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岩手県盛岡から発信、ローカルな足場からグローバルな普遍性を論じる
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ブログ新聞 『市民ジャーナル』
市民ジャーナルは、ローカルな現場の当事者の視点からグローバルな普遍性を論じようとするものです。皆さんの投稿をお待ちしています。 sj17417@yahoo.co.jp
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自浄能力のない組織は崩壊する!
 「納豆ダイエット」だけではないはずだと思っていたら、やっぱりである。
 報道されているだけでも、「みそ汁で減量」、「レタスで快眠」、「ワサビで若返り」、「レモンでダイエット」、「あずきで頭の回転が速くなる」など。まだまだ出てくる可能性が強い。
 「発掘!あるある大辞典」で取り上げたもののほとんどが虚偽、ねつ造なのではないかとさえ思われてくる。

 視聴率競争や番組制作のコスト削減、モラルの低下などさまざまな要因が指摘されているが、それらはたぶんそうなのだろうと思う。
 騙すほうが悪いに決まっているが、「番組を鵜呑みにするのはそもそも間違い」と騙される側にも矛先を向けたくなる。

 気になるのは、問題が発覚した後の対応である。
 「ねつ造」報道が出た後の記者会見で関西テレビの幹部はなかなか「ねつ造」を認めようとしなかったし、番組の視聴者に対しては千草宗一郎社長ではなく、アナウンサー(?)に釈明させている。問題への認識の甘さを物語っている。
 また、この種の問題が発覚した時に、第三者による委員会に調査などを委ねる例が増えている。この間で言えば、不二家もそうだし、流行のように使われる手法だ。
 それが悪いとは言わないし、第三者の目できちんと問題を洗い出し、どこに問題があったのか、どうすればいいのかの方向を提言してもらうことには意義があるだろう。
 ただ、それだけでいいのかということだ。
 問題が起きた時に、速やかに問題を調査し、公表することが必要なのだが、なかなかそれができず、ひどい場合はトカゲのしっぽ切りで済ませようとする。そうやっているうちに、次々と別の問題も発覚する。
 関西テレビも不二家も同じようなパターンだ。そうなってくると、もう収拾がつかなくなって、ボロボロの状態に陥ってしまう。
 組織の危機管理、自浄能力の問題なのだろう。

 少々古い話になるが、松本サリン事件で河野義行さんを犯人扱いした報道を検証した番組をTBS系列で見た記憶がある。
 マスコミの多くが、河野さんへの謝罪などで終わらせた中、警察発表に問題があったとはいっても、それだけを根拠にした報道のあり方を検証した番組だった。
 どこでもできることではないし、だからTBSが信頼できるとも思ってはいないが、自浄能力という意味では一つの例ではある。

 今、政治の場でも、政治資金の不適切な会計処理や「事務所費」のあり方が問題となっている。安倍内閣では佐田玄一郎行政改革担当大臣が辞任に追い込まれ、民主党でも角田義一氏が参議院副議長を辞任している。伊吹文明文部科学大臣、松岡利勝農林水産大臣らも釈明はしたが、納得のいくものではなかった。
 民主党の小沢一郎代表も秘書用宿舎の建設費を含む4億円超を事務所費として支出したことが問題となっているが、国会の代表質問で自らは領収書など詳細を公表する用意があるとし、伊吹、松岡氏らにも詳細を公表するよう迫っている。
 取り引きみたいなやり方でなく、自らはスパッと公表すればとも思うが、これからの成り行きを注目したい。

 企業でも、政党でも、信頼を得て伸びていくためには自浄能力が必要不可欠なのではないか。逆に言うと、自浄能力のない組織は自ら崩壊していくのではないだろうか。(ゼロテン)

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教育再生会議提言に意見?ゆとり教育見直しは本当に良いのか?
1月24日に教育再生会議の第1時報告が出された。
報告では、学校教育に対する7項目の提言がなされた中で、第1番目に、学力の低下を危惧し、「ゆとり教育を見直し、学力を向上する」ということが示されている。
具体的な内容には「読み書き計算の能力や、対話・意思疎通能力、問題解決能力などの基礎を重点的かつ効率的に学ばせる。このため、基本的教科(例えば、国語、英語、算数・数学、理科、社会・歴史)を充実し、授業時数を増やす。その際、各教科の選択の幅を広げ、詰め込み教育にしない。」と記されている。

さて、ここでちょっと視点を変えて、明治以降の教育を短絡的に概観すると、義務教育は富国強兵のための、指示命令を忠実に実行できる兵士と労働者を育成することが最重要目的であった。欧米列強の植民地化の波に飲み込まれることなく独立を維持していこうとする時代情況の中では、必要不可欠やむを得ない選択であったかもしれない。

そして、「欧米列強に追いつき追い越せ」という明確な国家目標は、明治、大正から昭和までの4度の戦争を経て、その後の復興と高度経済成長期まで続いた。その間の義務教育は、「必要な知識を教え込む」こと、もう少し極端な言い方をすると「規格に合った品質の良い兵士と労働者を短期間に大量生産するシステム」が基本形であったわけだが、それは見事に時代要請に応えて成果を上げ、鎖国明けのアジアの後進国を世界第2位の経済大国へ押し上げたと見ることが出来る。

しかし時代は変わっては現代は、欧米が必ずしも我々の目標とする手本ではなくなってきた。目標を自分で見つけ出さなければならない時代に突入してきた。これまでとは異なり、社会の問題を自ら探り当て、その解決方法を自ら考えて、進むべき方向を自ら模索していかなければならない。
こういう手本の無い時代、あるいは、問題に対する正解があらかじめ用意されていない時代においては、求められる人材はこれまでとは違ったものになるはずである。

さて、それでは今回教育再生会議が問題視している学力不足とは、何が不足しているというのだろうか。
それはこれまで通りの単なる知識不足の問題ではないと私は思う。今本当に不足し身につけなければならない学力とは、問題の存在を感知する“感受性”や、進むべき方向性を探し出す“判断力”や“想像力”、この3つをまとめて『感性』と呼ぼうと思うが、この『感性』が不足してきているのではないだろうか。
そういう見地に立つと、教育再生会議が示した「ゆとり教育を見直し、基本的教科(例えば、国語、英語、算数・数学、理科、社会・歴史)を充実し、授業時数を増やす」という考え方でだけで良いのだろうかと疑問が出てくる。
『感性』を磨くためには、むしろ、音楽、美術、家庭、図工、体育等の、一般の大学入試科目では無い科目が、これまでより一層重要になってくるのではないだろうか。
そしてさらには、ゆとり教育を見直して授業時間を増やすことが、本当の意味の学力向上、すなわち感性を養うことにつながるのか、むしろ逆効果ではないのか、まだまだ議論の余地があるような気がする。
<佐々 疾風(ササハヤテ)>
山里便り36 「納豆とマグロ!」 2007年1月28日
スーパーの納豆売り場の前で、50代らしきご婦人たちが、
「あれ、嘘だったんだって!」と、大事件が起きたように憤慨し、そして、通り過ぎた。
確かにデーターをねつ造して報道したという意味では、大事件だったとは思う。
『痩せる・カラダに良い』という言葉には皆どうも弱いらしく、納豆に限らず今までにも、ブルーベリーや寒天のブームの時には、スーパーの棚からそれらの商品が姿を消した。
ブームに乗り、納豆をつくり過ぎて在庫を抱えてしまった製造会社も気の毒といえば気の毒だが、納豆の原料となる大豆の97%は輸入に頼っている。世界のダレカが食べる分をもらっていることになる。

マグロが小型化し、漁獲量が減っていると言われて始めて久しい。要は、世界のマグロの数が減っているということだ。
日本人がマグロを食べ始めたのは江戸時代。1831年のマグロの大漁以降のことで、赤身のしょうゆ漬けを寿司にして食べ始めた。江戸時代のことだから、勿論、近海で捕れたマグロだ。
今では、私たちは世界の刺身用マグロの9割を食べている。漁獲量は約170万トン。その4割近い60万トンを日本が消費している。
1960年代、日本人が脂肪の多い食事を好むようになり、マグロのトロに人気が急上昇した。近年では、そんな日本人の好みに合わせて、回遊している群れを捕獲し、生けすに入れて脂肪分の多いエサを大量に与えて太らせ、トロ身の多いクロマグロやミナミマグロがつくられ、輸入されている。その量は、2万トンを超えている。
先日、テレビでマグロの水揚げ日本一の三崎港の、マグロが安くて美味しい店を紹介している番組を見た。丼ごはんの上にうず高く積み上げられたマグロの刺身たち。マグロが多すぎて、ごはんの量とのバランスが悪いように見えた。あんなに乗せたら、ご飯が冷えてしまうんじゃない。と思いながら見ていたのは、私だけ?
限定10人と言っていたが、半量にして20人分にすれば良いのに。美味しいものは、みんなで分けて食べてこそ美味しいって昔から言うじゃない。それでは、話題性がなくて客寄せが出来ないということなのだろう。
回転寿司でも一年中、トロまでが低価格で食べられるようになったことはうれしいことかもしれないが、資源確保の観点から、少したしなみを持って食べることが賢明だと思う。
食料自給率40%弱の国として、よその国のマグロを当てにするよりは、身近な魚を美味しく食べればいいんじゃないかな。
楽しい場で、いろいろな食品をまんべんなくフツーに食べることが、一番カラダにいいと思うけれど。

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まだらの子の煮物。卵は火のとおりが悪いので、少しゆっくり煮るのがコツ。翌日の朝食は、その煮物を崩してチーズものせてトーストに。色合いが地味なのでローズマリーをトッピング。

2月はタラやムツの卵の旬。漁獲量によって値段に巾はあるけれど、このところ安く店頭に並び始めた。魚屋さんの話では、注文してまで買い求める人もいれば、「まけるよ。」と言っても「食べ方が分からないから。」と言って買わない人が多いそうだ。
子供の頃は、たまに鯛の子も見かけたけれど、今では人工的に不妊にする3倍体作成でつくられた(病気になりにくい・産卵後に味が落ちる・産卵のエネルギーを使わず数年生きるという目的)養殖ものが多くて、まったく見かけなくなった。(丸山淑子)






テーマ:食べ物 - ジャンル:ライフ

「談合よ永遠なれ」ー僕の考える
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このオブジェは我が家の守り神である。すなわち、トーテンポールのようなもの。トーテンポールはトーテミズム(動植物や自然現象をも仲間、親族関係とみなす未開人〈近代文明に毒されていない人々〉の呪術的宗教観)を顕現化したものである。
 ではなぜ、これが我が家のトーテンポールなのかというと、このオブジェを構成しているものたち(丸太、壊れたスコップやホークや鶴嘴など)は、僕がこの地に来てから14年間、この地を耕し、共に生きてきたものたちなのである。彼らは、今は力尽き、眠りについているが、彼らは今も、僕の暮らしを見守り、共に生きている。中にはまた修理され生き返るものたちもあるだろう。

 今という時代、一般的には壊れたもの、役に立たないものたちは処分される(たとえリサイクルであっても)。今という時代、より便利になったという新しいものたちが、まだ使えるものたちを駆逐する世の中である。物を大切にと政府広告機構がTVや新聞の全面広告で声を張り上げようが、たくさん作ってたくさん売って、たくさん稼ぐことが正義であり、発展なのである。政府の言う景気拡大とはそういうことなのである。
  
 さて、今回はアミニズムで押していこうかとも考えていたのだが、やっぱり「市民ジャーナル」としては、世の中に眼を向けざる負えないでしょう。
 そういうわけで、ここ数日の新聞に眼をおとすと、あるわあるわ不正や不祥事や犯罪や事件が、「国交省の水門官製談合」「スーパーゼネコンの地下鉄談合」「不二家、オタベの品質管理問題」「国会議員の事務所費問題」「北見のガス漏れ」「家族惨殺」「関西TVのやらせ納豆」・・・数え挙げればきりが無いが、相変わらずというところでは、職業がら(僕は建築屋です。御存知でしたね?)建設談合に注目したい。

 官製談合(市民ジャーナルでハヤテさんが官製談合は詐欺罪横領罪であるといっていたがそのとうり)、ゼネコンの談合がなくならないのはあたりまえなのです。もちろん一部では制度改革、罰則強化、倫理観?などで、小物の談合が少なくなるでしょうが。しかし、最も建設業の大きな構造を占めるスーパーゼネコン(鹿島、大成、大林、清水、竹中)やいわゆる大手ゼネコン(約20社)では、談合(昨年スーパーゼネコンが談合放棄宣言をしたそうだが)、それに類する調整活動はなくならないでしょう。その中で、竹中工務店(最近竹中コーポレーションと名のっているようだが)は基本的に公共土木工事をやらないので他社と違ってかなりクリアーなのですが。ま、僕のいた会社ですから。

 なぜ、談合のようなもの(受注調整)がなくならないかという証拠は、スーパーゼネコン、大手建設会社のここ数十年の企業ランクを見てください。もちろん、年によって受注高、完成工事高、純利益など項目によっては多少のでっこみ引っ込みはあるものの、鹿島、大成、清水、大林、竹中の順で2兆円から1兆円企業、次に熊谷、前田、戸田、間など数千億円企業・・・と続いて行くが、一時バブル崩壊の倒産合併騒動も何のその、その序列は見事に保たれたまま、ここ数十年、今にいたるまで変わってないはずである。
 確かに、大手でも鹿島と大林、熊谷、間などとは実績、研究開発力にかなり差があるだろうが、一般の公共工事をこなす、実力、技術力はそんなに違いは無いだろう。それなのに、ここ数十年、企業ランクすなわち受注量の順位はほとんど動いてない。実は、このランクはここ数十年と言ったが、戦争中の軍需施設、国策建設事業当事からほとんど動いていないのである。多分これは、健さんや「何から何まで真っ暗闇よ」と唄った鶴田浩二のヤクザ映画の大正昭和初期から土建屋順位、幾ばくかの変遷はあるものの、ほとんど変わっていないだろう。

 そんな業種が他にあるだろうか。例えばトヨタダントツの車でも、30年前はトヨタ日産は出たり入ったり、その後、ホンダが出てきて、日産を追い抜いて、マツダが頑張って三菱がチョンボやってと、今のトヨタは特異な地位を得ているが(これはトヨタ方式という、徹底した下請け泣かせ)他社はまだしのぎを削っている。開発、流行の激しい電気メーカーに至っては、それこそ猫の目のようにランクが入れ替わっている。それでも重電関係(発電機など国策)に強い日立、三菱、東芝は特異な地位にある。他の業種、食品、繊維、化粧品業界などのランク変動はもっと激しいだろう。要は、ちゃんと市場経済にのっとって(多少のルール破りはあっても)競争している企業体は、浮沈が激しいのである。

 では何故、建設大手の企業ランクは不動なのか。それは明らかに、この国では脈々と構造的受注操作が行われているからである。公共事業抑制といってもまだまだGDPにしめる割合は建設業がダントツである。そこには利権が渦巻き政治家がすりよってくる。
 これからはいわゆる表向きの談合は隠されてくるだろうが、六本木ヒルズや東京ビッグシティーを生んだ小泉首相肝いりの都市再生本部や国交省、通産省などの「何々建設委員会」「これこれ検討委員会」の名簿を見てください、ほとんどお決まりの、超大手○○銀行、××建設、△△重工業、そして、それをある時代誘導するお決まりの大学のお偉い先生方(これを御用学者という)が名を連ねているはずである。そしてその組織構造が見事にそのまま大きな仕事に繋がっているのです。僕も若い頃幾つかの委員会の末席を汚していました。だから、その構造が良くわかるのです。これは原発や大規模開発でも同じです。それと企業ランクは、関係官僚天下りの質と量に見事に比例しているはずです。

 県知事や地方議員や公務員が数十万、数百万、数千万の賄賂や談合でつかまっていくが、そんなのはかわいいものです。この国には、もっともっと奥の深い、正当らしく見える利権調整構造が、国策、政治の中に深く刷り込まれているのです。怖い怖い話です。相変わらず政治家はお金に群がり、彼らが政治をつかさどっているのです。そういう政治を日本国民がずっとずっと長いこと選択してきたのです。要は国民の責任。
 
 この国の問題は、この国の国民の問題なのです。3割の富裕層がしっかり自民党を支えていれば、この国の政治は安泰?なのです。やっぱり一般庶民が、何を考えているかが問題なのです。
丸山 暁〈56歳・人間〉

オードリー
 少し遅くなったが、1月20日は、オードリー・ヘプバーンの命日である。ヘプバーンは、1993年1月20日、がんのため63歳で亡くなった。生きていれば今年78歳になる。
あれは小学4年生だったろうか。当時愛読していたマーガレットのグラビアページに「ローマの休日」(1953年作)のアン王女役の彼女が載っていた。
田舎娘にとってその美しさは衝撃的だった。「何てきれいな人だろう。こんなにきれいな人がこの世にいるんだ」とため息をつきながら眺め、何度も何度も名前を復唱した。外国人女優で最初に名前を覚えたのが、オードリー・ヘプバーンだった。
ヘプバーンを知る前は、写真で見る外国人は皆同じ顔に見え、区別がつかなかったが、以来、顔の違いが分かるようになった。
 最初に見た作品は、「緑の館」(1959年作)。NHKテレビで放送されたもので、当時私は中学生だった。
最初の夫、メル・ファーラーがメガホンをとった。駄作と酷評された作品である。
森に住み、子鹿が友達で動物と話しのできる神秘的な女の子の役。ストーリーは覚えてないが、笑い声をたてながら、後ろを振り返り走っているシーンが記憶にある。妖精のような美しさだった。
 次に見たのが「尼僧物語」(1959年作)。これもNHKテレビだった。アフリカの奥地で尼僧看護婦として医療活動に従事するが、第二次世界大戦で、ドイツが母国・ベルギーに侵攻、医者である父親が戦死したのを機に尼僧服を脱ぎ、レジスタンスに身を投じるという物語。内容は覚えていないが、面白いという感覚だけが残っている。
劇場で最初に見た作品は「ローマの休日」だった。1953年の作品だから私が見たのは、何度目かのリバイバルで上映されたものだ。
ポスターを街で見かけた時、ほんの少し髪の毛が逆立った。「ようやく見たい映画が見られる」と、胸を弾ませた。
二日間という短い時間の中に封じ込められた愛の美しさ、諦めることの切なさと潔さが、見る者に深い感動を与えてくれた。
機会あるごとに見ているが、見る度に新鮮で、何かしらの発見がある。
このほか「麗しのサブリナ」「戦争と平和」「マイ・フェア・レディ」「暗くなるまで待って」等々見たが、作品そのものに興味があったというより、いずれも彼女の美しさに誘われて劇場に足んだ。
晩年のヘプバーンは、ユニセフ親善大使としてエチオピア、ソマリアなど貧困と飢えに苦しむ子供たちの慈善活動に力を注いだ。
7年前になるだろうか、仙台の藤崎デパートで「オードリー・ヘプバーン:私のスタイル展」が開かれ、行ってきた。
映画や日常生活で身に着けた、衣装の数々にため息がでた。それと対比するように、ユニセフの親善大使として活動するビデオが上映されていた。
内戦と貧困と飢えに怯える子供を抱きながら、怒り、悲しみ、同情が入り混じった目で正面を見据えるヘプバーンの表情が、当時よりも今のほうが鮮明に蘇ってくる。
晩年の伴侶となったロバート・ウォスダース氏は「私のスタイル展」によせて「オードリーは早くから名声や美しさによる自尊心は、長続きしなことを悟っていた。生涯、現実を見極め、他者に対して繊細さと思いやりをもって接する姿勢をくずさなかった。不公正を目にすると、自分が強く怒りを感じる問題に人々の注意が注がれるよう、自分の全存在、全エネルギーをかけて訴えた」と彼女の人となりに触れている。
ユニセフ親善大使としてのヘプバーンは「最も激烈な争いの場所に行く事を決意したとき、女優オードリー・ヘプバーンではなく、一人の女性、母、隣人を深く気遣う者として出かけていった」と説明している。
ヘプバーンは9年ほど女優業を休業し、子育てに専念した時期がある。
彼女の子供に対する考えは、
「子供は人類にとって最も大切な資産であり、未来への希望です。子供たちは、そのことなしに、緊張関係や暴力のない世界を描くことは不可能です。それを可能にさせることこそ、私たちの使命と言えます」というものだ。
先だって某ショッピングモールで、友達と立場話していた若い母親が、大声で自分の子供を叱りつけていた。憎しみさえ感じさせる高圧的な態度で、ののしるのを耳にし「何もあんな言い方をしなくても」と胸が痛んだ。
子供は好奇心が旺盛で、いたずらが商売のようなものだ。
「あぶないから止めなさい。いい子ちゃんだから」とか「店のもを壊しちゃいけないからやめなさいね」と、諭すように話しかければ分かるはずだ。
親が絶対的な権力が持てる核家族は、子供にとって逃げ場がなく、親のチェックが厳しければ厳しいほど、子供には過酷な環境といえる。
そうした子供に行動の自由が生じると、よほどいい人間関係に巡り遭わない限り、自分が受けた仕打ちを他人を使って清算する行為にでてもおかしくない。いじめる子を規制するだけで問題は解決しないのだ。
今生きている大人全員がヘプバーンのように「子供は未来への希望。精神的にも社会的にも肉体的にも、いかなる虐待に遭うことなく過ごすことが保証されなければならない」と考えることができたら、世の中はもっと暮らしやすくなり、楽しい場に変わっていくに違いない。
                       (草子)

そのまんま東知事に期待する
そのまんま東氏が宮崎県知事選挙に当選した。
中央の官僚二人を押しのけての当選は、市民が既成政党や官僚政治に辟易し、新鮮な市民感覚を求めた結果であろうと思う。

記者会見で見る限り、当選に浮かれることも無く、その誠実な受け答えに好感を持った。

タレント(?)出身の知事としては、最近では長野県の田中康夫氏がいた。
彼の政治について、「議会との対立によって道半ばで退場させられた。政党や議会とうまくやれなかったことが失敗だった」と評した論調があったが、それは大きな間違いである。
彼は、既得権を守ろうとする政治屋や記者クラブを敵に回し、大きな改革を成し遂げようと、たった一人で立ち向かい奮闘した。
そしてこの間、長野県の財政を建て直し、脱ダム宣言や脱記者クラブ宣言など思い切った信念に基づいた改革を推進した。
選挙の時には改革派を謳いながら、当選するや変身し、妥協の妥協を重ね、信念のかけらも見られない政治屋が多い中、田中知事は孤軍奮闘よくやったと評価すべきである。

今回当選した、そのまんま東には、既成勢力の激しい妨害と抵抗に見舞われることは目に見えている。
しかし、たとえ四面楚歌の中で立ち往生して誹謗中傷を浴びようとも、安易に妥協することなく、是非田中康夫や宮城の浅野知事を乗り越える、改革と新しい時代への扉を叩き続ける事を期待したい。
宮崎県民も、彼を当選させた責任を持って、二階に上げて梯子を外すことなく、しっかり見守って支えてもらいたい。
我々県外の国民も宮崎県政に注目して見ていこうではないか。
<はやて>


山里便り35 「たかが豆腐、されど豆腐。」 2007年1月21日
昨日は、大寒。
明日は、豆腐買地蔵尊(蓮正寺 盛岡市南大通り2丁目)の縁日。
1月と7月の22日の縁日には、豆腐とへっちょこだんごを供えてお勤めをする習慣があるそうだ。

岩手県には12月12日の豆腐の日があり、『イーナ豆腐盛岡(詩・曲・唄youzen氏)』という歌や、
『南部盛岡とうふの会』・『覚山豆腐研究会』などなど、いろいろな豆腐の会まである。
盛岡市民は、自他ともに認める豆腐好きのようだ。と言うより岩手県人は豆腐好きに見える。
私の出会った人たちは、それぞれにお気に入りの豆腐があり、その豆腐が、どれほど美味しいかということを熱く語ってくれた。たかが豆腐、されど豆腐ということなのだろう。
盛岡市は豆腐の消費量が日本一だとか、富山市・山形市に抜かれたとか、いろいろ言われているけれど、一位でも二位でも三位でも豆腐を、よく食べているということに違いはない。

豆腐は奈良時代に中国から遣唐使によって製造方法が伝わったという説、
秀吉の朝鮮出征時に捕虜にして連れて来た朝鮮人から伝わったという2つの説がある。
『唐腐』が『豆腐』に変わり、豆腐料理が発展していったのは、江戸前期に隠元和尚が普及した普茶料理(中国式の精進料理)による影響が大きい。元禄を過ぎた頃から、庶民の食べものになっていったという。
豆腐一丁は、現在の5?6倍の大きさがあり、江戸の豆腐は京阪の豆腐より大きかったという。
1/2丁売りや1/4丁売りもあったそうで、独り者では食べきれない大きさだったために、冷蔵庫のない時代ゆえ豆腐を食べたいために所帯を持つということもあったそうだ。天保の飢饉で大豆の値段が高騰し、以後、豆腐が小さくなっていった。

そんな江戸時代、吉原の豆腐屋が江戸で南部重直公を助けた縁で盛岡に移り住み、豆腐屋を始めた。『江戸豆腐』と呼ばれて人気がでて繁盛したそうだ(南部盛岡とうふの会編『とーふー・巻の壱』より)。盛岡の豆腐のルーツは江戸豆腐にあったとは、岩手県とご縁があったようで、江戸っ子の私としては、ちょっと嬉しい。

豆腐好きなことと品質の良い大豆や美味しい水に恵まれている環境も整っているため、大小さまざまな豆腐製造会社・個人の豆腐屋・産直で販売されている豆腐までいれると豆腐の種類は実に多い。高いものから安いものまで値段の巾も広い。
旧大迫役場前に藤原豆腐店があった。しっかりとした大きな豆腐で、実においしかった。容器持参で買いに行き、「端っこ、頂戴。」と言うと、「はいはい。ほとりね。」と言って水の中から豆腐を取り出して入れてくれる。県外からも買いに来るという豆腐だったが、おばあちゃんが亡くなり豆腐屋も無くなった。

ひいきの豆腐屋無き後、好みの豆腐を探してながら食べていたが、太子食品の豆腐が気に入った。毎日のように食べるものなので、高い豆腐は、そうそう食べられない。太子の豆腐は、安価でありながら美味しいと思う。
遺伝子組み換え食品の表示問題時には、どこよりも早く対応した会社であったことも好感が持てた。ところが、同じ『一丁寄せ豆腐』なのに、十和田工場と古川工場の豆腐が違う。十和田工場産は、しっかりとして重量感があり美味しいが、古川工場産は、気泡が多くて柔らかい。硬めの豆腐好きな私としては物足りない。工場によって材料も水も違うから仕方がないのか、或は水を増やして大豆を倹約しているのかと疑っていた(ごめんなさい)。ずっと気になっていたので、太子食品に問い合わせてみたところ、「十和田工場は硬めの豆腐好きな北東北の消費者に合わせて生産し、古川工場は柔らかめが好きな南東北の消費者に合わせて生産している。盛岡は真ん中なので、両方の豆腐が流通している。」と、即刻、回答が送られてきた。その対応の早さと丁寧さに感心したのだが、そのメールが社長まで届き、違いが分かる消費者がいたと大層喜ばれたそうで、関東方面に出荷している日光工場の豆腐も食べてもらいたいとおっしゃったそうだ!
そんな訳で、近々、日光工場で生産されている豆腐セットが届くらしい。
太子食品は青森県の会社で、岩手県びいきの私としては、何なんですが、旧南部町で創業された会社だから同じ南部藩だし・・。どんな豆腐が届くのか、楽しみに待っている。
不二家とは大違いと思ったが、比べることの方が失礼でした。
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上から、豆腐のチリソース。豆腐の水分を利用してツナカレー。グリルで焼いた焼き豆腐で煮物。
yoは丸山淑子、今日から本名にします

テーマ:食べ物 - ジャンル:ライフ

「脱建築」?僕の考える
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なかなかいいい感じの椅子と机ではないでしょうか。大量生産大量消費のモダニズムに落ちいった商品が多い昨今、作り手の感性が伝わってくる、無骨だが温かみのあるポストモダンの代表格ともいえる椅子と机ではないでしょうか。前回、僕が「さよなら安藤忠雄」の最後で言った「脱建築」宣言後の第一号作品である。この作品は僕が去年の暮れから今年にかけて作ったものである。材料費は建材塗料でほぼ5,000円というところ。後は僕のセンスと労働である。労働期間は、ほぼ一ヶ月に渡るが、実質一日1?2時間一週間ぐらいだろうか。まあ、一日2時間として、実働14時間、ほぼ2日*人というところか。中級の職人が作ったとして、20,000円/2人*日=40,000円で、この椅子と机セットで材工共45,000円というところ。これを高いと見るか、安いと見るかは、皆さんの判断に任せます。

 僕が「脱建築宣言」をしたのは、いわゆる建築とオサラバすると言うことではない。この「脱建築」の「脱」は「脱する」「逃れる、逃げ出す」という意味ではなく、ジャック・デリダの「脱構築”de construction”」で言うところの「脱」なのです。ではこの「脱」とはなんなのかというと、かなり説明は難しいのだが「それまであたりまえと考えていたこと、またその考えを収斂、制度化、定義するために消し去ってきたもの、などをもう一度表に引きずり出してきて、今を再構築して、今を乗り越え、よりよいものを見出していく作業」と、僕は解釈している。このあたりに関心のある方は、ぜひ、「脱構築」関連、ジャック・デリダを呼んでみてください。ぼくも、まだ「脱構築」の入り口をうろうろしている段階なので。

 それでも、僕の言う「脱建築」は、はっきり説明しておく必要があるだろう。大まかには僕の前回の市民ジャーナル「さよなら安藤忠雄〈脱建築〉」?僕の考える、を読んでいただきましょう。それと、僕も一応建築屋、建築界における「脱構築(デコンスツラクション)を語っておかなければ、僕の「脱建築」と混同されてしまうので、説明が必要でしょう。
 建築の世界での「脱構築(デコンストラクション)」は1980年ごろポストモダン(モダンはコンクリートと鉄ガラスの規格化された近代・現代建築と考えてください)の一形態として起こった建築のムーブメントである。簡単な事例では、本来垂直であるべき外壁を斜めにしたり、一見破壊されたかに見える建物だったり、全く非機能的な何かがデザインされていたりする建築である。ご存知の方はご存知の、その世界では有名な、東京浅草の隅田川沿いにある麒麟麦酒屋上のキンキラウンコなどはポストモダンで脱構築でしょう。岩手の人は、びっくりリドンキーの建物を思い浮かべてください、その外観がポストモダンの脱構築と考えていいでしょう。建築界の「脱構築」はそんなお遊びだったため、一過性のものとして消え去った。これはびっくりドンキーのことではないですよ、びっくりドンキーは建物の外観の事例で紹介しただけで、ハンバーグ屋サンは大いにはやっているようです。

 さて、これからやっと僕の「脱建築」に戻りましょう。僕の「脱建築」も「脱構築」の思想的流れから派生した考えで、それをもう一段階、いわゆる現代の建築を乗り越える思想として、言語化したものが「脱建築」です。それといわゆる一般的な建築、建築基準法や建築設計でいうところの建築の領域をもう少し広げて、私たちが暮らす空間、施設、建物、住宅、身の回りの家具たち、何らかの意図をもってデザインされ暮らしの中にあるものたち、その全体をも建築と捉えることが「脱建築」の概念にある。

 まず、注目される多くの現代建築は、成金主義の建築(金満家による金満家のための消費空間)と化し、公共建築も、相変わらず自治体の権威付け的建築がはばを聞かせている。、世界に名だたる豪華なコンサートホールが乱立する中で、日本の多くのオーケストラは資金難で風前のともし火であり、日本の大建築は相変わらずバブリーである。また、方や市民のための住宅は、高規格で人に環境にやさしいを売り物に、非人間的もしくは非身体的住宅を量産し続けている。人と環境にやさしいのだからいいではないかと考えがちだが、実は快適すぎる建築は、身体的に人間の機能を低下する不健康住宅なのである。
 もう一点、現代の建築は制度により出来上がってしまう建築となってしまった。それが顕著に最悪な方向で動いてしまったのが「姉歯建築士による強度偽装問題」である。建築業界全体(設計するものも施工するものもそれを管理する行政も)、マンションを買ってしまった人々も含め、社会全体が、建築は〈ある決められた制度にのっとっていれば〉それが良い建築だと考えるようになってしまった。もちろん偽装マンション購入者にはなんの責任もなく悲劇的な被害者であるが。そこには、全ての段階で、人間の経験や感覚、建築に携わるものの身体的感覚(触ってみたり数えてみたり経験と照らし合わせてみたり)が抜け落ちていた。

 少し前といっても、大正期だが、「異形の建築」というものがあった。それは建築空間の中に、登れない階段や、ドアを開けたら壁があって入れなかったり・・・そんな無駄な遊びが建築にはたくさんあった。つい最近までは結構、縄梯子で子供部屋に上がったり、キャットウォークのような手すりの無い危険な回廊を作ったこともあった。それが今は、建築も計測でき、食べ物や工業製品と同じように安心安全な機能的生産物になってしまった。

要は、建築が制度化され高度に規格化され、作り手にとってもそれを利用するものにとっても、人間の身体性から乖離してきたのである。それが建築の進歩なのだろうか。

そういうことを考え直しながら、建築に係わるものたちを私たちの身体的なものに取り戻していこうというのが、僕の「脱建築」なのです。今日のところはまだ舌足らずだが、これから機会あるごとにこのことを考えていこうと思っている。いつも「脱建築」では煮詰まってしまうので、いろんな話題のなかで。
丸山 暁〈56歳・人間〉


市民だけにツケを負わすのか?夕張市の破たんと国の責任
 夕張市の財政破たんのニュースがたびたび報道されている。最近は、市民生活が現状とともに、自民党の調査団が市民から非難を浴びた話や松山千春が市内の商店で100万円分の買い物をしたとか、みのもんたが現地を取材して「男泣き」したとか、そんなニュースが多い。
 破たんにはさまざまな要因があるだろうが、炭坑の閉山、観光産業に活路を見出そうといろいろな施設を起債で建設したことなどが主なものとして挙げられている。

 何か問題が起きた時、すぐに「誰に責任があるか」と犯人探しが行われるが、夕張市の場合でも、前市長や市会議員に矛先が向けられた。もちろん、その人たちを選んだ市民の責任も考えなくてはならない。
 これは当然のことではあるが、それをいくら追及しても今となっては虚しい。
 ただ、建設されたさまざまな施設は、たぶんほとんどが国の補助を受けていたはずだ。
 夕張市の財政状況を国や北海道が知らないはずもなく、施設建設は起債で賄うことは分かっていたのだと思う。
 一昔前のように借金しても、後で交付税で面倒見てくれた時代は良かったかもしれないが、途中からそれは期待できなくなった。
 夕張だけの問題ではなく、それは全国の自治体がどこでも抱えていることだと。「みんなで渡れば…」式に、借金しても、後で国が何とかしてくれるという考えがまん延していた。
 いずれにしても、事業への補助と起債を認めた国、間接的には道の責任も免れないはずだが、ここへの批判は余り聞かれないのはなぜだろう。

 医療や教育など生活に関わるあらゆる分野で市民は厳しい状況におかれている。
 それをすべて「あなたたち市民の選択がこういう結果を招いたのだ」で済まされていいのかだ。
 ある意味、国や道が破たんに追い込んだとも言えるが、破たんしたら、後は「自己責任だ」というのでは、悪徳金融業者と何も変わらない。
 公共事業を引っ張ってきて、借金を増やすことに加担した国会議員もいたはずだが、そんなことには目をつぶって、一種のパフォーマンスで「調査」だと称して視察に訪れる輩には反吐が出る。

 では、どうすればいいのか。
 少なくとも、憲法25条の「すべて国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する」ということがベースにならなければならないと思う。
 自己責任として応分の負担は仕方ないにしても、夕張市民は日本国民でもあるのだから、それは国が最低限保障しなければならないはずだ。
 少なくとも、市民に過度な負担が押し付けられている現状は放置すべきではない。

 ただ、問題は夕張市民だけを救うのだったら、簡単かもしれないが、夕張予備軍が全国にたくさんあることだろう。
 そこを考えると、国、都道府県、市町村をひっくるめた行財政全般を見直すことが必要だ。
 国が持っている予算、許認可権限などをできるだけ地方に移し、自らが判断して事業をやれるようにすること。もちろん、都市部と地方の格差はあるのだから、その配慮はしなければならないが、住民自らが選択、判断して、その結果には責任を負う形にしていくことではないか。
 その前提には、「誰かが何かしてくれる」といった考えを捨て、自ら参加し、発言し、活動していく住民の自治意識、参加意識が必要だと思うが、これが簡単なようで一番難しいのかもしれない。(ゼロテン)

盛商サッカー全国優勝と桑田真澄の大リーグ挑戦
年が明けて、ここ盛岡では明るい話題でにぎわっている。盛岡商業高校が全国高校サッカー選手権で優勝、昨日13日は市内目抜き通りで優勝パレードが行なわれた。
沿道には「盛岡にこんなに人がいたのか!」と思わせるほど大勢の人出で、久し振りに街中が活気に湧いた。
地元の普通の高校生が、プロを目指す選手を揃えた有名校を打ち破って優勝したのだから、痛快な気分である。選手も沿道の市民もみんな幸せな笑顔であった。

さて、スポーツと言えば、プロ野球の桑田真澄38歳。
言わずと知れた甲子園のヒーローにして、ジャイアンツの元エースである。しかし、ここ4年間殆んど出番がなく、最近2シーズンは0勝である。
来シーズンは39歳、周囲には限界説が飛び交っている。
しかし本人はまだまだやる気で、明日を見据えて淡々とトレーニングを欠かさず、やるべき事をやっている。
私は、これまで桑田はあまり好きなタイプではなかったが、最近はいい顔つきになってきた。
そして、ここに来て大リーグに挑戦しようとする姿勢に大いに応援のエールを送りたい。本当はもう少し早く挑戦してもらいたかったが、この歳になって挑戦するところがまた桑田らしいというべきか。

さて、今や大リーグに在籍する日本人プレーヤーは、すぐには思い出せないほどの数になってきているが、ここまで日本人プレーヤーが挑戦できるようになったのは、何と言っても野茂英雄の力である。
野茂は、現在のようなポスティングシステムが無く、大リーグへの道筋が開かれていない時代に、更には日本と大リーグのレベルの違いが分からない時に、未知の世界に挑戦していった。
マスコミには「ルールを無視した身勝手なやつだ!」と叩かれ、当時の近鉄監督で元300勝投手からは「大リーグに行っても通用するはずがない」と冷ややかな言葉を浴びせられながら大リーグの扉を叩いたのだった。
確かに、大リーグの2軍、3Aクラスの選手が出稼ぎに来てホームラン王のタイトルを簡単に獲得してゆくのを見ていると、野茂が大リーグで通用するという確信は誰も持ってはいなかった。
しかし、そのような中で、勇気をもってたった一人で飛び出してゆき、近鉄時代の20分の1の年俸からスタートしながら、見事新人王を獲得。その後123勝を挙げたのである。
野茂が日本人でも大リーグで通用する事を証明したから、後に続くものはそれを基準にしてどんどん進出していくことが出来た。
野茂は現代のコロンブスである。
人間は、可能だと分っていれば踏ん張れるが、「可能かどうか分からない、もしかして不可能なものかもしれない」という状況の中では迷いが生じるものだ。そういう状況で果敢に挑戦することこそ本当の勇気である。

その、野茂が切り開いた世界に、今年39歳になる桑田が新たな挑戦をする。
野球選手の39歳は、サラリーマンなら定年間際60歳前後というところだ。
見事花を咲かせてくれることを期待しているが、もし咲かずに散ったとしても、「その心意気や良し!」。
今年は桑田を密かに応援しようと思う。
<佐々 疾風>

山里便り34「私の細胞がかわった!?」 2007年1月14日
「東京で、お正月。いいなあ。」と近所のchiekoさんに言われたけれど、
いいのかなあ・・。

12月に入ると母から、買い物リストが送られてくる。
泥ネギ1束、干ししいたけ1パック、昆布1パックなどなど、品名と数量が書かれている。
「東京には、こんなに美味しい納豆は売っていないわよ。」とか
「岩手の牛乳は、ひと味違うわねえ。」と言われているので、
ついつい納豆・豆腐・牛乳・鶏肉・鮭・鱈と生鮮食品まで買い揃えてしまい、
うちの野菜と隣近所から正月用にと届いた餅や米、酒まで詰めると
ダンボール5箱にアイスボックス2箱の荷物になった。
東京って所は、何でもあるところのはずなのに・・。
実家の近くのスーパーを覗くと、『岩手県産』のモノがそこここで目につくが、東京の地代や人件なども乗っかって、ファースト・クラスに乗ってきたの?と思うほど、鶏肉1枚の値段が違う。

東京に着いてから数日、何となく身体の調子が悪かった。花粉症のような頭が重いような、
鼻が乾いた犬みたいな感じ。どこというわけではない不調感。
夜は熟睡できず、2?3回トイレに起き、珍しく便秘になった。
どうやら私の細胞は、すっかりイナカビトになったのだと気がついた。

「こっちに来ると、やっぱり帰って来たという気持ちになる?」と、義姉に聞かれたが、
帰って来たという気持ちになるのは、やはり岩手の我が家に帰って来た時。
高速道路で福島県に入ると、『ここより、みちのく』という表示がある。
これを見ると、「あーっ。帰ってきたぞ!」という気持ちになる。
急に車の数が減り、まわりの景色も変わってくる。

33歳まで東京で過ごし、あまり他の地を知らないせいもあり、
こちらに来てからの数年間は、岩手と東京、どちらにいても落ち着かず居心地が悪かった。
自分に居場所が、どちらにもない。そんな気持ちで過ごしていた。
5?6年後、どちらにいても寛げるようになり、
そして、今年、東京のまちに違和感をおぼえるようになってきた。

流行りの店を覗き、デパ地下めぐりをし、いくつかのまちを歩いてきたが、
店舗と商品・人の数は多いけれど、同じものが同じ値段で並んでいるだけだ。
改めて、東京もたいしたことがないなあと思った。
NHKニュースの冒頭画面の東京タワーは、六本木ヒルズの引き立て役みたいに小さく見える。
子供の頃、迷子になったら東京タワーを目指して歩きなさいと言われていて、道に迷うと上を見上げて一生懸命に東京タワーを探した。その東京タワーも取り壊されて江東区に新しいタワーが出来るらしい。保存運動も行われているらしいが、「2007年、東京は大きく変わります。」と、都知事は言っている。
高層ビルが増えるだけで生活の匂いがしない、消費するだけのまちには、魅力がないと思った。

帰宅途中、高速を降りて花巻のスーパーに寄ったら、人が少なくて気持ちがよかった。これも初めての感覚!

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豆腐と野菜・揚げ餅を炒めて中国風。
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埋けておいた北京大根を取り出してピクルス作り。酢を入れると赤味が冴える。今年は雪が少ないので、掘るのが楽です!

追記:前回の山里便りのロースト・チキンを見て、「詰め物をしなくて形がくずれないの?」というご質問をうけました。手羽の部分を縮めて裏側に折り込み、脚の関節から下を切り落とし、脚先を皮と肉の間に入れると大丈夫です!
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yo

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「さよなら安藤忠雄〈脱建築〉」?僕の考える
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 新年2週間も過ぎて、まだ出てこないとは、やっとこれでブログのくせに七面倒臭い文章を読まなくてもすむとお考えだった皆さん、おあいにく様でした。今年も「僕の考える」はやって来ました。なぜ、これほど遅れたかというと、正月は一般的には逆帰省で東京に10日ばかり帰っていました。この地(北上高地の霊峰早池峰山の麓の集落)に越してきて13年、毎年正月は帰京しています。
 さて、そんなことで、東京の再開発、新しい建物が出来たとなると僕も一応建築屋、その機会に新しい建築を見に行きます。これまでにも、新宿、お台場や汐留、恵比寿、この間の正月には、かのIT金満家たちがしのぎを削る牙城、六本木ヒルズ、そして今回行って来ましたよ、あの、憧れの、飛ぶ鳥落とす勢いの安藤忠雄の表参道 ヒルズに(ご存知の方はご存知の元の同潤会アパート跡地)?写真参照。

 結論を先に言おう。「さよなら安藤忠雄」である。ここではあまりにも有名な安藤忠雄の説明は要らないだろう。最近NHKの講座やTVでも建築家としては結構頻繁に露出しているし、ついこの間は石原都知事のとなりで東京オリンピック誘致の先兵となって演壇に立っていた。安藤忠雄の建築への道、建築論には多いに共鳴し憧れてもいた。しかし、彼の最新作「表参堂ヒルズ」に行って、その空間を感じて見て「さよなら安藤忠雄」となった次第。
 
 正月3日だったか、暖かい日だった。原宿の駅を降り、恋人に会いに行くように、欅並木をはやる心を抑えきれず足早に「安藤忠雄」に会いに行った。遠くに欅に見え隠れして、透明感のある外壁が見えてきた。さすがに安藤忠雄、見事に欅の並木に溶け込んだ、と言うより対話した、明解な建物が見えてきた。10時チョッと前、既にオープンを待って人の波である。僕は、反対側の歩道からじっくり対面して、外周をぐるっと見てきた。新しく出来た建物なのに、既にそこにあったかのような、そして派手さは無いがしっくりした存在感のある「安藤忠雄」がそこにあった。
 10時をしばらく過ぎ、人の波が落ち着いた頃を見計らって、期待に胸を膨らませ、建物に入った。
「何じゃコリャ」、入った時の第一印象である。既に雑誌やTVなどで建物の概要は知っていた。表参道のスロープに合わせて傾斜した、周回的な回廊的平面構成、真ん中に大きく開かれは大空間、建築的にはまあまあ面白い。しかし、何がいけないかといえば、その空間に長い時間居たくないのである。すぐ、出て行きたくなるのである。もちろん、せっかく来たのだから小一時間、ぐるぐる歩いたり、写真をとったり、佇んでいたのだが。

 なぜ居たたまれないのか。それは建築が、あまりにも建築的なコンセプトが詰め込まれた息のできないキチキチの空間だからである。一定の形態(階層)の連続、目いっぱい階数を増やしたための天井の圧迫感(これは欅の並木に溶け込ますための建物の高さから来るのだろうが)、テナントを増やすための見世物小屋的店舗群、あたりまえの吹き抜けの大空間、そして最もいけないのが、なんだかヒーリング音だか自然の雰囲気を出すのだか知らないが、コロコロヒューヒューキュトンキュトンと繰り返すざわめき(僕には癒しの音ではなく耳うるさいざわめきに聞こえるのだが)、そして大空間を覆う華美なガラスの装飾・・・、長い長い回廊にただ一箇所だけお決まりのように置かれたベンチ(置くならもっとたくさん置け)、それら全てがあまりにも現代建築のコンセプトでがんじがらめになっている。それらが全て、計算された、見え見えの建築として僕に責めかかってくる。そして僕を阻害する。この現象はあくまでも僕にとって、と言っておく。
たぶん、これが現代建築の集大成なのだろう。そこには「〈建築技術とデザインと自然と人間〉の融合というコンセプトの商業主義」が見事に完結している。先に挙げたものも含め、現代建築は往々にしてそのようなものなのだが、安藤忠雄よお前もか、ということでした。

その上、オリンピックの東京誘致の人寄せパンダ(安藤忠雄さんはどこかパンダに似てませんか)になるとは何事ですか。神戸の震災後の、植樹の運動とか、淡路島の計画とか共感していたのに、関東大震災が確実に想定される、しかも温暖化による海面上昇で海抜ゼロメートル地帯の数百万人が危機に瀕すると言うのに、あほな石原都知事の尻馬に乗って「オリンピックを東京に」などとは、理性ある建築家のすることではない。もっと東京はやることがあるだろう。僕にはとてもとてもそんなことは出来ない。もっとも、僕には誰からもお呼びがかからないけれど。

 そんなことで、新年早々、「さよなら安藤忠雄〈脱建築〉」である。

では僕の考える建築、「脱建築」とはなんなのか。建築は“Smoll&Beautiful(小さくて美しい)”である。それは「人間の身体と共鳴できる、基本的に人間の手による、環境と人間にとって美しい建築」である。では、建築家・屋の仕事がなくなってしまうではないか。要は、そういうことなのである。さて、この問題はまた後で。

さてさて、今年も新年早々、家族によるバラバラ殺人(正確には殺してバラバラにする)、政治家の金の問題(大臣様の「え、別に悪いことはしてませんよ」ととぼけた)、天候異変・・・書くことはたくさんありそうですが、嘆いてばかりもいられません。今年は出来たら〈未来へのビジョン?「僕の考える」〉を描いていきたいですね。今、人間には、人類には〈希望〉しかないのです。
丸山 暁〈56歳・人間〉

正義病
ジャーナリスト魚住昭氏のブログに「正義病」という言葉を見つけた。
「・・・自分は常に正義で、相手は悪だから、どんなに傷つけてもいいのだという思い上がりである。」
「この病にかかると、自分の欠点や過ちは見えなくなり、他人の悪いところだけが異様に拡大されて目に映るようになる。」
「正義という病が高じると、組織は果てしなく堕落していく。早く病を治さないと、取り返しのつかぬことになるのではないか・・・」
これはそのブログの中で検察に対する批判として書かれたものである。

振り返ってみれば、検察に限らずとも、どうも我々はこういう病に簡単に罹りやすい。
相手に少しでも非があると、少なからず優越感を持って非を責めたてる。
それは心地良いのである。
しかし自分はそれほど立派な人間であろうか。
私自身も、この市民ジャーナルに批評的なことをたくさん書いてきて、ふと冷静に振り返って見ると、もしかして正義病に冒されていたところもあったのではないだろうかと不安がよぎる。

しかし一方、自分が完全な正義で無ければ批判してはいけないのだろうか?という反問も出て来る。
そんなことは無い。世の中には完全無欠な正義の人間など存在しないのだから。
もしそんなことになったら不正義や理不尽なことが、無批判の中でまかり通ってしまう。それではいけない。
みんな自分の不完全さを認めた上で、理不尽なことには声を挙げることが必要なのだ。
但し、正義病にかからないように注意しながら。

今年はこの「正義病」という言葉を胸に収めながらこのブログを書いていこうと思う。
<ハヤテ>

2007年の初夢?明るい未来の夢を語ろう?
今年も例年通り正月がやってきた。単に日にちが過ぎていくだけで、時間は区切りなく続いていくのだけれど、正月という人為的区切りによって気分が改まるのはいいものである。これも長い間の先人の知恵の結晶なのだろう。

さて、正月を迎えて思ったことは、「世の中は人々の望む通りの世界が実現してきた」ということである。

古来から人類の生存に対する要求、「猛獣に襲われる危険が無く、疫病や災害の怯えることが無く、飢えや寒さを凌ぐことのできる生活」を手に入れたのはいつ頃のことだろうか。それ程昔のことではないはずだ。
私が子供の頃の夢の都市とは、「高速道路が縦横に立体交差して走り、高層ビルが林立し、一年中季節に関係なく美味しいものが食べられ、雨や雪に晒される事無く買い物やレジャーが楽しめるドーム、その中は年中過し易い快適な気温と湿度が保たれている。そこへはマイカーで一人ひとりが自由に出掛けられる。大学へは望めば誰でも入学でき、住居は遠くまで見晴らせる高層ビルの上層階。劇場に出かけていかなくても家庭で映画もコンサートも楽しめる。」
これら子供の頃に夢に見た生活は殆んど全て現実となって目の前に出現してきた。

更に、人々が苛酷な肉体労働より知的労働を求めてきた結果、20世紀初頭には全体の3%程度であった知的労働人口比率がいまでは50%に迫るところまで来たと言う。
物や生活だけでなく、仕事のスタイルまでも望んだ通りの世界が実現してきた。

しかし夢が実現した今になっても、充足感や幸せ感が無いと嘆いている人も多くいる。
望み通りの知的労働者になってみると、そこには“ストレス、うつ病、自殺”があり、インターネットで映画もコンサーも見られるところには “引きこもり”、大学全入を目前にしては “過激な受験競争”、快適な生活には“膨大な廃棄物と環境破壊”を出現させた。
何故そういう問題を起こさないような社会の発展が出来なかったのだろうか。
それは、「そういう問題を起こさないことを社会が望まなかった」からだ。もっと正確に言うと、「そういう問題が発生するということをイメージできなかったため、それが起こらないようにすることを望むことが無かった」ということである。
もちろん一部の人間はこういう負の問題に警鐘を鳴らしていたかもしれないが、大多数は問題発生のイメージが無かった。

今わが国では、将来に対してマイナスのイメージが多く流布されている。それは将来に対する警鐘である。しかし警鐘だけでは駄目なのだ。マイナスのイメージだけが広がれば、そういうマイナスの暗い社会が実現してしまう可能性が大なのだ。
今必要なのは、警鐘に止まることなくその問題を解決して “明るい未来をイメージできる夢”なのだ。
夢をイメージすることによって、そこに近づこうと多くの知恵が集まる。知恵が集まり力が結集されればきっと実現に向かうに違いない。

今年は大いに夢を語ろうではないか!
<ハヤテ>

テーマ:あけましておめでとうございます - ジャンル:日記



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