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岩手県盛岡から発信、ローカルな足場からグローバルな普遍性を論じる
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ブログ新聞 『市民ジャーナル』
市民ジャーナルは、ローカルな現場の当事者の視点からグローバルな普遍性を論じようとするものです。皆さんの投稿をお待ちしています。 sj17417@yahoo.co.jp
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高校の単位不足問題と新庄日本ハムファイターズの勝利
全国各地の高校に広がっている履修単位不足問題。
受験に必要なものだけを履修させると言う高校の予備校化。
高校はなりふり構わず受験テクニックを教える所で、学問を教える所ではないらしい。
高校は正式には高等学校。高等教育とは受験教育だったとは、何となくうすうす感じてはいたが、教育委員会から校長まで臆面も無く行動で示されると、ちょっと戸惑ってしまった。
もっとも大学とても学問を教えているかは疑わしい。
受験生への人気取りに明け暮れて、就職率を気にしているばかりか。

文部科学省は、ゆとり教育が学力低下を招いていると言うが、
そもそも学力とは何か?暗記力やマニュアル遂行型人間を育てたいのか。
真の社会に役立つ人間を育てる教育とは何か?
そこのところをしっかり考えないといけない。

話変わって、今年のプロ野球日本シリーズは大方の予想を覆し、ヒルマン監督率いる新庄北海道日本ハムファイターズが落合中日ドラゴンズを下し、シリーズを制覇した。
2年連続のアメリカ人監督の勝利である。
ヒルマンと新庄の“明るいのびのび野球”が、落合中日の“ムッツリ管理野球”に勝ったということだが、昨年もバレンタインの“のびのび野球”が、岡田阪神の “ムッツリ根性野球”を下している。
やはりムッツリには福は来ない。
のびのびと「笑う角には福来る」である

“ゆとり教育”と “詰め込み受験教育”はどっちが勝つのだろうか?
受験競争ではなく実社会の場で較べてみたいものだ。
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<疾風>


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ブックレビュー
西欧「寓景」今昔話 絵/文 丸山暁

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山里便り25 「秋晴れで、テントウムシ!」 2006年10月29日
白い外壁に黒いドットが遠目にも見える。
この時期、穏やかに晴れた日の我が家の外壁は、水玉模様に変わる。
3月から5月上旬までと9月から11月の雪が降るまでの間、年に2回、テントウムシが大量に集まってくる。
黒地に赤テンや赤地に黒テン、テンの数もいろいろで、無地もいる。大きさも様々で種類が多い。
きっとそれぞれに名前があるのだろうが、自慢じゃないが虫と鳥の名前には、うとい方なので分からない。

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サフランが咲き始めた。めしべを採って乾かして保存。
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漱石の『三四郎』にも登場するヘリオトロープ
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バラも、そろそろ終わり。

昔々、『てんとうむしのサンバ』という明るいリズミカルな曲が流行ったが、
一匹二匹ならば愛嬌もあるが、群れて大群になると喜んでいられない。ヒッチコックの映画に近い心境だ。
窓辺や外壁に集まり、太陽の動きと共に、東側から西側に移動していく。
日が落ちると姿を消し、日の出と共に再び集まってくる。
外を歩くと体につき、首筋にモゾッと、頭の上でカサッとする。洗濯物や布団にもつく。
刺激を与えると黄色い汁を出すので、そっと払う。
東京で33年間見たテントウムシより、ここで14年間に見たテントウムシの方が圧倒的に多い。
最初は、うちだけかと思い、近所に聞いてみたら「いるいる。佃煮ができるほどいるよ。」と、事もなげに言われた。そういうものなのかと納得!自然の中で暮らしていると、いろいろなコトがあるよね。

ドイツに住んでいるsetsuちゃんが遊びに来た時、
「あっ!テントウムシだ。」と、嬉しそうにつぶやき、指に乗せて眺めていた。
毎日のこととなると、そんな悠長な気分にもなれない。ドイツにはテントウムシは、いないのか・・!?。

役場に勤めているchiekoさんは、勤め先で初めてゴキブリを見たそうだ。
「テレビのコマーシャルでは見たことあるけど、実物は役場で初めて見たのさ。見たことないモノだから、最初、何だか分からなかったのさ。」と言っていた。
ここに来てから、私もゴキブリは一度も見たことがない。これは、ありがたい。
まあ、テントウムシで良かったと思おう。

少々やっかいもののテントウムシだが、季節の移り変わりを教えてくれている。
5月の新緑が芽吹いてくると姿を消し、11月には、いつの間にかいないと思うと雪が降り始める。
脱穀も終わり、田んぼも片付いて土色に返って、ちょっと寂しい。
これで、テントウムシもいなくなると冬がやってくる。
カレラも、つかの間に日光浴をしているのかもしれないなあ。

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8月下旬の間引き菜に始まり、大根の日々。今日は揚げ玉も入れてみた。
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美味しくなってきた春菊とネギを入れてサバの味噌煮。
  三陸で珍しく揚がったマサバ1尾200円。岩手ではゴマサバが一般的。
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  生長しても18センチほどの青大根。生食向きなので塩もみで食す!
yo

テーマ:田舎暮らし日記 - ジャンル:ライフ

「閉塞的階層内競争社会」?僕の考える
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「ぼくはこんなに小さいけど、もう60年は生きてきただろう。随分古ぼけたけど、まだまだ磨けば光る。ぼくは2次大戦前にアメリカという国からやってきたそうだ。その時既に誰かがはいていたようだが、日本にやってきてある兄弟が3人履いた。その末っ子とて今はもう55歳になった。最近やっと、なくなっていた靴紐がつけられた。なんだかまた歩き出せそうな気がして来る。一つ一つ大事にしてやれば、光り輝いてくるものだよ。」

 末っ子とは僕のことであるが、靴の独り言、しかも革靴の独り言から始めたのにはわけがある。僕は赤ん坊の時に革靴を履いていたせいでもないだろうが、中学の時「革靴はかせろ!」運動を1人で決行した。きっかけが何だったかは、はっきりと覚えていないのだが、中学のみんな上から下まで同じ格好、すなわち白い運動靴(あの頃はカラフルなスニーカーなどではなく真っ白なズックであった)に黒の学生服、黒の学生帽がたまらなく嫌になっていた。学校に行けば朝から晩まで、晩というより夕方だが、同じかっこうしたヤツがぞろぞろいる。どうもそれが嫌だったらしい。それと、少々しゃれっ気もついてきて、ひとと違う格好がしたかったのかも知れないが。
また、我が家は、子供の革靴が買えるほど豊かではなかったが、オヤジが靴には結構うるさかった。「靴はこんなかっこうで、皮はこのようなのが履きやすくて丈夫だ」そんな話を聞くうちに革靴に憧れたのかもしれない。

時は1960年代、革命を叫ぶ学生運動の真っ只中である。中学生の僕とて、時代に刺激され、世の中を変えねばと考えていたのかもしれない。
僕は単身校長室に出かけていき(僕は本来上がり症で臆病者なのだが、どうもひらきなおり一端覚悟がつけば、けっこうやってしまうようだ)、「制服を廃止してください。ダメなら靴だけでも自由にしてください」というようなことをのたまった。
校長は「生徒には家庭の事情がある。色んな服を買えない子、贅沢な服を着てくる子、生徒に差がでてくる。だから制服がみんな平等でいいのだ」、そんな返答だった。
僕は反論した「社会人はみんな自由な服を着ている。中学を卒業したら社会に出て行く生徒もいます。もし社会にはそういう違いがあるのなら、中学から慣れておいた方がいい」    すると校長は「朝礼の時、朝礼台(そんな呼び名だったかどうだか)の上に立ってみんなを見たとき、征服で並んでいる姿が軍隊のように整然としていて気持ちいいい」ときた。
そんな、やりとりがあったが結局制服廃止は一笑に付された。ま、生徒みんなの総意でもなく僕の単独行動だったのであたりまえだが。

それでも、僕はその時大人の考えること、学校という組織の考えるあることに気づき、大げさにいうと社会、いわゆる集団、組織の象徴をそこにみた。それは、大人、管理するものは、軍隊のように整然と従い、同じように動くものたちを好む、ということであった。

僕も55歳になり、それなりの社会、組織を経験してきた。学校、会社、地域活動、同好会、諸団体を経験し、そして日本社会で起こっていることの多くを情報として得てきた。そこで、何か問題(不正、犯罪、反公共的行為など)が起きるたびに思い浮かぶのが、先に上げた「中学時代の制服廃止運動」での校長の言葉である。要約的に言えば「ミンナ オナジデ カンリ シヤスイノガイイ」。

そういう視点でみれば、日本社会は色んな問題を含みながらも、少なくとも組織人としての国民教育は大成功だったのではないだろうか。日本人は、かなり自分勝手だが、組織や権威に対してはめっぽう弱く、横並びを好み、組織に従順な社会人が多い。少々の悪でも、命令とあらば、保身のため、組織のために目を瞑る。こういう体質の大人たち、特に組織の権威者たちが、今の日本のあらゆる組織の中枢に居座っているのではないか。もちろん日本人とて、全ての日本人がそうであるとは括れないが、多くの組織的日本人、特に社会的権力構造にある、公務員や教育者(この権力とは、組織の個人に権力があるというのではなく、そういう組織が一般市民に対して権威的位置にあるという意味である)たちはそういう傾向が強い。

いまここにきて、受験を控えた高校生たちが、学校教育を行う者たち(校長も教師も、教育委員会も承知のうえだろう)によって、不正のどん底に陥れられた、「単位不取得問題」が明るみに出た。ここでの一番の問題は、高校生の単位取得も問題であるが、校長を筆頭に教育者がよってたかって最も多感な時期の高校生たちに「不正をすることで、自分が優位に立てる」ことを率先して教育してしまっていたことである。
この問題は、あまたある組織的不正、不正義の中でも、「事ここに至れり」という極限的状況である。分からなければ、分かっていても皆で隠せば、少々の不正は積極的にやってもいいと、学校自体が生徒に植え付けてきたのだ。日本の大人社会とは、そのような社会なのである。学校のいじめ隠しに至っては極悪犯罪である。
いまの世の中は、閉塞的なそれぞれの階層のなかで、自らの利益(組織や地位をまもること)にすがろうとする「閉塞的階層内競争社会」と呼んでおく。そのような社会では人々の心は正常な人ほど、否が応でも病んでくる。このことは後日論じたい。
丸山 暁〈55歳・人間〉

公務員を通して考える組織と個人の責任
 教職員を含め、公務員をめぐるさまざまな問題が続いている。主なものを挙げると、次のような事件や問題だ。
 ?岐阜県での大規模な裏金づくり。
 ?子どもの虐待の通報を受けながら、児童相談所が直接訪問もせず電話で済ませ、幼児が死亡した事件。
 ?奈良市職員が数年間、ほとんど出勤せず、病気休暇を繰り返していたにも関わらず、そのまま放置し、2700万円もの給与を支払っていた問題。
 ?福島県の談合事件で、土木部職員が談合に便宜を図っていたとされる問題。
 ?富山県の高校から飛び火し、本県でもほぼ3分の1の高校で、世界史など本来受けさせなければならない授業をせず、卒業が危ぶまれている問題。

 たぶん、内部的な処分はされるだろうが、公務員というオブラートに包まれ、個人的な責任を深く追及されることはないだろう。
 少し付け加えれば、?の場合は当の職員は懲戒免職になりそうだが、同和関係が背景にありそうで、問題を認識しながら放置していた市役所ぐるみの問題ではないか。
 ?の問題では知事と元土木部長は逮捕されたが、入札を担当していた職員が談合があることを認識していながら、入札制度の改善もろくにせず、入札を執行していたのではないかと思われるからだ。(東北6県の中で、WTO協定に該当する工事以外一般競争入札を採用していなかったのは福島県だけで、なぜなのか不思議に思っていた)
 ?は認識不足というのではなく、これまでもやっていたことで、生徒のためと言いながら、学校の実績を上げるためにやった、いわば確信犯的な事案なのではないか。

 これらの事件では刑事責任の追及はできない、もしくは難しく、民事訴訟が起こされても、個人が被告となるケースはほとんどないだろうと思う。
 ?は弁済の方向、?は訴訟を提起する当事者が見当たらないが、?、?、?は民事訴訟が提起されてもおかしくはない。
 ?の場合、2700万円を不当な支出として管理責任を問える余地がありそうだ。?の場合は多少無理はあるような気がするが、談合の存在を知りつつ放置したことで本来競争することで下がったはずの価格の弁済を求められないか。?では、受験を控えている時期に「卒業できないかもしれない」という精神的な動揺、半年もない期間で70コマの授業を受けなければならないことの受験への影響など当事者の高校生や親からの慰謝料請求が考えられる。
 
 5つのケースは一見何の関連性もないようだが、組織と個人ということを考えると、根は同じであるような気がする。
 個人が組織に埋没してはいまいか。個人の正義感が許されない組織になってはいまいか。その辺が気になって仕方がない。
 もちろん、その点では「公務員だから」という括りでは論じられないが、特に公務員の場合はより、その傾向が強いように思われる。

 青臭い正義感を振りかざせば、組織の中では煙たがられたり、場合によっては疎んじられることも多いだろう。
 しかし、「みんなで渡れば恐くない」式の考え方や「めんどうな問題は先送り」にしてきたことが、取り返しのつかない大きな問題に発展してしまっている。

 「教育の再生」が言われるが、日本の教育の一番の問題は「個」をしっかり育てない、あるいは意図的に育てないようにしてきたことではないかと思う。
 時間は掛かるかも知れないが、さまざまな問題の解決の糸口がここにあるような気がしてならない。(ゼロテン)

フラガールの旅
盛岡を金曜の朝7時に出発福島県の浜通りを南下。
国道6号線をひた走ると電源地帯となる。
火力発電所と原子力発電所がずらりと並ぶ。
そしてその町々には、立派なスポーツセンターや保養センターがそびえ立つ。
電源立地交付金などによって建てられたものであろう。
しかし建てたはいいが「維持管理は大丈夫なのだろうか。お金がかかるだろうなぁ」と余計な心配をしてしまう。
それらを横目で眺めながら出発から5時間後、目的地の富岡町に到着。
そそくさと2時間ほどで仕事を済ませる。
せっかくだから宿泊は今話題の“フラガール”の故郷常磐ハワイアンセンターにしようと予約を入れるが、あいにく満員。
仕方なく、近くの一泊2食付き6千7百円也の旅館を見つける。
歴史を感じさせる玄関を中に入ると主人が出迎え。
迷路のような階段を上り下りして部屋に入ると、女将さんが宿帳を持ってお茶を出してくれる。
この夫婦二人で切り盛りしているようだ。
部屋の壁のしみや蜘蛛の巣、そして隙間風も秋の気配を十分に感じさせる。
「ハワイアンセンターは近いのか」と聞くと、「“スパリゾート ハワイアンズ”は車で5分程」とのこと。
ビールを我慢して、夕食をそそくさと済ませると車を走らせ“ハワイアンズ”へ向かう。
丘の中腹に建つ“ハワイアンズ”は映画の景色を感じさせながらも、もっと豪華に発展していた。
温泉リゾートのはしりともいえるこの施設が、40年も経った今でも盛況で生き残っていることが信じられない思いで中に入ってみた。基本的には盛岡にある「けんじワールド」と同じなのだが、本家の風格が漂っている。
ひと風呂浴びた後お目当ての “フラガール”のショウが始まった。映画を見る前であれば大した興味を覚えなかったかもしれないが、映画のシーンが頭をよぎり、最後まで一人の踊りも見逃すまいと見入ってしまった。
みんな生きるためお金を稼ぐため一生懸命やっている姿に、思わず拍手をする手に力が入った。
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旅館に帰りもうひと風呂浴びて、眠りについた。
翌朝は早朝に宿を発って、山形県の鶴岡に向かう。
<疾風>

山里便り24 「母、来て帰る。」 2006年10月22日
ここ数日で、ぐっと紅葉が深まってきた。
そんなある日、母がやって来た。
紅葉を楽しみ、花を愛で、大根や白菜を眺め、楽しそうに栗拾いをし、
そして、よく食べ、よく眠って過ごした。
彼女は、毎朝、5時に起きるという。ところが、我が家では8時になっても起きてこない。
どうかなってしまったのかと心配になり、そっと覗くとスースーと寝息をたてている。
24時間明るくて騒々しい東京と違い、静かだからよく眠れるらしい。
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産直に行きたいと言うので、紫波から遠野の産直めぐりをした。
「○○さんには、これ。××さんには、これ。妹には・・弟には・・。」と言いながら、
キノコに餅、黒ゴマ・梨・りんご・ブドウ・フルーツゼリーに羊羹と次々に選び、
カゴを持って付いて歩く私に品物を渡す。岩手ならではの産物も多く、
その上、安くて新鮮だから興奮する気持ちはよく分かる。
よく分かるが、その量は、ちょっとすごかった!
結局、我が家の野菜や花の苗なども含めてダンボール3箱分の荷物となった。
その他に産直からリンゴ10キロ1箱とブドウも送っている。
母は、満足そうに土産物の詰まったダンボール箱を眺めている。

お互いに何となく不都合な時や些細な言葉の行き違いなどもあったが、
母がいるということに慣れた頃に、彼女は帰って行った。
夕方、電話が鳴り、母からだった。
鍵を宅急便の荷物に入れてしまい、家に入れないと言う。
「すぐに鍵やに電話をしたら、鍵を壊すのに1万。新しい鍵をつけるのに2万5千円。3万五千円もかかるって言うのよ。ホテルの方が安いと思って電話したら満室だって。困って交番に行ったら、その人が親切な人でね、郵便局に連絡を取ってくれたの。荷物は夜中にならないと届かないんだって。仕方がないから妹の所に泊まるわ。これだから年をとると嫌だわ。」
と一気に話し、電話は切れた。
また電車に乗り、叔母の家に行くのは気の毒な話だが、私は何だか嬉しかった。
それだけの判断をして行動に移し、その事後報告を早口で話す母は元気そのものだったからだ。
その後の話では、叔母に付き合って9時半までカラオケに行っていたという。
あっぱれ、お母さん!

「親孝行なんてしなくていいからね。ただ、私より元気に長生きをして。」それが、母の口癖だ。
ただひとつの彼女との約束だから守らないとね!

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今年は、どこでも栗の実りがいいそうだ。栗あんで大福。マロンクリームのロールケーキ。
yo

テーマ:田舎暮らし日記 - ジャンル:ライフ

「子供の喧嘩と核戦略」?僕の考える
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少々コントラストを強くした写真であるが、この写真を見てすぐ、なんだか分らなかったひとは日本人失格である、否、僕としては「人間失格」とまで言ってしまいたい。もし「そうだ、秋になったからこれは新種のキノコだろう」と思ってしまったお方は、もう一度小学校からやり直してください(ただし、これはキノコ雲ということもある)。日本の小学校を出ていても、これが分からない人があれば、日本の学校教育も地に落ちたものだが、きっとそんなことはないだろうと信じている。

 今世界に核兵器は2万7千個ある。核戦争による地球の破壊までの時間を示す終末時計は、世界の終わりまで7分前を指している。アメリカが10,104個ロシアが16,000個フランスが350個イギリスが200個、中国が200個イスラエルが60?80個インド、パキスタンが50?60個、そういう核状況の世界で「うちが、1個や2個持って何が悪い。お前たち威張っているやつらはいっぱい持っているではないか」というのが世界の厄介者、北朝鮮の核への思いであろう。

話し変わって僕たちの子供の頃は、ガキ大将グループの喧嘩にもルールがあった。基本的には弱いものには手加減をする。ちゃんばらごっこはいいが、石を投げない。しかし、最初は口喧嘩から始まり、小競り合いになり、喧嘩がエスカレートし興奮してくると、誰かが石を拾って投げる。最初は相手に当たらないように地面やあらぬ方向に投げるのだが、そのうち石の投げ合いになりエスカレートすると、手元が狂い、中には故意に人をめがけて投げ始める。そして、誰かに当たって血を流してしまう。しかし、その時点でどちらともなく石の投げ合いは静止し、喧嘩もお預けになる。そういう場合の石は通常事前に準備するものではなく、喧嘩の場にたまたまあった石を用いるのが一般的である。

では、このような喧嘩のやり方はどうだろうか。方や統率の取れた大きなAグループ、方やゲリラ的な小さなBグループ。喧嘩の前にAグループはメンバーのポケットに大量の石を忍ばせておく。そして喧嘩の場面で「ぼくたちはたくさん石をもっている。しかしぼくたちはお前たちが石を投げない限り、この石は使わない。そういう条件で、君たちはぼくたちに従え、さもなくば遊び場から出て行け、そうでないとボコボコニしてやるぞ。」と睨みを聞かせたAグループに、Bグループはおずおず従うか、尻尾を巻いて逃げ出さざるおえないのだろうか。中には、こっそり石を隠し持ち、もしくはすばやく拾ってAグループのボスに投げつけ先制攻撃でAグループをやっつけるかもしれない。子供の喧嘩ならこっちのほうが絵になる。そうゆう子供の喧嘩に大人が出てきて、Bグループに、「Aグループは石を大量に持っているが、それはBグループが喧嘩を仕掛けないためであった。だけどお前たちは絶対石を持ってはならない」と諭したとしたら、これは正当な仲裁となるだろうか。もともと、子供同士の喧嘩には暗黙のルールとして石を用いてはならないが、僕とて子供時代何度か石を投げた経験はある。

 今の世界の核状況は、子供の喧嘩とまったく同じではないだろうか。
 安倍新政権の中川政調会長が「核があることで攻められる可能性が低くなる、やればやりかえすという論理はありえる」といっていた。たしかにそういう論理はありうる。しかしそれは、先に上げた子供の喧嘩の論理であり、そこには非核3原則を堅持しようとする被爆国の政府を構成する党の政調会長としては、倫理(論理ではなく倫理)に欠けている。
 アメリカ大統領ブッシュのスピーチライタ?、デビット・フラム氏(この男はブッシュの悪の枢軸国「北朝鮮・イラク・イラン」を起草した)は「核拡散防止は失敗し、核拡散防止時代は終わった。これからは核抑止時代に入った、こちらも軍拡レースに参加し核で抑止するしかない。日本も韓国も自衛力を高めろ」と言っている。
 アメリカは再び米ソの冷戦構造を再現し、米・反米核抑止構造に持っていこうとしている。結局アメリカは核廃絶、削減どころか強大な超核大国を目指している。

今の世界の核状況はまったく「子供の喧嘩」の域をでていない。お前がやるならぼくもやる。しかし子供の喧嘩と世界の核状況が構造的に似ているからといって、核兵器は故意にでも誤って使用されても子供の喧嘩とは分けが違う。核兵器の使用は世界の破滅につながることは自明の理である。たとえ局地的な限定使用であっても、放射能汚染は外部に拡散する。また、もう一度使われた核は、きっともう歯止めがかけられなくなるだろう。

石の投げ合いをする子供の喧嘩なら、最悪怪我をしても親が一緒に謝りにいってすむことだろう。実は僕は小学生の頃、校庭で喧嘩になり、石を投げてきた相手に一発投げ返した、その一発の石がコントロールよく見事眉間にあたり、相手が血を流した。その夜両親とナシをもって相手の家へ謝りに行ったのを覚えている。それ以来、僕は喧嘩をしなくなった。子供でもその程度の後悔、反省はするものなのに、世界の政治の世界はそうはいかないようである。
アメリカの核戦略も北朝鮮の核武装も、国民、世界市民の方を向いてはいない。世界が破滅しても国民が絶滅しても国家の維持、国家が残る戦略を基本としている。世界の政治家は悪がきよりたちが悪い。何処の国にも核をもたせてはならない。
丸山 暁〈55歳・人間〉

生きていくための基盤整備
 税金を使って道路をつくり、橋をかけることを、「基盤整備」と言う。
社会の中で、経済が発展するために工事をすることらしい。
それ以前の問題として、社会で人間が生きていくための基盤整備が必要ではないかと思う。
人間が生きていくために必要なものは、空気(酸素)であり、水であり、食糧である。
酸素を生み出す森林、水を循環させる川や海、食糧を得るための農。
これらを、まず最初に整備することを、ないがしろにしているのではないか。
自動車産業だって、人が働かないと産業として成り立たない。
流通産業だって、人が作る、買うと言う行動を起こさないと成り立たない。
IT産業だって、人がキーボードを叩かないと成り立たない。
それを第一次産業・第二次産業・第三次産業などと、農林水産業を並列に語ることは、まず最初に産業ありきで、人間が働いてこそ産業がおきる、と言う基本を忘れている。
たぶん経済優先社会の中で、本来交換するための道具だった貨幣が価値を持ち、
その貨幣を稼ぎ、貯めることが人間の生き方になってしまったからであろう。

山村に住む友人が、言っていた
「ほんの40年前。村にトラックで魚や肉を、売りに来て、米で支払った」
物々交換である。
多分全国的に貨幣が使用されて流通し始めたのは、ここ100年でないか?
それ以前は、「貨幣」と「物々交換」が混在していたのではないか。
山村や農村では、それで生きていくことができた。
ところが科学技術の発展によって工業が発達し、人口が集中する場所ができた。
この人口空間は、森林や川や海・農を忘れ、貨幣を持たないと生きていけない都会を産みだし、貨幣に絶対的価値を与えた。そして農山村もまたそれに引きづられていった。
そして人間は、“自然の仕組みの中で、生かされている“ことを忘れた。
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「貨幣が有れば、何でも交換出来る」と思っている人が大部分であろう。
農産物も、水産物も。食糧は貨幣で交換出来る。
ところが地球という星は、限られた水や土地である。
生きるための食糧を、効率よく生産しても、限られた量しかできない。
だが貨幣は、いくらでも生産でき、いつまでも保存することが可能である。
限られた農産物・水産物を、貨幣の多寡で奪い合う。そして戦いになる。

我々の住んでいる国は、他国の水産物や農産物を奪うほど、自給率が低い。
そして国内では、生活保護世帯の急増、フリーター等のワーキングプアーをどんどん産みだし、不安を抱え明日の食事もままならない人間を作り出している。
「明日も、食べるものがある。生きることが出来る」と言う
人間の命の糧をつくる仕事を大事にしなければ…
それを国が、一番やらないといけない基盤整備では、ないだろうか?(入道)

税金の使い方が非効率??・・・それは誰のせい?
一昨夜のテレビで「税金の無駄使い」をレポートする番組を見た。
ゲストのタレントが怒って政治家を罵倒する場面が、視聴者に心地良く映ったのではないだろうか。
確かに役所や政治家を責めて溜飲を下げる気持ちも分からないではない。岐阜県のヘンな箱物(記念館)は、眉をひそめさせる物ばかりで唖然とさせられるし、夕張のテーマパークも目を覆ってしまった。
「岐阜や夕張は何故こんな馬鹿げた物を作ったのか!」「あそこの役人や政治家はよほど出来が悪いんじゃないか!」とテレビに向かって叫んで、「全くこんな政治家や役所では税金を納める気がしなくなってしまう」と言う声が聞こえてくるようである。

しかし、そういう声に同調しながらも、心の奥から「本当にそれだけでいいのか!!」と心の奥に引っかかるものを感じてしまった。

それでは岐阜に見られたような、箱物は自分達の周りには無いだろうか?
あたりを見回して考えてみると、けっこう日本中何処にでもあるのだ。
「○○記念館」「○○博物館」「○○会館」「○○ホール」「○○センター」・・・。
それぞれ地域にとってはそれなりの自慢であることが多いが、殆んど閑古鳥が鳴いている。
集客が少なく収支が合わないとか、効率が悪いなどの声も外部からは聞こえてくるが、収支や効率だけで考えるなら、大都市周辺以外には何も作られないということになるがそれでいいのかと言う疑問も生じる。それに対しては、「地方は集めた税金以上に使っているではないか」という反論が聞こえる。

しかし、それに対しても反論がある。そもそも、最も生産性が高い税金を納めている東京のビジネスマンは、何処で生まれて、何処で育てられて、何処から仕送りを受けて大学に通ったのだろうか。そしてその効率的に働くビジネスマンの年老いた親は、何処の地域が老後を見守っているのだろうか。効率の悪い地方がそれを担っているのだということを忘れてはいけない。

生産性が高く効率の良い大都市は、人間の一生の中の最も生産性の高い部分だけを切り取って消費しているようなものなのである。
そういう東京の視点で、効率優先に物事を考えることに、私はいささか違和感を感じる。

そうは言っても確かに “いらない物も”あることも事実である。それも、政治家や役人のせいだけにして良いとは思わない。そういう政治家や行政のトップを選んでいるのは市民なのだから。その責任の一端はわれわれ市民みんなが負わなければならないのだ。本当にそういう政治家や役人が駄目だと思うのなら選挙ではっきりさせるべきである。
そこのところに目をつぶって、傍観者的に政治や行政を非難することでは問題解決には遠いような感じがする。

「税金の効率的使い方とはどうあるべきか、無駄使いは誰のせいか」第三者としてではなく当事者意識を持って投票行動に表さなければ本当の解決策は見えてこない。
<佐々 疾風(ササハヤテ)>
市民ジャーナル創刊
市民ジャーナル表紙

市民ジャーナルが発刊されました価格は700円
書店またはアマゾンで買えます。
山里便り23「初霜で、冬眠準備!?」 2006年10月15日
初霜が降りた。
13日、朝の気温は3℃だった。東京ならば、真冬の気温だ。
初霜が降りるのを合図に、我が家では、そろそろ冬支度を始める。
夏野菜を抜き、野菜の残渣を集めて堆肥に積み、ミョウガの枯葉を刈り、栗のイガを燃やす。
何だか小ざっぱりして、見通しがよくなった。
虫や生き物も、めっきり見かけなくなる。

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7月・タイムの株元のトカゲの卵。
10月・寒くて動けないトカゲを発見!植木鉢ごと陽だまりに移すと、急に元気に動き始めた。変温動物だということを実感!


谷すじの奥に住んでいるakioさんは、口数は少ないが、いつもにこやかな働き者だ。
先日、小さなまちで行われたクラシック・コンサートの会場作りで久しぶりに会った時も、一人で黙々と長テーブルを運び、パイプイスを並べていた。
そんな彼に「akioさん、更年期障害は、その後どう?」とyouちゃんが声をかけた。
「調子悪いの?」と私が聞くと、
「んだ。でも、マムシ、焼いて食ってるから大丈夫だ。」と答えた。
再び、「毎日?」と聞いてみた。
「ぺこっと、毎晩。」と笑っている。
なるほど。マムシって、さすがにすごいんだ。更年期障害にマムシとは・・と、彼にもマムシにも感心した。
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コンサートで演奏者に贈る花束は、我が家の庭の花。花束作りは楽しみのひとつ!

60代の人が集まる場では、マムシを食べる話が、しばしば登場する。某飲み会では、マムシの一番おいしい食べ方は、刺身だということに意見がまとまっていた。
私は、まだ刺身で食したことはない。ワサビかショウガのどちらが合うか聞いてみたら、ワサビと教えてくれた。
以前、集落の宴会で、塩焼きマムシの乗った皿が回ってきたことがあった。
みんなが食べているので私も食べてみたが、白身で小骨の多い鶏肉といった食感だった。
特に美味しいというものではなかったけれど、東京に住んでいたら食べられないモノだ。
この地で生きていると、小さな驚きと新しい発見や気づきがあって面白い。

宇瀬水牧野の牛たちも帰って行った。そろそろマムシやヤマカカシも冬眠する季節なのか姿を見かけない。
冬になったらakioさんは、どうするのかなあ。焼いて干して保存しておくのか・・と余計な心配をしてみたが、
きっと昔ながらの知恵で、ちゃんと一冬分確保してあるに違いない。そうやって、ここの人たちは、ずっとずっと生きてきたのだもの。
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カラメル・アップルタルト&フレッシュ・アップル・タルト。岩手はリンゴの種類が多くてワクワクする季節。紅玉も出回り始めた。お腹が一つしかないのが残念!
yo


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「人間的発展」?僕の考える
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今年も「小さな森のコンサート」が終わってしまった。もし、これをお読みの皆さんが、僕の暮らす地の近くにおいでなら、もっと前にコンサートのお知らせをしてお誘いしたのだが、ブログというもの津々浦々日本中の方々にメッセージを送っているので事前に連絡しても、ほとんどの方はコンサートには来られなかっただろうから、事後報告とする。このコンサートは名前のとおり、岩手県の山間の人口7,000人の大迫町で20年続いてきた山の中の小さなコンサートである。コンサートの主役は東京芸大の打楽器科教授(現在名誉教授)の有賀誠門である。僕は、このコンサートに7年程度係わりそのうち4年はコンサート実行委員長として楽しんできた。

 このコンサートは地元産のワインを飲みながら、時に静寂の中でクラシックの名曲を、時ににぎやかに軽快な曲を楽しむコンサートである。このコンサートのハイライトは、毎年訪れる有賀先生が、このコンサートで何らかの本邦初演をやってくれることである。外国人作曲家の日本初演とかクラシックのマリンバ初演とか舞踏と打楽器のパフォーマンスとか、このコンサートが初演で東京のコンサートホールで演奏会をひらいたこともあるという由緒ある、知る人ぞ知る、多くの人は知らないだろうが、その筋、芸大の打楽器の世界ではちょっとは権威?あるコンサートである。まさに芸大の打楽器科の登竜門だと確信している。僕がそう思っているだけで皆さんは信じないように。

 20年間小さな町で手作りのクラッシックコンサートが続いてきたというのは、並大抵のことではない。先達の熱意と努力も計り知れず、そしてそれを受け継いだ僕たちのたゆまぬ頑張りの賜物である・・・と、力んでみることもないだろうが、このような山奥でこのコンサートを切り開いた先達にはこの場を借りて敬意を表したい。実はその先達とは、村おこし町おこしとして数十年前全国的に有名になった、これこそ知る人ぞ知る、今は亡き村田柴太大迫町長である。
 
毎年一回のコンサートというものは、特に年をとって来ると、終わったと思ったらあっという間にまたやって来る。きっと、今回コンサートに係わった多くの人がそう感じているのではないか。そして、コンサートの準備がやってくると「もう今年が最後だ、これでもう止めよう」と心のどこかで思いつつ、時には「もう止める」と声にだし、また動き出す。しかし、コンサートに入ると、そしてコンサートが終わった瞬間、「やっと終わったこれでおしまい」ではなく「やった、素晴らしかった、楽しかった、またやろう」に心は変わっている。多分、こういう繰り返しが、このコンサートを20年続けさせてきたのだろう。

 こういう状況、少々しんどいことがあっても、人間はまたやってしまう。僕たちのコンサートもそうであるが、山登りをやる者たち、特に極寒の冬山やエベレストに登るものたちが「しんどい、登っている最中はもうこれが最後と思いつつ、しかし登り終え苦しいことが終わってしまえば、またやろう」という気になるという、それと同じようなことではないのだろうか。
 現代脳科学のスター茂木健一郎の著書に「脳は何かを達成して快感を覚えると、それをまたやりたくなる性質を持っている。そこに人間、すなわち脳は自然に成長していこうとする特性をもっている」ということが書いてあった。多分人生を生きるうえで、幸せ、楽しいな、と感じるのはそういうものなのだろう。ただ、この脳が感じる快感は、何もしないで手に入るものではないようだ。

 突然口に放り込まれた飴玉、これも甘くて美味しい。たまたま何もしないで手に入ってしまった欲しいもの、これも嬉しい、しかし、そこには達成感がない。中には、また手に入るかと口を開けて待っていたり、寝ながら2匹目のどじょうを待っているやからもいるかもしれないが、僕もたまにはそんなことも考える、「2匹目のどじょうは、まずいない」と相場はきまっている。難問を解決、努力して手に入れたものほど、幸せ感は大きいものであることは皆様経験的に知っているだろう。こんなあたりまえのことをわざわざ書くこともないのだろうが、ちょっとサボリのメンドクサガリ屋の僕自身に言い聞かせていることとお許しください。

 もう一つ、僕たちのコンサートが本当に楽しく、20年続いたのは、一回一回のコンサートの感動、達成感もあるが、何度も繰り返すうちに、有賀誠門の音楽観、音づくりに共感し、引き込まれ、彼が伝えようとする音楽世界を深く理解できるようになる、ということもある。また、僕たち音楽会を作る裏方としては、何年も同じような行為だが、いつも変化がある中で一つの目的を共有することで、仲間としての一体感、何かを成し遂げる時のお互い共鳴しながら個々の役割をこなしていく快感というものもあるように思える。多分これがいい意味での社会のあり方なのだろう。こういうことを「経済的発展」ではなく「人間的発展」という。

最後に、北朝鮮の核実験を糾弾すると共に、米ロ中英仏国連常任理事国、インド、パキスタン、世界の核廃絶を訴える
 丸山 暁〈55才・人間〉

山羊が消えた日
 10月7日8日と、岩手県岩泉町で全国から山羊の研究者や生産者、100名余の人数を集め「第9回全国山羊サミット?山羊と共に暮らす豊かな食と農へのチャレンジ!」が開催された。
山羊飼育の多面的な機能を中心に研究報告がなされ、減少している山羊飼育の見直しを考えさせられた大会であった。
山羊は、“舌刈り“と言われるほど、草を何でも食べ、(毒草まで食べる)耕作放棄地の雑草や、土手ののり面などの傾斜地も気にせず、景観を保全する。
また、その乳は、牛乳アレルギーの人々でも飲用出来ると言う。
高齢化した農村の中山間地でも扱いがやさしく、活躍が期待出来る。
そのようなメリットがありながら、だんだん飼養頭数は減少している。
岩手県での山羊の飼養頭数は、戦後の昭和21年に7000頭余をかぞえ、最近では500頭を割って10分の一以下である。
その殆どが、乳を搾る乳用山羊である。配合飼料等の濃厚飼料を与えるために、本来の未利用草資源を殆ど給餌していない舎飼いである。
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そんなに年数を数えない昔。山羊はどこでも見られた。
学校帰りの道ばたで山羊は草を咀嚼し、田んぼの土手には、繋がれた山羊が畦草(あぜくさ)を食べていた。
そのまわりでは子ども達が遊び、夕方になるとお年寄りが連れて家に戻った。
そんな風景が、いつの間にか無くなった。
変わって現れたのは、畦畔をエンジンの音を立てて草刈機で刈る農民である。
農業を効率化しようと、大規模化を進めておきながら、石油資源の燃料を使い、農民の手を患わす機械を購入して操作する。
そして何もしなくても、綺麗に雑草を食べてくれる山羊が駆逐された。
これが効率化であろうか?農業の近代化であろうか?
いったい日本の農業は、いつからこのような事態を引き起こすように、なったのであろうか?

昭和36年農業基本法ができ、「サラリーマン並の所得を!」を合い言葉に今まで有畜複合経営であっった農業が、単一大規模栽培に変わっていった。
稲作は、稲作だけ。野菜は特定品種だけ。そして畜産は、畜産専業農家が誕生した。そして効率化・合理化・機械化のかけ声と共に、金のかかる農業へとシフトしていった。
以前は、稲作から出てきたワラは動物の敷きワラに、籾殻は餌と混ぜたり燻炭にしたり、野菜屑は鶏の餌に、そして牛馬や鶏の糞は田んぼや畑にと肥料になった。まさに一軒農家で循環していたのである。
そのバランスが崩れている農家でも、部落内で処理されていた。
 近代農業になってから、畜糞は産業廃棄物として処理され、稲ワラは切り刻まれて水田に鋤混まれたために、敷き料が足りなくなった畜産農家は、海外から輸入し、単一の野菜屑は積み上げられて放置して土に鋤混み、新たな病原菌の巣となった。
これを進歩と言うのであろうか?近代化と言うのであろうか?
山羊が農村から消えた時に、農業は豊かさを失ったのでは無いだろうか?

説得力に欠ける「北朝鮮だから悪い」?核拡散防止でなく、核廃絶が本筋
 北朝鮮が地下核実験を実施したという発表に、日本だけでなく、世界中が揺れている。核兵器の保有に直接つながる核実験だから、批判は当然のことではあるが、論調を見ていると少し気に掛かることがある。
 それは、核実験そのものへの批判というより、「北朝鮮が実施したからダメ」と言っているように聞こえることだ。
 確かに、国際的にも、国内的にも行き詰まりを見せていると言われる北朝鮮が核兵器を持つようなことになれば、安全保障上、重大な事態が起こる危険性があるだろう。
 ただ、核兵器を持っている国が、自国に危険が及ぶからと、新たに持とうとする国を批判するのでは説得力に欠ける。しかも、ブッシュ大統領が「悪の枢軸」と名指しした北朝鮮やイランが持つことなどとんでもない、ということが背景にあるから、なおさらである。
 また、「日本が直接標的になるから」ということでセンセーショナルに騒ぐというのも、正しい判断を誤らせることになりかねない。
 
 インドやパキスタンのように、一時的に国際的な批判は受けても、持ってしまったことが、いつしか既成事実化して、なし崩し的に認められてしまうという、いわば「ゴネ得」を許してしまっているという現実が重くのしかかる。
 対立する隣国を抱える国同士が軍事的な均衡を保つために、一方が持ったら、他方も良いというのでは、これからもっと核兵器の保有国は増えていくだろう。
 また、日本のように持たざる国は、これまで以上に核の傘にしっかりと入るしかなく、軍事的のみならず経済やあらゆる分野で自主性を放棄せざるを得なくなっていくことになるのではないか。

 とすれば、目指すべきは核拡散防止ではなく、核廃絶でなければならない。
 その道筋が見えないから、「理想に過ぎない」と言われそうだが、もう既に地球を何回となく破壊できる核兵器が存在しているのに、それをなお増やしていくことへの危惧を世界の人々が何も感じていないとは思いたくない。

 少なくとも、唯一の被爆国である日本の首相は、今こそ核兵器の廃絶を全世界に呼びかけなければならないはずだが、その気配はない。
 安倍首相は国会で「非核三原則の堅持」を表明してはいる。「作らず」、「持たず」、「持ち込ませず」だが、「作らず」、「持たず」はいいとしても、「持ち込ませず」は既に形骸化している。
 在日米軍が核を持ち込んでいないと思っている人のほうが少ないのではないか。米軍の航空母艦などの艦船が日本に寄港する時だけ、核を置いてくることなど誰が信じようか。

 「日本が核の危険にさらされるのは、アメリカの核の傘の下にいるからだ」という人がいる。たぶん、それは正しいだろう。多くの国民は「核の傘を離れれて大丈夫か」と確信が持てないのが現状だと思うが、私は、このジレンマを乗り越え、自主独立の国となり、核廃絶に積極的な役割を果たせる日本になることを願う。(ゼロテン)
フラガール
昨日久しぶりに映画を見に行ってきた。
この前映画館に出かけたのはいつだったか覚えていないほど久しぶりの映画館であった。夜間割引だかシニア割引だか知らないが、入場料1000円はお得感があった。
観たのは話題の映画「フラガール」。時代は昭和40年、常磐炭鉱衰退の中で起死回生の転業策である “常磐ハワイ”の立ち上げの目玉、フラダンスショウを担う炭鉱娘達の感動の実話物語である。
基幹産業、国策企業といわれた炭鉱が衰退して、産業が入れ替わっていく様は、炭鉱を建設業と置き換えれば、現在の状況にも似ている。
今でこそスパリゾートは珍しくもないが、当時は全くのニュービジネス、炭鉱を温泉リゾートに変えるなどとは、今考えると凄い発想である。そういう凄いビジネスを炭鉱の女性達が支えたとは映画を観るまで知らなかった。全く女は強くたくましいものだと改めて見せつけられた。
主演の一人の松雪康子は、3ヶ月の猛特訓でタヒチアンダンスを形にしたそうだが、プロの女優根性を見せてくれている。もう一人の主演蒼井優は将来に期待を抱かせる好演であった。
しかし、この時代を知る私の年代には、 “緋牡丹お竜”こと藤純子(今は富司純子)があんなにしわだらけになって炭鉱で働く母親役で出てくるとは、隔世の感がひしひしと伝わってくる。「健さん出て来い!」と声を出したくなるのは、あの頃授業をサボって東映映画を観ていた我々の世代だけか・・・・。
そして、もう一人忘れてならないのは岸部一徳。NO1グループサウンズ「タイガース」のベーシストとして一世を風靡したが、俳優としても実に良い味を出している。一度の人生で、二つのことで一流となるのは難しいことだが、彼は歳を重ねてますます俳優として深みが出てきそうな気がする。
「日本の映画もなかなかいいじゃないか」と思わせる後味の良い映画で、お勧めの一本である。


山里便り22「青虫で、きゃー!」 2006年10月8日
冬野菜が、順調に育っている。
春先にタネを蒔く、カブやキャベツ・ロケットなどは、がっかりするくらい青虫がつく。
モンシロチョウを見て「あっ、チョウチョ!」などと喜んでいられない。
春から夏にかけての草のすさまじい勢いもないので、草取りもほとんどしなくていい。
今の季節の野菜つくりは、何となく気が楽だ。
雪が降る前に、白菜がちゃんと巻くかどうかだけ気にかかるくらいだ。

基本的に、我が家では、元肥として堆肥を入れるだけで、追肥はしない。
タネの袋の裏側には、化成肥料を○○回追肥してください、とたいてい書いてあるが、
無理やり太らせるような気がして、ゆっくりと自然に育った大きさで満足している。
ひどく虫がついた時には、木酸液を薄めてかける。何度かけても、虫に食われてなくなってしまう株もあるが、
それはそれで、いいことにしている。
自分たちの口にしか入らない、家庭菜園の気楽さだ。
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大根の葉っぱの上に蛙!
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   すっかり育つと座布団くらいの大きさになるタアサイ
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パプリカが、やっと色ずいてきた!

小学生の時、前に座っていたnanaeちゃんが、
「昨日、ピーマン切ったら、大きな青虫が入っていた!よかった。縦に切って!
横に切っていたら切断していたよね。」と、嬉しそうに話してくれた。
数十年たった、今でも、ピーマンを切る時には、彼女の言葉を思い出す。
「昔は薬がなかったから、毎朝のようにバケツに2杯3杯と青虫をとったもんだなっさぁ。」とkazukoさん。
「んだ。」と、mitsuさん。
その青虫をどう始末していたのだか、何だか聞けなかった。

野菜に虫がついていないのが、当たり前みたいな時代が長く続き、
スーパーや八百屋の野菜は、ピカピカきれいな姿で並んでいる。
たまに、ひとつでもおおきな穴の開いたキャベツや虫くい葉のついたカブを見つけると、
妙に安心し、「そうそう、このくらいの方が自然じゃない。」と思う。

我が家に遊びにきた若い女性が、キャベツを見て
「キャー。青虫がついている!」と、恐ろしそうに叫んだことがあった。
私は、彼女の声の大きさの方が恐ろしかったけれど・・。
青虫くらいで、キャーと言うな!
虫もつかないキャベツの方が、どれだけ恐ろしいか分からない。
彼女は、まだ、そのことに気づいていないらしい。

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穂じそ&秋ミョウガのそろそろ最後、寒くなってくるとネギがおいしくなってくる。やっぱり、毎日、秋刀魚!
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景気回復と蟻地獄
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今年ももう秋じまいが始まった。僕の家の西側の窓からTさんの畑が見える。僕がこの地にきてから14年Tさんは毎年同じように畑を耕し、作物を植え、畑の手入れをしている。もちろん僕がここに来る数十年前彼女がお嫁に来てからずっとであろう。本業の作物は他にあるのだが、余った畑は、余った畑といっても我が家の数倍の畑だが、余すところなく作物を育てている。彼女は本当に良く働く、朝早くから日が落ちるまで。彼女は「これしか出来ないから」とちょっと照れたようにいう。それは決して楽で愉快な仕事ではないだろうが、どっしり地に足の着いたおおらかな暮らしを感じる。彼女にはいつも頭が下がる。

 最近景気が回復してきたそうだ。岩手の山奥で暮らしていると、景気の回復ってなんのこっちゃというところだが、TVも新聞も「景気、特に大企業、都市部中心に景気は回復しつつある」と伝えているところをみると、日本はほぼ景気が回復したのだろう。首都圏では懲りもせずバブルが再び膨らんできたようだ。それにつけてもずっと不思議に思っていたことだが、市民生活、中低所得者層の暮らしは決してよくならず、かえって格差が広がり貧困層が増えているというのに、ここ数年は不況といいながら、大企業は戦後最大級の利益をあげていたのである。しかも、バブル崩壊以後戦後最高の好景気だという。

 こうゆう状況は、なんだか日本という国の社会構造がとてもよく現れている現象ではないだろうか。結論めいたことを先に言うと、あるオーストラリアのジャーナリストだったか経済学者だったか忘れたが「日本はいくら経済発展しても、国民の暮らしが豊かにならない」といっていたのを思い出す。実は僕もこのことは社会に出てからずっと不思議に思っていたことなのだ。

 僕がいわゆる超大手といわれるゼネコンに入ったのが1974年、第二次オイルショックの頃だ。日本は高度経済成長を成し遂げ、大阪万博の頃景気は絶好調であった。僕が会社面接に行くと人事担当者が「ボーナスは12ヶ月ありました」といっていた。「これはすごい大金持ちになれる」と喜び勇んで会社に入ったところオイルショックで3?4ヶ月のボーナスになってしまったが。それでも、その頃日本社会は豊かになっていて、精神的にも少しゆとりと、働き蜂、会社人間からの脱却、個性化を求める空気も広がってきていた。その頃は会社も結構おおらかで、クラブ活動にもお金を出し、仕事時間も自主的フッレクスタイム(遅刻しても仕事をちゃんとやればいい)や、服装も結構自由になってきた。僕もほとんどスーツを着ることもなく茶系のジャケットを着ていた(僕はミスタ?ブラウンと呼ばれていた)。土曜などジーパンで会社に行ってそのまま遊びに行ったものだ。

しかし、オイルショックで世の中不況になると一気に社員の締め付け、管理が強化された。遅刻の監視、備品の細かいチェック、子供騙しの通達、会社は管理管理が合言葉になってくる。そうこうするうち、個性的で大らかのなりつつあった社員の態度、服装も段々規格化してきた。時を同じくして、大学出の新入社員が入ってきた時には既にお行儀のいい会社人間であった。その後、景気は異常なまでの回復を見せたが(実はそれはバブル経済であった)、社員の給料は余りあがらず、「会社なくして社員の暮らしなし」という空気が蔓延し、社員はよりおとなしい羊と化していった。会社員の服装は黒ずくめ(グレーや紺もあったが)になり、社員から大らかさが消えてきた。

そしてバブルが崩壊し、皆様ご存知の平成の大リストラ(解雇)、雇用不安時代を迎えた。その時のサラリーマンの苦境(実は今も多くのサラリーマンにとって変わりはないが)についてはまだまだ皆さんの記憶に新しいのでここでは言及しない。
そして今また景気が回復しつつあるという。繰り返すが一部大企業は空前の高収益をあげている。
さて、景気が回復し社会が豊かになれば、「人々の暮らし方、特に社会の多くを構成する勤労者は景気の回復と共により大らかに個性的」になるのだろうか。実は実態は残念ながら逆である。最近の報道、データでも、勤労者の精神的病は拡大し、自殺も一向に減らず、保身的行動(組織維持のための偽装やデータの改ざん)は跡を絶たない。個々が雇用を確保するために、より閉鎖的保守的になってきた感がある。こんな調査結果が新聞に出ていた「新入社員の6割上司の命令であれば犯罪も犯す」。それだけでなく最近の多くの組織の長たる者、公共のため組織のためでもなく、自分の私利私欲のために金欲しさに犯罪を犯す。元スケート連盟会長の何がしよ。小学校6年生の女の子のいじめによる自殺を隠そうとした、子供たちを教育する責任者の教育長よ。地位のあるものたちが、個人の保身、金のため社会を欺むき犯罪をおかす。

景気回復の今、TVでは、芸人やジャリタレがはしゃいで(そういう番組を作っているのが日本有数の大学出の連中だから日本のマスコミはお手上げである)贅沢品をちらつかせ、飽食をあおる。これが豊かになった〈日本社会の精神性〉である。日本社会とは、不況を克服しスパイラルに景気を回復する度に、そこで生きる、働くものたちは、知ってか知らずか、より深い出口のない蟻地獄に落ち込んでいく。残念ながら、理性を捨てるかニヒルに生きるしか、この国での心の幸せは得られないのかもしれない。
丸山暁〈55歳・人間〉


問題はないのか指定管理者制度?アイーナのエレベータートラブル
 盛岡駅西口のいわて県民情報センター(アイーナ)でエレベーターやエスカレーターでトラブルが相次ぎ、問題となっている。
 エレベーターの管理については、シンドラー社製のエレベーターでの事故が記憶に新しい。
 今回のトラブルは、機械的に問題があることは明らかだが、管理を委託する指定管理者制度のあり方にも問題が指摘されている。
 契約上、明確な取り決めがなかったこともあって、県と指定管理者として委託を受けた民間業者との間でトラブルの報告についての認識にズレがあり、報告漏れが相次いだ。

 県や市町村など自治体が指定管理者制度を採用し始めたのは、ここ1、2年のことだ。せっせと造り続けた公共施設の管理を民間やNPOにいわば丸投げすることで経費を節減しようという同制度で、全国的にブームのように広がっている。
 指定管理者は、多くの場合、公募して、第三者も交えた委員会で審査して選定しているが、選定された管理者には、それまで管理を委託していた県や市町村の外郭団体が選ばれたりと、当初から疑問の声が挙がっていた。
 また、NPOが選定された例も多いが、指定管理者の受託を活動の収入源としてあてにするようになって、本来の活動の趣旨から離れていくことも懸念されている。
 もちろん、民間の会社が選定された例もあるが、いずれにしても、選定する委員の構成、選定の基準が適切なのかどうかが、制度の根幹に関わる大きな問題だ。

 アイーナの管理業務は、民間の6社が受託し、エレベーターに関しては鹿島建物総合管理が担当している。
 アイーナの建築工事を担当したのが鹿島建設だからということが選定の際にも有利に働いたのかもしれない。もちろん、エレベーターの工事は専門業者が担当しているから、鹿島建設が直接施工したものではないから、形の上では系列会社を選定したことにはならないが、選定には勇気がいったのではないだろうか。

 今回の問題では、県の担当部署であるNPO・国際課の側にも書類の見落としがあったという。
 見落としたことは問題ではあるが、それよりもNPO・国際課が担当していることのほうが問題ではないかと思う。
 施設の管理は、その施設が行っている業務の所管課が担当しているのだろうが、そこに大きな問題がありそうな気がする。
 建築工事の場合は、教育委員会や医療局など営繕専門の職員が配置されているところを除いて建築住宅課が所管している。
 建物などの管理全般は機構改革などで変更されていなければ総務部の施設管理課が担当していたはずだ。
 たぶん、窓口はNPO・国際課であっても、建築住宅課や施設管理課などがサポートしているのだろうが、この二重行政みたいな体制に問題がありそうだ。
 経費節減や業務の効率化を考えるなら、施設管理は専門の部署が担当するほうが、問題の把握や対策の立案がスムーズにいくのではないか。

 とはいえ、最も問題なのは、財政が厳しいと言いながら、約300億円も掛けて、およそ必要だと思えない巨大な吹き抜けやガラス張りの機能性よりもデザインを重視した建物を建ててしまったことだろう。
 建築ありきで、図書館や免許センターを無理矢理押し込み、いかにもというように障害者団体やNPO関連団体を入れたりと、県職員ですら、多くが首を傾げたアイーナ。無駄な施設を建てたツケは維持管理への経費として、これからずっと続いていく。(ゼロテン)
少年少女、老いやすく
こんにちは。
高校時代のヒット曲。

fear



1968年の「誓いのフーガ」(原題「2010年」)
(フェアリーダスト)。
バッハのフーガを使っていました。

ネット検索していると面白い記事に出会いました。
歌詞の意味は、
「紀元2010年は、今から43年先のこと、
それまで、僕たちふたりは一緒にいられるかな?
ふたりは愛をかたりあっていられるかな?
僕たちの生活はばら色になっているかな・・・・・・・」
というものだそうです。

当時、この曲を聴いていた若者は、
今や50代のおじさん、おばさんです。
あのころ
2010年(twenty tenという歌声)と聴いて、
高校生の私、
随分未来のことだと思っていたものです。
ところが、2010年、って、

あと4年後じゃんーー  (#^.^#)

なんて月日が経つのは早いのでしょー!!!

少年(少女も)老いやすく、学なりがたし(^^;)

「誓いの明日」1968年11月に2位にまでなりましたが、
結局ビートルズの「ヘイ・ジュード」を抜けませんでした。
「ヘイ・ジュード」を抜いて1位になった曲は、
彗星のように現れて消えたメリー・ホプキンの
「悲しき天使」でした。

そのころのヒット曲
ビージーズの「ワールド」も好きでした。

いつの時代も懐メロは不滅です。


経営アドバイザー 服部尚樹
http://blog.livedoor.jp/hattory1952/


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市民ジャーナル発刊!
市民ジャーナルが発刊されました価格は700円
書店またはアマゾンで買えます。
現代の童話の世界?峠の茶屋とショッピングセンター害??
先日往復700kmの移動をしてきた。
福島県の富岡町に所用で出掛け、帰り道は浪江から福島に抜ける阿武隈高原越えの国道114号線を疾走。
ちょうど昼食時に川俣町の手前の峠の頂きあたりで1軒の農家を通過した。
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100mほど通り過ぎてから気になって引き返した。
玄関前に、「峠の茶屋 お食事処 ひなた」の小さな看板。
山姥にでも出会えるかと恐る恐る中を覗くと、品の良い中年の女性から「いらっしゃいませ、どうぞ」と招き入れられた。
昔の農家そのままの土間に入ると、大きな囲炉裏を囲むカウンター席が目に入った。
薄暗い内部を見渡すと板の間にテーブルが並んで中は結構広い。
客は一人もいない。
靴を脱いで板の間に上がる。
隅のテーブルに腰をおろし、メニューと室内に交互に目をやる。
“すいとん”“ざるうどん”などと並んで、“カレーライス”や“ビーフシチュー”などのハイカラなメニューも並んでいる。
場のムードに誘われて“麦とろ定食”を注文。
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囲炉裏の煙に100年以上燻されたのだろうか、黒光りした柱や梁と煤けた天井の萱が、妙な懐かしさとともに落ち着いた空間を醸し出している。
バロックの室内楽が冷たい空気の中に漂う中で、歯応えのある麦飯とまろやかなとろろをいただく。
小鉢は、カラシの載った豆腐 、スモークハム、刺身、漬物、サラダ、そして味噌汁。
ひんやりとした空気の中でそれぞれの味が舌に染み込み、一粒残らず美味しく腹に収まる。
贅沢な時空をたった一人で独占した。

福島まで出てからは高速道路に乗ったが、昔仕事で関った平泉の現場を見ようと一関インターで降りて4号線を北上。
一関平泉界隈は10年前と余り変化が無い。
水沢を過ぎて何度も通った道をのんびりと走っているうちに、暗闇が迫りライトを点灯する時間になった。
そして金ヶ崎を通過するところで、煌々とした照明に目が眩んだ。
一瞬違う世界に入り込んだのかと瞬きしたが眩しさは増すばかり。
そこには、首を巡らせないと視界に入りきらないような大型ショッピングセンターが軒を連ねていた。
延々と北上を過ぎるまで、昼間のような明るさのロードサイドショッピングセンター街?害?。
オイルショックの時のネオンサインの自粛、羽田内閣の省エネルック、京都議定書とクールビス、オフィスや家庭でのマメな消灯や家電の待機電力の節減など全部一気に吹っ飛ばしてしまうようなライトアップのオンパレード。
ん・・・・・・・・

宮沢賢治の「注文の多い料理店」に迷い込んだような一日だった。
<佐々 疾風 (ささはやて)>


山里便り 21 「ポタッポタッと、栗が落ちる!」 2006年10月1日
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   風鈴の音が、ちょっと寂しげに聴こえ、
フウセンカズラのスダレにタネが目立ってくると、
ポタッポタッと、栗が落ち始める。
風が強い日は、拾うさきから落ちてきて、頭に当たると結構痛い。
カゴいっぱいに栗を拾い、額からダラダラと血を流しながらsunちゃんが立っていた時には驚いた。
上を向いていたら、イガが落ちてきたという。
雨傘をさして栗拾いをしていた女性を見たことがあるが、
天気の良い日に妙な感じがしたが、その気持ちはよく分かる。

この土地を買った時に、栗の木6本もついてきた。
最初は、私の背丈ほどの木がスクスクと大きく育ち、
育ちすぎて枝と枝が絡まるようになり、うっそうとしてきたので3本切り倒し、薪にした。
残った3本の木から、クラクラと眩暈がするほどのたくさんの栗が落ちてくる。
食べられるものを放っておいて、傷んでいく様子を見るのが忍びない。
もったいないからと、毎年、せっせと拾って茹でるを繰り返しているが、そんな状況が1ヶ月続く。
たまに、リスが食べた歯型の残った栗を見つけたり、栗の木にクマの爪あとが残っていたり、
私の知らない間に、いろいろな動物が来ているみたいだ。

昔は、どこの家でも茹でて干してかち栗にして保存したそうだ。
近所の土間のムシロの上に、栗が一面に干してあったことがある。
「若い者は、食べないから・・。」と言っていたが、もらって食べたら、甘みと噛みごたえがあり美味しかった。
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     イガは集めて燃やし、風呂を沸かしたそうだ。(1930年生まれの馬そりで、隣の村からお嫁に来た今は亡きmiyoさんの話)茹でて中身を取り出して、冷凍保存。モンブランや栗あんに・・
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「大きいのだけ拾って、後は、リスや鳥に残しておいたら・・。昔から、柿の実は全部取らずに三つ残せって言うよ。」と、山の中で育ったsunちゃんが言った。
一つめは旅人のため、二つめは鳥のため、三つめは誰のためだったか教えてくれた本人も忘れたと言う。
「とにかく、いくつか残すのが自然に対しての礼儀なんだよ。」と、さとされた。
礼儀らしいのだが、夏の桑の実・スグリ・ベリー類に始まり、秋のアケビ・栗と、
八百屋やスーパーに並んだ果実しか見たことがない私にとって、生っている実が身近にあるというのは、
実に興奮する出来事だったのだ!

ここ数年は、自然に対する礼儀もわきまえられるようになったのか、
ダレカのために残すという気持ちが芽生え(?)てきた。
と言うよりも、とても採りきれないほど、自然の恵みに溢れている。
自然の恵みを分け合うことも、自然と共に暮らす楽しみのひとつだと気づいたのかもしれない。
やっと・・ね!
yo

テーマ:田舎暮らし日記 - ジャンル:ライフ



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