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疾風

Author:疾風
岩手県盛岡から発信、ローカルな足場からグローバルな普遍性を論じる
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ブログ新聞 『市民ジャーナル』
市民ジャーナルは、ローカルな現場の当事者の視点からグローバルな普遍性を論じようとするものです。皆さんの投稿をお待ちしています。 sj17417@yahoo.co.jp
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秋の中津川風景
朝の散歩の風景

「我が家のユリの木」
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「富士見橋たもとの柿の木」
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「富士見橋と文化橋の間の広大な河川敷」
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「川留稲荷隣に老人施設建設中」
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「平安閣裏の河川敷の中の桜並木」
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「文化橋上流」
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「平安閣と中津川マンション」
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「朝日の反射」
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「山賀橋下流右岸」
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<はやて> 
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この国の知とは?
20070428075016.jpg

この写真は、数年前に撮った東京駅付近である。丸の内辺りをうろついている方はわかるだろうが、クレーンの先にあるのは「丸ビル」で、その右に小さく見えるレンガ色の建物は、皇居が覗けるからと高さ制限を受けた東京海上ビルである。思想というのは時代と共に変わるもの、今は天皇への配慮より経済が優先する。天皇に対してこれだから、一般国人となると言わずもがなである。
昨日丸ビルの右側に「新丸ビル」がオープンした。TVの幾番組も、六本木ヒルズ、東京ビッグサイトについで、東京の新名所と囃し立てていた。

さて、「新丸ビル」が出来て、女性をターゲットにしたおしゃれでセレブな新たなショッピング、憩いのスポット「行ってみたーい」とはしゃぎながら報道するおね?さんやオジサンが、今度は、眉間にしわを寄せて、困ったものだと眉をひそめ「超高層ビルは地震の長周期振動には弱い」と報じている。
このことは、超高層ラッシュが佳境を呈し始めた10数年前から、心ある建築技術者や研究者は警鐘を鳴らしていたのだが、このような金を産まない研究には誰も(政治家や経済界や建設会社さえ)目を向けてこなかった。目を向けないというよりは、大学の建築系の偉い先生や建設会社の研究者(大手建設会社の研究所というのはたいしたものなのです、下手な国や大学の研究所より立派な研究も出来るのです)は目を背けてきたのです。きっとこれからも、危険性を知って知らないふりをし続けるだろうが。

30数年前、ちょうど僕がゼネコンに入った頃、建築の耐震設計法の大改正があった。それは、簡単にいうと、剛構造から柔構造への転換である。剛構造というのは、構造物をしっかり固めて(柱を太くしたり壁を厚くしたりして)地震に耐える方法で、柔構造は地震に対しゆらゆら揺れてやり過ごす方法である。
なぜその頃耐震基準が改正されたかというと、その少し前に新潟地震とロサンゼルス地震があり、その地震波動のデータ?がしっかり取れたからである。そういう揺れを、コンピューターで解析して設計できるようになったからである。もし、剛構造で計算すれば、一階に床が使えなくなるぐらい、壁で覆われてしまうから、柔構造というのは画期的であった。

ところが、その時のデータ?の地震動の周期は数分の1秒(短周期)であった。要するに「ガタガタガタ」という揺れであり、超高層ビルも、そういうデータ?で解析してきたのである。ところが近年、近年といっての10数年来、超高層への地震の揺れは、「ユラユラユラ」と揺れる、長周期(周期数秒)の揺れが危険である、ということが分かってきた。なぜなら、長周期の波は、建物の固有振動(長さが長いほど、ゆっくり揺れる、すなわち周期が長い)と一致して、超高層は「ユッサユッサユッサ」と揺れて、きっと超高層の上層階は数m(少なくとも2?3m)は左右に揺れるだろう。
このとき建物はどうなるか。きっと長周期が10数分以上続き、建物の低層部や基礎に負荷が掛かり続けたら、超高層は壊滅的な破壊を起こすかもしれない(たとえ、計算上、模型でのシミレーションは安全という結果でも、阪神淡路地震の高速道路を思い出して欲しい)。

運良く、建物が破壊されなくても、地上100m200mの片面ガラス小さなの箱の中で数mも何分も「ユッサユッサ」と揺られたら、想像するだけで身震いする。超高層でも、数億円のマンションなら広い空間だろうが、数千万のマンションでは、ちょっと歩いたら目の下はまさに崖っぷちという感じである。
このブログの読者は億ションに暮らす人はきっといないだろうから(そういう方はすぐ引っ越した方がいいですよ)説明しておくが、床面積60?70?のマンションなど、テラスで夜景を何て気にならないはずです。毎日崖っぷちで暮らしているようなもの。「ユラユラユラ」ときたら家財道具と一緒に窓から吹っ飛んでしまいますよ。

さて、本題はこれから。最近になって、忘れた頃に、チョコチョコと「超高層は長周期の揺れに弱い」と危険性を報じるメディアもあるが、このことを何故「日本の知」はもっと緊急課題として発言しないのか。とりあえず、「日本の知」とは東大や京大、東工大の教授や国交省の建築研究所や大物建築家たちを言うのだが。都知事選に出た黒川紀章さん?

彼らが今、口を塞ぐということは、もし、東海地震の地震波、関東大震災、30年確立70%の直下型地震がきて、数本の超高層が倒壊か壊滅的打撃を受け、最上階から振り落とされる人人人の映像が流れた時、彼らはどのようにおのれの仕事を、おのれの知、責任を顧みるのだろうか。今、その危険性(超高層ビルの長周期の地振動にたいする危険性)を放置して、超高層ビルを建て続けることは、姉歯の「耐震偽装」に通じるものではないだろうか。もちろん、故意に危険な建物を作るというのではなく、危険性を知りながら放置したという「未必の故意」において。

無名の僕は、ことあるごとに、ここ10数年言い続けてきた。ここではこれ以上言うまい。僕のような小人にはなすすべもない。

そうそう、東洋町の核廃棄物処分場撤回で甘利通産大臣が「廃棄物処分場は120%安全だ」といっていた。あんた、その根拠は何なの、それこそ口からでまかせの詐欺師ですよ。東洋町に賛成派でも「勉強したけどそんなこと無い」と言っているのに。そんないい加減なこと言うから、原発は益々信用を落とすのですよ。
最後に気楽に小噺を記して、今日も終わりとする。最近この小噺に力が入っている。
「おまえさん、あたしもあんな見晴らしのいい高いとこ(超高層)に住みたいもんだね」「ばかいえ、まともに生きてるおいらには、どんなに財布や袖を揺すったてそんな金びた一文でてきやしねえ」「そうだね、あんな高いとこ、ナマズが地面を揺すったら、もっと高いとこに行かなきゃなんないかもしれないね、くわばらくわばら」
〈56歳・人間〉
僕の考えるブログ〉もよろしく。

僕という人間-6(環境4)
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写真は今僕が暮らしている家の窓から見える風景である。先日まちに暮らす友人が我が家に来てとても感動していた。多分山間部の何処にでもある風景なのだろうが、四季折々朝夕改めて見つめると、見慣れた風景でもけっこう感動するものだ。それが自然というものか、自然の移り変わりが自ずと心に響いてくる。僕は今そうゆう環境に暮らしている。

 これまでつたない環境論であったが「環境」について3回書いてきた。
多くの場合環境は地球環境にしろ、地域の環境、住宅環境にしろ、自分をとりまく空間として捉えられてきた。僕もそのように書いてきた。そこには、環境とは人間が評価したり、改変したり(破壊も改変の一形態である)コントロールできる存在、すなわち自分の身体と切り離して考える姿勢があったのではないだろうか。ここまで「環境」を考えてきて、実は環境問題の根本的な間違いはそこにあったのではないかと思っている。

僕たちは多くの場合「環境」を自分自身の身体(特に心は)と切り離して考えてきたが、実は人間の身体(身も心も)は「環境」によって育まれ、作られてきているのである。確かに誕生から少年、青年と育つのは多くは通常親が子供を育てるという家族の行為であるが、その家族は多くの環境に囲まれている。それは身近には住宅環境、地域の環境(都市化や自然など形態的な環境)からひいてはその時代の地球環境まで。実は僕たち人間は、環境によって育まれ、環境の特性が僕たちの身体を形成してきたと言えるのではないか。
 
僕は14年前、青春時代と会社員として20年間暮らした東京から北上高地早池峰山の麓の小さな集落に越してきた。何故僕はそのような行動をとったかというと、やはり僕が育ってきた環境がそうさせたのではないだろうか。
 僕は広島の山と海で少年時代を過ごし、野山を駆け巡り、海に潜り魚をついた記憶が今も鮮明にある。たぶん僕の身体的な原風景がそれなのである。田舎の少年はもちろん都会に憧れた、学生青年期は都会で青春し、社会人になっても都会性格を謳歌した。しかし華やかな銀座を歩いていた時、ふと頭に(頭と言うより心だろう)浮かんだのが、池の水底で湧き水に揺れる藻の間に見え隠れするコブナの姿だった。
 そういう時「そう遠くない将来、いつか水や山がある田舎で暮らそう」と心の声が聞こえてきた。きっと、それが僕を作ってくれた「環境」のささやきだったのだろう。

 環境が自分自身にどう影響してきたのか、またこれからどういう環境で暮らしたいのか、それがもう一つの環境問題ではないだろうか。地球環境を考えることはもちろん急務であるが、その前提として身近な環境を見つめ考えることが欠如すると、単なるセンチメンタルな環境論に陥り、高度物質文明を享受しながら「劣悪化した日常環境」のなかで身体的に萎えていく、そうゆう人間像が浮かんでくる。環境問題は実は個々の生き方の問題なのではないだろうか、このことはまた時を改めて書いてみたい。

僕という人間―5〈環境3〉
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 写真は我が家の室(ムロ)である。14年前この地に来た時土手を掘った。ほぼ1㎥の空間があろうか。ここに冬野菜(大根や白菜)を蓄える。大体11月の初旬にしまって、次の春3月ぐらいまで食べる。これも北国という環境で生きるための環境と共に生きる小さな建築である。

 環境環境の昨今であるが「環境」には宇宙環境から地球環境、自分の暮らす地域の環境・・・、身の回りの環境まで「多くの環境」がある。地球環境は既に危機的状況にあることはもうここでは言及すまい。
 そういう「環境」のなかで私たちが身体的に最も係わりの深いのが「住環境」だろう。しかし環境問題が取りざたされるなか、あまり真剣な議論がなされないのが「住環境」ではないだろうか。もちろん住宅メーカーなどの「環境にやさしい、人にやさしい環境住宅」というようなキャッチフレーズ、商品としての「環境」は巷に溢れているが、果たして今いうところの「環境住宅」は本当に「環境にも人間にも環境的」な住宅なのであろうか。
 まず住宅メーカーや住宅評論家(そんな言い方があるとすれば)たちが声を大にして推奨している住宅は「高気密高断熱省エネ24時間機械換気(24時間機械換気は建築基準法で定められてしまった)」そのうえ最近は「オール電化」がついてきた。多分こういう住宅が「環境にやさしく、人にも快適な住宅」といっているのだろう。
確かに隙間風が吹きぬけたり埃がまったり、科学物質が満ち溢れた(いわゆるシックハウス)住宅は問題である。しかし先にあげた「高気密・・・・オール電化住宅」すなわち「完全に機械的に快適であろう一定の環境に制御された住宅」が本当に地球環境にも身体にもやさしい住宅なのだろうか。

 55歳まで田舎と都市でほぼ半々暮らし、それなりに建築に係わってきた僕は、今最先端と言われ住宅業界も電気や電力業界、国を挙げて推奨している「高気密・・オール電化住宅」は「環境にも人間の身体にもやさしくない住宅」だと考えている。
 
まず「環境にやさしい」というのが曲者である。理論的にいうと「高気密高断熱」であることはかまわない、しかし「高気密高断熱にしたことで24時間機械換気をしなければならない」というのが気に食わない。大体住宅というかなり空間的に隔壁があり生活のための用具(家具など)がおかれた空間であり、換気が計算どうり理論的にいくはずがない。空気の流れとて物理学で言うところの流体(空気は一見さらさらしてなられやすいようだけど台風や団扇で送る風を考えてみてください。けっこう粘性があり抵抗があるものなのです。)で必ず渦ができよどみが出来る。また温度と湿度を一定に保つために24時間機械換気したうえで窓を開けるな。こんな馬鹿な不健康な暮らしがあるものか。人間は温室の熱帯植物でもビニールハウスのほうれん草や高級サクランボでもない、朝は窓を開け冷気を入れて、掃除の時や晴れた日は建物全体に風を送り込む。冬だってキリリと冷えた空気にさらされるのも気持ちいいものだ。
しかし今の制度、最先端の住宅ではそうゆう暮らしをしてはいけないという。

 数年前オフィスビル症候群(慢性的な健康不良)が問題になったが、これはビルの機械的環境管理に限界があることを示した。その後解決の道がないので話題にならず、健康食品や健康飲料でそれをごまかすブームがやってきた。個人住宅でも湿潤な日本では理屈は同じなのです。
 
省エネという面でも電気に頼らなければ快適に暮らせないなど、まったく馬鹿げている。原発が止まったらどうするんだ。原発が環境にやさしいというが、ウラン採掘(ウラン採掘現場での現地人への迫害もある)から運搬精製、発電、制御、廃棄物管理(まだ当てもない)・・まで考えた原発の全体系が環境にやさしいなどと誰がいえるのか。エネルギーは、自然エネルギーも化石燃料も、薪も、そしてローカルエネルギー(この開発を何故急がない。それは電力会社が儲からないから)も上手く混ぜて使うのが環境も人間も生き長らえる秘訣である。原発に頼るしかない住宅など環境にも人間(特に大事な未来の孫子にとっても)にもやさしい住宅であろうはずがない。
 付け加えて言えば、快適超高層マンションライフ、特に東京や大阪で、をステイタスとして最先端の「快適環境住宅」と勘違いしている方々、超高層住宅での暮らしは人間の身体(特に妊婦、幼児にとって、老人、・・)にとって最悪の環境であることが諸研究(特に超高層を作っている建設会社の研究)でも明らかで、かつ、長周期(数秒)の地震のゆれには建物も、そのなかの家具人間もどうなってしまうのか設計手法すらない・・・、ただ目をつぶって建ててしまっているだけなのです。

超高層マンションの暮らしはハリウッド映画で美男美女がグラス傾けて愛をささやく、そんな程度にしておいた方がいいのです。
 ま、僕という人間が作りたい推薦する住宅環境は「ほどほどに自然の影響を受け、ある場合は積極的に自然と対峙し、人間の感性を使って自然と共に暮らす身体的住宅」簡単にいうと「雨風を防ぎ、太陽を浴びて(もちろん庇もあるよ)、心地よい風が吹き抜ける」そんな住宅がいいと思っています。いうまでもないが個々の特性(高齢者、弱者など)には配慮した。皆さんも地球環境と共に、もっと自分の暮らす環境を考えていただきたい。そこから地球環境が逆に見えてくる。
そんなこといっているから仕事の依頼が来ないのかな・・。売れない建築屋のつぶやき。

 丸山暁(55歳・人間)



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