・ゆでたてと三拍子そろったものが美味しい。
『香りとのどごし』が大切。
『そば三分』で、そばつゆを1/3つけて噛まずにすすれ。などと通ぶった食べ方がいろいろあるようで、結構、繊細で粋な食べものらしい。
私は、そばがのびないうちに、各自が好きに食せばいいと思っているが、『のどごし』だけは、気にかかる。長くてスルスルとすすれるそばがいい。すする、という行為ができるのは日本人だけだそうで、その持って生まれた才能をいかしたい。
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豆腐入り揚げそばもち。そばの実入り。    
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そば粉100%のクレープ。       
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短いそば。江戸時代からみんな、長いそばをつくるのに苦労していたらしく、当時は、重湯・豆腐・ヤマゴゴウやヨモギのもぐさや海藻を加えてつなげる工夫をしていた。ざるそばが蒸籠(せいろ)に乗ってでてくるのは、蒸していた時代の名残り。
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そば粉のクッキー。
市販のそば粉と違い、近所のそば粉は、挽き方もそれぞれの家庭で好みがあるらしく微妙に違う。韃靼そばを混ぜているものもある。水分は、様子をみながら調整していく。

このあたりでは、短いそばを食べている。そばの味はするけれど、すすれない。食べるという感じだ。そば打ち名人と言われているおばあちゃんたちのそばをごちそうになったが、みんな短かった。つなぎを入れるとそばの香りがしなくなる、と言ってそば粉だけで打つ家庭。小麦粉・片栗粉・卵に豆腐などをつなぎにする家庭。
いろいろなレシピとコツがあったが、どこのそばも、家庭で打つそばは短い。「短くても気にならない?」と失礼なコトを聞いてみたが、「気にならない。短くても、うちのそばがおいしい。」と言っていた。
最近、私も何度かそば打ちに挑戦している。まさにチョーセンという感じで難しい。やはり短い。のどごしが大事と言っていたが、短くても自分で作ったそばは、おいしかった。
大昔の人たちと同じそばを食べているのかなあと思いつつ、すすれないそばをすすってみた。(丸山淑子)




テーマ:食べ物 - ジャンル:ライフ

「美しい国と粋な国」?僕の考える
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 最近TVで「えびチャン、もえチャン」というフレーズを良く聞く。若い方や芸能通はすぐにピンと来るだろうが、最初僕はそれを、「えびす何がし」というボーットした漫画家のおっさんと「何とかもえ」というなんとも甘ったるい鼻声でしゃべる、これまたボーットした女芸人(とてもタレントとえるタレント(才能)ではないので、女芸人と呼んでおく)がコンビを組んで漫才でもやるのかと思っていたらそうではなく、「えびチャン、もえチャン」と呼ばれている、今一番人気のモデルの女の子たちだとわかった。
数日前、TVでウェディングドレスを着た二人の姿が流れていたが、その立ち振る舞いをみて、「美しくない」、「粋」じゃないね、と思ってしまった。
 ちなみに、雪をかぶり寒さに耐え春を待つ小枝の新芽、これは「粋」です。

 さて、TVや雑誌であんなに、かわいーい、きれいー、と人気の「えびチャン、もえチャン」は僕にとって、何故美しくないのか。僕にとってと断っておくのは、僕ももう56歳、ケツの青い女の子を追っかける年でもなく、TVのジャリタレに恋心を抱くでもなく、それ相当に年を重ねた男としての視点というというところである。
 まず彼女たちを見ての第一印象は、「下品」である。次に彼女たちの言動、立ち振る舞いは「やぼ」とくる。「下品」で「やぼ」とくれば、これはもういただけない。では、僕がそう考える彼女たちは何故人気があるのだろう。それは、この国が「下品」で「やぼ」になってきたからである。ただ「やぼ」という言葉には、色っぽいおねーサンに「あんたってやぼね」と流し目で言われるチョッと艶っぽい話も絡むので、ここでの「やぼ」は若者言葉の「ださい」という意味と捉えておく。

 僕が女性に「美しさ」を感じるには、どこか「粋」なところが欲しいのである。もちろん、若い女の子や普通の女性に「粋」を求めるのは酷かも知れないが、たとえ若い子であっても普通の女性であっても「美しさ」を感じるには、どこか「粋」を感じさせる立ち振る舞い、しぐさ、言葉つきが欲しいのである。
 では「粋」とは何ぞや。これまた難しいのだが、「粋」に関して興味のある方は、九鬼周造の名著『粋の構造』を読んで見て下さい。岩波で何度も再販しているので、本屋にも並んでいるでしょうし、アマゾンさんででも探してください。

 まず、最近のTVに出てくる女優を例に「粋」を考えてみたい。
 今、高感度NO1女性は仲間由紀江のようである。彼女は、少年ぽさ(これはゴクセンに毒されたせいか)がありかわいいのだが、まだ艶っぽさが足りない。しかし、将来的には見込みがある。この間までのNO1松嶋奈々子は、評判の割には美形ではない。「粋」には、いわゆる絵に書いたような美人である必要は無いのだが、どこかシュットした切れのある美人であって欲しい。それと、彼女の声と表情が固い。では、竹内祐子はどうだろう。いわゆる清楚なかわいい感じであったが、競演したとかで中村シドウとやらと出来ちゃった結婚したのは「粋」じゃない。しかし、ダンなの浮気に見下り半を叩きつけて、また元気そうにやっているところは、ちょっと「粋」かな、というところ。

すなわち「粋」とは、かわいい、奇麗、華やか、清楚、艶っぽいだけではダメなのです。それらと共にさりげない、影、抑制、やせ我慢、稟としてものが必要なのです。現役では江角マキコがいい線いっている。ま、年も年ですし。最近人気の若手、沢尻エリカや綾瀬はるか、長沢ますみあたりは可能性を秘めているが、まだまだ女の子。
昨夜、日本アカデミー賞の発表があり、大賞になった『フラガール』の松雪泰子はいい線いってます。最優秀女優をとった『嫌われ松子も一生』の中谷実紀はもうチョッとかな。

このままでは、社会批評ではなく、芸能批評になってしまうので、話を変えて、安倍総理言うところの「美しい国」とはどんな国なのだろうか。京の町屋や倉敷などの家並みがあり賑わっていることだろうか。表参道ヒルズの原宿やよく手入れの行き届いた田園風景を言うのであろうか、もちろんそういう形態的なものもあろう。しかし、それ以上に、国民が心豊かに健康で文化文明を享受でき発展していくことを言うのだろう(安倍総理に代わってかんがえると)。そのために、グローバル市場経済に打ち勝って、経済発展し続ける国が「美しい国」と捉えているのではなかろうか。
しかし、そういう「美しい国」であるなら、あえて日本という国が求める美しさである必要が無いではないか。それは、アメリカでも韓国でもインドでも中国でもベトナムでもタイでも求めている「美しい国」ではないだろうか。もちろん、それぞれ風土が違うが。

ここで僕なりの日本という国における「美しい国」を考えてみたい。日本における「美しい国」の「美しい」には、どこかで「粋」という概念が必要なのではないか。
先の女性の「粋」で述べたように「粋」とはただ、美しいとか奇麗とかかわいいだけではなく、「美」の中に、少し抑制があったり、影があったり、凛とした部分が必要なのである。男で言えば「武士は食はねど高楊枝」という見栄に近いプライドが必要なのである。

それを国に置き換えると、僕の考える「美しい国」すなわち「粋な国」とは、世界1の贅沢な経済大国である必要は無い。自国で取れる食料を美味しく食べて、あまったら他国にも分け与え(輸出でもいいだろう)、戦争が起こりそうなら、凛として反核反戦を世界に説いてまわり、不足する原材料は輸入して、少々手間がかかってもこつこついいものに仕上げ、暴利はむさぼらなくても、叩き売りはせづ、たまには贅沢もし、ドンチャン騒ぎもするが、日々質素に暮らす。そういう国が、僕の考える「粋な国」すなわち「美しい国」である。そういう国が、実はベストセラーにもなった、藤原雅彦の『国家の品格』に繋がるのでではないだろうか。品格のある国とは「粋な国」なのである。ぼくの考える「美しい国」とはそういう「粋な国」なのである。

そして、そういう「粋な国」を作るには、この国の政治、政治家が「粋」にならなければならないのです。生活苦の国民がいたら、給料を半分にして政党助成金、調査費、事務所費を返還し、災害時には行って復旧に汗を流す。そんな政治家が1人でもいないかね。私利私欲、お金にこだわらず、凛として、公正に人道的論理的に政治論議が出来る、すなわち「粋」な政治家は残念ながら1人も居ませんね。これでは僕の考える「粋な国」すなわち「美しい国」は永遠にやってこないでしょう。『私は「粋」(芸者遊びではないですよ)だ』という議員先生、いらしたらデータを添えて名乗り出てください。

たとえそういう国でも、貧しくても堂々と、やせ我慢してでも凛として生きていく、そうゆう「粋」な人間に僕はなりたい。
丸山 暁〈56歳・人間〉

農業が国を守る
 経済のグローバル化問題を取り上げた「儲かれば、それでいいのか―グローバリズムの本質と地域の力」(「環境・持続社会」研究センター発行)という本がある。
 前回は、世界一の小売企業、アメリカのウォルマートを取り上げ、新自由主義は一部の企業に多大な利益をもたらす代わり、労働者の労働環境は最悪となり、結局のところ地域経済が疲弊していくという内容を紹介した。
 新自由主義の下では、人間は単なる収奪の対象でしかなく、人間らしい生活から遠のき、現代版奴隷制度と位置付けることができる。
 では、人間が「考える葦」であるためには、何をすべきか―。
 同書の中で農民作家の山下惣一さんは「グロバリーゼーションと日本農業の道筋」をテーマに地域の活力を取り戻すための方策について、農業人としての見解を示している。
 農業のグローバリズムが始まったのは、1995年に発足したWTO(世界貿易機関)からで、WTOにとって農業問題は一部にすぎないが、加盟国の農業従事者にとってはWTOの取り決めが全てだ。
 山下さんはWTO発足後、アメリカを初め、カナダ、メキシコ、ヨーロッパ、オーストラリア、ニュージーランド、南米、東南アジア、中国、ロシアなど各国の農業事情を視察、そこで目にしたのは、「世界中の農民が農業で食えなくなった」という事実だった。
 原因はWTOが目指す関税の低減、数量制限の原則撤廃などを盛り込んだ自由貿易の促進。これによって農産物の価格が暴落し、小さな農家は廃業、冨の偏在が進んでいる。
 消費者にとって農産物が安く手に入ると喜んでばかりいられない。それは一時的なことで、企業が競争によって淘汰されたあとは、逆に高いものを買わされるはめになる。
 アルゼンチンでは、国際的な機関投資家、ジョージ・ソロスが、41万ヘクタールの農場を所有し、国の経済が破綻する直前に全ての農場を売り抜けた。彼は国が破綻することを事前に知っていたに違いない。
 これ対して佐賀県の某組合は、証券会社を通じてアルゼンチン国債を購入し、国の経済が破綻して27億円の焦げ付きをだし、責任の所在をめぐって係争中とのことだ。
 ブラジルでオレンジ園を経営している日系の農場が、自由貿易協定(FAT)、南米南部共同市場に合意、発効した途端、農産物の価格が下落した。経営破綻した大農場をビル・ゲイツの代理人弁護士が現金を持って農地を買い漁ったという。
 農地が自由に売買できる社会では、農地は、投機、投資の対象でしかなくなる。
 メキシコでは、農業の大規模化で土地を失う農民が増え、貧富の差が拡大。「落下傘部隊」と称される不法居住者が、ある日突然農場に住み着き、不法占拠。似たような情況がブラジルでの起こっている。
不法占拠者が一定の数を超えると、地主も警察も手がだせなくなるという。
自由貿易による農業のグローバル化を突き詰めていけば、加盟国の農民の多く は貧困層に転落、治安が悪化していく。

◎アグリビジネスについて

 アメリカのアグリビジネス上位4社による国際農業市場の占有率は▼牛肉処理加工・79?▼豚肉処理加工・57?▼製粉・62?▼大豆搾油・80?▼コーンエタノール製造・67?などと独占体制で、農民は、アグリビジネスの傘下に入らない限り、農業生産ができない構造になっているという。
 日本の農水省が紹介したアメリカ農務省の情報によると、アメリカ豚肉の最大の輸出先は日本、輸入先はカナダだ。
 日本には一?当たり3753?で輸出、カナダからは一?当たり1956?で輸入。これを一?当たりに換算すると日本へは約410円で輸出、カナダからは約200円で輸入している計算になる。
 アメリカの農業に詳しい翻訳家の伊庭みか子さんは「1987年には一??に一軒、町全体で30軒程度あった農家が、WTO成立後2軒に減少した」と市民グループの講演会で報告したという。
 日本の農業事業に目を向けると、農業個数は1990年では384万戸あったのが2004年には293万戸に減少。14年間で91万戸減少した。
 食料自給率(カロリーベース)は47?から40?へ減少、穀物自給率は30?から28?へ。耕作放置面積は2万?(92年)から38万?(05年)に増え、農業産出額は約11兆円(94年)から8・9兆円(04年)に減少した。
 外国産の安い農産物が入ってくる前までは、取れすぎた農産物を廃棄して価格を維持する需給調整が有効に働いたが、グローバル化した現在は、中国などから安い農産物が入ってくるので「わが身を削って血を流し、外国産に席を譲る」という状態をつくったと山下さんは本書の中で語っている。
 農業の分野で国際競争力をつけるため、国は19年度から担い手を支援する「品目横断的経営安定対策」を実施する。米、麦、大豆、でん粉原料用ばれいしょの4品目を生産する担い手に補助金を出して支援をする制度だが、農家の8割は対象外となる。同じ地域で片方には補助金が出て、もう一方には補助金がでないという事態になりかねなく、上手に対応しないと、地域の崩壊を促進させることになる。
 直接支払いが4品目に限定されるため、自給率が低下するという意見も出ている。
「単純な経済至上主義の能天気な認識こそが農業を滅ぼす」と山下さんは語っている。
 では、どうするか。どうすれば日本の農業に未来があるのか。それは、地域で作った物を地域で消費するという道に解決の糸口を見つけることができる。
米が大凶作だった95年、山下さんはクラブ生協神奈川の招きで講演。敵地に乗り込む心境で赴いたが、そこで目にしたものは、外国産やほかの産地の米は食べない、うどんやそうめんで食いつなぎ、提携先の産地を食い支えるという組合員の心意気だった。
 以来、前途を悲観していたが、もう少し頑張ってみようと建設的になったという。
 日本列島は7割近くが山林で、どんなに頑張って規模を拡大しても、大規模農業を展開する外国に太刀打ちできない。だが、一つだけ日本の農業が圧倒的に有利なことがある。それは、生産地と消費地が混住・混在していることで、世界に例がなく、ここに希望を見出すことができるというのだ。
 地産地消を土台にして、地元の消費者に支持される農業を展開していくことができたら、これほど強い農業はないと山下さんは断じている。
 大切なことは「自給率」ではなく、その土地で採れた物を地元の人がどれだけ食べているのかを量る「地給率」が大事なのだという。
今年は、これまでにない暖冬で私の住む地域の年配男性は「こんな暖冬は初めて体験した。80歳以上の人も経験したことがないと言っている」と、気象異常に驚いていた。
 確かに真冬の1月2月に雨が降るなどということは、50年余生きている雪国育ちの私も経験したことがない。
 知人は今年の夏は寒く、きっと米が獲れないだろうと早くも予測。米の消費量が減ったとはいえ、米は日本人の主食である。
 命を養う食料は、安心・安全でなければ意味をなさない。外国から輸入される農産物には驚くほどの農薬がかかっていると聞く。
 地産・地消は地域に活力を取り戻すだけでなく、食の安全を確保し、地域で安心して暮らせるということでもある。
 農業は、生活の営み全ての基本であり、自国の農業を守ってこそ真の意味で国が繁栄するものと思う。
                           (草子)

情報非開示処分は妥当か
 2月9日付の地元紙は、津付ダム周辺環境検討委員会の議事録テープの開示を求めていたことに対し、県情報公開審査会が非開示処分は妥当との決定を下したことを報じている。いわゆる「ベタ記事」だったから、気が付かなかった人も多かったと思う。
 検討委員会の議事録は県のホームページに掲載されてはいるが、要約しか載っておらず、議論の詳しい内容が知りたいというのが請求の趣旨だったようだ。
 「非開示妥当」としたのは、「テープには絶滅が危惧される動植物の生息地の情報が散在し、非開示情報を分離することは技術的に容易ではない」ということが根拠。
 いかにも、お役所的な決定だが、情報公開を積極的に進めてきたと言われる増田県政らしからぬ態度に思われる。

 請求者が絶滅が危惧される動植物の情報を入手する目的であれば別だが、そうでないなら、何らかの形で開示する方策を示すのが、第三者機関たる審査会の役目のような気がする。
 録音したテープは通常、いわゆる「テープ起こし」をする。多くは業者に頼むのだが、その際に業者は可能な限り発言の一言一句を正確に起こす。それを県などが編集して議事録を作成する。
 今回の委員会がこのような経過で議事録を公開していたとすれば、業者が作成したものをプリントし、絶滅危惧種の情報を墨ぬりすれば請求者の要求には応えられる。
 もちろん、加工する手間を惜しまなければ、テープでの提供も可能だ。

 そもそも、この種の委員会は非公開で行われるケースが多いから、傍聴も不可能であり、議論の内容を知るには公表される議事録を読むしかない。
 他の委員会にも共通するが、議論の内容もそうだが、若干名を公募していても、ほとんどは県が選んだ委員であり、その委員らがどんな発言をしているのかを知ることは、委員の資質を県民が評価することができる唯一の手段といってもいい。

 守り、隠そうとすれば、「何か不都合があるのではないか」という不信感を招くだけだ。
 要は請求者の趣旨が妥当なのであれば、それに最大限応えようとするかどうか。そして、請求を審査する委員会が県民の立場で「常識的な」判断を下すことなのではないか。
 数多くの委員会や審議会は、県のためではなく、県民のため(の行政を推進するため)に設置されていると考えるべきではないか。

 同じ地元紙の10日付には、松山市の地図製作会社が北上市に対して電子データの不開示処分の取り消しを求めた訴訟の判決が盛岡地裁であり、原告の請求が棄却されたという記事も目にした。
 「北上市の措置が規則に沿っていて違法性はない」という、これは裁判所らしい判断だ。

 これも、「紙では提供できるが、電子データはできない」という一昔前の規則を盾にしたものだが、貴重な税金を掛けてまで裁判をしなければならないような問題ではないのではないか。
 市民のために作った電子データを市民のために実施しようとする事業を推進するために委託する業務に使うことを規則を理由に認めないというのは、あまりに形式主義に過ぎる。
 それを争って、裁判所で主張が認められたと喜んでいたとしたら、何のための行政かということになる。
 判決に際して、「開示の在り方について継続的に検討する」と同市の総務課長がコメントしているが、争っていることを理由にまだまだ規則の見直しを先延ばしするつもりなのだろうか。(ゼロテン)
「おー寒い・・・」?〈番外編〉僕の考える
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「立春が過ぎたというのに、実に寒々とした風景である。早く春よ来い」というのが例年だが、今年の今のこの風景は、もう少しちゃんとした冬よ、もう少し雪よ降れ、そんな気持ちになって来る。人間とは勝手なもの、雪が多く寒ければ早く春よ来い、となり、暖冬で雪が少ないと、なんだか物足りない、となる。なかなか中庸というものは無いようだ。

 さて、―〈番外編〉僕の考えるーを書いているのは、本来僕は土曜日担当(自分で決めた担当)だが、いつもはあまり気にしないブログのアクセス数を覗いてみて、この写真のように「おー寒」と感じてしまったからです。本ブログのアクセス数がどんどん減って、書き手も減ってこれではさあ大変と、〈番外編〉をしたためた次第。だから、今回は簡単にシュット済ませます。

 寒々したと言えば、昨日の国会中継。民主党の管、前原などと安倍総理とのやりとりだったが、まあなんとお寒い討論なのだろう。亀井に至ってはじいさんの愚痴ですよ。あんな、立派な国会議事堂であんな立派な椅子に座って、たくさんの税金を貰って、そのうえ調査費、事務所費と称して何千万円ももらって、新聞記事に書いてある程度の、しかも、抽象的な議論「格差がある無い、あるとしたら」「貧困層が増えている、増えていない、増えているとしたら」てな議論しか出来ないのかい。まるで子供が「本物のお菓子のお家を買って」、「だめ、買ってあげない」と親子が本気で喧嘩しているようなもの。まず、本当のお菓子の家があるのかどうかが問題でしょう。
 僕だって、市民ジャーナルを書くために、本を読み直したり、データを確認したりすることがありますよ。それなのに、何千万円、下手したら何億という、議員さんのお金は何に使ってるの?ちゃんと、データを出して論理的な議論してくださいよ。おーさむ。

 あと、そうそう、自民党閣僚の事務所費の問題も問題だが、野党第一党を名乗り、クリアな次期政権をめざすなら、小沢一郎民主党代表さん、何億円か事務所費ためて、秘書の土地を買っただって。そして、いつでも領収書公表の用意がある、で済まされる問題じゃないでしょう。税金をためて、そんなもの買うな、そのお金があれば、どれだけ国民のために議員としての仕事が出来たか、よく考えろ、あほ。そして公表する用意があるなら、誰よりも率先して公表しろ、そうしたら、民主党の支持率だって、間違いなく数パーセントは上がるはず。それが出来ないのは、小沢さんもやましいからでしょう。おーさむ。
 民主党には、期待したいのだが、なかなかなかなか・・ねえ・・・。何とかしろ。

 あと、「岸和田の清掃工場維持費、300数十万円が10億円に」という、とんでもない超おーさむ!!!の今朝のTVでやっていた・・・が、
今回はあっさりこの辺で。また、土曜日にお会いしましょう。
丸山 暁〈56歳・人間〉

山里便り38 「五感を使うべきでした・・。」2007年2月11日
中国人は、中華ナベひとつで前菜からデザートまで作ってしまう。
それでも、中国料理は世界三大料理のひとつに数えあげられるほど、美味だと言われてきた。
必ずしも、調理器具の多さと美味しいものができることは比例しないのだと考え、ゆえに、私も台所用品は必要最小限のもので十分と、30代前半までは考えていた。
マッシュポテトを作るためにだけ、ポテトマッシャーを使う国民とは違うぞ!と、なるべく物を持たず、身の回りも生活も食事も、シンプルに生きたいと思っていた。
それから20年近くが経ち、今では、段々、段々とナベやフライパンが増え、オーブンが2台になり、オーブントースターにミキサーやフードカッターなどなどが、いつの間にか台所に並んでしまった。

そして、とうとう、餅つき機を買ってしまった。
なんで今頃、と思われるかもしれないが、年末に売れ残ったらしい餅つき機が数台、電化製品の量販店に赤札付きで並んでいた。赤札を見ると、ついつい引き寄せられてしまう。
ここに来るまでは、餅つき機が欲しいなどということは、全く考えもしなかった。ところが、ここ数年、心惹かれていた。ご近所からは、自家用につくった(ゆえに、減農薬です。)もち米をもらう。その上、集落の農家組合では、みんなでもち米を作付けしている。ありがたくいただくが、とても食べきれない量が届く。
東南アジアや台湾など、もち米を常食している地域もあるが、毎日、食べるには食べなれたうるち米がいい。風味が変わらないうちに、餅にして冷凍しておけば、いつでも食べられて便利かなと思っていたところだった。
そういう訳で、引き寄せられて餅つき機のまわりを一周した。どこから見ても同じなのだが、横から上から眺めて見て、説明書を読み、パンやうどんをこねる機能もついていることを確認した。その上、味噌まで作れると書いてある。1台4役ならば、手でこねる手間がはぶける。購入理由が見つかり、気持ちよく納得して買うことができる。
結構重い餅つき機を車に積み込み、ウキウキと帰宅し、とりあえず、手軽なところでパン作りから始めてみた。パッタンパッタンという音がし始めた時からいやーな予感がした。所定の時間が過ぎ、フタを開けてみると、全くひとつにまとまっていない!よく考えてみれば、餅をつく動作とパンやうどんをこねる動作は違うわけで、結局、手でこね直したのだが、2度手間だった上に粉のグルテンがどうにかなってしまったらしく、食感がねちっとした出来の悪いパン屋のパンみたいに仕上がった。
付属品を洗って乾かすことを考えれば、ボウル1つに手を洗えばいい、手ごねの方がずっと楽だった。

そうだった。料理は、手で触って目で見て香りを感じて音を聞いてつくるものだった。餅つき機には、本来の役割で餅だけ作ってもらうことにした。結局、身体(しんたい)を使った方が、おいしいものが出来るし、脳も活性化するらしい。養老孟司氏も言っている。「カラダを使え!」って。

S氏から胆沢の製麺所の粉セットが届いた。ダンボールに『粉』と書いてある。開けてみるとそば粉・南部小麦・ひっつみ粉・だんご粉と、次々と粉が現れた。餅つき機には頼らず、手ごねで作る過程を楽しんだ。
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岩手の郷土料理で一番好きなのが、ひっつみ。最初に食べたのが隣のおばあちゃんのひっつみ。ジャガイモとノビルだけのシンプルなものだったけれど美味しかった!以後、我が家でもよく作る。
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南部小麦300gに塩水(水150cc+野田塩大さじ1)でこねて、ねかせて、のばして、切る。釜揚げうどんで食した!下の写真は、中国風の卵麺(カンスイは入っていないけれど)。
粉300g+塩小さじ1/3に卵1コ+水100ccでこねた。塩豚とネギでネギソバ。

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みたらしだんごとあんころ餅。20070211072604.jpg

写真がいっぱいになってしまったから、そば粉の料理は、またの機会に(丸山淑子)

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「核と地球温暖化」?僕の考える
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 今年の暖冬は本物、さあ大変と思っていたら、数日前やっと裏の小屋につららが出来ていた(いつもなら軒下半分雪で埋まっているのだが)。これでこそ冬と、ちょっとホッとしたのもつかの間、次の日にはすっかりつららは解けていました。残念!そういえば、他者の言動を皮肉って最後に残念!と切り捨てる芸人がいたが、そいつを最近見かけない。僕は彼につられて結構面白可笑しく今でも「残念!」という言葉を使っている。ギター片手にどこかに消えてしまった羽田陽区よ!残念!

 少々オチャラケで始まったけど、今回のテーマもけっこう重いので、形だけは陽気にいきたい。どんなに悲惨な絶望的状況、悲劇的状況でも、どんなに苦しくても、人間はふとした瞬間、何かに心を動かされ笑顔を浮かべたり、笑ってしまうことがある。そして、それが生きる希望に繋がり救いになるということがある。このオチャラケは、人類滅亡の前の、人間は絶望の中でもかすかな希望を持ちうる、そのような「共同幻想」を持ちたいがための深層心理が働いていることと感じ取っていただきたい。

 皆さんご存知の方は、御存知だろうが、核の終末時計が7分前を指し、ICPPがCO2に起因する地球温暖化によって、今世紀末には人類は危機的状況に陥ると、ほぼ確定的に表明した。そのことを受けて、これから小さな寓話を二つ書くことにする。これはあくまでも寓話である。そう断っておかないと、「そんな話はありえない、歴史に反する、嘘だ」と突っかかってくる族もあるので、しつこいがこれは作り話である。

 一つ目の寓話「太平洋上のテニアン基地を飛び立ったエノラゲイ(B29)はリトルボーイ(広島型原爆)を搭載して瀬戸内海方面に向かった。そのことを日本の政府(大日本帝国だが)、軍部は様々な情報から知っていた。積んでいる新型爆弾がこれまでに人類が経験したことのない壊滅的破壊力を持つことも。
 東京大阪など日本本土の主要都市は焼け野原となり、沖縄も制圧され、その上、新型爆弾が本土に向かっているのに、政府及び軍部は「本土決戦、竹やりででも鬼畜米英を」と国民を鼓舞し戦いを止める気配すらなった。その頃、広島の市民は、いつものように、苦しい暮らしをあたりまえとして、日常を暮らしていた。数時間後には、一瞬にして跡形も無く焼き尽くされことも知らずに。
 その時まだ、政府は本土への新型爆弾投下を止めることが出来た。それは、すぐにポツダム宣言を受諾し敗戦を認めることだった。しかし、どこかへの新型爆弾の投下を予測しながら、国民に一億玉砕を呼びかけた。そして、エノラゲイは進路を変えることなく広島を目指して飛び続けた。世界の核の脅威は、潜在的に今このような状況にある。」

 二つ目の寓話「今2007年、地球は人間が排出した温室効果ガス(CO2など)により、地球の温暖化が進み、既に、シベリアのツンドラ地帯の凍土が自然融解しメタンガス(CO2の23倍の温室効果)が噴出し始めた。そして南極の氷床の崩落、氷河の融解の始まり、ほぼ温暖化は人間の力では止められなくなりつつある。
 それでも、まだ、ほんの少しだが、今すぐ、今すぐというのは本当に今すぐ、一分一秒でも早く、せめて今年いっぱいに、温室効果ガスの排出を減少させ、10年後に世界中で20%削減できれば。まだ、人類の壊滅的打撃は防げるかもしれない。
 しかし、先進国とて、いまだ経済発展エネルギー全開、アメリカは最大のCO2排出国(20%削減を打ち出したが、まあブッシュの選挙リップサービス、無理でしょう、なぜなら彼らが経済帝国主義を捨てるわけが無い)、京都議定書の議長国日本はというと、あれから8%上昇したのに、これから数年で8%そして更に6%落とすなど、夢にも描けない。中国インドはまさにこれから過去の日本のような経済発展、ベトナム、タイとて、誰が経済発展すなわちCO2の排出を止めろといえましょう。まして自ら経済発展を止めましょう。
少なくとも、この状況は来年も同じでしょう、そして再来年も。日本とて選挙が近いというのに〈温暖化防止〉を公約にする政党も議員も1人も居ない。アメリカ帝国のデマゴーグ、レスターブラウン(環境屋サンに名を借りたアグリビジネスの先兵)、ゴア(温暖化防止に名を借りた省エネ商品大量生産屋)は闊歩するも、今すぐ大量生産大量消費経済をとめようというものは世界の中枢には1人としていない。」

 世界的には、イラク戦争、アフガン戦争、アフリカ諸国の悲惨な紛争、異常気象による災害、食料不足、水不足、貧困層の拡大、疫病ウイルスの拡大・・。国内的には、政治家の腐敗、大企業の1人勝ち、その裏の品質ごまかし、やらせ、子供の自殺、貧困層の拡大、雇用不安・・・あまたあれど、多分どれ1つ、近々に解決できるものは無いだろう。
 なぜなら、既に人類は(当然に日本も)精神分裂(これは医学的な統合失調症ではなく、自らの考えと行動を分離しなければ平穏に生きられない状況)状態で、また精神分裂を起こさなければ生きていけない状況にあり、自らを制御する理性が働かなくなっている。

 このままでの、先に上げた二つの寓話の結末は、皆さんのご想像にお任せします。

 先に上げた寓話を二つとも解決できなければ、人類はこのまま亡びへの文明、発展(それを発展、文明と呼ぶなら。今のままの文明発展とは、そのようなものである)を駆け上っていくでしょう。これは僕という小心者、悲観論者のヒステリックな空想でしょうか。

もしももしも日本が政治も経済も、今の文明、発展を転換させ「核廃絶」「温暖化防止」を打ち出し、それに向かうなら、これはすごい国になり、先に上げた社会問題の多くは一気に解決するのだが。その時日本人は「一億総反戦反核隊」「一億総温暖化防衛隊」として、きっと一致団結して突き進む素質は持っている(過去の歴史から判断して)。ここではそれは「全体主義だ」「ファッショだ」というご批判は勘弁してください。これは夢で終わらせたくない、あくまでも、僕のささやかな夢なのです。
丸山 暁〈56歳・人間〉

ホワイトカラー・イグゼンプションに賛成する
ホワイトカラー・イグゼンプションが最近議論されている。
ホワイトカラー・エグゼンプションとは、ホワイトカラー労働者に対する労働時間規制を適用免除(exempt)する制度のことである。

私は基本的には、このホワイトカラー・イグゼンプション制度に賛成である。
その理由は、この制度は労働者を人間として扱う制度であると考えるからである。

現行の労働基準法は、労働時間に対して賃金を支払う制度である。仕事の成果・出来高に関らず、長時間働いたものに多く賃金を支払い、効率的に早く仕上げたものには少なく支払うことになる制度である。これはおかしい。
そして、これは労働者を一人一人の個人をしては見なさず、一個の単位として見なすところから発想する制度である。チャップリンの映画モダンタイムスのように、機械と同じように誰がやっても同じ量の出来高が上がる、単純作業を決められた通りにこなす労働者を想定しているのだ。
私はそういう労働者としては扱われたくないし、人を雇用する立場になったとしても、一個の労働者ではなくその人間の個性と付き合いたいと思う。

それでは何故このホワイトカラー・イグゼンプション制度に対する反対の声が大きいのだろうか。
それはまだ多くのサラリーマンが、成果報酬制度より時間報酬制度を望んでいることにある。
成果主義の競争の中に投げ出され、自分の働き具合が白日の下に晒されるより、時間を過ごすことにより生活が保障されるサラリーマンが居心地が良いからである。
また、この制度が労働者間の賃金の再配分を行う事を目的とするはずなのに、提唱する経済界の本音が、人件費の削減にあることが衣の下から透けて見えるからである。
そしてもう一つ、この制度が受入れられるためには、労働者の流動市場が開かれて、労使の力関係が均衡していなければならないが、まだ多くのサラリーマンは自分の力に自信が持てず、労使間では弱い立場だと感じているからではないだろうか。

しかしこの制度は実質的には既にさまざまな分野に浸透し始めている。専門的職種・企画管理業務など、労働時間と業績が必ずしも比例関係に無い職種では、労働時間の制約を受けず、業績に応じて給与が算定され支払われる形態の裁量労働制がすでに存在する。

社会の労働形態は、肉体労働から知的労働へとどんどん変化してきている。生活形態も選択肢が増えてきている。こういう時代に合わせて労働環境も、時間拘束賃金制度から解き放たれて、サラリーマンも自分の時間を自らマネジメントするようになっていくことは必然の流れであろう。

この問題は政治とは切り離して、労使とも冷静にじっくり議論を詰める必要があろう。

<ハヤテ>

山里便り37 「立春の朝に雪。」 2007年2月4日
冬は、やっぱり寒い方が好い。
「もっと暖かい地方に住もうと思わなかったの?」と、よく聞かれたが寒い地方が好きでやって来た。季節にメリハリがあって楽しい。それに、いずれ東京あたりまでは、熱帯地方になると信じていたこともある。

今年の冬は、3月のような陽気がダラダラと続いているような有様で、大きな季節の変化がなく、季節の移り変わりを感じないと気分にもメリハリがつきにくい。やっぱり岩手の冬には、雪がなくては妙な気がする。
例年、冬になると出かける前には、「今日も生きて帰るぞ!」と心の中でつぶやくが、アイススケート場のように凍った雪道を走ることもなかったので、今年はつぶやいていない。
愛車(4WDではないので)に「がんばれ!がんばれ!」と声をかけながら坂道を登ることもなかった。なんだか物足りない。
代々受け継がれている『雪道運転慣れています』の遺伝子がないから、何年経っても慣れるということがない。後ろから煽られても、みなさんの迷惑になりながら、ゆっくりと走る。見晴らしのよい場所では、少しだけ左に避ける。『死ぬ気で追い越せ』というステッカーを車体の後ろに貼ったトラックを見たことがあるが、ぴったりと付かれると、私も貼ろうかなと、そんな気分になる。それが、今年はない。
そんな冬を過ごしていたから、毎年、暦の上だけでも春を感じたくて、立春を心から待っていた。

映画『イースト/ウエスト遥かなる祖国』の中で年配のロシア人女性が、閉塞的で雪に閉ざされたロシアの冬にうんざりしていたフランス人女性に「雪は、夏に豊かな恵みを与えてくれるものなの。だから、ありがたいものなのよ。」と、楽しそうに話す場面があった。なるほど確かにそうだと納得した。
このところ我が家の沢の水が少ない。雪解け水がなければ夏には水不足だし、雪の少ない年は、寒い夏になると言われている。私たちがここに住むことに決めた1993年の2月も、まわりには雪がなかった。その年の秋は、平成5年の大冷害の年となった。今年の夏は、どうなることか。

スーパーでも春野菜が出回り始めた。暖冬の恩恵か、2月にしては安い。
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大根サラダ/塩もみした大根の上に、ブラックベリービネガーで酢漬けした玉ねぎをのせた。トッピングはセロリの葉。
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白く仕上げると煮物も春らしく感じる。市販の白しょうゆ系は、後口がしょっぱくてアミノ酸の味が強いように感じるから、出汁・砂糖・塩で味付け。うちのじゃが芋と人参に岩手県産のアスパラガス1束158円。
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焼き油揚げのニンニクしょうゆかけ/インフルエンザ患者が出始めたそうなので、免疫力をあげておこうとニンニクしょうゆをかけた。ニンニクは酢に1週間下漬けをした後、しょうゆに本漬けする。うちではみりんも少し入れている。

立春の今朝、目覚めた時に妙に静かだと思ったら、吹雪いていた。
この冬初めてのまとまった降雪。今日は、雪かきから1日が始まる。隣の家の雪かきの音が聞こえてくる。岩手の冬は、やっぱりこうでなくちゃ!(丸山淑子)

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「女性出産機械論の背景」?僕の考える
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いやはやなんとも。この写真は我が家から見た2月1日の風景です。例年なら一面の雪景色「どうです、この静寂、美しさ」と自慢するところだが、これでは伊豆か房総の山間部のごとく、なんと間の抜けた冬景色でしょう。北上高地の霊峰、早池峰山の麓の冬景色はこうであってはいけません。しかし、これが現実なのです。
 ちなみに、畑の中のブルーシートの下には大根が埋けてあります。本来なら地面が凍結し雪が積もって、格好の地中貯蔵庫となるのですが、この温かさ、雨でも降ろうものなら水浸しになり腐ってしまうので、美しくは無いのですが、このありさまです。ブルーシートの先に緑の塊が2つ見えますか?なんとそれは大きな大きな直径40cmもあろうかというパセリです。とうとうパセリも巨大化してしまいました。将来日本は熱帯化するという予兆でしょうか。昨日、CO2による地球温暖化は決定的(世紀末には6℃上昇)と報告されていた。

 さて、地球温暖化の恐怖はこのくらいにしておいて、市民ジャーナルのネタ探しで新聞を開いて、20、21面(1月28日)見開きで眺めてみた。そのたった2面の中にあるわあるわ、良くぞここまで揃えてくれたかと、嬉しくもあり、情けなくもあり。
その中で全国的な話題だけをとりだしてみると、「鳥インフルエンザ渡り鳥が感染源か、西日本警戒を」「不二家、週内にも行政処分、食品衛生法違反で」「パロマ20年前に不正改造把握」「昨年10月に偽装知る、京都2ホテル耐震偽装」「対応後手強まる風圧、関西テレビあるある捏造」「厚労相、女性は産む機会」「八百長報道にありえない、朝青龍が不快感(真実は?)」。 

 その中で特に、「柳沢厚労相の女性出産機械発言」に白羽の矢を立てよう。政治家のハレンチ、問題発言はしょっちゅうなので一々取り上げてもしようが無いが、なんで、また懲りずに、しかも厚生労働大臣ともあろうものが、公の場でこんなことを言ってしまうのか。このことを彼個人の資質、教養、というものでなく、なぜこのような発言が横行するのかを社会的病理として考えてみたい。
 この問題は柳沢大臣個人を批判、罷免すれば解決する問題かというと、そうではないだろう。「鳥インフルエンザ問題」は異質だが、先に上げた事件は、一つ一つ原因を挙げれば、夫々言い訳、理由があるのだろうが、今それら問題が噴出するには、そこに同じような病巣があるからではないだろうか。
そのことを視点を変えて考えてみたい。ここ数年、毎日毎日、これでもかこれでもかと政財界トップの不祥事や事件が出てくるが、果たしてこういう社会状況は、現代日本において正常な状況なのか、それとも異常な状況なのか。

最近僕が注目した新聞記事が2つある。1つは「日本の豊かさ7位に」、これはGDPなど経済指標だけではなく、経済教育厚生などを評価した〈国連の人間開発報告書〉によるものである。1位ノルウェー2位アイスランドと北欧が続き6位カナダ7位日本8位米・・17位仏、以下伊英独と続く。また政治の清潔度でも確か日本は10数番目で、欧米先進国では英米仏独などより上位にあり、結構清潔な国となっていた。
これで見る限り、2次大戦の敗戦廃墟から良くぞここまで、欧米先進国を追い越し豊かな国を築き上げたと、自負もし、ま、資本主義市場経済、議会制民主主義の国としては良くやっているほうだ、少々政治家の不正や企業が不正をやったからとて、他の先進諸国と比してもまだまだ立派な国ではないか、とも考えられる。しかし、今この国にはそれでは済まされない何か、不安、閉塞感がある。

確かにバブル崩壊以降、多くの市民は日常の暮らしに四苦八苦している。しかし、高度経済成長期、今より忙しく貧乏であった時代、人々はもっと活き活きしていた。何故なのか、多分そこには希望があったからだろう。それは欧米のように、アメリカ映画のように豊かになることだった。
しかしその頃より豊かになった今、世界的に見れば、テロ、核が拡大し、地球温暖化は進み、環境破壊は危機的状況に近づき、経済的にも早晩インド中国に追い上げられ追い落とされると気づいて、今のままではいけない、何か新しい未来への夢を、希望をと多くの市民はもがいているのではないか。特に子供たちは、利巧な子供たちこそ、環境、平和の教えが浸透し、平和で自然豊かな社会を切望ながら大人社会の現実に絶望しているのではないか。
しかし、それでも、この国の政治、中枢は何処へ向かおうとしているのかというと、相変わらずの〈経済発展、軍事大国である〉。既に多くの心ある市民、多くの子供たちは、そこにはもう希望も夢も無いことに気づいている。

今この国が進もうとしている方向と、自分たちが想像する希望、ビジョンとにはあまりにも大きな隔たりがある。そのことが今の日本の社会不安なのではないか。これは、多分市民だけでなく、政治家、経済界をもすでに覆いこんでいるのではないか。今この国では、希望とは刹那的に新製品や新しいゲーム機など、目の前の何かをつかむことでしかなくなってしまった。多分柳沢大臣の「女性出産機械論」も、彼は大臣になった時点で彼の目的は終わり、政治家、人間としてのビジョンが無いことの証ではないか。
付け足せば、石原都知事の海外出張費、息子の画家への優遇(作品を見る限りたいした絵描きではない)への言い訳、朝日新聞記者の読売記事盗用なども生きるビジョン、プライドを捨ててこそなせる業であろう。
 
 では、この国に今何が必要なのか。それは核廃絶、「持続可能な地球環境」を取り戻す努力、それをビジョンとすることである。それが手に入るかではなく、それに立ち向かうことである。その時初めてこの国、この国の市民に心の平穏と活力が訪れるだろう。この国が新たな希望のある「共同幻想」をもつことである。
ちょっと大げさだけど、そんなことを考える今日この頃です。今世紀最大のテーマを慌てて結論付けようとして、今回はハチャメチャになってしまいました。また、整理します。
丸山 暁〈56歳・人間〉

「儲かればそれでいいのか」その1、ウォルマート化
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 経済のグローバル化問題をテーマにした面白い本を見つけた。
本のタイトルは「儲かれば、それでいいのか―グローバリズムの本質と地域力」。
 執筆者は、福井県立大学大学院経済・経営学研究科教授・本山美彦さん、農民作家・山下惣一さんら5人の識者。環境・持続社会研究センターから昨年4月に発行された。
 第1章の「ウォルマート化する日本」は、世界一でアメリカ最大のスーパー・ウォルマートの経営方針が、アメリカ全体の労働環境を悪化させ、地域経済を落ち込ませていることを豊富な事例を交えながら明らかにするとともに、アメリカ経済の内幕を暴露、経済のグローバル化がもたらす弊害について書かれている。
 同書によると、ウォルマートの従業員のほとんどがパートで、医療保険の加入率は4割を切る(アメリカ企業の平均加入率は6割)。しかも、低所得者対象の公的医療保険を利用する従業員が大多数を占める。
労働組合を認めず、サービス残業の強制などでコストを削減しながら店舗を展開。販売担当者の年収は、3人家族世帯の貧困ラインの年収を下回るという。
 各店舗では、従業員にフードスタンプ(食料配給制度)と生活保護を自治体に申請するよう指導。こうしたやり方が州財政を圧迫しているとのことだ。
 従業員の給料は車も買えないほどの最低ラインに抑え、不足分は公的制度を利用させて売上を伸ばしてきたのがウォルマートのやり方で、労働者を人間として扱わない徹底したコスト削減を著者は「ウォルマート化」と名づけている。
 アメリカの医療制度には、日本のような健康保険制度がなく、保険料の値上がりや失業などで無保険者が急速に増大している。
 賃金労働者の多くは、勤務先の企業が一定額を保険料を負担して民間の医療保険に加入。雇用主の負担率はまちまちで、負担割合は労働協定で決められる。
 一般の初診料は150ドル?300ドル(約1万7500円?3万5000円)、専門医になると500ドル(約5万8500円)。脳卒中で10日入院すると、手術代を含めて25万7000ドル(約3000万円)の医療費がかかる。
 保険料が高いため、多くの企業は保険料の負担が競争力の妨げになっていると考えている。
 また、労働者は、収入の道が途絶えると、借金しなければならなくなる。
 自己破産の約半分は、高額な医療費の支払いが原因。病気が原因で自己破産した人の大半は中産階級で、しかも、医療費保険の加入者という。
 メリーランド州では、公的保険を利用させるウォルマートを標的に、医療費補助の低い企業の新規出店は認めないという法案を作成し、州議会を通過させた。
 ウォルマートが小売業界を席巻する以前は、食品スーパーの労働者の年収は2万5000ドルから3万ドル、医療保険は会社が負担、従業員の多くは組合に加盟し、そこそこの暮らしが保証されていた。
 ウォルマートの進出で売上が落ちた南カリフォルニアの既存スーパー3社は、労働者側に賃金引下げ、医療保険料の負担増を要求。労働組合は貧困層に転落するとして反発、141日の長期に及ぶストライキを断行。 上部組織からは団体交渉の専門家が送られてくるなど、組織的な取り組みで対抗したが、最終的には経営者側の要求を大幅に飲むことで妥結したという。
 国際食品商業労組によると、1992年以降、ウォルマートの進出で閉鎖に追い込まれたスーパーは1万3000店を超え、カリフォルニア州を中心に営業していたレイリーは18店舗全てを閉鎖、1400人が失業した。
 アメリカでは、サービス産業を中心にパート雇用を増やし、医療保険や年金は基本的に負担しないウォルマート化する企業が増えつつある。
ウォルマート化は何もアメリカ国内だけでなく、日本でもその影響が現れている。
 派遣社員が導入された当初は、一定の技術者に限られていたのが、職種が撤廃され、今や派遣労働者は使い捨てと化し、人間として、職業人としての成長が阻害され、格差社会の要因にもなっている。
 残業代ゼロ法案として悪名高いホワイトカラーエグゼンプションは、経済のグローバル化に対抗する手段として選挙後の2008年、国会に上程される予定とのことだ。
 この法案が通ると企業は、対象従業員に残業代、休日出勤の割増賃金を支払わなくてすみ、健康を管理する義務もないというから、これまで以上に弱肉強食の世界が広がり、過労死、うつ病による自殺者の増加が予測される。
 一部の企業に多大な利益をもたらすだけの、このきちがいじみた競争は、どこまで続くのだろうか。
 もっぱら消費の対象となっている私たちに、対抗する手段はあるのだろうか。次回は経済至上主義の中で、健やかなる生活を取り戻すために一体何ができるのか、農民作家・山下惣一さんの考えから探りたい。
                           (草子)



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