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岩手県盛岡から発信、ローカルな足場からグローバルな普遍性を論じる
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ブログ新聞 『市民ジャーナル』
市民ジャーナルは、ローカルな現場の当事者の視点からグローバルな普遍性を論じようとするものです。皆さんの投稿をお待ちしています。 sj17417@yahoo.co.jp
機能しないゼネラリスト
公務員は壮大な素人集団になりつつある。つまり、専門性の低下が著しい。

 背景には頻繁な人事異動がある。一般事務職は、2〜3年でさまざまな職場を渡り歩く。

 動物園担当からいきなり福祉。2年後には教育委員会で小学校の担当といった人事も珍しくない。仕事に慣れるのに半年。少し精通し人間関係を作ったころには人事異動だ。

多くの公務員は有能だ。前職で似た経験をし、職務内容もマニュアル化されてきている。

 だがこれだけ物事が複雑化した現在、2,3年おきに人事異動ばかりしていては、予算や各種手続きなどの事務処理だけで終わる。本質的な問題解決には取り組めない。

 公務員は頻繁に人事異動し、経験を重ねることでゼネラリストとして鍛えられるとされてきた。

人事異動は特定業者や利害関係者との癒着を防ぐともいわれてきた。

現に多くの公務員がさまざまな社会問題を仲裁する高潔な“お役人”としての役割を果たしてきた。

だが最近の公務員にはゼネラリストとしての見識以上に専門性が問われる。

そして先端技術は民間事業者との付き合いの積み重ねから得られることが多い。

役所の頻繁な人事異動の仕組みは明らかに時代にそぐわない。

 今や、技術用語もわからない技術職員が、ゴロゴロしているのが役所だと思えば間違いがない。




〈カーペンター〉




コミュニケーション
年代に合わせた話題を提供

■人と話をするときは、相手をよく知らなければ、
 言ってはならないことを言い、言ったほうがいいことを言えないと思うのです。

 そこから、人間関係の混乱も起こってきかねないと思います。


■話をするときに必要なことは、 まず、第一は、相手を知ること、
 相手を正しく認識することではないかと思います。

 これは大切なことです。

 これは、仕事で上司や部下相手に話すときも、家で家内に話すときも同じことです。

 相手に合わせた話し方をしなければ、おおむね失敗することでしょう。


■上司には、敬意を表しつつも、言いたいことは言ってみる。

 採用されないことが多いが、 ちょっと言い方を工夫して再度、提案してみよう。

 むしろ笑顔で話してみるといいのではないか、 というように、自分に合った話し方というものを、
 自ら開拓しなければならないと思うのです。

 自分の特徴というものをはっきり把握し、 その上で相手に合わせて話し方を工夫していくということがきわめて大切であり、
そこに進歩があると思います



〈カーペンター〉


11山茶花
                山茶花



役人の隠れ蓑
第三者的視点の真相

そもそも日本人は「第三者」的なものが好きなようだ。法律に基づいて設置する審議会から、大臣や局長の私的諮問委員会、不祥事の検証委員会――と山のようにある。

これは、国に限らず、地方の自治体にも掃いて捨てるほど存在する。

これまで20を超える審議会で座長を務め、その体験を「会議の政治学」(慈学社)で綴った東京大学の森田朗教授(行政学)は、「官僚の作った結論を第三者に代弁させて、公平そうに見えるシステム」と一刀両断する。

委員の人選に工夫をこらし、それでも強硬な反対者が現れた場合は、その委員の都合の悪い日に会議日程を合わせて出席させないようにする。そんな役人の姿を、森田教授は何度も見てきたと話す。

委員本人も役人の操り人形になるのは不本意だろうが、名誉や実利は用意されている。

文部科学省が2004年に導入した大学の認証評価制度では審議会委員などの経験も考慮され、教授昇進の審査に加味する大学もある。役所の権威を餌に、社会を自分たちの思う方向に持っていく。

第三者委員会こそ、天下りに並ぶ官僚支配の象徴だろう。

そこに醸成されてきたものは、責任の所在があいまいな「無責任社会」にほかならない。


 当生も、地方行政の委員会・審議会に携わってきたが、行政側提案に異論・改善点を指摘しても対応された記憶がない。役人の納得がいかない屁理屈のような説明で誤魔化され続けた。


 友人に県庁所在都市の局長がいた。彼は昂然と言った。「審議会・委員会の類は、しょせん、俺たちの考えを通すための隠れ蓑だ」と。


〈うわさのMBA〉




便教会
―全国に広がるトイレ掃除―


目に見えない効果がある!?

菊池雄星投手


「教師の、教師によるトイレ掃除に学ぶ会」というものをご存知でしょうか?


教師がトイレ掃除から何を学ぶというのだ!?と、思った方もいるはず。

この会は「便教会」と呼ばれ、愛知県や福岡県、長野県など全国各地で活動しています。


最初に発足を指揮した愛知県の高野先生は、「ただ身を低くして実践あるのみ」と語ります。


つまり、実践によってのみ、各自掃除から学ぶものがあるということでしょう。


かつて、高野先生は、重い病気を患い余命宣告受けました。


しかし、トイレ掃除に出会って「便教会」を発足し、会の運営や掃除の作業に集中していたら、いつの間にか病気が快方に向かっていったそうです。


先日ご紹介した「無言清掃」も、無言で掃除することで生徒の集中力が増し、授業中や学校生活での規律も守られるという効果が見られたといいます。


掃除によって目に見える変化がすぐに生じるというわけではありませんが、掃除に集中して取り組むことによって身の回りの環境が整うだけでなく、それ以外にも目に見えない効果があるのかもしれません。



メジャーか国内か?で球界を沸かせた岩手県花巻東高校の菊池雄星投手.。


世界レベルの逸材と注目され国内12球団、米国8球団からオファーがあり、その動向が注目されています。


その菊池投手が同校の野球部に入部以来、1年から全国的に注目された3年まで欠かさず行っていたのが、野球部のトイレ掃除なそうです。


世界的に注目されても、奢らず、高ぶらず、部員のため淡々と皆の嫌がるトイレ掃除をしながら、高校球界のトップに登りつめたのです。



〈うわさのMBA〉









政官業癒着構造
政官業の強欲な癒着構造。

 これこそが八ツ場の悲劇やJALの自力再生を阻んできた元凶である。治水、利水が本来ダム建設の大義名分。だが、政官業の癒着構造が維持してきたのはダム建設によってもたらされる巨大利権だ。族議員と官僚とゼネコンを中心とした既得権者の利益が最優先され、本当に必要なのかという議論がないがしろにされたまま、札束で地元対策が行われてきたのが八ツ場ダムの歴史だろう。

 国の支援をいくら受けても自力再生できぬJALの甘えた経営は、形を変えた八ツ場ダムである。JALという官営航空会社は株式を公開して民間企業となった後も、政府が一定の株式を保有し続け、歴代社長の多くは旧運輸官僚の天下りだ。

 航空行政は政官業癒着の構造そのものだ。採算がとれるとはとうてい思えぬ地方空港建設は、ダム建設にも負けない蜜の味である。空港さえできれば経済が活性化するのではないかという地元住民の勘違いも見過ごせないが、いずれにしても日本中で採算度外視の地方空港建設に歯止めがかけられなかった。その最大の背景は政官業の強欲癒着構造に尽きる。

 民主党の目指すべき「脱官僚」とはこの癒着構造をぶち壊すことにほかならない。

予算編成の膠着を打破せよ

 民主党政権誕生に込められた国民感情は、将来への絶望感や目の前の閉塞状況を打ち破って欲しいという切実な願いであった。地方経済が壊滅しても、失業が急増しても、所得が激減しても、国民の心のひだに手が届く政策を打ち出せなかった自民党への怒りと言ってもいい。

 ではそうした絶望感や閉塞感のよってきたるゆえんはどこにあったのだろうか。

 予算編成の膠着化に尽きる。時代の変化に合わせて、必要な予算を適時、適切に配分することが政治の使命である。だが自民党はこれを完全に放棄してきた。族議員が官僚や業者と一体となって既得権を造り上げ、そのしがらみを延々と積み重ねてきた結果、日本の予算編成は絶望的に膠着した。省庁別の予算配分どころか、同じ省庁内部の割り振りさえも、長年の政官業の癒着のために固定化してしまった。

 農水省のある次官OBは「農地の流動化を図ろうというプランを示したとたんに、土地改良事業を担当する課長が公然と反旗を翻してきた」と現役時代を振り返る。

 「一般的に農水省にかかわる族議員のことを農林族などと呼びますが、あまり正確な表現ではありません。一番ひどいのは農地族と言うべき政治家たちです。農地という利権を担当する部局と農地族が一体となり、固定化した既得権には一切触らせないという構造ができあがっているのです」

天下り禁止だけでは構造が変わらない

 官僚の天下り問題の本質は、政官業癒着の象徴でしかない。単に天下りを禁止すればそれで終わるしろものでもない。政官業が癒着して税金をネコババする構造を破壊できるか、どうか。それこそがいま問われているし、民主党政権が目指す頂もそこにあるといっていいのではないか。

 八ツ場ダムとJAL。これらはその癒着構造の象徴である。ダム建設を禁止すれば多くの住民が苦汁をなめる。JAL再生にもっとも現実的な判断である法的処理(破たん処理)を選択すれば、多くの従業員、株主、取引先など多くの人々が苦痛を感じる。だがそれは政官業癒着打破のまさに試金石となる。血が流れるからできないとなれば、自民党政権と何も変わらぬという話になってしまう。

 八ツ場とJAL。

 前原国交相が突き付けられた難問は、国交省の問題に止まらない。民主党政権の今後の政権運営そのものが今、問われている。政官業癒着構造の完全打破を狙うのか。現実的な妥協案に堕してしまうのか。政権発足早々、民主党はその真価を試されている。


〈うわさのMBA〉

秋の中津川風景
朝の散歩の風景

「我が家のユリの木」
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「富士見橋たもとの柿の木」
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「富士見橋と文化橋の間の広大な河川敷」
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「川留稲荷隣に老人施設建設中」
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「平安閣裏の河川敷の中の桜並木」
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「文化橋上流」
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「平安閣と中津川マンション」
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「朝日の反射」
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「山賀橋下流右岸」
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<はやて> 
発想の転換
「燃やさない文明」への転換

 民主党は、8月30日に行われた衆議院選挙向けのマニフェストの中で、2020年までにCO2などの温室効果ガスの排出量を90年比で25%削減することを表明し、9月7日に、これを国際公約にすると発表しました。これは、以前自公政権が掲げた8%(2005年比15%)から大幅なアップであり、産業界に「25%ショック」が駆けめぐることになりました。

 反対の声は少なくありません。中には、「荒唐無稽」と称する経営者もいます。しかし、そういう反応こそ重大な認識不足と言わざるを得ません。民主党の方針にかかわらず、CO2の大幅削減は世界レベルですでに合意されていることなのです。

 今年7月にイタリア、ラクイラで開催されたG8サミットで、2050年までに先進国全体で温暖化ガスを80%削減することで合意しています。民主党の「25%削減」は「80%削減」への通過点でしかないことを忘れてはなりません。我々人類は地球温暖化の脅威に対して全面戦争を開始したのです。反対意見を持つ人たちには危機感が乏しいように感じられます。これは残念なことです。

 25%削減だけでも容易ではないが、80%となると尋常のやり方で達成できないことははっきりしています。省エネで5%、住宅の断熱向上で3%という積み上げだけでは到底80%削減には到達できません。また、セクターごとに割り振るというやり方にも限界があります。

 例えば、製鉄やセメント製造にはプロセス上どうしてもCO2が発生してしまう。これらの部門に無理に削減を割り振れば日本では継続できないことになるし、海外に脱出しても地球レベルでのCO2削減には役立ちません。このように、大幅な削減が難しい分野が残るから、可能な分野では「100%削減」を目指すことが必要になるのです。

 となれば、ここは180度の発想の転換が必要です。CO2の「排出を減らす」のではなく、最初から「排出しない」社会を目指すのです。それは「燃やす文明」から「燃やさない文明」への大転換です。「燃やさない文明」とは、電気をエネルギー体系の中心に据える文明であり、我々が現在持っている技術で直ちに実現可能なのです。

 その2本柱は自動車の全面的な電気化と、「燃やさない発電」への転換です。これだけで、最大50%のCO2削減が可能であり、しかも、どちらも日本がリーダーシップを発揮できる分野です。
 CO2の大幅削減は国際競争力の観点からも国益にかなっているのです。「民主党案を推進すると1世帯あたりの負担が36万円になる」という試算が発表されているが、あまり意味のある数字とは言えません。

確かに、負担が生じることは間違いありませんが、投資による大きなプラス効果を忘れてはならないのです。

無題

〈MBA〉







八ッ場ダム中止論議〜「無いより有った方が良い」では駄目だ
民主党が八ッ場ダム中止発表すると、「命を守る事業を簡単に中止していいのか」という、中止反対論が興っている。
自民党や知事連中がこの単純な論理に乗って議論を展開する様なところも見えるので、ここではっきりとその論理の間違いを指摘しておく必要がある。
この論理はすべてのダム事業あるいは公共事業に共通するまやかし論理であると私は思う。
すなわちこの論理は、「無いよりは有った方がよい」という視点に立脚している。
この論理でいくと、殆ど使われていない文化会館なども、地元にすれば無いよりは有った方がいい。
殆ど飛行機が飛ばない地方空港も無いよりは有った方がよい。
巨大な釣り堀と揶揄される地方の港湾施設も、地元にとっては無いよりは有った方がよい。
国道や高速道路と平行する大規模林道と称する車が殆ど通らない道路も、地元にとっては無いより有った方がよい。
と言う論理である。
この論理は、お金が無尽蔵に有ればまかり通る。しかし限られたお金しかないときには、「無いよりは有った方がよい」と言う論理では社会が破滅する。
考えなければならないことは、限られたお金を使っても最も社会を幸せにするのは何かと言うことなのだ。
数千億を使って八ッ場ダムを建設することが、社会にとって緊急性があり、社会の幸せを作るために最も効率的であるのかという視点で考えなければならないのだ。
八ツ場ダムができれば、流域の住民の何人かの生命は守られることになり、利水の安全度も幾分上がるだろう。しかし、その建設に使われる数千億円が国民の幸せを作り出すために最も緊急性があり効率的なのかという視点の中で議論をしなければならない。
社会にとって今、そして将来のために何を優先して進めなければならないか。
「無いよりあった方が良い」もので一人の命が救われるかもしれないが、そのお金を有効に使えば100人の命が救えるかもしれない、というところの視点が必要なのだ。
「無いよりあった方がよい」とか「効果がある」だけでは子供だましの理論だ。
今様々な事柄の見直しの際に全面の押し出すべき理論は「緊急性と効率性」であるべきだと私は思う。
<疾風>
農業政策
減反政策はすでに破綻している

農水省の官僚もそういったカラクリはよく知っている

 8月まで与党だった自民党にとって、組織された農民票は政権維持の要。その農民票をバックに持った農協は最大の圧力団体になった。農水省の中にも、農協に反感を持つ、気概のある人はいた。政府の税制調査会長を16年務めた小倉武一氏のように、「日本の農業を悪くしているのは農協」と主張する人はいた。

 だが、農業が縮小するにつれて、自民党の農水族議員に頼らないと、農水省に必要な予算を取れなくなった。でも、族議員は農協から票をもらっているわけだから、だんだん農協にものが言えなくなってくる。農政の改革派と言われた人々は、みんな農協に嫌われている。

 昨年末の石破農相の発言以降、減反政策の見直しが議題に上がっている。これまで40年近く続いてきましたが、もういいかげん、限界だ。

 もう減反政策は破綻している。昨年、生産調整の面積を10万ヘクタール上乗せしたが、消化できなかった。都道府県をものすごく締めつけたにもかかわらず、このありさまだ。もう崩壊している。

石破農相は9月の総裁選でこう言った。「汚染米問題の本質は高関税で農業を守っていることにある」と。なぜ高関税なのか。それは高価格を維持するためだ。では、どうやって高価格を維持しているのか。それは減反政策だ。

 「高関税を見直せ」と言うことは「減反を見直せ」と言うこととイコール。9月の総裁候補としての発言と12月末の「減反見直し」発言は首尾一貫している。石破さんは9月に農水大臣になってから12月まで、心の中では「減反見直し」と思っていたとしても、あえて言わなかったのだ。

 12月に石破大臣を決断させた事情があるのではないか。それは、農林中金の問題だと思う。今回の金融危機で、農林中金の有価証券の含み損は1兆5000億円に膨らみました。農協の収益源は信用事業。その親玉である農林中金が手痛い打撃を受けている。これで、農協システムが揺らぐと思った。農協が動揺している今こそ、農政改革のチャンスだ、と。

農協が変わらなければ、本当の農政改革はできない。

 生産調整の結果、水田の4割でコメ作りをやめた。水田を水田として使わない罪がある。

 減反政策によって約260万ヘクタールの農地が消滅した。今の水田面積は250万ヘクタール。今ある水田面積と同じくらいの農地が耕作放棄や転用で消滅してしまった。工場用地や宅地の転用もやったし、公共事業で道路も入った。あるいは病院や学校が作られる。そうして、農地が消滅していった。


  政権交代という好機に、過去のしがらみだらけの農業生産システムの大転換により、農業経営の自立と食糧自給率向上に向けたパラダイムシフトの時である。


〈うわさの百姓〉


農業政策
農協による農協のための高米価

 戦後、農協を作ったのはコメの集荷のため。いわば、農協は食糧管理制度の執行機関だった。その立場をうまく使って、農協は拡大してきた。

 コメの販売代金は農協を通じて農林中央金庫に流れる。農林中金は莫大なコメの政府買い入れ代金を一時プールしてコール市場で運用してきた。

それに、コメ代金は農協にある農家の口座に入る。そこから肥料や農薬の手数料は自動的にさっ引ける。そして、余った代金はやはり農林中金が吸い上げて運用する。高い肥料価格を設定しても、食管法の政府買い入れ価格で肥料代が保証されていた。

 もう至れり尽くせり。まさに農協のための食管制度と言っていいぐらいだった。その中で農協は儲けてきた。

食管制度は1995年に廃止されたが、農協はその甘い仕組みから抜け切っていない。だから、政府買い入れ価格がなくなったにもかかわらず、減反政策で高米価を維持しようとしているわけだ。

 減反政策で一番喜ぶのは農協

  間違いなく農協だ。2005年の話だが、コメ価格センターの入札で価格を押し上げる不正な価格操作を行ったとして、全農あきたが入札停止の処分を受けたことがあった。高い価格で落札させ、卸売業者にリベートを払っていた。高い米価を設定すれば、それに応じて高い手数料を取れるからだった。

 じゃあ、このリベートがどこから出たか、というと農家のコメ代金である。

はっきり言って、農家は自分のコメがいくらで売れているか、分かっていない。肥料や農薬、手数料などどんどん引かれていって、その代金が精算されるのが1〜2年後。

そんなバカな話が米販売の影に埋もれている。

 そもそも農家のために農協があったはずだが、農協の利益確保のために農家がいる。農協のための、農協による、農協の政治になっている。

新政権の課題は色々あるが、搾取型の農作物コストと物流改善が農業を甦らせることになる。

環境政策の転換
「自主行動計画」というもたれ合い

 民主党による鳩山内閣が発足した。環境大臣は鳩山首相の側近で環境政策に詳しい小沢鋭仁氏、経済産業大臣はマニフェスト(政権公約)をまとめた直嶋正行氏となった。これに加え、外務大臣は同党の温暖化対策を一貫してリードしてきた岡田克也氏だ。「2020年までに温暖化ガスを1990年比で25%削減する」との同党の公約を環境外交の場で打ち出す布陣が整った格好だ。鳩山首相は今月末にも国連総会で「25%削減」を表明する見通しだ。これによって、国内の温暖化対策は、新たな局面を迎えることになる。

 それを象徴するのが、経済産業省が示した「25%削減は国民負担が過大」との見解と、環境省・小林光事務次官の「25%削減は可能」というコメントのズレだ。今後、温暖化対策は、経済産業省主体から、民主党による政治主導に転換し、霞ヶ関では環境省の役割が相対的に強くなっていく可能性が高い。

 そもそも京都議定書の目標達成に向けた国内温暖化対策は、典型的な政官財のもたれあいの構図であった。

 京都議定書での日本の削減目標である「90年比6%削減」は自民党政権による政治決着であったが、具体的な対策は経産省にほぼ丸投げされた。政府の「目標達成計画」には省庁横断でさまざまな施策が並んでいるものの、実質的に目標達成に貢献しているのは、産業界の自主行動計画への締め付け、それも電力業界と鉄鋼業界との一種の“密約”である。

 日本経団連傘下の各業界団体は、自主的に温暖化ガス削減に向けた目標を掲げている。あくまで「自主」だが、経産省は毎年、その達成度合をフォローし、指導している。そのなかで温暖化ガスの排出量が突出している電力と鉄鋼業界、つまり電気事業連合会と日本鉄鋼連盟については、目標未達成の場合、海外から排出枠を購入して埋め合わせることを約束させている。

 その結果、電力業界は公表値で1億9000万t、鉄鋼業界は5900万tの排出枠を既に購入している。費用は推定でそれぞれ数千億円に上る。この政策手法は極めて日本的な「行政指導」によるものだ。

 しかし、このやり方では、未達成のときのペナルティもなく実効性に乏しい。そもそもわが国では「皆で渡れば怖くない」と言う思想が蔓延した「もたれあい」構造が多すぎる。

人類の未来が掛かる課題には、民衆の代表である政治集団が的確に判断してリードする義務がある。

金塊と地球を天秤に掛ける議論はほどほどにすべきだ。

無題


<うわさのMBA>

銀行の過剰報酬
銀行の過剰報酬には制裁
共同通信9月18日(金) 09時07分配信


 【ブリュッセル共同】欧州連合(EU)は17日、ブリュッセルで臨時首脳会議

を開き、金融危機の一因と批判される銀行の過剰報酬に対して制裁を科すよう求め

る提案を盛り込んだ共同声明を採択した。

制裁措置は、日米欧や新興国の20カ国・地域が合意した高額報酬を抑制する

「国際基準」の実効性を高めるのが狙い。

ボーナスを収益か報酬総額の一定比率内に抑える方法の検討も要請した。



当然と言えば当然ですよね。

リーマンショックで明らかになりましたが、リーマンブラザーズのCEOは年収60億円強、社員の平均報酬は3000万円強、驚くべき数字です。

世界同時不況以来、世界各国は金融機関救済に途方もない公金を投入しています。
その中で、経営状況が上向いてきたとは言え、元の高額報酬に戻そうとする金融機関経営陣の動きは心情的に容認できるものではありません。

自由主義経済は自己責任が大原則ですが、破綻したときは公金で救済されておいて、良くなったら自由でよいと言う論法は成り立ちません。



〈うわさのMBA〉


エコ・コンパクトシティ
都市政策を転換(国交省)


 都市政策の重点は郊外から中心市街地へ――。

国土交通省都市・地域整備局が8月31日に提出した2010年度予算の概算要求で、郊外で市街地開発する際の新たな土地区画整理事業に原則として補助金を交付しない方針を示した。今後は、中心市街地に都市機能を集約させる「エコ・コンパクトシティ」の推進に政策を転換する。

 2008年3月時点で、土地区画整理事業は全国の1302地区で進められている。そのうち、国庫補助金を受けているのは約400地区。同省の担当者は、継続中の事業の国庫補助を止めるものではないと述べている。

 同省が提唱するエコ・コンパクトシティは、中心市街地や交通結節点などの拠点を中心に、公共交通を軸としたネットワークを構築した、コンパクトで環境負荷の少ない集約型都市構造の概念だ。概算要求では、新規の補助事業として駅やバスターミナルなどを中心に、周辺の公共施設なども含め一体的な整備を支援する。200億円の予算を要求した。

 一方、民主党はマニフェスト(政権公約)で、国が地方に使途を特定した「ひもつき補助金」を、社会保障・義務教育関係を除いて廃止すると主張している。地方の自主財源に転換する方針だ。



無題
中心市街地に都市機能を集約させる「エコ・コンパクトシティ」の概念(資料:国交省)

〈カーペンター〉




官僚のための官僚改革
役人改革

「予算の全面見直し」を迫る民主党に霞が関が戦々恐々としている。

 なぜか。

 ある財務官僚の見立てはストレートだ。

 「霞が関が浮き足立っている理由は、業界団体とグルになった予算にメスを入れられたら厄介だからです。そんなことになれば、再就職の機会が激減してしまう」

浮き足立つ霞が関の官僚たち

 お粗末な話だが、それが霞が関の現実だ。個人レベルでは人品骨柄、能力ともに優れた官僚が少なからず存在する。滅私奉公の四文字を体現したような見事な役人ぶりを発揮する人たちも現にいる。だが役所という組織の論理は腐りきっている。

 彼らの「省益」とは「天下り先をどれだけ確保するか」だけだと断じていい。ことに役所の実効支配を受けている特殊法人や公益法人への天下りが悪辣なのは、役人OBが働かずに高額の報酬や退職金を掠め取っていることに尽きる。

 人口が減り、経済成長もままならず、地方経済が崩壊しているのに、役人は天下り先の確保、拡大に最大の価値を置いている。役所の権限拡大とは予算を大量に獲得して、それを関係諸団体に流し込み、そのおこぼれをOBに横流しする。これが役所の実態だ。

役人の意識がどれほど腐っているか

補助金が各種団体を通じて得体のしれぬ公金に

 民間企業に天下ったOBたちの態度をみると、その腐敗ぶりがさらに鮮明になる。現在はベンチャー企業の経営者として成功しているある役人OBは、かつての同僚や先輩たちの所業にあきれ返りながらこう話す。

 「民間企業に天下ったOBの中にはひどいのがいて、『なんで俺がいつまでも平取なんだ。早く常務にしろ』と官房に電話をしてくる奴までいる。多くはこんな感覚ですよ」

 私は民主党の個別政策については多くの異論を持っているが、脱官僚を本気で志向する態度には大いに共感できる。民主党の藤井裕久最高顧問は「自民党は霞が関の下にある」と評したが、まさに至言だ。

 役人たちの合法的な税金ネコババを見て見ぬふりをするどころか、族議員たちは一緒に国に寄生してきた。今回の衆院選で民主党が大勝した最大の背景は、民主党のばらまきマニフェストへの評価ではなく、自民党と霞が関が二人三脚で創りあげてきた私利私欲の国のカタチに国民がレッドカードを突きつけたということではないか。

 財務省の幹部にこの点をただしてみると、こんな返事が返ってきた。

 「東南アジアの一部の途上国のように、役人が横領するような明らかなネコババがある訳ではありませんが、日本の補助金は、余計な人員を抱えた外郭団体や業界団体を経由させることで、得体の知れぬ公金となって使われていることは間違いない」

財務省は役人の無駄遣いを見直せるか

 脱官僚とはまさに、予算の全面見直しを通じて、各省庁の合法的ネコババをなくし、必要な財源を必要な支出に回すことだ。

 しかし考えてみれば、本来ならその役目を果たすべきは財務省だったはずだ。財務官僚は日本の財政危機を煽り、増税の機会をうかがうことしかやってこなかった。

 財務省が自ら本気で財政再建を果たす気概があったら、霞が関がここまで堕落することはなかったはずだ。財務省主計局は霞が関随一のエリート集団だが、その実態はフリクションを恐れ、人事にしか興味の持てない唾棄すべき小役人集団だ。

 だが財務省はその汚名をそそぐ歴史的チャンスを手に入れた。

財務省は民主党を徹底的に利用すればいい

 民主党の暴走を許して国家財政を破綻させてしまうか、それとも民主党の「予算の全面見直し」を通じて財政再建への道筋をつけるか。

 それは財務官僚の矜持ひとつにかかっている。

〈うわさのMBA〉

惨敗の理由
くだらないこけおどし作戦

今回の総選挙は歴史的なものだという認識は誰も否定しないと思う。

嘆くべきは、選挙期間中の自民党の劣化度は眼を覆わざるを得ない。

選挙戦の初期にネガティブキャンペーンをした自民党。

諸刃の剣と呼ばれる、その効果は完璧な逆効果!

自民党の歴史的大敗で幕を閉じた、今回の衆院選選挙。逆風への巻き返しを図るべく、自民党がなりふり構わずに導入した宣伝方式、それがネガティブキャンペーン。

民主党の鳩山代表にどこか似ているアニメキャラクターが、額に汗を浮かべて無責任な政策を述べ立てる。自民党がその様子を非難する。

そうした内容の動画がインターネット上で公開され、賛否両論を巻き起こしていた。

ネガティブキャンペーンは、このように相手を貶めることで自分たちのイメージを相対的にアップさせるというものだが、選挙に限らず、一般商品の広告などにも活用され、その効果をめぐっては、相手を貶める行為に嫌悪感を抱かせる可能性もあり、マイナスの結果を生むことがある。

もっとも今回の選挙では、効果を検証するにはあまりに逆風が強すぎたようだ。

終盤になって、自宅の郵便受けに入っていたパンフレットを見て、眼を丸くした。

一瞬「何だ、こりゃ!」

「ここまで、落ちぶれたか」という印象だった。


自民党が有権者宅にばら撒いた誹謗中傷のパンフレット

無題


            その内容
無題3
http://business.nikkeibp.co.jp/article/topics/20090830/203767/?SS=nboimgview&FD=1155106158

 内容は、「知ってドッキリ民主党 これが本性だ!! 民主党には秘密の計画がある!!民主党にだまされるな!」「民主党と労働組合の革命計画」などと題された、どぎつい色のチラシを大量に候補者事務所に送りつけ、選挙区各家庭へのポスティングを指示した。

 森喜朗など閣僚級の政治家の多くをクライアントとして抱え、延べ650人の当選記録を積み上げてきた選挙コンサルタント会社、政治広報センターの代表を務める宮川隆義氏は、8月中旬に発売された週刊誌で、こう指摘している。「『自民党は政権に復帰できるでしょうか』。(中略)自民党議員や関係者から、そう聞かれることが多い。私の答えは決まっている。『できません。少なくともあと20年はムリです』。本当を言うと20年どころか、このまま自民党が露と消えるかもしれない、とさえ思っている」
 これは、「民主291議席、自民128議席」という宮川氏の予測に基づいた話。

 実際はそれを下回っただけに、宮川氏の自民党への印象はさらに深刻なものとなっているはずだ。

 労働組合などの支持を得て「下から攻める」民主党と対照的に、自民党は長らく医師会や農協、経団連といった業界団体の支持を礎に戦ってきた。民主党は、3年後までに企業・団体献金を全廃し、政党助成金と個人献金のみとする政策を公約に掲げている。これが現実のものとなれば、自民党はさらなる窮地に追い込まれることになる。

 もはやルールが通用しなくなっているのに、相も変わらず業界や地元への利益誘導を口に、今回の選挙を戦った自民党候補者は多い。

 このまま自民党が変わらなければ、「55年体制」が完全に崩壊したは良いが、国民が政権選択をする「2大政党制」は雲散霧消に終わる羽目になりかねない。


〈うわさのMBA〉




予想外に民主党の圧勝
衆院選挙は民主党の圧勝の様相である。
民主党が勝のは間違いないとは思っていたが、これほどとは予想できなかった。
それは私だけの感想ではなく民主党もそうであろう。
しかし民主党は、圧勝に浮かれてはいられない。政策を実行しなければならないのだ。
改革とは外科手術のようなものだ。痛いし血も流れる。しばらくは入院も必要になり収入は減り、治療費も支払わなければならない。そこを乗り越えなければならない。
痛いから止めてくれとか、血が流れると泣き叫ぶ人も出てくるだろうが、そこを丁寧にケアしながら、断固として改革を進めてもらいたい。
「妙薬は口に苦し」
国民も民主党も肝に銘ずべし。
<疾風>
総選挙の行方
官僚たちの“冷めた”夏

 民主党の小沢一郎・前代表は、政権奪取後100人以上の国会議員を政府内に入れる意向を示していました。6月に英国を視察した菅直人代表代行も、「閣僚委員会」など政治主導の意思決定プロセスを強く訴えています。内閣府に国家戦略局を設置する構想もあります。いずれも従来の霞が関中心の政策決定メカニズムを変えよう、という動きにほかなりません。

 今回の総選挙の争点の1つは政権交代の有無にある―というのは衆目の一致したところです。更に、政権交代の大きな争点は「霞ヶ関改革」です。小沢前代表や菅代行の主張がそのまま民主党の方針になるとは限りませんが、民主党による政権交代が実現すれば、霞が関を軸にしたこれまでの政策決定メカニズムに大きな変化が出ることは間違いないと思います。

「官僚抜きで政策が動くはずがない」
(以下、日経ビジネスオンラインより抜粋。一部略)

 そうした民主党の方針に対して霞が関の官僚が何を感じているのか。それを聞こうと思って、数人の官僚に話を聞きました。一言でいえば、「官僚は冷めている」のです。

 「まだ自民党政権だし何が起こるか分からないでしょ。政権が交代しても誰かが日々の政策を動かしていくわけでしょ。それって、官僚しかいないよね。政策メカニズムが変わるというのは大いに結構。でも、実務を担うのは僕たちでしょ」

 「霞が関の官僚をすべて切り捨てて政策が動くはずがないよね。『内閣の方針に反する局長や部長は辞表を出せ』と言うんだろうけど、代わりの人間は必要でしょ。それってやっぱり官僚でしょ。そうしないと、国民生活は大混乱するよ。100人の国会議員を送り込んで、一体どこのラインにつくというの」  ・・・などなど。

話を聞いたのは課長以上の方々です。基本的には、「マニフェストが出ていないのでよう分からん」「官僚を敵に回して政権が持つの?」「やれるものならやってごらんよ、お手並み拝見〜」という感じです。どんな話を聞いても、すべてがそんな反応なのです。

 もっとも、各省庁の民主党対応の話になると、俄然目の色が変わるから不思議です。“出遅れ気味”の省庁ほど焦りの様子。

真偽のほどは確認していませんが「財務省は竹下登内閣時代に小沢官房副長官の秘書官を務めた香川俊介主計局次長を通して民主党に接触している」と霞が関や永田町で縷々言われています。経済産業省あたりも「パイプ作りに余念がない」とのこと。(以上)



〈うわさのMBA〉
市民の9割は「建設業界では談合が横行」と思っている
 建設業界では今でも談合が横行している。一般の人の9割近くが、このようなイメージを抱いていることが、日経コンストラクションのアンケート調査で明らかになりました。頻発する低価格入札に悩まされている建設業界にとっては、理不尽な結果に映るかもしれません。

 日経コンストラクションでは、建設関係者と一般の人の双方にアンケート調査を実施し、建設業界に対するイメージなどについて、どのように感じているかを答えてもらいました。


談合

 その結果、「建設業界では談合が広く行われていると思うか」との問いに対して、一般の人の45%が「非常にそう思う」と回答。「ややそう思う」を合わせると87%に上ります。

 ではなぜ、建設業界の脱談合の取り組みが、一般の人には伝わっていないのでしょうか。

談合を「旧来のしきたり」と呼ぶ土工協

 「『談合をやめました』とは、逆に言えば『今まで談合をしていました』ということ。業界は声を大にして主張しにくいのだろう」。全国市民オンブズマン連絡会議の幹事を務める大川隆司弁護士はこう語る。

 2005年12月、新聞などのマスメディアは「大林組、鹿島、清水建設、大成建設の大手4社は談合から決別することを申し合わせ、談合担当者を配置転換した」などと報じた。しかし、このことを4社が公式に発表したわけではない。談合担当者たちは、人知れずこっそりと異動させられた。

 その後、06年4月に日本土木工業協会が発表した提言では、談合を「旧来のしきたり」と呼び、そこから決別することを宣言しています。しかし、法令順守を強調するばかりで、過去に犯してきた業界の不法行為を自らすべて明らかにして国民に謝罪するところまでは踏み込んでいません。

 それどころか、「脱談合宣言」以降も、建設業界の談合事件はたびたび報道されています。西松建設の違法献金事件も、建設業界のイメージを大きく損ねました。

 「すべて膿(うみ)を出し切らないと、なかなか社会の評価は変わらない」と大川弁護士は話しています。


 劣化した社会基盤施設のトラブルが、打ち続く災害に見舞われています。日本の安全な国土を守る担い手としての建設業界の存在は欠かせません。

 建設業界は旧来の経営スタイルから脱皮して、市民から期待と信頼を得る経営姿勢の確立が急務なのです。

〈カーペンター〉




衆議院選挙の争点は何か?
やっと待ちに待った衆院選挙戦が始まる。
待ちくたびれて、何のための選挙なのかぼやけてきたような感じがする。

さて今回の争点は何なのか?
自民党の主張は分かりやすい。
「財政出動と公共事業による経済の下支え」。すなわち、一言で言えば、これまでと同じやり方でやると言うことだ。
一方これに対して、民主党の主張は見えにくい。
マニュフェストでいろいろと並べているが、一言で言えない。

米国のオバマは、「yes we can!」、「CHANGE!」であった。

私は設計屋であるが、設計をするときにはコンセプトが最初に来る。
コンセプトが決まらなければ何も始まらない。

自民党のコンセプトは、「従来通りの日本を続ける」ということだとすれば、それならば民主党は、「「新しい日本をつくろう!」というコンセプトをもっと全面に打ち出さなければならないはずだ。
財源については、新しい仕組みを造るのだから、「生み出す」必要など無い。
新しい枠組みで予算を組むと言えばいいのだ。
私も以前行政の内部にいて予算というものを見てきたが、予算の組み方というものは、前年対比で増やすか減らすかというところで決まる。
ところが全く白紙で、本当に必要なものは何かと考えると、全予算の3割から4割は、本当に今緊急にやらなければならなか疑問のあるものばかりである。
公務員の配置にしても、前年比増減で考えるのではなく、本当に今ここに人を配置してやる必要があるのかどうか、という視点で点検すれば、いくらでも余剰は浮かび上がり、人件費の削減も可能である。それは無理な首切りをしろと言うことではなく、高額報酬を得ている不要な窓際族や、社会の邪魔をするだけの外郭団体を白紙で見直せばいいのだ。それでかなりの人件費が浮くはずである。

民主党が主張すべきは、「今までのままで良いのか、新しい社会を創るのか」、この1点に絞るべきである。

ここにきて、鳩山代表の発信力の弱さが目についてきてるが、
各論に引きずり込まれることなく、理念・哲学をしっかり伝えてもらいたい。
理念・哲学を語れる論客は書生的な民主党には多くいるはずだ。
<ハヤテ>
―政府の見直しー
震度6弱の発生確率が大幅増

8月11日駿河湾を震源とする震度6弱の地震が発生し、お盆を控えた大移動期に大きな影響を与えています。政府が全国の地震発生確率を見直した直後です。異常気象の連発に加え、地震が加わるとわが国の安全は大丈夫でしょうか。

経済対策で新しい公共投資も必要かもしれませんが、既存施設の総点検が必要な時期なのです。環境保全に加えて、防災対策が急務の日本列島なのです。

 政府の地震調査委員会は7月21日、2009年1月1日から30年以内に震度6弱以上の地震に見舞われる確率の分布を示した日本地図を公表した。昨年までの地図と作成法を変えた結果、08年に公表した同年時点での30年間の地震発生確率が大幅に変わった地域も目立った。

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政府の地震調査委員会が発表した2009年1月1日から30年以内に震度6弱以上の揺れが生じる確率を示した日本地図(資料:地震調査委員会)


 30年以内に震度6弱以上の地震を被る確率が増加した場所を、都道府県庁所在地における市庁舎(東京都は都庁)周辺の地点で比べてみた。すると、67.1%の発生確率を示した奈良市では、前年に比べた増加幅が最大の51.1ポイントに達した。

 これに次いで確率の増加幅が大きかった地点は、36.8ポイント増で64%となった千葉市、36.5ポイント増で59.5%となった大阪市、33.8ポイント増で66.7%となった横浜市と続いた。平野などの低地では、地盤自体が揺れやすいとみなされ、地震時の揺れが増す形で評価された。

 半面、地盤がこれまでよりも揺れにくいと判断された甲府市では、27ポイント減の55.3%となった。
 09年から30年以内に震度6弱以上の揺れに見舞われる確率が最も高い県庁所在地の市庁舎周辺地点は静岡市で、その確率は89.5%(前年比2.7ポイント増)だった。

 確率に大きな変動が生じた一因は、表層地盤の揺れやすさや揺れにくさの度合いを、従来に比べて広い範囲で検証した点にある。さらに、揺れを評価する領域をこれまでの約1km四方から約250m四方に設定した。

 計算方法についても最近の地震被害で得られたデータなどに基づいて従来の計算式を見直した。内陸地震において、震源に近い場所の揺れを、より適切に評価できるよう改めた。
 このほか、震度7の地震に見舞われるリスクを抱える地域なども明示した。

震度6弱の揺れを30年以内に受ける確率
別
(注)2009年1月1日から30年間を対象にしている。東京は都庁舎の所在地周辺での、それ以外は県庁所在地にある市庁舎周辺での確率を示す。

 今回の地震による家屋被害は5000数百棟に上るそうですが、幸いにも近々予想される“東海大地震”に備えて耐震対策をしていたため、最小の被害で済んだようです。

 公の防災対策も重要ですが、身の回りの災害の備えも考えなければなりません。日本に住んでいる限り、他人事ではないのです。

【耐震診断のすすめ】

http://www.nj-sd.com/shiryou/taishin.html

〈うわさの大工〉
名曲アワー1「忌野清志郎 井上陽水 高中正義 」

懐かしのメロディー「浅川マキ」

日本の食料問題
モッタイナイ現状とは!? 


農地の1割は未使用のままです。

日本の食料自給率は40%以下です。

この数字は2006年と比べると微増したのですが、フランスの130%、アメリカの120%と比較すると、日本の海外への食料依存体質は危機的な状況にあります。

それを改善するためにはどうすればいいでしょうか?

1番手っ取り早い方法は、国内の食料生産量を上げればいいと、誰もが考えるのではないかと思います。

ところが、全国の耕作地のうち、過去1年作付けされず、今後もされる予定がない「耕作放棄地」が全農地の1割を占めているそうです。

原因は、農家の後継ぎ不足に、開発業者への土地の売却などと様々ですが、なんとも“モッタイナイ”話です。

世の中の流れを見てみれば、体験農業や地産地消といった言葉が取り上げられ、耕作放棄地を有効に活用する余地はまだまだあるのです。

ちなみに、食料品の輸入がすべて途絶え、もし国内の食料だけで日本人の食を賄うとしたら、次のような品目が食卓に上るそうです。

朝食:ご飯、ぬか漬け、粉吹きいも
昼食:焼きいも2本、ふかしいも1個、りんご4分の1かけ
夕食:ご飯、焼きいも1本、焼き魚1切れ


芋ばっかりで、まるで江戸時代にタイムスリップしたような食生活です。

ところがこれが現実で、海外からの輸入に頼らなければ、日本の伝統的な食品である、豆腐や醤油さえも口にすることができません。

日本の食料自給率の現状は、お隣りの国から仕入れたギョーザやミルクに含まれる問題よりも、さらに深刻な問題と言えるのではないでしょうか。



〈うわさの百姓より〉
コストダウンは社会悪?
値下げは経済を劣化させる

 安売りの根底にあるのは、安くすれば買ってくれるだろうという間違った認識です。いま、市場はモノであふれ、飽和しています。消費者は安いからといってモノをたくさん買うわけではなく、必要なものを必要なだけしか買いません。安売り戦略では業績が上がらないのです。これは、ここ10年のスーパーやデパートの売り上げの伸び悩みを見れば分かります。

 安売りすることは、企業にとって決して健全な活動とは言えません。なぜなら、本来なら得られるはずの適正な利益を削って正常な価格を下げ、異常な価格で売るからです。安売りは企業の体力を弱め、ひいては従業員の賃金や雇用にも影響を及ぼします。仮に賃下げやリストラといった事態になれば、消費者である従業員やその家族の購買力を低下させ、回り回って小売りメーカーの売り上げの減少という形で跳ね返ってきます。

 しかも、影響は安売りした企業だけにとどまりません。小売りであれば川上の製品メーカーへ仕入れ価格の値下げを要求し、メーカーはさらに川上の原材料サプライヤーに同様の値下げを迫ります。安売りは、モノづくりの下流から上流へとさかのぼってすべてに影響を及ぼし、結果的にみんな痛んでしまい、経済全体のカネの循環を逆回転させる可能性すらあるのです。

 また、安売りの悪い影響は、いろいろなところで、いろいろな形であらわれます。まず、社員の士気を下げ、組織を弱らせてしまいます。皆が努力して作り出した製品が店頭で安売りされているのを目の当たりにしたら、社員はどう思うでしょうか。

 かつてある携帯電話メーカーの技術者は、自分が設計した製品が店頭で1円で売られているのを見て、「俺の努力の価値は、たった1円なのか」と落胆したといいます。最近も通信サービスとセット販売の「100円パソコン」を店頭で目にしますが、セットならいくらか利益が出るからとはいえ、実際にその開発者が目にしたら悲しい思いをするでしょう。安売りによって、作る側の意欲をそぐようなことがあってはなりません。

 ここまでの安売りは極端な例かもしれませんが、安売りするためのコスト削減の取り組みも、実は社員の士気に大きく影響します。そもそもコストを削ることは前向きな仕事ではありませんし、それが何かを創造しているわけではありません。そこには、夢や働く喜びは感じられないでしょう。行き過ぎたコスト削減や効率化を強調する会社では、社員が萎縮してしまわないかと心配です。

 安売りは麻薬のようなものです。一時的に消費を刺激して優位に立ったとしても、時間がたてば効果はすぐ切れてしまいます。そこで次なる安売りを仕掛ける。その繰り返しが最終的には企業自らの身を削り、ひいては日本経済そのものを収縮させます。こうして「悪魔のサイクル」とも言える悪循環が起きてしまうのです。こんな構図にならないよう、安売り競争もほどほどにしなければなりません。

 企業活動とは何かと問われれば、創造活動だと答えます。創造することに企業の存在意義があり、そこに企業の成長と発展、そして社員の喜びがあるのです。コスト削減や効率の向上にばかり気を取られていると、仕事への意欲は下がり、士気は衰え、企業の活力は確実に失われていきます。安売りがもたらす悪循環は、こうして日本経済をも蝕んでいくのです。

 消費者は安物を求めていません。鍛えられた品質と製品・サービスに対する信頼を求めているのです。


〈うわさのMBA〉

国営巨大マンガ喫茶
国立メディア芸術総合センター

別名:国営巨大マンガ喫茶

■クールジャパンの発信基地がお台場に登場!?

クールジャパンの掛け声とともに、マンガやアニメなどの文化を、世界に向けて広く発信していこうと考える日本政府。

その一環として、「国立メディア芸術総合センター」の設立が構想されている。

15兆円の緊急経済対策の中に紛れ込んでいた。まさにドサクサ紛れの計画だ。

現在、四方八方から批難を浴びている。

というのも「アニメの殿堂」と呼ばれ、マンガやアニメなどの資料を公開すると同時に、巨大なマンガ喫茶も設けられる施設に、100億円を超える予算を投入する意味があるのか不明なためだ。

緊急経済対策にどの程度効果があるのか疑問だらけの代物である。

金を使えば、経済対策になる、という短絡的かつ展望のない役人の受け皿(天下り)づくりのイメージしか生まれてこない。

国民視点を失ったこの国の政治家・役人の、自己視点しか感じられない愚策である。

これまでにも立派な箱だけ造って、内容空疎といった悪例を繰り返してきただけに、その延長線にあると批判が高まっている。

ちなみに、マンガやアニメの仕事に従事する人々からは、それより原稿料や給与改善にメスを入れてくれよ! という声も出ている。

それ以上に、経済不況の中で千円札1枚にも恵まれない人たちがいることを忘れない対策が緊急かつ優先度が高いことを、政治家も役人も肝に銘じて欲しい。



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            民間のマンガ喫茶

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              国営マンガ喫茶


国民をコケにするのもいい加減にしろ!

〈市井の一国民、心の叫び〉


食糧危機
人類と食糧危機 その1

地球温暖化と人口増


2008年に世界を襲った食料価格の高騰は、食料危機の到来を告げる警鐘だった。2005年から昨年夏にかけて、小麦とトウモロコシの国際価格は3倍、コメは5倍に上昇。

それに伴って、エジプトやバングラデシュ、中米のハイチなど世界20カ国以上で暴動が起き、7500万人が新たに貧困層に加わった。農作物の不作による短期的な値上がりは過去にも繰り返されてきたが、今回は世界の穀物生産量が史上最高に達した年に価格が跳ね上がった点が、事の重大さを物語っている。

 私たちは毎日ごく当たり前のように食卓に向かい、自然の恵みを食べている。現代社会では、多くの人々が農耕の手間から解放され、お金さえ払えば、調理の手間すらかけずに三度の食事にありつけるようになった。

食材がどこから運ばれてきたのか、どうやって育てられたのか、あまり考えることもない。価格が上がってはじめて、私たちは食べ物のありがたさに気づく。

こうした無関心のツケはあまりに大きい。

 価格高騰の背景には、慢性的な食料需給の不均衡という難題がひそんでいる。実はこの10年間、世界の食料消費量は、ほとんどの年で生産量を上回ってきた。私たちは、穀物備蓄を取り崩して食いつないできたわけだ。

  「農業生産性の成長率はせいぜい年間1〜2%程度です。これでは人口の増加と、それに伴う需要増に追いつけません」と、米国ワシントンに本拠を置く国際食料政策研究所(IFPRI)のジョアキム・ボン・ブラウン所長は指摘する。

 今回の価格高騰は、人々に行き渡るだけの食料がないことを知らせる危険信号だ。世界中で10億人にのぼる最貧層は、収入の50〜70%を食費に充てているため、価格の上昇で特に大きな打撃を受ける。

食料価格は、世界的な経済危機の影響で上昇が一段落したものの、今もまだかなり高い水準にとどまっていることは確かだ。さらに、気温の上昇や水不足の深刻化といった気候変動の影響で、世界の多くの地域で収穫量の減少が予測され、慢性的な食料不足に陥るおそれがあると、一部の専門家は警告している。

 温暖化と人口の増加が進む世界で、どうすれば飢えを減らせるのか。この問題に取り組むのが、国連と世界銀行が中心となって設立された国際農業研究協議グループ(CGAIR)だ。その傘下の研究機関は、1950年代半ばから90年代半ばにかけて、世界のトウモロコシ、コメ、小麦の平均収穫量を2倍以上増やすという偉業を成し遂げた。この驚異的な穀物生産の伸びは、「緑の革命」と呼ばれている。

 21世紀半ばには世界の人口が90億に達すると予測される中で、CGAIRの専門家チームは、2030年までに食料生産を2倍にする必要があると考えている。緑の革命を成功させるまでにかかった年月の半分で、第二の緑の革命を成し遂げなければならないわけだ。〈続く〉


〈うわさのMBA〉

グラン・トリノ
 今年(アメリカでの封切りは昨年暮れ)登場したのがクリント・イーストウッド監督・主演の「グラン・トリノ」です。
今のアメリカが抱える諸問題、戦争の傷、民族間の偏見と対立、父と子・世代間の断絶、宗教のあり方、自動車産業の凋落まで、様々な諸相がこの映画では「イーストウッドの映画人生」という大鍋で煮込まれてシチューになったような味わいがあります。

少し粗筋を紹介しますが、これから映画を見る人のために、キモネタは明かさないでおきます。


 主人公のウォルトはポーランド系の白人アメリカ人だ。1950年代初頭の朝鮮戦争に出兵し、部隊のほとんどが戦死するような激戦を戦い抜き、勲章をもらった。戦後は自動車メーカー、フォードの工場で組立工として定年まで働いた。フォードの1972年製グラン・トリノを愛し、今でもピカピカに磨き上げ、愛車にしている。引退し、デトロイトの郊外の住宅地ハイランドパークに住んでいるが、長年連れ添った妻が亡くなった。

 ウォルトは、日本でも絶滅危惧種になっているような超頑固じじいだ。祖母の葬儀で教会にへそ出しルックでやってきた(しかもへそにピアスまでしている!)孫娘にブチ切れそうになり、2人の息子とその家族との関係もうまくいかない。長男がトヨタのカーディーラーをやっていることも我慢ならない。

 このじいさん、人にはうるさいくせに、自分は“ファッキング・イングリッシュ”で民族差別用語をスプリンクラーのように撒き散らす。癇癪を起こすと口をへの字に曲げてまず「ウ〜」と犬のように唸り出す。むかつくと人前でもペッと唾を吐く。映画好きならご存じだろうが、マカロニ・ウエスタンの主演時代から、唾吐きはイーストウッドのトレードマークだった。

 妻に先立たれ、独りになったウォルトの家の隣にはインドシナの山岳民族モン族の兄弟、姉のスーと弟のタオ、母、祖母が住んでいる。モン族はベトナム戦争時代に米国の工作で共産主義勢力を敵に回して戦うことになり、米国の撤収後、祖国を追われ、難民化して米国に移住した。ウォルトは自分の街から白人が減り、アジア人やらラティーノ(中南米からの移民とその子孫)などばかり増えるのが気に入らない。

 これはまさに米国の人口動態を象徴している。米国勢調査局(Census Bureau)の人口データのトレンドを未来に延長すると、米国は2050年前後までには白人が総人口の50%を割り、マイノリティー(黒人、ラティーノ、アジア人など)が50%を超えるという逆転が起こる。

 このままでは米国は文化的アイデンティティーの危機に直面すると訴えたのが、例えば保守派の学者サミュエル・P・ハンチントンである(『分断されるアメリカ(Who are we?)』、集英社2004年)。ちなみに、イーストウッドの政治的な立場はアメリカで左派を代表するリベラルではない。彼は1951年以来、共和党員として登録し、共和党の大統領候補の応援をしたこともあり、リバタリアン(徹底的に個人主義、自由主義的を標榜する保守)を自認してきた。

 頑固じじいウォルトはタオとスーに関わり始めることで、次第に心を開き、変わり始める。味わい深い物語というのは、多義的な含意を放つもので、この映画についても見る者の立場次第で様々に異なった受け止め方があり得るだろう。私がこの映画から受けたハイライト的なメッセージについて語らせていただこう。

死から生へ

 映画の中でウォルトが心の奥に抱える重い罪の意識が次第に明らかになる。彼は朝鮮戦争で多くの敵兵を殺した。その1人はまだ少年でほとんど降伏しかけていた状態だったが、彼は撃ち殺してしまった。その罪の意識が彼を生涯苦しめる。

 この映画の1つのキーワードは、神父とウォルトの会話で登場する「生と死(life and deaths)」という言葉だろう。若い神父が口にした「生と死」という言葉に、ウォルトは応えて言う。

ウォルト 「若造のおまえに生と死の何が分かるんだ」

神父 「あなたは分かるんですか?」

ウォルト 「俺は戦場でそんなものは嫌になるほど見てきたんだ」

神父 「それは『死』ですね。『生』については?」

ウォルト 「・・・結婚して、子供を育て、家族を持った…」

神父 「そうですか、『死』の方が多いようですね」

 タオは従兄弟とその仲間のギャングどもから執拗に絡まれ、彼らを拒んだことから虐待される。既にタオの父親気分になっていたウォルトはギャングの1人をぶちのめして銃を突きつけて脅す。「今度タオに手を出したら、ただじゃ済まないぞ」。

 ところがギャングどもは逆恨みして、タオの家に銃弾を撃ち込み、外出していたスーを暴行、レイプしてしまう。

 暴行され、ボロボロになって家に戻ったスーの姿を見て、ウォルトは自分の暴力的な脅しがとんでもない報復を招いたことに衝撃を受ける。警察は調査するが、住民は報復を恐れてか口を閉ざし、犯人を特定することもできない。

 「ギャング」を「テロリスト」に置き換えれば、イーストウッドのメーセージは明白だ。相手がいかに非道であっても暴力による脅しは報復の連鎖を生むだけだ。ウォルトは痛恨とともにそう悟った。ではどうしたらいいのか──。

 この後、ウォルトの選択は意外な結末へと展開する。まだ見ていない読者のために結末の全部は明かさないでおく。


 映画の結びのメッセージは「死から生」である。捨ててこそ救って残せるものがある。福音書に描かれたイエスの受難物語はイエスの死でクライマックスに達するが、そのメッセージは救済と再生だった。ウォルトとギャングとの対決シーンは、マカロニ・ウエスタン映画の対決シーンを想起させる。しかし、それは意外な展開を経て福音書のイメージで終わる。

過去の何を捨て、未来に何を託すか

 結末を言えないのがもどかしいが、ウォルトが自分の心の深い傷、罪の意識を償い、誇りを回復したことは確かだ。同時に彼は過去の何かを捨て命をはって、未来に向けて何かを救い、何かを託したのだ。

 何を?

 ウォルトが投げ捨てたものは「力による恫喝」と「民族的な偏見」だと言えるだろう。振り返ってみれば自分の父母、あるいは祖父母も移民としてこの国に渡って来たのだ。街の床屋の「イタ公」も、建設現場監督の「アイリッシュ野郎」もそうだ。

 彼は自分の人生を歩き始めたばかりのスーとタオにこの国アメリカで生きる勇気と希望を与えた。
 「この国(アメリカ)は世界中からやって来た移民とその子孫に、ハードワークと独立心を代償に、自由と繁栄を与える土地だ。これまでもそうだった。そしてこれからも」

 そういうセリフは映画の中では一切出てこないが、これは多くの現代アメリカ人の琴線に触れる信条だ。

 それを言わずに感じさせるところが、この映画の出来栄えの素晴らしさだろう。ウォルトは自分とその祖先が継承してきたこのスピリッツをタオとスーの世代に託したのだ。タオもスーも決して人生に挫けることのないタフなアメリカ人に育つだろう。


 ひるがえって、私たち日本人は未来に向けて、何を捨て、何を救うべきなのだろうか。

 戦後の日本は旧い国であると同時に若い国でした。
戦争で多くを失い、都市は焼け野原になったので、すべてを一から建設するしかなかった若い国でした。
そこに戦後日本の成長のダイナミズムもありました。

人口も経済も成熟、老熟した今、成長するためには私たちもこれまでこだわってきた何かを投げ捨て、不確実な未来を信じて何かを託す必要があるのです。


 そういう気がしてなりません。



〈うわさのMBA〉



鳩山由紀夫に期待する
民主党代表選挙が今日行なわれ、鳩山由紀夫幹事長が選ばれた。
今この時期の民主党の代表に求められるものは何なのだろうか。
私は市民の一人として、民主党の代表にはこれまでの政治家とは違う、新しい時代を切り開く理念哲学を期待している。
日本の社会は、政治も行政も経済界も教育も医療も、あらゆる社会制度が耐用年数を過ぎて金属疲労を起こしている。そういう時代にあって、もうすぐ歴史的な選挙が行なわれるこの時期にどういう人物がリーダーにふさわしいか。民主党の代表選びにそういう視点があったのだろうか。いささか疑問を感じてしまった。
戦略あって理念なし。覇道あって王道なし。
そう感じるのは私だけだろうか。
今の自民党相手であれば、それでも選挙には勝てるかもしれないが、国民の本当に期待する時代を切り開くことができるのか、鳩山氏の今後の言動に注目したい。

さて、民主党代表選びに対していささか苦言を述べたが、しかし決まったからには鳩山代表に期待するところ大である。
今政治に必要なことは、霞ヶ関改革でも財政再建でもない。そんなことは枝葉末節なことなのだ。
今必要なことは政権交代を成し遂げること、この一点のみである。
全ての改革の基本は「政権交代」、ここにあるのだ。
民主党政権が頼りなかろうと、寄せ集めであろうと、鳩山が優柔不断であろうと、小沢一郎が失脚しようと、政権交代という大目標の前には、そんなことはどうでもいいことなのだ。
まず政権交代を成し遂げ、後は野となり山となってもいいのだ。そこから新しい物事が始まる下地ができればそれでいいのだ。
鳩山由紀夫はこれから国民の前でいろいろと語らねばならないが、政策などは不要である。
「私役割は政権交代をなし遂げることである!」「政権交代のために頑張る!」この一言だけでいいのだ。他の言葉はじゃまなのだ。
この事をしっかりと念頭において頑張ってもらいたい。
もはや幕は切って落とされたのである。
<はやて>

小沢退陣の行方
わが国の延々と続いた政治・行政システムのパラダイムシフトを実現する最大のキーパーソンだった小沢一郎氏が表舞台から退きました。良識ある人たちの無念さが伝わります。

日経ビジネスオンラインの「ニュースを斬る」からの転載です。


辞任に至った経緯を重く受け止めよ 郷原 信郎(名城大学教授・元東京地検特捜部検事) 

 代表辞任の記者会見で小沢氏自身が述べたように、辞任すべしという意見が世論調査でも民主党内でも増えている状況で、政権交代の可能性を最大限に高めるために、今辞任するのがベストだと考えたという言葉を、それなりに納得できる話だと思う。


辞任の発端は代表秘書の逮捕・起訴

 小沢代表の辞任は、公設第一秘書が政治資金規正法違反で逮捕・起訴されたことが契機となっている。その影響を相当強く受けたと思える世論調査の結果から、小沢氏の周辺も辞任一色に染まった。

 今回の辞任によって、小沢氏の秘書の政治資金規正法違反の逮捕・起訴を行った検察の捜査のあり方、説明責任の問題から目を逸らすようなことはあってはならない。

 小沢氏の辞任で、検察の政治資金規正法違反の捜査のあり方という問題から世の中の関心が離れてしまったとすると、こういったことがいつ何時繰り返されるか分からないことになる。それは民主主義にとって重大な脅威だ。

 3月初めの段階で次期総理の有力候補とされていた野党第一党党首が検察の捜査の影響で辞任するに至ったという事実を重く受け止めるべきだ。改めて、検察の捜査とは何だったのか、どんな問題があったのか、それに対して検察が十分に説明責任を果たしたのか――。これを機会に十分に議論し、問題として受け止めなければいけない。

 そういう意味では、小沢氏にも今の段階で可能な説明責任を果たしてもらい、それによって検察の説明責任を問うという態度をとってもらいたかった。それは決して困難なことではなかったはずだ。

 13日に行われる予定であった党首討論から逃げたという見方もあるようだが、党首討論にしっかりと臨み、麻生首相と対決すれば十分、小沢氏には勝ち目があったと思う。それが辞任の理由とは思えない。1日も早く公判で“潔白”を明らかにすべきだった。.

 民主党は先月、第三者委員会(「政治資金問題をめぐる政治・検察・報道のあり方に 関する第三者委員会」)を設置した。私はメンバーとして加わったが、政治資金問題に関する検察とメディアの説明責任、そして小沢代表および民主党の対応と説明責任についてバランスのとれた議論をしてきたと思うし、十分な成果が上がっていると思う。

 しかし、報道では小沢氏の説明責任、辞任論ばかりが議論されているように報じられ、議論の内容が正しく伝えられてこなかった。こういう状況も、今回の辞任の背景にあるだろう。

 検察の捜査について議論すべきポイントについては、これまで「代表秘書逮捕、検察強制捜査への疑問」で述べた。

 残念なのは、起訴から50日ほどにもなるのに、起訴の段階からほとんど何も進まないうちに辞任という事態になったことだ。すでに「小沢代表が今、行うべきこと」で指摘したが、自信を持って政治資金規正法上問題がないというのなら、それを1日も早く刑事公判で明らかにするための努力をすべきだった。

 民主党はもちろん、自民党も含めた政治全体が検察の捜査が不当な政治介入ではないか、という問題意識を持って闘う必要があったのではないかと思うが、そのような状況にはならず、マスコミの報道も一方的に小沢辞任論に傾く中では、小沢氏の辞任は致し方なかったのかも知れない。

 そういう意味で、同じ辞めるのだったら、現時点がベストのタイミングだったのではないかとは思う。

 いずれにしても、起訴直後ではなくここまで辞任問題を引っ張ってきたことは、検察にとっては相当のプレッシャーになったはずだ。(郷原氏談)



 底のないバケツ法(政治資金管理法)を盾にキーパーソンを葬った検察をはじめ、それに加担した世論・政治家たち・メディア、その影でほそく笑む官僚たち、国のかたちを変える千載一遇のチャンスを逃したと切歯扼腕している(うわさのMBA)でした。


これからの都市計画
「都市計画」から「まちづくり」へのパラダイムシフト


わが国都市計画法制の源流である「東京市区改正条例」(1888)は、三つの特徴を都市計画ヘビルトインした。
すなわち、対象論としては「既成市街地における後追いインフラ建設」、方法論としては「全体プラン無しの個別事業等の決定」、体制論としては「中央集権・官僚主導型の都市計画だ。

 同条例をうけて、市街地の総体的コントロールを目ざした「都市計画法」(1919)は当時、世界的にみても先進的な都市計画制度だった。
しかし同法は、その後「震災復興→戦時体制→戦後復興→高度成長」という時代の変化の中で「官によるインフラ事業」という性格のまま化石化していった。
ほぼ同時に出発したアメリカの都市計画が、自治体の公共事業・土地利用・空問構造を切り口とする社会的コントロール・調整の政策技術へと大きく進化したのと対照的である。


戦後の高度成長期には、急激な財政膨脹の下で「都市計画が都市を破壊する」という事態となり、再び市街地の総体的コントロールを目ざして「都市計画法」(1968)が改定された。


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 他方、戦後の自治体民主化の中から「まちづくり」が生まれた。六〇年代の高度成長期には、再開発、公害反対、区画整理反対、歴史環境保存、地域住民要求などの各種の市民住民運動が全国各地で展開された。
譬喩的にいえば六八年法とまちづくりとは、共に高度成長が生んだ双子の兄弟なのだが、一方は国会の赤絨毯で生まれ、他方は全国各地でホームレスとして生まれた。

 そして今、このまちづくりは市区改正条例以来の都市計画のパラダイムシフトに挑戦を続けている。流れは「インフラ建設から住環境整備ヘ」「個別具体の都市計画からトータル・ビジョンヘ」「集権・官中心型から分権参加型へ」等である。

 問題を一点に集約すれば都市計画における「公(public)」の位置づけにある。つまり「公=中央政府」から「公=自治体+市民社会(住民・NPO等)」の都市計画へ如何にして進化させるかという点になる。

 分権の制度論のポイントは「都市計画制度の全体構造の分権化」と、「その制度内での技術・手続きの分権化」を明確に区別すべき点だ。
多くの提案は後者のみに絞られているようだが、全体の分権なしに真の「都市計画の分権」は実現できない。

 「公としての市民社会」の重要なキーマンは、都市計画ブロフェッション、つまり職城を超えて職能を同一とし、都市計画技術を実質的に担う専門家集団の存在が重要になる。

わが国は、確立したブロフェッション無しに都市計画を行っている世界でも特異な国だ。
これが可能なのは、都市計画が空間技術よりは「工学技術」「技術よりは行政事務」の方向へと退化しているからだ。

 このような状況の下、市民の視点から都市計画制度を構想し、次の一〇〇年に耐える市民主体の都市計画制度への変換が,今社会的に求められている。

(うわさのMBA)