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Author:疾風
岩手県盛岡から発信、ローカルな足場からグローバルな普遍性を論じる
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ブログ新聞 『市民ジャーナル』
市民ジャーナルは、ローカルな現場の当事者の視点からグローバルな普遍性を論じようとするものです。皆さんの投稿をお待ちしています。 sj17417@yahoo.co.jp
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ある医学者のつぶやき
人間の知恵なんて、自然に比べりゃたいしたことない

 理屈をいわなくても、自然に触れていれば、人間の知恵の限度を知らされる。私は虫について、ああだろう、こうだろうと、いつも考える。このことは確かだな。ところがなんと、あちこちで裏切られる。

 自分の考えのアテにならないことなど、虫採りでよくわかるのである。でも裏切られるからといって、考えなければ進歩はない。大切なことは、自分の考えをたえず検証する癖をつけることである。

 自然に対面すれば、それができる。

 自然は複雑だが、他方できちんとした法則性を持っている

 新緑の山々がなぜ美しいのか。色合いのみごとなパッチワークが見えるからである。では緑を作る木々は、それを考えて並んでいるのだろうか。そんなはずはない。ではデタラメに、つまり偶然に並んだのだろうか。それも違う。新緑に示されているのは、木々の根からはじまって、そのあいだに暮らす生きもの、細菌から菌類、ミミズやモグラ、それぞれの木や草、それらすべての活動の集大成なのである。

 木の葉の並び方一つをとっても、デタラメではない。一日のうちに太陽が動き、それにつれて個々の葉に対する日照が変わる。でもその木全体として、いちばんたくさんの日照を受けるには、葉をどう配列すればいいか。その複雑な問題の解は、コンピュータに相談する必要がない。「目前に見えている」からである。自然をただ見ていることで、人は解答をいつの間にか教えられる。その結果を、脳は「美しい」と表現する。

自然の美しさ、自然の規則正しさを「感じて」みよう

 自然の美しさそのものに価値があるだけではない。その美しさとは、多次元空間の複雑な方程式のみごとな解なのである。脳はそれを知っている。なぜなら、自分自身がきわめて複雑な有機体だからである。どこに安定平衡点があるか、脳はそれを直感する。エネルギーを消費して、方程式を解かなくてもいいのである。

 都会に住み、ビルに通い、パソコンの画面を見る。それはそれで結構、仕方がない。でもそういう生活をする人ほど、自然を見なければいけない。なぜなら人はそこから生まれたので、そこから離陸はできないからである。それを忘れようとして、「身体は意識の思いのまま」という、暗黙の了解を作り続けようとする。それが健康ブームである。
 たえず問うべき問いは、一つしかない。

「自分の寿命はいつまでか」である

 それに答えられないとわかれば、「ひたすら生きる」しかないと、同時にわかるであろう。西行も芭蕉も、おそらく自然を見続けた。それが日本人の伝統的な生き方で、それを忘れたところに、おそらく現代の不幸がある。
 一個の細胞である受精卵が、十兆の桁の細胞でできた個人を作る。その過程をコンピュータでシミュレーションできるだろうか。

 それをしなくても、答えは目前に見えている。
 われわれ自身がその答えなのである。かくも複雑な問題の解を、自然自体が眼前に見せてくれている。それを「見る目」を失った人たちが、わけのわからない解を解だと信じ、右往左往する。そろそろ万事を考え直すほうがいいのではないだろうか。


〈MBA〉





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環境政策の転換
「自主行動計画」というもたれ合い

 民主党による鳩山内閣が発足した。環境大臣は鳩山首相の側近で環境政策に詳しい小沢鋭仁氏、経済産業大臣はマニフェスト(政権公約)をまとめた直嶋正行氏となった。これに加え、外務大臣は同党の温暖化対策を一貫してリードしてきた岡田克也氏だ。「2020年までに温暖化ガスを1990年比で25%削減する」との同党の公約を環境外交の場で打ち出す布陣が整った格好だ。鳩山首相は今月末にも国連総会で「25%削減」を表明する見通しだ。これによって、国内の温暖化対策は、新たな局面を迎えることになる。

 それを象徴するのが、経済産業省が示した「25%削減は国民負担が過大」との見解と、環境省・小林光事務次官の「25%削減は可能」というコメントのズレだ。今後、温暖化対策は、経済産業省主体から、民主党による政治主導に転換し、霞ヶ関では環境省の役割が相対的に強くなっていく可能性が高い。

 そもそも京都議定書の目標達成に向けた国内温暖化対策は、典型的な政官財のもたれあいの構図であった。

 京都議定書での日本の削減目標である「90年比6%削減」は自民党政権による政治決着であったが、具体的な対策は経産省にほぼ丸投げされた。政府の「目標達成計画」には省庁横断でさまざまな施策が並んでいるものの、実質的に目標達成に貢献しているのは、産業界の自主行動計画への締め付け、それも電力業界と鉄鋼業界との一種の“密約”である。

 日本経団連傘下の各業界団体は、自主的に温暖化ガス削減に向けた目標を掲げている。あくまで「自主」だが、経産省は毎年、その達成度合をフォローし、指導している。そのなかで温暖化ガスの排出量が突出している電力と鉄鋼業界、つまり電気事業連合会と日本鉄鋼連盟については、目標未達成の場合、海外から排出枠を購入して埋め合わせることを約束させている。

 その結果、電力業界は公表値で1億9000万t、鉄鋼業界は5900万tの排出枠を既に購入している。費用は推定でそれぞれ数千億円に上る。この政策手法は極めて日本的な「行政指導」によるものだ。

 しかし、このやり方では、未達成のときのペナルティもなく実効性に乏しい。そもそもわが国では「皆で渡れば怖くない」と言う思想が蔓延した「もたれあい」構造が多すぎる。

人類の未来が掛かる課題には、民衆の代表である政治集団が的確に判断してリードする義務がある。

金塊と地球を天秤に掛ける議論はほどほどにすべきだ。

無題


<うわさのMBA>

100人の村
世界がもし100人の村だったら

世界には63億人の人がいますが、もしそれを100人の村に縮めるとどうなるのでしょう。

52人が女性で48人が男性です。30人が子どもで70人が大人です。
そのうち7人がお年寄りです。

61人がアジア人です。
13人がアフリカ人
13人が南北アメリカ人
12人がヨーロッパ人 あとは南太平洋地域の人です。

33人がキリスト教
19人がイスラム教
13人がヒンドゥ教
6人が仏教
24人はほかのさまざまな宗教を信じているか、あるいは何も信じていません。

17人は中国語をしゃべり
9人は英語
8人はヒンディー語とウルドゥ語
6人はスペイン語
6人はロシア語
4人はアラビア語をしゃべります。
あとはベンガル語、ポルトガル語、インドネシア語、日本語、ドイツ語、フランス語などをしゃべります。

6人がすべての富の59%を持っていて、その6人はアメリカ合衆国の人です。74人が39%を、20人がたったの2%を分け合っています。

75人は食べ物の蓄えがあり、雨露をしのぐところがあります。でも、あとの25人はそうではありません。そのうち17人はきれいで安全な水を飲めません。

銀行に預金があり、財布にお金があり 家のどこかに小銭が転がっている人はいちばん豊かな6人のうちの1人です。

 「世界がもし100人の村だったら」作者不詳 から転載しました。

1人にもならない日本人と同じ暮らしを100人がすると仮定しますと、地球があと4個必要になります。

さて、あなたはどのように思いますか。


〈うわさのMBA〉

テーマ:文明・文化&思想 - ジャンル:学問・文化・芸術

「僕という人間―その3〈環境〉」
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 今僕が暮らす環境は、まさに写真のような山菜が目に前の山で取れる環境である。この季節は例年の経験と天候とを見計らって、週に2?3回は山菜採りに出かける。
僕は、この地域では新参者だが、集落のみんなが「丸山さんは何処の山でも山菜採っていいよ」と許可を得ている。僕は今そのような環境で暮らしている。ありがたいことである。

 環境という言葉は現代社会では重要なキーワードとなっている。環境破壊、環境保護、これからの地球環境如何では、人類があと1世紀持つかどうかも分からない状況にある。あと数十年で地球温暖化により気温が2?3度上昇するという。
 2?3度というと日々の体験からは「ここのとこ一寸暖かいな、今日はいつもより一寸冷え込む」程度のところだが、地球規模で考えると、海面上昇、氷河の融解、海流の停止、異常気象、砂漠化、温帯地域の熱帯化によるウイルスの拡散・・・・・が起こり、本当に人間は壊滅してしまうかも知れない。みんなあんまり慌てていないようだが、今のままなら100%確かだろう。
 地球の温暖化の原因は、地球という天体の自然のなりゆき(地球事態は今小寒期に向かいつつあるという説もある)で人智の及ばないことというニヒルな考えもあろうが、人間の文明行為が放出した温室効果ガス(CO2や代替フロンのなど)が原因と言う説が有力である。
 それなら、本当に本当に経済発展、市場開放、益々の生産拡大などと言っていられないのだが、先に進んだ国が発展途上国や、中国、インドに経済発展するなと言えるはずもなく。日本とて省エネ、環境保護と掛け声は大きいものの、実体は生産拡大、経済発展、その証拠にエネルギー消費見込みは右肩上がりである。エネルギーとて資本主義の経済活動であり増加させるしかないのかも。

 このままでは人類は、当然のこと文明を享受している日本人とてどんなに楽観的に見ても、近い将来超極悪な環境(灼熱地獄か寒冷地獄か嵐の日々・・・)を生きることになるだろう。ルネ・デュボス(仏の生物学者)が「人間の特性は環境になれることにある」といっている。これはイヌイットの暮らしも灼熱の砂漠の暮らしも、またスモッグで咳き込んでも人間は暮らしていけるということである。
 しかし人類は何処まで環境に適応できるのか、ひょっとしたら未来の人間は姿形、少なくとも内蔵機能がいまと異なった人類かもしれない。宇宙人は本当は未来の人間の姿かもしれない・・・・・・・。

 石原都知事よ「オリンピックを東京で」などとのんきなことを言ってる場合ではないぞ、東京のエネルギー消費、局所的な温暖化(ヒートアイランド)、そのうえ、関東大震災だってやって来るんだよ。これは間違いのない地球の自然現象なのだからさけられないのだよ。

 人間は幸か不幸か環境に慣れる動物である。だからこそ地球上に広がり、ある意味劣悪な環境でも生きていける。
「炭鉱のカナリア」は多分死に絶えただろう、でも人間は今だ華やかな文明を生きようとしている。

 僕は宇都宮の農場で生まれ、2歳から小学校4年まで広島の庄原市(中国山脈のど真ん中、ヒバゴン〈日本固有の猿人〉が住むという山奥、小学校5年から広島市の海っぺたで高校まで過ごし、それから東京で40歳まで暮らして今岩手県北上高地の霊峰早池峰山の麓にいる。
 僕は今、そのような環境を生きてきた。そのことと僕という人間はどんな関係にあるのだろうか。少々長くなったのでそのあたりが後日とする。

<丸山暁(55歳・人間)>

テーマ:文明・文化&思想 - ジャンル:学問・文化・芸術



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